第23話:神官①
満月が照らす森の中を駆け、レグルスたち三人は南へ南へと進む。動物たちを切り抜ける際はダグを先頭にしていたが、振り切ることができたいまはレグルスが先頭を走っていた。ダグが先頭を走るほうがいいのだろうが、性格的にあまり向いていない。やらせればやるのかもしれないが、ひとまず強要はしなかった。押し問答を挟むのだとしたら手間だからだ。必要になった際、先頭を走ってもらえればそれでいい。
――ふむ……。
フランとダグは緊張をしている様子だが、それは体が固くなり動かなくなるというようなものではなく、これからミーズ神に対面するにあたって集中力が高まっている状態のようだった。レグルスは二人の状態に安心する。体が思うように動かないというのは喜ばしくないからだ。
――二人とも思った以上に動けそうだ。……いや、動いてもらわないといけないんだが……。
もしかしたら道中でミレイと合流できるかもしれないと淡い期待を抱いていたが、いまのところその気配はない。レグルスはミレイが無事であると信じ切っていたが、疑問はあった。ミレイが『どうしていなくなったのか』という点だ。集落の子供がいなくなったのは、眠っている状態で術が発動したからだろう。神官の術は意識のない者をミーズ神の元へ誘うものだった。フランの家にはエマもミレイもいなかったし、ベッドの状態からして二人とも恐らく眠っていた。眠っていたというなら、エマは術によってミーズ神の元に誘われた可能性が高いが、ミレイはどうしたのか。
――移動するエマに気が付いて、後を追ったのか? だがミレイならエマに掛かった術を消し飛ばすくらい簡単にできるはずだ。あえて術を消さずに追いかけた? いや……そんなことをするわけがない。ミレイはしばしの期間を一緒に過ごした結果、フランやエマに一定の親愛を持っている。その相手に掛けられた術を野放しにするはずがない。不快に思って消すに決まっている。
ミレイの性格からして、やはりこの仮説は可能性が低いとレグルスは目を細めた。他のパターンを考えてみるが、どれも可能性は低く感じた。しかしその中でもしかしたらというパターンがひとつだけあった。それはミレイの性格や置かれていた状況を踏まえると、もっとも筋が通る説だ。
――あまり考えたくないが……ミレイも眠っていて、術にかかったのか?
ミレイもエマ同様、術にかかっているのだとしたら姿がないのは納得できる。ただその場合は、神であるミレイが人間の発動した術にかかったということになる。そんなことがあり得るだろうか。レグルスは自分に問いかけ、結果として『あり得る』という答えを出した。
――神官の持っていた神器。あれがミレイより強い力を持った神が作ったものだとしたら……上位者としてミレイに術を掛けることが可能かもしれない。
そもそも今のミレイは休眠期に入っている。休眠期のミレイは万全な状態ではない。力の強い神が作った神器を用いて発動した魔術であれば、ミレイに対しても作用する可能性は否定できなかった。そう思ったところで、前方から花のような匂いがしてレグルスは瞬いた。過度に甘く、そして遅れてやってくる刺激臭に思わず鼻を抑える。間違いなく、前方になにか異常あると目を凝らせば、木々の葉の揺れる音がして、レグルスは顔をあげた。視界に映ったのは神官であり、彼は頭上から降ってきて杖を振りかぶっている。
レグルスは素早く懐からフランの家のキッチンから拝借したナイフを取り出した。先ほど熊の顎を貫いた時はただの魔力の刃を作って凌いだが、なんの媒体もなしに神官の持つ神器と渡り合うのは至難の業だろう。魔力の使用効率も悪すぎる。なのでレグルスは借り物であるナイフに魔力を通して応戦した。杖との接点が杖との接点がぎちぎちと鳴っている。神官はどうやら木の上で待ち構えていて、奇襲をかけてきたようだ。予想外に神官と出くわしたが、おそらくこの近くにミーズ神もいるだろう。だから引き離す手間が省けたと、レグルスはこの事態を前向きに捉えることにした。
「ぐっ……!」
「レグルス!」
「うわー! こいつバターナイフで戦ってる! 持ってきたナイフってそれかよ!?」
フランの心配げな声とダグのどうでもいい感想がレグルスの耳に届いた。フランの反応はともかく、ダグの反応は酷いものだ。確かにレグルスがキッチンから拝借したのは木製のバターナイフであったが、これはこれできちんとした理由があるのだ。しかしそんなことを説明している余裕はない。神官と邂逅してしまった以上、戦いの火蓋は切られたのだから。
「二人とも行け! 恐らく近くにミーズ神がいる!」
「えっ、でも……」
「俺もあとから必ず行く!」
「い、行くぞフラン!」
フランが少し迷ったようだが、ダグが腕を引いて走り出した。ダグだけで向かっても、フランだけで向かっても意味がない。ここで神官を引き受けるのは元からレグルスの役目だ。レグルスはなんとか杖を押し返すと、二人が行く先に神官が行かないように立ち塞がった。真剣な面持ちでバターナイフを構えると、目元はフードで見えないが、神官は明らかに口を半開きにして呆れているようだった。
「バターナイフ……。ふざけているのかと言いたいところだが、お前にはそれで十分なんだろうな。魔術でしっかりと強化されているのが分かる」
「ああ、素材がいいんだろうな。魔力がよく馴染むんだ。俺も意外だった」
レグルスが持っているバターナイフは木製で、持ち手の部分は流線形をになっていて掴みやすく、先端は渦巻きを描いた文様が描かれていた。レグルスからすれば持ちやすそうで、そして魔力がよく通ったからこれを選んだけだ。魔力の浸透が優れているならばスプーンやフォークでも良かった。しかし他の道具に使われている木材は違う材質だったようで、キッチンの中で一番優れていたのがこのバターナイフだったのだ。
レグルスは距離を取って神官の様子を伺いながら、魔力を良く通したバターナイフを構える。神官はそんなレグルスを見ながら、ふんと鼻を鳴らした。
「それにしても……やはり邪魔をしにきたか」
「結果的にはそうなるな。……子供たちをどこへやったんだ?」
「……ふん。予測はついているだろう」
「……ミーズ神の元か」
「その通りだ」
問いかければ、神官は隠すことなく答えてくれた。子供たちはミーズ神の元にいる。それはあまりに不吉なことであったが、いまは無事であると信じて役割をこなすしかない。ダグとフランには戦う術を渡してあるから上手く立ち回ってもらおうと、レグルスはいったん子供たちのことは忘れて、しげしげと神官を観察した。
――神官をなんとか無力化しなければ。
残念ながら神官と楽しくお喋るする余裕はない。正直、神官から聞きたいことは山ほどあったが、そもそも答えてくれないだろう。だからまずは無力化して捕えようとレグルスは一歩を踏み込んだ。向かっていくレグルスに対し、神官は杖を構えて攻撃を受け止める姿勢に入る。そして木製のバターナイフと木製の杖がぶつかったのだが、木製同士の接触だけでは鳴らない硬質な音が森に響いた。
レグルスは瞬きもせずに二撃目を繰り出そうとしたが、くるりと杖を持ち直した神官が杖の先端で顔面を狙って突いてくる。レグルスはそれを躱して体勢を低くすると足払いを繰り出すも、神官はひらりと後ろに下がってしまった。そしてすぐ前に踏み込み、己より下の位置にいるレグルスへ向けて杖の先端を突き出してくる。
レグルスは支えとして地面に置いていた手で反動をつけると後ろに下がって攻撃を避けた。体勢を低い状態から高い状態へ戻しつつ、神官の攻撃を捌いていく。レグルスの方から仕掛けたが、あっという間に神官に主導権を取られて守勢になってしまった。せめてもとレグルスは、少しずつダグとフランの向かった方向から神官を引き離しつつ応戦する。神官は魔術で強化されたレグルスのナイフに対して、真っ向から挑むように強く杖を打ち付けてきている。それを何度か受けとめたが、やはり神器とまともにやりあうのは御免だったので、レグルスはくるりと身を回転させて攻撃をいなし、近くにあった木をナイフで切り倒した。
神官の方へと倒れるように仕向けたので、その隙に距離を広げる。もちろんその攻撃でどうにかなるとは思っていなかったが、神官は倒れた木の遥か向こうにいてくれた。杖を片手にしているが、構えることもなく悠然と立ってレグルスを見ている。その落ち着いた様子にレグルスは少し焦りを覚えた。
――参ったな。この神官は想像よりも武闘派だったらしい。
なるべく早くダグとフランの元に向かいたかったが、それが叶うほどの実力差はなさそうだった。少なくとも現時点では、普通の人間よりも強化された肉体を持つレグルスに難なくついてきている。むしろ実践的な武術に関しては神官のほうが優れている可能性が高く、レグルスは困ってしまった。
――どうにかして出し抜かないとダメだな。それにしても先ほどよりずいぶんと動きがいい。もしやミーズ神を操る必要はもうなくなったのか?
北の森で神官と対峙した時、彼は直接的に戦おうとはしなかった。もっぱらミーズ神をけしかけるだけであったが、いまの状況から能力的に戦えなかったわけではないのがはっきりした。つまり神官は都合により戦うことを避けていただけなのだろう。
――ミーズ神を伴わずに現れたのが気になるな。二人は大丈夫だろうか。
神官はミーズ神を使って何かするつもりだったのは確かだ。そのなにかは不明だが、神官がここに居るということはその準備がもう終わったのかもしれない。それとも先にこちらを片付け、のちのちゆっくりと事を成すつもりなのか。
「勢いがなくなったな。どうやらそれほど接近戦には長じてないようだ」
「正直なところ、あまり戦闘が必要じゃないところで生きていたんだ。だから戦うこと自体が久しぶりだよ」
話しかけてきた神官に、レグルスは素直に答えた。それと同時にひっそりと魔術を組む。本当なら魔力の消費を抑えておきたかったが、長丁場にもなりたくなかった。戦闘が長引けばジリ貧になってしまう。だったらさっさと片づける方がいいと、レグルスは魔力を多めに消費しても確実に捉える方に考えを変えた。魔術の発動を気取られないように、木の裏に身を隠すとレグルスは神官の気配を探る。しかし向こうもこの場でレグルスを片付けるつもりなのだろう。レグルスが魔術を組み上げ終わる前に距離を詰めてきて、木の幹ごと薙いできた。
「うわっ!」
「魔術を使うつもりのようだが……させん!」
隠れるのは許してもらえないようなので、レグルスはおとなしく神官の攻撃を受け止めながら魔術を組んでいった。距離を取って仕切り直したいところだが、神官はそれをさせない動きをしている。距離を開けられたら魔術を完成させられると分かっているのだろう。レグルスは少しずつ押されていく状況に、どうすべきか迷った。魔術を組むのを放棄して応戦するか、それともこのまま押し負ける可能性があると分かっていても魔術を組むのを続けるか。この選択を迫られている段階で、すでに立場が弱くなっている。迷わず決断しろとレグルスは腹を括った。
――後者しかない。仕切り直しても意味がない。どうせ邪魔をしてくるに決まっている。
発動はしないまでも、魔術を組んでいる段階で魔力は少なからず使用している。これを繰り返していくのは明らかに無駄だった。現状、技術で神官を圧倒できないのだからレグルスは魔術を使う以外に神官を捕獲する方法がない。なんとか紙一重といった状況で神官の攻撃をしのぎきり、レグルスは魔術を組み上げた。あとは確実なタイミングで発動させられれば良いのだが、そんなタイミングは起こりえるのだろうかと神官の攻撃を受け止め続けているレグルスは頭の隅で思う。
――魔術抜きだと、神官のほうが俺より強いな。
レグルスは自分の実力不足をきちんと認めた。特に衝撃もないし、ショックもないが、負けるわけにはいかない状況なので歓迎する事実でもない。しかし自分の実力を過不足なく把握できていないと勝てるものも勝てない。レグルスはしきりにチャンスを伺いながら神官との攻防を続けていた。そして――。
ドンっと地面が揺れた。地面を揺らす原因がなんなのか分からなかったが、それが千載一遇のチャンスなのは確かだった。だからレグルスはすぐさま左手を神官に向け、魔術を発動させた。キラリと光輝く魔法陣が浮かんだと同時に、魔力で編まれた網が神官に向かって広がっていく。
神官は正面から向かってくるそれを間違いなく視界に捉えただろう。だが怯んだ様子はなく、お構いなしに杖をレグルスに向けて振りかぶった。魔力の網が神官の全身を覆えば捕えることができる。しかしそれを打ち破るようにして内側から杖をふるった神官の一撃が魔力の網を捻じ曲げてレグルスに向かってきた。
――うわぁ、俺の魔力を捻じ曲げてる。
軌道が捻じ曲げられても、放射状に広がった魔力の網はいずれ神官を包み込むだろう。しかしそれはレグルスが神官の攻撃を避けなかった場合の話だ。このまま立ち位置を維持すれば、神官を捕らえる前に一発くらい殴られそうだった。レグルスは眼球を動かすとまずは神官の杖の軌道を確認する。そして高さ、角度、相手の体の捻り具合から、頭部を殴打されることを予測した。
――避けるわけにはいかない。 殴打されても、神官を捕らえる方がいい。
レグルスは自身がもてる最高の速度で魔力を頭へ回した。そして打ち付けられるであろう側頭部に集中して強化を施した瞬間、衝撃は訪れる。威力は軽減できると思っていた。向こうの得物が神器であることは懸念点であったが、自分の魔力で組んだ網越しであるし、即死は免れると思っていた。しかし打ちつけられた衝撃よりも、流れ込んでくる魔力にレグルスはぞっと肌が粟立つ。
――しまった……精神系の、魔術だ……!
自我に膜が張るような感覚に、レグルスは神器によって催眠の類の魔術がかけられていることを察した。レグルスはノットーで造られた人間だ。魔術に対する耐性ももちろん高い。それなのに意識を支配をしてくるということは、この神器を作ったものはやはり力が強い神なのだろう。神官が信仰しているダーナ神とやらが作り出したものなのかもしれない。
――まず、い……操られるのは……!
即死はまずいが、操られるのも堪ったものではない。この手でダグやフランを始末させられるなんてことになったら目も当てられない。助けてくれとレグルスに頼ってきたエマに顔向けができない。ぐらりと体が揺れ、膝が地面につく感覚がした。杖を振いながらも、神官はレグルスの放った網に捕えられているのがぼやけた視界に映る。しかしレグルスの思考が完全に乗っ取られれば、あの魔術は消えてしまうのだ。
――早くっ……解除しなければ……。
首ががくんと揺れたがそれでもレグルスはまだ意識を保っていた。己を支配しようとじわじわ侵入してくる魔力を片っ端から分解していく。しかし思った以上に浸食が早くてレグルスは焦った。焦れば焦るほど良い結果にならないと分かっているのに、久しぶりに感じる危機感で喉が震えた。
――だ、めだ……目の前が……暗く……。
諦めたくなんてない。そう思っていたレグルスだったが、強い神が生み出した神器には勝てずにとうとう瞼が落ちてしまった。
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