第26話:虹色の羽
血が滴った跡を追っていくと南の遺跡群にたどり着いた。以前見た時と違ってあちこちが破壊されていたが、レグルスは壊れた遺跡よりも中心に鎮座している巨木の怪物に目を丸くする。十中八九、ミーズ神なのだろう。これはまた大きく変化したものだと思いながら近づいていく。
やはり既に解毒の術はかけられているようで、青白く発光する魔法陣はつつがなくミーズ神を無力にしていっている最中だった。程なくすればミーズ神を殺すための準備は整うだろう。そう思ってレグルスは少し先に立つ神官を見やった。彼もまたミーズ神を見ている。右腕の止血はされているらしく滴る血の量は減っていたが、それでも放置しすれば致命傷となるだろう。なんとかして捕獲をし、彼らがここでなにをしたかったのか聞き出したい。そうレグルスが思ったところで、神官は小さく笑って振り向いた。
「……やってくれたな。先生が十年もかけた計画が水の泡だ」
「先生?」
「こんなぽっと出の奴に、長年かけた計画を台無しにされるとはな……。いったいお前は何者なんだ。……いや、いまさらそんなものはどうでもいい」
神官は背筋を伸ばすと解毒されつつあるミーズ神を再び見た。その横顔に絶望はなく、いっそ涼しげであった。怒りも収まっているのか、取り乱した様子もない。神官は姿勢をそのままに、振り返らず話し続けた。
「ダーナ様には申し訳ないが、当初の計画は遂行不可能な状態になってしまった。なんとお詫びしたらいいのかも分からない。いや、ご満足いただける結果を出せないのだ。お詫びしなければという発想自体が罪深い」
――この神官は捕まえられたとしても、なにも情報は話さないかもしれない。捕まえるなら司祭の方が良かったか?
保身で娘を犠牲にした人間の方が、少し突けば情報を提供するだろう。レグルスは神官を捕まえるか否かを考えながら、自分に残る僅かな魔力をかき集めた。捕まえようにも魔力があまりに極小で難しい。生かして捕らえるよりも、殺す方が楽な状況だった。
「なら……せめてもとして、ダーナ様の前に転がる小石を取り除こう」
神官はそう言って振り返った。構えられた杖は赤黒く発光していて禍々しく、また魔力の量も強大だ。それを見た瞬間、レグルスは生け捕りを諦めた。ここはもう殺すべきだと思ったが、しかしそれをするにも魔力が足りないことにゾッとする。かき集めた魔術で攻撃をしても杖の魔力に粉砕されるだろうし、物理的に飛び込んで行っても無駄だと思えた。レグルスはどうすべきか思考を巡らすも、なにも思いつかない。相手がなにをするかは不明だが、このままではダグしか生き残らないかもしれない。
「お前がなにをしにここへ来て、なにを探してうろついているのかは分からないが……ゆくゆく、ダーナ様の道行に害を成すかもしれない。だからここで確実に殺す」
「……なにをするつもりだ?」
「気にする必要ない。どうせお前は死ぬのだから」
時間稼ぎを目論んだがあっさり失敗し、レグルスはそわそわした。背筋に虫が這い上ってくるような不快感。ノットーで死に直面したと思った時とは違う感覚だった。この感覚の違いについてもう少し思考してみたくはあったがそんなことを悠長にしている状況ではない。レグルスは打開策を探さねばと色々シミュレーションを頭の中でしてみるが、どれも確実性が薄かった。むしろ反撃にあって失敗するイメージが強く、実行するには躊躇われる。
神官はレグルスの行動を見逃さないと言わんばかりに睨め付けながら呪文を唱えている。失った右腕から再び血が流れ始めているが、それを気にした様子はない。己の命なんかよりも、信仰する神に誠意を捧げる方がよほど大事なのだろう。
――逃げることを考えるか? ダグの力を借りられればフラン共々、離脱することは可能なはず……。だがそうするとエマや子供たちは……。そうなったらフランは……。
そこまで考えて、レグルスは一か八かで残りの魔力を周囲への解析に回した。思惑通りにいかなかったら愚かだった評すべき行動だが、自分の考えた推論があっているならば誰もが満足する結果を出せる可能性が高かった。レグルスは魔力を広く伸ばしていく。自らを中心点とし、半径200メートル。それが今のレグルスに残された魔力で探れる範囲だった。
「ははっ……!」
魔力がほぼすっからかんとなってしまい、体に力が思うように入らないが、目当てのものは見つけられた。それはつまり賭けに勝ったということだ。
「……ッフラン! ミーズ神を殺せ!」
レグルスが張り上げた声にフランは即座に反応した。そしてフランが赤い矢を弓につがえるとほぼ同時に、神官もまた準備が整いつつあるのか、杖をドンッと地面に突き立てる。レグルスは少しでも求めているものとの距離を縮めようと力の入らない足で走り出した。不恰好にも一度崩れて手を地面についたが、なんとか体制を立て直して前に進む。ミーズ神へと放たれようとされている赤黒い光を纏った矢。目の端に映る、神官の杖が発する赤黒い光。この場に満ちる赤い光の中で、レグルスは手を伸ばして叫んだ。
「ミレイ! 羽を広げろ!」
その瞬間、ミーズ神の根元から大きな羽が広がった。赤き光を食いつぶす勢いで夜明け空の色が広がっていく。レグルスは声が届いたことと同時に、大切な友人が無事だったことに安堵をした。ほっと息をつくと染み込んできた魔力に笑みが溢れる。友人は本当に親切だ。
レグルスは周囲に溢れるミレイの魔力を自身が持つ『骨』を介して吸い上げると、神官の周囲に魔法陣を作り上げた。それは神官に魔術を発動させないために作った障壁だ。神官は杖から魔術を発動させようとしていたが、障壁に阻まれて発動までに至らない。むしろレグルスによって魔術を分解されていく。
発動を障壁によって抑え込み、その内部で神官の魔術を分解する。ミレイによって魔力を補給してもらったレグルスには十分できる芸当だった。体術や剣術では神官の方が優位であったが、こと魔術に関してはレグルスの方が上なのは間違いない。
――組み上げられた術は……なるほど。撃ち込んだ対象を材料にして大爆発を起こすものか。ミーズ神に撃ち込めばその体積分、確かにこのあたり一帯が吹き飛ぶ爆発を引き起こせそうだ。
魔術が分解されていくのが神官にも分るのだろう。焦った顔と悔しそうな顔。年相応な表情だと思いながら、レグルスは相手の魔術を力技ですべて消した。もちろん、レグルスの持ちうる知識と技術をもって丁寧に分解して消したのだが、消された方からすれば力技と大差ない話だ。
神官は組み上げた魔術がすっかりなくなった事実に、信じられないという表情でレグルスを見ていた。レグルスからすれば片腕がなくなり、今も失血が止まらないというのに、神に誠意を捧げようとしている神官の方に感心してしまう。
そんなお互いを見合う二人を置き去りに、大きな叫び声がその場に響いた。振り向けばミーズ神がフランの放った矢によって絶命しているのが目に映る。幹の中心を大きく抉り取られ、向こう側の景色が見えている様子に、レグルスは思った以上の威力がでていることに瞬きを2回した。
――着弾すればその身を抉る威力があるのは分かっていたが……まさか大穴が開くとは。フランの魔力も上乗せされたのか?
フランが魔力を矢に纏わせて放つことができるのは知っていた。つまりレグルスの込めた魔術に、フランの魔力がさらに加わった結果なのだろう。冷静に分析し、フランの実力に感心しながら、レグルスはすぐに魔術で障壁を作った。それはもちろんミレイと子供たちを守るためのものだ。解析魔術で彼らがミーズ神の根もとにいるのは知っている。打ち砕かれて絶命したミーズ神は、その身を朽ち果てさせていくので枝葉が降り注いでしまうだろう。
――枝葉は魔力でできたわけではなく、質量がある。ミーズ神はなんのために鳥から大木へと姿を変化させたのだろう。動くことすらままならない、大木に変化する利点はなんだったんだ?
それも全て話してくれれば知れるのにと思いながら、レグルスは神官を振り返った。神官は杖を支えに青白い顔で呼吸を荒くしながら立っている。興奮というよりも酸素が不足しているのだろう。なにしろ右腕から血が垂れ流れているのだ。このままでは失血死してしまうだろう。だからレグルスは神官に近づきながら、声をかけた。
「その腕を放置すると死ぬぞ」
「……当たり前のことを……なぜわざわざ言う……?」
「……放置すると死ぬから、治療をしたい」
神官に死なれると分からないことばかりになってしまう。レグルスとしては情報源である彼には生きていて欲しかった。しかしそれは難しいことだと分かっていた。
「……結構……だ。その先にある目的は……俺から情報を吐かせることだろう……。そして奪い取る情報がなくれば……俺を待つのは死……だけだ……。何のメリットもないな……。ただ恥辱を受けろと言っているのと……変わらん……」
神官は心底侮蔑した表情で、レグルスを笑った。確かに帰結するところは彼の予測通りかもしれない。ここで治療をしたところで、集落の人間が彼を捕虜として受け入れてくれるかどうかは話は別だ。それに情報が欲しいから生かしたいと願って情報を得られたとしても、神官の口から語られるものが真実であるかも不明だろう。
――魔術で洗脳して洗いざらい吐かせるのが確実だが……。
そう思ってレグルスは左手を構えたが、左薬指をぴくりと動かしただけで手を下ろし、腕を組んだ。洗脳するのはレグルスの趣味ではない。
「おーい! レグルスー!」
「ダグ……」
呼ばれた声に振り向けば、ダグが駆け寄ってきていた。泥だらけな姿だが無傷な様子に、流石だとレグルスは感心して頷く。ダグはレグルスたちの前まで来ると、キョロキョロとミーズ神とレグルスを交互に見ながら言った。
「な、なあ! ミーズ神って……死んだんだよな?」
「死んでいるな」
「ど、毒は!?」
「無事に浄化されている」
「てことは……」
「ダグたちの目的は達成された。もうこの集落はミーズ神の支配から解き放たれている」
レグルスがそうはっきり伝えると、ダグは片手で顔を隠してしまう。そして肩を震わせながら、小さな声で言った。
「よかった……!」
レグルスはその言葉にとても重みを感じた。きっとダグは泣いているのだろう。ミーズ神が死に、集落に安心が訪れた事実は、ここで生きていた者たちにとっては、とんでもない価値があるのだとレグルスはぼんやり思った。
――……上手くいって、良かった。
ダグほどの重さはなかったが、レグルスもそう思えた。レグルスとしては『骨』が欲しかっただけで、それが得られるなら過程はひん曲がっていても良いとどこかで思っていた。しかしこうして実際に集落も無事で、拐われた子供たちも無事で、力を貸してくれたダグやフランが満足する結果を見たら、胸がどこか温かかった。
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