第13話

「センパイのために朝ご飯作りました。美味しく頂いちゃってください‼」


後輩の手料理と初ご対面。

卵焼き、ソーセージ、白ご飯、焼き鮭、味噌汁——上機嫌に用意した朝食を持ってくる。しかし——、


「一つ質問してもいいか」

「はい、なんでしょう?」

「どうして、どの料理もこんなに真っ黒なんだ……?」


食卓に置かれていく“ダークマター”を目の前に絶句する。

ギリギリどういった料理かは把握できるが、とても食べれそうには見えない。


「暫くセンパイに構っていたので、少し焦げちゃいました。見た目はアレですが、食べれないことはないと思います」

「ちなみに味の保証は?」

「ないです」

「命の保証は?」

「ないです」

「じゃあ、ダメじゃん」


この世にあっていいのか分からない異物。決して胃の中に入れてはいけない危険性を感じる。


「センパイ汗すごーい。今日そんなに暑いですか?」

「ちがう。この汗はそういうのじゃない。冷や汗だ」


腕に鳥肌が立ち、ガクガクと唇が震える。


「今日と明日——いや、もしかしたら一週間後まで腹痛確定だな」

「何バカなこと言ってるんですか?早く召し上がってください」

「日南、そんなにオレのこと嫌いか⁉」


箸を持ったまま食べあぐねていると、真愛が満面の笑みで急かしてくる。悪魔だ。


「い、いただきます……」

「はい、よーく味わって召し上がれ」


味の感想は言わずもがな口に入れた瞬間、強烈な吐き気を催す。


「日南、何か毒でも入れたか」

「失敬な。毒なんて入れるわけないじゃないですかぁ~。ま、多少なりともウチの“愛情”は入れましたけど」

「キミの愛情は毒入りか……」

「ん?センパイ……⁉」


すぐさまトイレに直行。便座の中に顔を突っ込み、派手に嗚咽する。

この前食べた一途の朝食とは大違い。メニューがほとんど同じなのに、ここまで差があるものなのか?

こういうのであまり他人と比べたくないが、今回は仕方ない。

他人が作った朝食を口にして元カノの料理スキルの高さを再認識する。


「センパイ、やっぱり不味かったですか?」

「お世辞でも美味しいとは言えん」

「す、すみません……」

「でも、朝ご飯を作ってくれたことには感謝する。ありがとう」

「ゲーゲー吐きながらお礼言われても、全然嬉しくないです」


ドアの向こうでオレの体を心配する真愛。ここで一言でも気の利いた返しができれば一人の先輩として、一人の男としてカッコイイだろうが、その様な余裕は一切ない。今は吐くことだけに集中する。


■■■


トイレに籠ること五分少々。

ようやく強烈な吐き気が治まった。

おぼつかない足取りでドアを開ける。


「センパイ、もう大丈夫なんですか⁉」

「ああ、全部吐いたらスッキリした」

「ウチのせいで、センパイがこんな目に……」

「いや、日南のせいだけじゃない。多分、二日酔いも入ってる」

「そ、そうですか……」


吐き気の原因の大半はあのダークマターだが、ここでハッキリ言うと彼女のことを傷つけてしまう恐れがある。優しい噓と笑顔でなんとか誤魔化す。


「洗面所は?ちょっと顔洗いたい」

「洗面所はあっちです」


大胆に吐いたせいで顔が少し汚くなった。顔を洗うため、洗面所まで案内してもらう。


「どの部屋も綺麗にしてんだな」

「なんですか?急に?」

「トイレ、凄い良い匂いだった。オレの所と大違い」

「どこ褒めてるんですか?」


案内された洗面所も無駄な物が一切置かれておらず、リビングと同じフローラルな香りが辺りに充満する。

洗面台にはあらゆる美用グッズが並べられていて、美に余念がないことが分かる。


「——あれ?」


自分の顔を確認しようと鏡に視線を移した際、ある違和感を覚える。


「日南……」

「はい」

「この鏡、バキバキに割れてね……?」


鏡に映るオレの顔がツギハギに分裂していた。鏡に触れると表面がデコボコしている。キズの形状的に拳で強く殴ったのだろうか。


「誰がこんなことしたの?」

「ウチです」

「どうして?」

「センパイ、この鏡に見覚えないんですか?」

「え……?」


今日初めて彼女の家に訪れたのに見覚えなんてあるはずがない。

念のため思考を巡らせ、過去の記憶を辿ったが全然思い出せない。


「スマン。まったく分からん」

「そ、そうですよね……。もう一年前の話ですし、ウチはともかくセンパイは覚えてなくて当然か……」


思い出せないことを正直に伝えると、忽ち表情を曇らせ肩を落とす。

心なしか寂しそうに割れた鏡をジッと見詰めていた。


「この鏡直さないの?」

「この鏡はセンパイとの思い出でもあり、自分への戒めでもあります。ここから引っ越さない限りこのまま残すつもりです」

「はぁ……?」


オレとこの割れた鏡に何の因果関係があるのかサッパリ分からない。それに“自分の戒め”とは一体どういう意味だろうか。

いくら考えても謎が深まるばかり。色々訊きたいことがあるが大事な記憶を忘却している手前、話題を掘り下げ難い。

所在なさげに視線を泳がせながら暫く沈黙を貫く。


「センパイのスマホなんか鳴ってますよ?」

「えっ、スマホ……?」


ズボンのポケットからバイブ音とともにスマホの振動が伝わってくる。画面を開くと“一途”を名乗る人からメッセージが届いていた。


『きのうはゴメン。さすがにキツく当たり過ぎた』


通知バナーを押すと、LINEの画面に飛び謝罪文が目に入る。


『謝んないで。別に気にしてない』


オレは急いでそう返事を返す。

ただの謝罪とはいえ、まさかあっちからメッセージが送られてくるとは思わなかった。何故か自然に笑みが零れてしまう。


「元カノさんからですか?」

「こら、勝手に見るな!」


真愛は横から顔を覗かせ、LINEの画面を盗み見る。


「あらあら何の恥じらいもなく鼻の下伸ばしちゃって。興奮しすぎですよ」

「うっせーよ」

「たかがメッセージが来たぐらいでそんなに喜ぶんなら、一層のこと付き合っちゃえばいいのに」

「べ、別にそういうのじゃないから。今は恋愛感情とか関係なしに友達に戻りたいだから!」

「友達、ですか……へぇ~」

「なんだよ、そのオレをバカにするような目は‼」

「後輩の戯言にムキになっちゃってカワイイ~」

「お前が男だったら確実に殴ってた……良かったな、女で」

「うわ~、コワ~い。センパイ意外と好戦的」


真愛と夫婦漫才みたく益体もない会話を繰り広げるつつも、一切画面から視線を外さない。

認めなくないが内心、喜んでいるかもしれない。たぶん——。


「あっ。また返信来ましたよ」


既読が付いたと同時に二通目のメッセージが届いた。


『今日、一緒に遊ばない?』


自分の目を疑った。何度も目元を擦り、画面に顔を近づかせる。

メッセージを送ってくるだけでも奇跡なのに、どういう心境の変化かオレを遊びに誘ってきた。何か悪い薬でも飲んだのか。天地がひっくり返っても有り得ないことが今起きている。


『全部私が奢るから。昨日のお詫びとして……ダメかな?』


考えるよりも先に勝手に指が動いていた。ポップな“OK”スタンプを押して即承諾する。


「——元カノと遊んじゃうんですか?」

「誘われたら行くに決まってるだろ」

「就活は?」

「一時休戦」

「一時休戦って、まだ始めようともしてないじゃん……」


真愛は小さく溜息を漏らし、オレと少し距離を取る。


「ズルいな……元カノさん」

「なんか言った?」

「なんでもありません。サッサと朝ご飯食べてデートにいってらっしゃーい‼」

「イタッ⁉んぐっ……‼」


どこか投げやりに力強く背中を叩いてきやがった。

おかげでせっかく治まっていた吐き気が再発し、派手に嗚咽する羽目に——。









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