「昨日のお詫び」
第12話
卵が焼ける匂いと甘い蜜溢れるフローラルな香り。
暗闇に呑まれていた意識が白濁し、顔面に大量の朝陽を浴びる。
ベージュに染まったフカフカのソファで目を覚ました。
「——ここ、どこ?」
ピンクを基調としたいかにも女性の部屋といった雰囲気。ファンシーな調度品や飾り物がオレの周りを取り囲む。
「布団……?」
視線を落とすとクマの模様が付いた掛け布団が目に入る。厚い毛皮で上半身を暖めてくれていたようだ。
「明らかにオレの家じゃないよな……」
広さはオレの所と同じくらいだが、景色が違い過ぎて何倍も豪華に見える。
こんな可愛らしいお部屋とは初対面だ。
「あっ。センパイ、やっと起きたんですかぁ~」
「え……?」
奥の方から後輩の甘ったるい声。
これは幻聴か、それともまだ夢の中か。
条件反射でクマの掛け布団を頭から被り、二度寝をかまそうとする。
「こら、センパイ‼寝ようとしない‼もう朝ですよぉ~」
「うおっ⁉」
二度寝をかます直前、強引に掛け布団を回収された。
防御の掛け布団が無くなり、なんとなく羞恥を覚えたオレはソファの上で子猫のように身を縮め、両手で自分の全身を覆う。
「なんですか、その不良に身包み剝がされた社畜のオッサンみたいな反応は……?」
「社畜は余計だ」
「ツッコむとこ、そこですか?」
上を見上げるとエプロン姿の真愛が仁王立ち。フライパンと菜箸を両手にジト目を向けてくる。
「ここはどこだ?」
「ウチん家です」
「ウチって誰?」
「日南真愛です」
「その冗談、面白くない」
「冗談じゃないです。ガチです」
再度、周囲をゆっくり見渡し確認する。
その間、真愛は不機嫌そうに唇を尖らしていた。
「センパイ、昨晩のこと覚えてないんですか?」
「昨晩って……?」
「ビール一杯飲んで寝込んじゃったことですよ!」
「ビール一杯飲んで……あっ⁉」
真愛に言われてやっと記憶が蘇ってきた。
バイト先に行って元カノについて恋愛相談して……って、アレ?
「昨日の記憶が短い……?」
「センパイ。もしかして全然覚えてない感じですか?」
「いや、覚えてるはずなんだけど、覚えてないというか……」
「まだ酔ってるんですか?」
頭を叩いて無駄に足搔くが、全く思い出せない。
一途の家に凸った昼間の記憶はバッチリ残っているがその後、バイト先に飲みに行った夜間の記憶がスッポリ消えてなくなっていた。
「『心がそうじゃなくても、まだアイツへの愛が身体に染み付いんてのかも』」
「なにそのセリフ。どこのポエマーだよ。きもちわりぃ」
「センパイが言ったセリフですけど」
「酔ってもオレはそんなこと言わねぇー」
「それが言ったんだよなー。しかもガチトーンで」
「——マジで?」
「マジのマジ。大マジです」
ギリギリ真愛と喋り始めた所まで覚えているが、そんな醜態を晒した覚えはない。事実なら超ヤバい。穴があったら入りたい。
「完全に泥酔状態だったので、泣く泣くウチが持ち帰ったんですよ」
「わざわざ持ち帰んなくても適当にタクシーにぶち込んでくれれば良かったのに」
「失神した人間を一人にさせるわけにはいきません!センパイ自身も危ないですし、周りの人に迷惑をかける恐れがあります」
「他人を気遣うなんて案外優しいんだな」
「優しいというかこれは常識です。ウチをなんだと思ってるんですか⁉」
「常識に囚われない尻軽女」
「フライパンで顔殴っていいですか……?」
ジュージューと音を立てて威嚇してくるフライパン。見るからに熱そうな武器をこちらに向け、素早く空を切って振りかざす。
「ゴメン、ゴメン。オレが全部悪かった。なんでもするから命だけは取らないでくれ‼」
「今、なんでもするって言いましたね?」
うっかり口を滑らせたと両手で口元を抑えるが、時は既に遅し。
真愛は不敵に口角を吊り上げ、オレと目線を合わせるようにゆっくり膝をつく。
「センパイ、目閉じてください」
「う、うん……」
「そのままジッとしててください」
「え、え……えっ⁉」
この流れはもしかして——。
両肩に柔らかい手の感触が伝わり、成す術なく彼女に押し倒される。
「真愛さんや」
「なんでしょう、センパイ」
「何しようとしてんの?」
「ナイショです♡」
「一旦、目開けてもいい?」
「ダメです♡」
「勝手に目開けたら?」
「抹殺します♡」
お互いの生々しい体温を感じ取ることができる距離でフェイス・トゥ・フェイス。真愛が攻めで、オレが受け。
突然襲い掛かる前代未聞の貞操の危機。吐息混じりの声で脅し、年上の男子を超越する。
後輩の性格が意外とS寄りだと知り、困惑と興奮が入り混じる。
「センパイ♡」
「は、はい‼」
「そんな鼻息荒げて、なに期待してんすか?」
「なにって……?」
「今更とぼけないでくださいよぉ。センパイのムッツリスケベ~♡」
「ここは風俗か何かか‼」
「きゃっ⁉」
色々限界を迎えたオレはようよう我慢できず、ガバッと起き上がる。
起き上がった拍子に真愛はバランスを崩し、小さく悲鳴を上げつつ床に倒れた。
「もぉ~、急に動かないでください‼危ないじゃないですか‼」
「それはこっちのセリフだ。オレに何をしようとしたんだ‼」
「言いたくないです」
幼気に頬を膨らませ、悔しそうに舌打ち。
「あともう少しだったのに……」と呟く。
「なんでもするとは言ったけど、お前とそういう関係になるのはゴメンだぞ」
「はいはい、分かってますよ。センパイは丁重に扱います」
「あと、フライパン持ったまま近づくな。ヤケドする」
「すみません。それなら既にセンパイの足焼いちゃいました♡」
「は⁉ウソ‼どこの足⁉」
「もちろん、ウソですけど♡」
「マ~イ~」
「きゃはははっ‼メッチャ怒ってんじゃん。クソウケる」
完全に舐められたものだ。オレのことを下に見ている。
一応、敬語は使われているが面白がって揶揄う回数は他の先輩達と比べて断然オレが一番多い。説教癖のある先輩になりたくないが、またどこかのタイミングでお灸を据えた方が良さそうだ。
「センパイ!」
「今度はなんだ?」
「ここにセンパイのスマホがあります」
「おい」
真愛の右手に菜箸ではなく、後ろポケットに入れてあったはずのオレのスマホが握られていた。
どうやらオレが目を瞑った隙に、盗んだようだ。手癖の悪いヤツめ。
「返せ」
「ウチの頼み事、聞いたら返します」
「頼み事ってなんだ?」
「センパイの元カノさんと連絡取りたいです。LINEのID教えてください」
「はい……?」
嬉しそうにスマホを掲げて、オレの返答を待つ。
彼女の意図が全く読めない。どうして、オレの元カノと連絡を取りたがるんだ……?
「センパイがいつも元カノさんとの惚気話を聞いてたので、前から気になってたんです」
「だからって元カノと直接喋る気なのか?」
「そんな心配しなくても何もしませんよぉ〜。メッセで軽ーくやり取りするだけです。直接会う気はないので」
「本当か?」
「可愛い後輩のこと信じてください!!」
「それ自分で言うか、普通……」
「てへぺろ♡」
「コイツ……」
ここで拒絶しても半ば強引に押し通される。
不安しかないが一途の連絡先を教えるしか術がない。
「いいよ。くれぐれも変なことすんなよ」
「やったー!!」
一応、一途に断りを入れて渋々、IDを教えてやった。
友達に追加するや否や、トーク画面を開き「初めまして!!」とウキウキでメッセを送る。
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