第14話 (一途視点)

私は度々、過去の悪夢にうなされる。

場所は夕暮れの屋上。

上を見上げれば縦横無尽に飛び回るカラス。

黄昏色に染まる寒空の下、私は冷たく彼をフッた。

フラれた彼は涙を堪えるように私から離れていった。

今でも解像度の高い映像として再生し繰り返されるあの光景。

瞳を閉じても彼が去り際に見せた悲しそうな表情が瞼の裏に浮かぶ。


「——ゴメンなさい、ゴメンなさい、ゴメンなさい、ゴメンなさい」


私はバカだ。どんな事情があったはといえ、愛しの彼を悲しませたのは一生の傷。


「遠くに行かないで……お願い……」


彼の背中が徐々に小さくなり、遠ざかる。声が届かない距離まで離れていく。

イヤだ、イヤだ——。これ以上離れたくない。私を見捨てないで。ずっと傍にいて。

叶わない願い。自らかなぐり捨てたくせに諦めが悪い。

私はどこまで行ってもダメ人間だ。


■■■


「ハァ、ハァ、ハァ、ハァ、ハァ、ハァ、ハァ、ハァ——」


これでもう何回目だろうか。

背中に滲む生暖かい汗。ドクドクと波打つ動悸の音。

ベッドから飛び起き、激しく肩で息をする。


「ハァ、ハァ、ハァ、ハァ、ハァ、ハァ、ハァ、ハァ——」


誰かに強く胸を締め付けられたような感覚。息を吸うたびに、肺が拒絶しすぐに吐き出してしまう。

呼吸を整えようと胸の辺りを擦るが効果なし。唇を噛んだせいで血の味が口の中に広がる。


「ハァ、ハァ、ハァ、ハァ、ハァ、ハァ、ハァ、ハァ——」


過去のトラウマが呪いとなって無遠慮に心を蝕んでいく。

トラウマを植え付けられたのはフラれた側なのに、フッた私の方が苦しんでる。

カッコ悪い。サイテー。人でなし——。

荒んだ心の中で自分を罵倒する。


「取り敢えず……、ゆっくり……、落ち着いて……息を吸おう……」


誰がどう見ても過呼吸の症状。

腹部に手を当て静かに瞑目し、頭の中を空っぽにする。

以前ネットで調べた対処法(腹式呼吸)で過剰になった神経を宥めすかす。


「よし……、落ち着いてきた……」


腹式呼吸に専念すること三十分。いつもより早く症状が薄れてきた。

ある程度落ち着いてきた所で、近くに置いてあったスマホを手に取る。


「まだ、朝早いじゃん……」


スマホの画面に映る時計には、朝の六時とデジタル表示されていた。

まだ二時間の猶予があるが、今から二度寝したいとは思わない。

スマホを片手に重い足を引きずって、階段をとぼとぼと降りる。

早く寝起きで渇いた喉を潤わさないと……。


「——あら、一途ちゃん。もう起きたの?」


下に降りて冷蔵庫の中にあったお茶を飲んでいると、物音に敏感な母親が起きてきた。

リビングの向こう。ドアの隙間から顔だけ覗かせて、こちらを見ている。


「ちょっと、お母さん。勝手に動かないで!危ないでしょ?」

「これぐらい、ヘーキヘーキ。一途ちゃんはいつも心配し過ぎ。過干渉だよ」

「それ親が言うセリフ?腹立つ」

「ゴメンなちゃーい♡」


別に好きで母親のことを心配しているわけではない。少し目を離した隙にどこかに消えてしまいそうで怖いだけ。

一度、母親を寝かせてから自分の部屋に戻る。


「——アイツ、いま何してんだろ」


時刻はまだ七時。講義は午後以降。

部屋に戻っても暇過ぎる。こういった空白の時間にふと、彼の顔を思い出す。


「昨日言い過ぎちゃったな……」


乱暴に追い返してしまった罪悪感が中々消えない。原因は恐らくまた、彼の悲しそうな顔を見てしまったから。

アイツのことなんて早く忘れてしまいたいのに、私の脳はそれを許してくれない。


「ほんとバカ……嫌い」


例のごとく小さく罵倒してLINEのアプリをタップする。

そして徐に“晴斗”のトーク画面を開いてしまった。

このトーク画面を開くのはいつぶりだろうか。

最後に会話したのは高三の冬。別れを切り出す一日前で止まっていた。


「『明日の放課後、屋上に来て欲しい』か……」


最後のメッセージは彼からの呼び出しメッセージだった。

あの時、まさか浮気のことで問い質されるとは思わなかったな。

ま、別れる口実ができてラッキーだったんけど——後から振り返れば全然ラッキーじゃなかったか。


「昨日のこと。一応、謝罪しとこうかな……」


早朝で寝ぼけているのか、それとも過呼吸の後で頭が疲れているのか——。なんの抵抗もなく謝りのメッセージを打ち、いつの間にか送信ボタンを押していた。


「——あ」


送信した後に、自分の奇行に気付くがもう遅い。


『きのうはゴメン。さすがにキツく当たり過ぎた——』。


トーク画面に自分が送ったメッセージが表示された。

急いで取り消そうとしたが、タイミング悪く既読が付いてしまう。


「ヤバいヤバいヤバいヤバいヤバい——‼」


徐々にただならぬ焦りが襲ってきて頭が真っ白になる。

持っていたスマホを床に投げ捨て、布団の中に潜り込んだ。

羞恥に耐え切れず、足をバタつかせ悶える。


「最近マジで頭おかしい。どうしちゃったの、私……」


会いたくないのに会いたい。嫌いたいのに嫌えない。怖いのに離れたくない。

どうしようもなく彼が好き——。

相反する感情が複雑に入り混じり、心の中がごちゃごちゃになる。


「——返事だ!」


ピコンと通知音が鳴った瞬間、再びスマホの画面に視線をやる。


『謝んないで。別に気にしてないから』


そのメッセージを見るや否や、顔が異常に熱くなりテンションがおかしくなる。

拳をベッドに勢いよく叩き込み、緩みかけた頬を力強く抓った。


「何か返事返さなきゃ……」


ここで会話を止めればいいものを私は欲張ってしまった。

自我を内に留めるブレーキが掛からない。

あらゆる欲望が暴走し、正常な判断ができなくなる。


「お詫びとして食事に誘った方がいいかな……」


大学生である自分を忘れ、恋する乙女だったあの頃の自分が蘇ってしまった。

高速で文字を打ち、間抜けにも誘いの約束を取り付けようとする。


「——これでよし、と」


彼に二つメッセージを送る。


『今日、昼から一緒に遊ばない?』

『全部私が奢るから、昨日のお詫びとして……ダメかな?』


相手が私にまだ好意があると分かったうえで誘った。絶対に断れることはないと確信した状態で。

今まで彼を突き放していたくせに、今度は都合よく彼に近づこうとする。

私はズルい女だ。

案の定、彼から即刻“OK”とアニメキャラのスタンプが届き、その後のメッセージで待ち合わせの時間と場所を指定してきた。


「早く出かける支度しないと」


急いで布団から脱出。

タンスの中から四年ぐらい眠っていた洒落っ気のある洋服達を全て引っ張り出し、ベッドの上に並べていった。












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