第9話

ちょうど夜の七時。疑似デートからの帰宅。

先日買ったばかりのソファーにダイブし、うつ伏せのまま暫く静止する。これはたまにやるルーティン。精神的にも肉体的にも疲れた時に一瞬だけ現実逃避できる。真っ暗な視界は最高だ。


「ん?」


机の上に置かれたスマホから着信音。画面には“母”と映っていた。


「チッ……、またかよ」


ちょうどゴールデンタイムに掛かってくる“悪魔の電話”。一人で静かに休みたい頃合いに容赦なく鞭を打つ。


「はい、もしもし。今日は何の要件で?」

「就活はどんな感じ?」

「別に、何も進展なし」

「はぁ……、まったく、アンタという子は——‼」


ノイズ混じりの金切り声。例のごとくスマホが悲鳴を上げる。

心配性の母親はこうやって毎晩毎晩、甲斐甲斐しく電話を掛けてくる。

話の内容はだいたい就活について。逐一、進捗状況を尋ねてくる。そして求めていた返事が返って来なかった場合、長時間の説教が始まってしまう。あの時はこうだった、ああだったと昭和末期の就活(古い)情報を用いて息子の体たらくを嘆き𠮟咤する。同じエピソードを何回も耳にタコができるほど聞かされ、もうウンザリだ。


「――そうそう、昨日なんで電話出なかったの‼何回も掛けたいのに‼」

「えっ。ああ……、それは……」


通話履歴を見ると母親から五件ほど着信が入っていた。時間は夜の八時。ちょうど一途と部屋にいた時間だ。

ここは素直に一途と久しぶりに再会し、遊んでいたと言うべきか。

一応、一途と母親は顔見知りだ。別れた直後も浮気されたオレではなく一途の方を心配していた。


「昨日は一途と遊んでてスマホ見てなかった……」

「い、ちず……ちゃん?」


適当に噓を吐いて切り抜けようと思ったが、考えるのが面倒くさくなった。

赤裸々に昨日あった出来事を話していく。


「——まさか一途ちゃんがアンタの大学に入ってたなんて驚きだわ。信じらんない……。ひょっとして幻覚なんじゃないの?」

「もし幻覚ならすぐ病院に行かないとヤバい。精神病んでる」


心の奥底に多少なりとも未練は残ってるかもしれないが、元カノと一緒に寝泊まりする幻覚を見るほど重症ではない。

彼女から確実に熱を感じ取った。


「そういや一途ちゃんのお母さんとも暫く話してないし、会ってないわ。てっきり他の街に引っ越したのかと思ってた」

「あれ、LINEとかで喋ってないの?」

「ううん。アンタが大学に通い始めたからプッツリ途絶えたわ」


お母さんは一途のお母さんとも比較的仲が良かった。オレ達が別れたからも暫くLINEのメッセで関係が続いていたらしいが、いつの間にか返事が来なくなり、既読もつかなくなったようだ。


「アンタ達が別れてから結構日が経って、流石に気まずくなったのかも。ちょっと悲しい……」

「なんかスゲー気になるし一回、アイツの家行ってみようかな。明日中に」

「アンタ、そんな時間あんの⁉就活は⁉」

「はいはい、就活も頑張りますよ。心配すんな」


どこにも引っ越してなかったら、一途の実家はここから少し近い。最寄り駅から五分ほど電車に揺られ、そこからまた五分ほどバスに乗ったら割とすぐに到着する。

高校の時まで何回も通い詰め、慣れ親しんだ場所。しかし期間が長く空いてしまったせいで、訪れるのに少し勇気が必要になりそうだ。普通に緊張してきた。


「くれぐれも他人の家で迷惑かけないように」

「オレは小学生か‼迷惑かけねぇよ‼もう眠いし、これ以上喋ることないなら電話切んぞー」

「あっ、ちょっと待ちな——」


ブチッ……。

まだ何か話そうとしていたが、構わず一方的に通話を切った。


■■■


翌日。

対面の会社説明会を受け、キャリアセンターで面接練習を一通り済ませたあと。アパートに帰らず足早に最寄り駅へ向かった。


「このまま行ったら一途にメチャクチャ怒られそうだな……」


勿論、一途から許可を貰っていない。どうせ許可を貰おうとしても真面に取り合ってくれない。訊くだけ時間の無駄だ。

ゲリラ訪問は非常識で気が引くが、致し方無い。


「——たぶん、ここだ」


電車に乗ってバスに乗り換えて——最寄り駅から十五分程度で彼女の家に到着した。

外観は四年前とあまり変わらない。

改装した姫路城のごとく真っ白で縦長の二階建て住宅。大きな門が目印で、他の家庭と比べてちょっぴり豪快だ。

しかし——、


「花が枯れてる……?」


チューリップ、薔薇、朝顔——。季節によって表情を変える彩り豊かな庭園。

一途の母親が懇切丁寧に育てていたはずの花達が何故か茶色く萎れている。空中を飛び交っていた蝶達の姿はなく、陰気で鬱蒼とした空間に様変わりしていた。


「庭仕事、飽きたのか……?」


雑草で埋め尽くされた地面から察するに、長らく手入れされていない。最後に見た風景と全く違う。心なしか悲壮感に包まれていた。

目の前にインターフォン。迷いなくベルを押す。


「あれ、誰もいないのかな」


何回もベルを押すが反応がない。

よく考えてみれば今日は平日。しかも昼過ぎの時間帯。普通に留守かもしれない。

このまま家の前で待ち伏せしていても迷惑になるだけ。

大人しく帰ろうと踵を返したその時——。


「——はいはい、なんでしょう」


インターフォンからガサゴソとノイズ音。一途の母親と思われる澄んだ声が聞こえてきた。

オレは急いでインターフォンへ顔を近付ける。


「あらあら、晴斗クンじゃな~い。久しぶり‼」

「お久しぶりです……」

「大学生になってからウチに来るの初めてじゃない?ずっと待ってたよぉ」

「そ、そうなんですか……」


娘とは違いテンションが高い母親。四年経った今でも陽気なキャラは変わらない。声を聞けただけ少し安心した。


「で、急にどうしたの?一途とお家デートの約束?」

「いや、オレ達とっくの昔に別れてるんで」

「あっ。そうだった、そうだった!これはうっかり。ゴメンねー‼」

「声デッカ……」


テンションが高すぎるせいで軽く音割れを起こす。マイクが壊れそうなぐらい元気が有り余っているようだ。


「それじゃあ、今日は何し来たの?」

「それは……、その……」


明確な動機や理由はない。ただ一途のことを知りたいという好奇心のみ。

浮気された元カノの現状、身辺をなんとなく知りたいだけである。


「たまたまこの家の前を通り掛かって、一途のお部屋にお邪魔したいなと思っちゃいまして……なんかインターフォン押しちゃってました……」

「あらら、相変わらずお茶目な子ね」


どこにお茶目要素があったのか分からない。客観的に見たら意味不明で気味の悪い奇行だと思うが……。


「娘はまだお出掛け中だけど……ま、いっか。ちょっと待ってね~。今、鍵開けるから——」


そう言ってガタゴトッ……‼と大きな物音を立てた後、インターフォンの通話が切れる。

何か段差か物に躓いたのか。

道端で派手にコケて腕や足に傷を作るのは日常茶飯事。昔からおっちょこちょいで行動一つ一つが危なっかしい。こうしたちょっとした物音でも心配になる。


「お?」


大人しく鍵が開くのを待っていると背後から人の気配。ゆっくり背後を振り返ると、そこには全身ジャージ姿の一途が突っ立っていた。


「——アンタ、こんなとこで何してんの?」


一途は大きく目を見開き、両手に持っていたビニール袋を力なく地面に落とす。

オレの突然の訪問に酷く驚いている様子だ。


「不意に一途の家に行きたくなって、なんとなく来ちゃった」

「——」


一途からの返答はなし。口を一文字に結んだまま顔を俯かせ、ジッと佇む。この態度は明らかに機嫌が悪い。このままだと怒りのボルテージがマックスへ到達する。取り敢えず謝ろう。


「ゴメン。ちゃんとお前に許可取ってから来た方が良かったよな。礼儀がなってなかった」

「ちがう……。そういう事じゃない……」

「えっ……?」

「そういう事じゃない‼」


オレの謝罪は逆効果だった。

どこか張り詰めた声が閑静な住宅街に響き渡る。

強く握られた拳がプルプルと小さく震え出し、唇が僅かに青くなってきた。


「——あれ、一途ちゃんもう帰って来てたの~?おかえりなさ~い」


一途が叫んだ直後、優しく間延びした母親の声が聞こえてきた。

オレは一途から視線を外し、母親の方へ振り向こうとしたが——、


「ダメ。見ないで‼」


一途に腕を強く引っ張られたオレは、前のめりに倒れてしまった。

倒れる際、右膝をコンクリートに打ち付け弱々しく断末魔を上げる。


「お母さん、早く家の中に入って‼」

「えっ、でも、晴斗クンと——」

「とにかくドア閉めて‼お願い‼」


半ばヒステリー状態で母親に怒号を飛ばす。

母親は娘の気迫に圧倒され、思わず玄関のドアを閉めてしまった。


「急になにすんだ⁉さすがに暴力は看過できないぞ‼」

「これは正当防衛。アンタが勝手に来たから悪い‼」


オレは膝を擦りながら猛抗議。

憤りを滲ませた表情で見下ろす一途を威嚇するように睨み付ける。


「早く帰って。あと二度とウチん家の敷居跨ごうとしないで」

「今も昔も突き放すような物言いは全く変わらんな。破滅願望でもあんのか?」

「うっさい、黙れ……。早くこの場から消えて……。アンタの顔見てると、頭おかしくなりそうだから」

「被害者はオレなのに酷い言われようだな。人の心ドブにでも捨てちまったか?」

「元々、そんなものは持ち合わせてない。私はずっと、ずっと酷い人間だよ……」


彼女はそう言って開き直ろうするが、翳りを伴う表情は噓を吐けない。

どんなに取り繕って一切の感情を捨てようとしても、オレの目は誤魔化せない。

何よりも儚くて小さな“本音”がひしひしと伝わってくる。


「アンタは昔からウチのこと買い被り過ぎ。女を見る目が全くないバカ野郎が……」


オレの耳元で暴言を吐き捨て、横を通り過ぎる。

何事も無かったように門の扉を開け、玄関の方へ歩いていった。


「バカ野郎はお前も同じだろ……」


不覚にも大人げなくイラッとしてしまったオレは冷静に慎ましく反論する。

声量や距離的に聞かれてないと思うが、なんかスッキリした。


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