第8話

「はぁ、はぁ、はぁ、はぁ……やっと追いついた……」


走り始めて十分ほど。

一回から最上階の八階まで店内を走り回るせいで何度も見失いかけたが、なんとか彼女の腕を捕まえ動きを止めるができた。


「逃げ足速すぎ……。ライオンかよ……」

「それを言うならチーター……。ライオンはちょっと違う」


一途もオレも肩で息をして膝に手を置く。

呼吸が乱れ過ぎて、立ち止まって話せる余力がない。

二人の荒く熱っぽい呼吸音が口から零れ、雑踏の中へ消えていく。


「なんで追い掛けてきたの?」

「なんか……なんとなく?」

「ストーカー。警察呼ぶよ」


先に呼吸を整え終えた一途が片手にスマホを構え、番号を打ち始める。


「オレがストーカーならお前は誘拐犯だろ」

「はぁ!?」

「さっきの子供は誰だ?新しくできた妹か、それとも……」

「ちがう、ちがう。あの子は店の中で迷子になってた小学生。それをたまたま私が見つけて一緒に親御さんを探してあげてたの」

「なんて優しい!!」

「いきなり直球で褒めて来んな」


素直な感想を述べただけなのに顔が真っ赤。ぷしゅーと擬音が聞こえてきそうなぐらい。


「て、てか、彼女いたんだね?」

「ん?彼女……?」

「今さっき一緒にいた可愛いギャル」


可愛いギャルというのは恐らく真愛のことだろう。

心なしか表情を曇らす一途。視線が右往左往してこちらを見てくれない。


「アイツはバイト先の後輩——ただの後輩だよ。全然そういう関係じゃないから」

「でも二人っきりで……」

「男女が二人で遊んでるからってそう決めつけるのは安直過ぎ。ピュアかよ」

「うっさい‼」


ストーカー野郎を撃退するために彼氏役を演じているとは言わない。学習以外の理解力が乏しい一途に事細かく説明するのが面倒くさい。

オレの回答を聞いて安堵したのか、表情が少し明るくなった。

お得意のポーカーフェイスがまるで成り立っていない。


「ま、アンタが誰と付き合っていようが私には関係ないのこと。心底興味ないわ」


安堵も束の間。再び表情を引き締め、突き放すような物言いに戻る。


「さすがに“心底”は酷くない?冷たいこと言うなよ」

「酷くもないし、冷たくもない。普通の対応よ。だって私達は赤の他人同士なんだから」

「昨日、その赤の他人の部屋で一晩過ごしましたけど、あれは倫理的にどうなんですかね⁉」

「昨晩の私はどうかしてた。あんなのノーカンよ、ノーカン。直ちに忘れなさい」

「そんな都合よく忘れられるか!」


一途はどうしても昨日のことは無かったことにしたいらしい。

今更、久しぶりの再会を忘れろなんて無理な話だ。


「セ、センパイ……足が速い……ですぅ」


背後から真愛の弱々しい声。途中でヘロヘロになりながらオレ達の後を追ってきたようだ。

額に浮かんだ玉の汗を拭い、床にへたり込む。


「じゃあ私帰るね。デートの続き楽しんできな」

「だからデートじゃない!」


一途は軽く手を振り、オレ達に背を向ける。

真愛と何か言葉を交わすことなく、何も無かったように颯爽と立ち去っていった。


「センパイ……もう死にそう……」

「別に追いかけて来なくても良かったのに」

「そう言われたら、嫌でも追いかけたくなりますよ。これは人間の性です」


オレは真愛の背中を優しく擦ってやる。

息継ぎと同時に発せられる吐く一歩手前の嗚咽が生々しい。


「そういや、お前をストーカーしてたヤツは?」

「安心してください……。センパイが走ってどっか行く直前に帰っちゃいました」

「そっか。良かった……」


まだ呼吸が呼吸が荒い二人。

いつもより遅めのスピードで、とぼとぼとフードコートへ向かう。


「この場で色々聞きたい所ですが、取り敢えず元居た場所に戻りましょう。早く椅子に座りたいです……」

「わ、わかった」


■■■


まだ呼吸が荒い二人。

いつもより遅めのスピードで歩き、フードコートへ到着した。

店員さんにへこへこ謝りながら出来上がったラーメンを受け取りに行く。


「もしかしなくても、あの人がセンパイの元カノさんですよね?」


真愛はラーメンを一度すすった直後、そう尋ねてきた。

オレは彼女の方を見て静かに頷く。


「センパイ、前世でどれだけ徳を積んだんですか?あんな美人さんと付き合えるなんて果報者ものです。羨ましいです‼」

「——あれ?」


ついさっき、一途を目撃する前に聞いたセリフ。でも微妙に意味合いが違う。いつの間にか元カノではなくオレが果報者になっていた。


「あの人と付き合ってたなんてにわかに信じがたいです。全然釣り合ってません。月とスッポンです。違和感の塊です!」

「そこまで言われると複雑だな。センパイ泣いちゃう」


確かに一途の美貌は贔屓目なしに異常だ。もしオレと付き合ってなかったら色んな男子に告られていただろう。もしかしたら、女子からも猛アプローチされていたかもしれない。


「でも、センパイもその野暮ったい前髪を切ったら……」

「ちょっ、真愛……⁉」


真愛は机に上体を乗り出し、片手でオレの前髪を雑に上げる。なんの予告もなく地味な顔面を晒された。


「あっ、意外とイケメンかも……」

「は⁉」

「い、いえ、なんでもないです‼いきなり、すみませんでした‼」


勝手に前髪を上げておいて、ほんのり耳を赤らめたじろぐ。そして慌ててオレと距離を取る。


「ま、まあ……、とにかくセンパイのような人間があの人と長く付き合えていたのは奇跡です。ギネス記録です‼浮気されて当然ですよ。あんなに色気があって美人だったら他の男に現を抜かします」

「一途はそんな奴じゃない。名前通りオレにゾッコンだったはずなんだけな……」

「それはセンパイがそう勘違いしているだけでは?どうせ裏でバレないように有象無象の野郎共とコソコソイチャイチャラブラブしてたと思います。だって——‼」


何かのスイッチが入った真愛は色気のある美人は軽薄な生き物だと偏見をベラベラと熱く語り始めた。

久しぶりに見た暴走モード。こうなると止めるのがしんどい。


「真愛。一旦ストップ」

「イタッ……⁉」


コツンと可愛い音。真っ白な額に軽くデコピンを食らわせた。

デコピンのおかげで暴走していた饒舌が急停止。額を抑えて静かに悶絶する。


「他人のことを自分の主観で決めつけない。悪口言わない!また悪い癖出てるよ」

「うぅ……。ゴメンなさいぃ……」


額を抑えたまま涙目になる真愛。申し訳なさそうに小さく頭を下げる。

見た目が派手なせいか、素直に謝る姿があざとい。

彼女のあざとさは時折、内に秘めた庇護欲もしくは父性本能がくすぐられる。一つ一つの所作に謎の魔力みたいなものを感じ、耐性のない男性は忽ち翻弄される。

女性からのウケは良くないが、軟派の男性にはとことん好かれるタイプだ。


「真愛って、絶望的に男運無いよな……」

「唐突になんですか……?」

「ゴメン。心の声が漏れた」


彼女の別れ話を聞くたびにそう思う。

あざとい性格のせいではあるが、流石に可哀想に見えてきた。


「センパイに男運がないとか言われたくありません。小学生の頃から長年付き合っていた彼女さんに浮気された人間に同情されるのはなんか癪です」

「浮気されたって言ってもまだ一回だけだ。キミとは違う」

「たとえ一回だけでも本気で愛し合った仲がほんの“気まぐれ”で壊れるなんてよっぽどの事です。ウチみたいな中途半端な恋愛とは重さが違う。センパイの浮気された一回は、ウチの三回分ですよ」

「さっきから何を言ってるんだ?」

「分からなくて結構です」


真愛は頬を膨らませ、残りのラーメンをがっつく。

オレの理解力が乏しいせいで彼女を不機嫌にさせてしまったようだ。


「てか、センパイ。元カノさんを自分の部屋に一晩泊らせたって本当ですか?」

「うん」

「しかも昨日?」

「うん」

「頭おかしいんですか?」

「もうちょっと言葉慎んで欲しいな。一応バイト先の先輩なんだし……」

「今だけ特別に無礼講です」

「そ、そうなんだ……」


無礼講を免罪符に使うな。だいたいオレは無礼講を許していない。

彼女の暴言が少し引っ掛かるが、咎める暇もなく糾弾が続く。


「そもそも長らく喋ってないとか言ってたのに、あれはウソだったんですか⁉」

「ウソじゃない。つい二日前まで会ってなかった。まさか就活の時期に、大学の校内で再会するとは思わなかったよ」

「それは偶然ですか?必然ですか?」

「信じられないけど偶然だ。元カノと大学でバッタリ出くわすなんて普通にギネス記録だろ。誰かに表彰されたいわ」


ここは喜ぶべきなのか、怒るべきなのか、軽蔑すべきなのか——。ギネス記録で表彰された所で心境は複雑のまま。

彼女を嫌えないオレは一体、どうしたいのか。

普通に仲直りしたいのか、友達になりたいのか。それとももう一度——。


「ウチはその表彰、認めません」

「なんでだよ」

「異常だからです」

「誰が?」

「“誰が”とかじゃなくて“全部”です!」


そう言って苛立った感情を紛わすようにラーメンの汁を飲み干し、豪快に完食する。


「もう帰ります」

「もう少し付き合わなくてもいいの?」

「今日はそういう気分じゃないので失礼します」


いつもならご飯を食べた後はウィンドウショッピングに無理やり付き合わされる流れなのに、そのまま帰るなんて珍しい。長丁場のデートを予想していため、拍子抜けだ。


「センパイのバカ……」

「今なんか言った?」

「何も言ってません」


カバンを持って立ち去る直前。小さな溜息と一緒に弱々しい罵倒の声が聞こえてくる。

空耳かもしれないと聞き返したが、ヒールをかき鳴らしてどこかへ行ってしまった。





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