第22話:南の森へ

「あ! レグルス!」


 家の外に出ればダグとフランが待っていた。一足早く外に向かっていたフランは装備を整えている最中らしく、矢筒を背負い直している。レグルスが二人に近づくと、フランはちらりと視線を送ってきた。いつもの穏やかな様子ではなく鋭い目をしていて、やる気が伺える。それを頼もしいことだと評価したレグルスは、二人の顔を見渡した。


「分かっていると思うが、これからミーズ神を討伐しにいく」

「お、おう」

「うん」


 ダグは少々腰が引けたような返事であったがしっかり頷いた。フランは言うまでもなく、迷いのない顔だ。レグルスは3人しかいない状態でミーズ神を倒す方法をざっくり考えてみて、少し眉をしかめる。なぜなら考えた手段には不確定要素が多かったからだ。しかしレグルスの魔力が残り少ないことを考えると、現状では一番、可能性の高い方法だった。


「作戦については移動しながら説明する。まずはミーズ神の元へ向かおう」

「それはいいけど、ミーズ神ってどこにいるんだよ?」

「ああ、それなら……」

「南の森あたりじゃない?」

 

 少し考えるようにしながら言ったフランに、レグルスは目を瞬かせる。フランの言うように、確かにミーズ神は南の森にいる可能性が高かったからだ。ルークに掛けられていた魔術が示す座標は南の森だったかので、移動していない限りミーズ神は南の森にいる。


「なんだ? フランの【ギフト】が発動したのか?」

「ん……どうだろう……」

「【ギフト】?」


 聞いたことのない単語にレグルスは首を傾げた。するとダグがおやっという顔をしながらも、簡単な説明をしてくれる。


「あー……【ギフト】って言うのは生まれつき持ってるそいつの特性とか、能力みたいなもんかな?」

「魔術とは違うのか? 特技……というものでもないんだろう?」

「違うな。うーん……どう説明すれば分かりやすいかな~……?」

「そんなの後にして! いまは南の森に行くわよ!」

 

 フランは力を込めてそう言った。確かにこの件はいまじゃなくていいものだ。すべてが終わってからで十分間に合うだろう。レグルスは質問したい欲求を、いまはその時ではないと自分に言い聞かせる。


「分かった。またの機会に聞くよ。じゃあ、二人とも準備はいいか?」

「大丈夫よ」

「大丈夫な気はまるでしないけど、準備はいいぜ。つーか……レグルスこそ手ぶらだけどいいのか?」


 そう言ってダグが首を傾げた。フランとダグはそれぞれ武器を持っているからだろう。レグルスが魔術を使うことは知っているはずだが、手ぶらは心もとなく見えるのかもしれない。


「大丈夫だ。さっき、キッチンでナイフを調達してきた」

「えっ、キッチンにあったナイフでいいのか? もっといいのあるんじゃないか?」

「そうね……小屋に狩猟用の解体ナイフもあるわよ?」

「いや、軽いほうが良いから今ので十分だ。南の森へ行こう。きっとそこにミーズ神はいる」


 レグルスはフランの申し出に断りをいれる。切れ味はあまり気にしていないのだ。だから調達したナイフで十分だった。軽いほうが良いというレグルスの意見に納得したらしいダグは「それじゃあ行くか」と言って歩き出した。しかしその横をフランが走り抜けていく。

 一人が走り出せば全員走ることになるのは必然だろう。三人は南の森へ向かって駆けていき、レグルスはその道すがらで今後のことについて話すことにした。二人の存在は作戦の中にしっかり組み込んであるので、知っておいてもらわねばならない。


「それじゃあ走りながら出悪いが、ミーズ神を倒す作戦について説明するぞ。まず前提として、ミーズ神はその身に強い呪いを抱えている」

「呪い?」

「ああ、腐毒の呪いだ。拡散されれば、毒に触れた者はその身が腐り落ちる。溜めこんでいた量を考えると、この森の広範囲にわたって効果があるだろう。さきほど調べた限りで、これはミーズ神が死ぬと発動するようになっていた」


 フランの疑問に対して説明をすれば、不満めいた表情を返される。その目は雄弁に「じゃあどうするのよ」と告げていて、レグルスはそれに安心しろというようにひとつ頷いた。


「この呪いを拡散させるわけにはいかない。だからまず、ミーズ神を殺す前にその呪いを浄化する」

「あー……さっきレグルスがミーズ神に1回うち込んだやつ? なんか途中で逃げられたけど」

「まさかミーズ神が脱皮をするとは思わなかった。今回は徹底的に逃げられない術を使うつもりだ」

「……うすうす分かってたけど……あんたたち、ついさっきまでミーズ神とやりあってたのね?」


 そう言ってフランは溜息を吐いた。その溜息はなににかかっているのだろう。ミーズ神を倒すために暗躍していたことか、それともミーズ神を打ち漏らしていることか。しかし別に追求するようなことでもないので、レグルスは説明を進めることにした。


「ダグの言った通り、さっきはミーズ神に逃げられた。鳥の皮を脱ぎ捨てられ、地面に潜って逃げてしまったんだ。おかげで術の効果は途中で切れ、多少の浄化はできたかもしれないが……いまだミーズ神は多量の腐毒を抱えている状態だろう」

「え? 鳥の皮を捨てたって……」

「ミーズ神は現在、鳥の姿ではないかもしれない。どんな見た目かは不明だ」


 レグルスの説明にフランが息を呑んだ。しかし倒さねばという意志はあるのだろう。ダグより顔色は断然よかった。


「今回は逃げられないよう、前回の反省を踏まえた行動を取りたい。ミーズ神の動きを封じることもするが……まずは神官をミーズ神から引き離したい」

「神官? やっぱりあいつも司祭とグルなのね?」

「グルどころかあいつが主犯だよ。司祭のほうが下っ端みたいだ」

 

 レグルスはダグの言葉に頷いた。下っ端かどうかはさておき、立場は間違いなく神官のほうが上だった。立場を入れ替えていたのは、注目を浴びやすい司祭よりも神官という立場のほうが動きやすかったからだろうか。つい先日も神官を橋の上で見かけたが、もしかしたら子供たちを攫った術でも仕込んでいたのかもしれない。


「……ミーズ神を操っているのは神官だ。ミーズ神自身にはあまり知性はないと思う。逃げられたのも無理やり神官に操られたからにすぎない。つまり神官をなんとかしないと、予想外の行動に出られる可能性がある」

「神官も探さないといけないってこと?」

「いや、おそらく神官はミーズ神と一緒に行動していると思う。神官はこの森に腐毒の呪いを拡散させようとしているんだ。そのタイミングを見極めるためにもミーズ神が見える範囲にいるはず」

「なんの為に森を腐らせる呪いを撒こうとしてるの?」

「それはわからない」


 迷いなく答えたレグルスにフランがぐっと睨んできた。もしや見当がある程度ついているのに嘘をついたのがばれたのだろうかと思ったが、そもそも見当と言ってもまだ可能性の域を出ていない。その可能性だって複数あり、判断がつかないのは間違いなかった。だから嘘ではないはずとレグルスは素知らぬ顔をする。


「神官については俺が対処する。フランとダグはミーズ神を抑えて、呪いを浄化してほしい」

「えっ!? どうやって俺たち二人でやるんだよ!?」

「私たち、呪いの浄化なんてできないわよ?」

「その点については問題ない」


 レグルスはそう言って南の森に入ったところで立ち止まると、同じく足を止めたフランの矢筒から矢を取り出した。そしてその矢に魔術を込める。するとエンチャントされた矢には青白く発光する文様が刻まれ、浮かんだ。出来栄えを確認して問題がないことを認めると、レグルスはもう一本矢を取り出して魔術を込める。次に魔術を込めた矢は黄色に発光しており、レグルスはひとまずその二本をフランに見せた。


「青く光っているほうが呪いを浄化させる矢で、黄色いほうが動きを封じるための矢だ」

「おっ」

「えっ」

「俺が神官を引き受ける。ダグはミーズ神の注意を引く。そしてフランがこのエンチャントされた……いや、魔術がかけられた矢をミーズ神に打ち込む。……これが作戦だ。」


 レグルスがフランに矢を渡すと、フランはそれぞれの手で矢を受け取り交互に見つめている。レグルスは神妙な様子のフランに念のため確認した。


「ミーズ神がいまどうなっているのか分からないが……やれるか? この作戦の成功はフランが握っていると言ってもいい」


 フランが矢を打ち込むのに失敗すればミーズ神を浄化できない。外した場合でもリカバリーしてやりたいが、その時のレグルスにどれだけ魔力が残っているかわからない。神官の行動と実力が読めないので、これ以上は魔力消費を抑えたい。しかしだからといってミーズ神の相手をレグルスが担うわけにはいかない。神官が魔術を使うのは分かっているのだ。ダグとフランに神官の相手を任せるのは少々荷が重すぎる。対処するのは自分がいいとレグルスは考えていた。だからフランにはなにがなんでも矢をミーズ神に撃ち込んでもらわなければならない。


「……やれるわよ。当たり前でしょ。絶対に外さないわ」

「そうか。じゃあ……」


 レグルスはフランの背負っていた矢につぎつぎとエンチャントを施していった。そして黄色く発光する矢が4本、青白く発光する矢が2本、赤黒く発光する矢が1本と、計7本がフランの矢筒の中に納まる。


「赤い矢はどんな効果があるの?」

「単純に威力が高い。ミーズ神の呪いの浄化が完了したら殺すように使ってくれ」

「呪いが浄化されたかどうかって見てわかる?」

「見た目でわかるかは不明だ。だから浄化の完了に関しては魔術で状態を見て、俺が判断する」

「わかったわ」


 レグルスとフランは頷きあい、話は済んだとばかりに駆けだした。すると今まで黙って聞いていたダグが「ちょ、ちょ、ちょっと待てぇ!」と引き留めてくるので、どうしたのかと二人は立ち止まった。


「なんだ?」

「どうしたのよ?」

「どうしたもこうしたもない! 俺はなにすればいいんだよ!?」


 そう言ったダグにレグルスは首を傾げた。さきほど伝えたはずなのに聞いていなかったのだろうか。どちらにしても理解していないなら、再度指示を出すしかない。


「ダグにはミーズ神の気を引いてもらいたい。理由は、その隙をついてフランがミーズ神に矢を撃つためだ」

「それはわかってるって! 具体的にどうやって気を引くんだって話をしたいんだよ!」

「ああ、それに関してはダグに任せる」

「えっ」

「ダグは防護壁を張ることができるんだろう? なかなかの強度だった。あの強度ならばミーズ神の技を真正面から喰らっても死ぬことはないだろう」

 

 ミーズ神の最大威力であろう技を受けても無傷だったのだ。先ほどよりも弱っているミーズ神の攻撃を防げないはずがない。だからレグルスはダグにする指示を特に持っていなかった。目の前をちょろちょろするだけでも気を引く効果はあるだろう。


「……俺に任せるって言われても……」

「ダグは魔力が高いから、目の前にいるだけでミーズ神の意識を一定はそらせられる可能性がある」

「ほんとかよ~」

「俺たちの役目はフランが矢を撃てる隙を作り出すことだ。正直、俺も神官の相手をどうすべきかは分からない。成り行きに任せる形となるだろう。だからダグも臨機応変にやってくれ」

 

 レグルスの言葉にダグはガシガシと頭を掻いて「あー」とか「うー」とか唸った。そしてだらりと肩を落とすと、レグルスとフランを伺うように見てくる。


「やれるだけのことはやるけど……期待するなよ?」

「いや、期待している。今回の作戦はそれぞれ役割を果たさないと話にならない」

「うっ……」

「もう大丈夫か?」

「うん……」


 ダグはしぶしぶ頷くと歩き出したが、それをフランが背を叩き、追い立てて走らせる。ダグはいまだ踏ん切りがつかないという表情をしつつも、ちゃんと走っていた。


 ――走れるなら問題はないだろう。


 ミーズ神と対峙した際もレグルスの危機に飛び出してきたような男だ。本番になれば、なんだかんだ動くに決まっている。


 ――ダグは情に厚く、誰かの危機を放っておけないみたいだからな。


 そこに臆病が含まれてしまうが、レグルスによるダグの評価は低くない。土壇場で動けなくなるのではなく、逆に動けるタイプなのだから、その能力の高さもあってむしろ評価は高い。だからレグルスは特に心配せず、ダグに向けていた意識を前に戻したのだが……すぐ真横の茂みから何かの気配を感じて踏みとどまった。そして体重を前方から後方へと移動させると、そのまま姿勢を低くする。


「レグルス!」


 フランの声が聞こえた時には、レグルスの顔の横を何かが掠めていった。それが熊の爪だと認識したのは、懐に潜り込み、魔力でできた刃を使って顎下から脳天にかけてを貫いた後だった。急なことで驚いたがきちんと仕留められた。レグルスは血がかからぬよう、すぐに熊の腹を蹴飛ばして下がる。


「熊か。驚いた」

「ぎゃあ! 熊じゃん!」

「レグルス大丈夫!?」

「問題ない。人間じゃなくてよかった」

 

 突然のことで何者か判断する前に倒してしまった。視界に映った瞬間、かなり大きな体だったので子供ではないことは分かってはいたが、集落の大人の可能性はあった。しかし結果としては獣であり、レグルスはホッと息を吐く。


「なんでこんなところに熊がいんだよ! 集落の近くになんて滅多に現れないのに!」

「なんでというか……まあ、連れてこられたんじゃないか?」


 ダグの疑問にレグルスがそう返すと、前方から隠すつもりのない視線を感じてそちらを見た。行く先の道を見れば、茂みからたくさんの動物たちが顔を出している。熊、鹿、狼……どう考えても一緒に行動するはずのないラインナップだ。どの獣も鋭い目線でレグルスたちを見つめており、明らかに異常な様子だった。


「げえええ! なんで!?」

「私たちを足止めさせるためでしょ? ……操られているのかしら?」


 フランは落ち着いた様子でそう言って、矢筒から矢を取り出そうとした。しかし矢に触れた瞬間、ぴたりと止まってレグルスに視線を向ける。


「ねえ、魔法がかかってない矢はあったかしら?」

「ないな。持っている矢には全て魔法を掛けてしまった」

「……無駄撃ちできないじゃない。どうするの?」

「そうだなぁ……」


 レグルスもまた、無駄な魔力を使っている場合ではなかった。だからこの操られている動物の群れは厄介だ。倒すことは問題なくできるだろうが、こちらの魔力や時間を削ってくるのが実に面倒である。この状況はさっさと抜けてしまいたい。


「……ここはダグが適任だろうな」

「えっ」

「ダグに何とかしてもらおう」

「ど、どうやって……!?」


 ダグは怯えたようにそう言ったが、なんのことはない。タイミングとペースさえあっていれば、問題なく通り抜けられる。そう、文字通りに『通り抜ける』のだ。


「ダグが先頭でこの場を駆け抜ける。俺とフランは遅れずについて行く。これだけだ」

「へ?」

「ダグの防護壁を活用しよう。守るのは得意なんだろう? さっき見た限り、自分からある程度の範囲まではカバーできるようだったが?」

「え、もしかして……振り切って走るの?」

「むしろ動物に防護壁が当たるようにして走ってくれ。見たところ、操られている以外は普通の動物だ。ダグの魔力に当てられて、気絶くらいはしてくれるかもしれない」


 向こうの目的はこちらを倒すことではなく、時間稼ぎだろう。どうやら動物たちは洗脳か何かの魔術を受けているようだった。動物は強い魔力を感覚的に察知するので、普通は近づいてすら来ない。だから狩人であるフランは弓を得物に使っているのだろう。

 

「うへぇ……マジかよ……」

「ダグ、頑張って!」

「なにをどう頑張れって言うんだよ!」

「普通に防護壁を展開しながら、わざと動物にあたるように間を駆け抜けてくれ」

「やることは分かってるって! 動物に防護壁ぶつけろって言うんだろ!? けど、その防護壁の出し方がわからないんだって!」


 ダグの言葉にレグルスはきょとんとしてしまった。出し方が分からないとはどういうことだろうか。しかしそれを問うにはあまりに時間がなかった。ミーズ神の元へ向かう時間はもちろんのこと、単純に目の前に立ちはだかる動物たちがこちらに向かって駆けだしたからだ。


「なにをごちゃごちゃ言ってんのよ! いいから行きなさいっ! どうせいつもみたく勝手に出るわよ!」

「うおっ!」


 フランはそう言ってダグの背を勢いよく押した。するとレグルスが先頭を譲るように道を開けたので、ダグは勢いで二歩三歩と前に出てしまう。そして向かってくる動物たちを目にすると「ぎゃーーーー!」と叫んで目を瞑り、一目散に駆け出した。後ろに駆けていくのではなく、ちゃんと前に駆け出すのが偉い。レグルスはそんなことを思いながらダグの後を追い、フランも同様についてくる。


「うおおおお! 無実の罪の動物たち! ごめんっ!」


 そう言いながらもまっすぐ走っていくダグは展開された防護壁を動物にぶつけていっている。というよりも防護壁の範囲がずいぶん広く取られているため、当てようとしなくても当たってしまうようだった。ダグから半径3メートルはある防護壁を眺めながら、レグルスはフランに疑問を投げた。


「フランはダグの能力を知っていたのか?」

「え? ダグの【ギフト】のこと? うん、知ってたわよ。それなりに付き合い長いから」


 フランが言った【ギフト】はダグの防護壁のことだろう。レグルスは魔術ではない事実に興味をそそられながらも、いま注目するところはそこではないとフランに次の質問を投げかける。

 

「そうか。……もしかしてダグは、自分で制御ができないのか?」

「そうみたいね。ダグはああ見えて、思ったより不器用なのよ」

「おい! 聞こえてるからな!?」


 レグルスはこれだけの魔力があって制御ができないなんて俄かに信じられないと思った。防護壁はダグの魔力を消費して張られているようだが、考えてみれば魔力が多いからこそ、細かな制御ができなくても困っていないのかもしれない。おそらく魔力が尽きるという感覚もダグは味わったことがないのだろう。


 ――まあ、俺も魔力の残量が乏しいなんて感覚は……かなり久しぶりだけどな。


 レグルスは残り少ない魔力で本当に目的を達せられるのかと僅かに心配な気持ちになる。しかしミレイとエマは行方不明だ。立ち止まって時機を伺うべきではない。行動を起こし、神官の企みを阻害するべきだった。


 ――やるしかない。行動を起こすと決めたのだから、フランとダグを信じるしかない。


 レグルスは結果がはっきりと予想できない問題へ取り組むことに、胸が僅かに弾んでいた。

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