第21話:フラン①

 フランを探して、広場から集落の外れにある明かりの灯っていない家に戻ってきたレグルスは、その静けさに軽く歯を噛んだ。この家に戻ってきた時は、いつもミレイかエマが出迎えてくれていたが、それが今はない。なんとも物足りない感覚を覚えながらも、レグルスはリビングを通り抜けて奥の部屋に向かった。寝静まった夜と大差ない筈なのに、家に息づく数が違うだけでこうも雰囲気が変わってしまうのかと不思議な気持ちになる。


 ――二人はいま、どうしているんだろう。


 行方が明確になっていない二人の安否を想像し、レグルスは軽く首を振った。根拠のない創造だけしても仕方がない。それだけでは何も解決しない。レグルスがいますべきことは、迅速に神官とミーズ神のあとを追うことだった。そして彼らの企みを阻止することが、集落から連れ去られた子供たちや、エマを助けることに効果的な可能性が高いと廊下を進む足を速める。


 ――フランはここにいる。いまの俺にはフランの力が必要だ。


 ミレイと合流できなかったいま、ミーズ神を確実に無効化するにはレグルスだけの力では無理なのだ。ダグはもちろん、狩人であるフランの力も借りたい。だからフランに助力を乞わなければと思っているのだが、聞き届けてもらえるかレグルスは不安になってくる。


 ――それにしても……フランの魔力がとんでもなく乱れているな。


 家の中に入らずとも不穏な魔力が伝わってきた。あまりに不穏だったので、ダグは家の中に入るのを拒否したくらいだ。レグルスは中にいるのがフランだというのは魔力の感じからして分かっていたので入ってきたが、それでも一歩進むごとに背筋がぞわぞわするには変わりなかった。きっと集落で騒ぎを聞き、エマの無事を確かめるためにフランは家に戻ったのだろう。しかしエマはとっくに姿を消している。それに動揺をして、フランは魔力が不安定になっているのだ。


 ――エマの行方が分からないことにフランが動揺するのは理解できるが……すごいな。フランの魔力ごしに溢れる殺意が伝わってくる。

 

 ゆらゆらと魔力が波打って不安定になっているのは間違いない。しかしそれは頼りないものでなく、むしろ殺意がみなぎっている。ビリビリと肌を突き刺すような殺意は家の中の空気を重くしていた。

 

 ――フランのような善良な人間にも、殺意があるんだな……。


 あんなにも快活で人の心配をよくし、一般的に見て誰からも優しいと評価を受けるだろうフランがこんな殺意を放つなんてと、レグルスは重たい一歩を踏み出しながら感嘆の溜息を洩らす。そして半開きになっているフランとエマの部屋のドアをノックした。


「……フラン、いるんだろう?」


 夜は訪れないという約束だが、非常事態だから許されるはずだ。最初から開いているとはいえ、念のためこちらの存在を知らせるべきだろう。なにしろ攻撃されるのではと思うほどの殺気なのだから。


「……入るぞ」


 そう言ってレグルスは部屋に足を踏み入れた。少し前までは誰もおらず、ガランとした印象があったが、今は特大と言えるほど存在感あるフランがいる。フランは部屋の真ん中に立って俯いていた。小さな背中だというのに、悪鬼がいると思ってしまうのは立ち上る魔力の量と質が異常だからだろう。いつもとは比較にならないほど、フランの魔力は高まっていた。今は背を向けられているが、振り向いたら射貫かれて床に転がされるかもしれないと錯覚するほどに。


「フラン、もう分かっていると思うが……エマとミレイがいなくなった」

「誰が連れてったの」


 間髪入れずに返ってきた言葉にレグルスはぐっと息を飲む。誰がと聞かれても確たる証拠はない。状況的には神官と考えるのが妥当だが、他の可能性も排除しきれない。しかしいまのフランに曖昧な返事をするのは悪手だろう。だからレグルスはずるい言い方をすることにした。


「ミーズ神だ」


 その瞬間、部屋中に憎悪と殺意が満ちた。放たれた魔力が部屋中にみっしりと詰まる。ドアが閉まっていたら、魔力の逃げ場がなくて何か壊れていたかもしれない。そう思ってしまうほど破壊衝動に満ちた魔力であった。そんなものを全身で受けとめたら普通は腰を抜かす。しかしレグルスは、場違いにも感動していた。


 ――魔力にここまで感情を込められるのは才能だ。フランは間違いなく、魔力の質や量を感情に左右されるタイプだな。安定した出力はないが、ここぞという時に己より強い敵を倒しうる可能性がある。


 レグルスはやはりフランの助力が欲しいと改めて思い、手を差し出した。利害は一致していて、助力を得らえる可能性は低くないはずだ。けれど今のフランにどんな言葉をかけるのが効果的なのか、それがレグルスにはいまいち分からない。だからレグルスはストレートに誘いをかけることにした。

 

「フラン……力を貸してくれ。エマとミレイを助けたいんだ」

「…………」


 僅かに振り返り、下から睨みつけてくるその眼差し。手負いの獣が可愛く思えるほどの怒気と憎悪に満ちていた。視線がかち合っただけでレグルスの背筋がビリリと震える。


 ――この殺意に満ちた魔力はぜひとも維持してほしい。……安堵を与えるべきじゃないな。エマが害されるかもしれないという危機感を煽りながらも、こちらは味方なのだと伝えよう。


 レグルスは新たな一面を見せたフランに好感を覚えた。これほどまでに強い感情を見たのは初めてで、胸がドキドキしてしまう。興味が尽きないと、興奮によって頬にある毛細血管が広がるほどであった。しかし部屋が暗いので、レグルスの頬が子供のように赤らんだことなんてフランは気づきもしないだろうし、心底どうでも良いことだろう。


「一刻を争うんだ。広場から戻ったなら知っているかもしれないが……集落の子供たちも攫われた。このままではエマも、他の子どもたちも危険だ。ミーズ神に喰われるかもしれない」

「なんでミーズ神が人間を食べるって知ってるの?」

「それは……」


 やや勢いに任せて話を続けたレグルスであったが、フランからの指摘で隠れて動いていた事実を思い出した。ここは素直に白状すべきか、それとも濁して説明すべきか、どちらが効果的なのだろうかと返事に迷っていると、ふふっと笑う声がした。

 笑い声には穏やかな響きはなく、なにかを嘲笑うような軽薄さがあった。レグルスは笑っていないのだから、その音を出したのはフランに決まっている。けれど普段のフランからは想像できない態度だった。レグルスはやや驚いたものの、とんでもない殺意を見せつけられても動じないのだ。フランの人物評に多少の変化があっただけで何の問題もなかった。


 ――そもそもフランはエマをとても大切にしているからな。その大切な存在が拐かされたのだから、普段通りの態度のほうがおかしいか。


 レグルスはしばし、フランの様子を眺めた。フランはひとしきり笑うと今度は黙り込み、床を見つめている。そしてそのままレグルスの方なんて見ずに、口火を切った。

 

「意地の悪い聞きかたしちゃった。本当はずっと知ってたのよ」

「なにをだ?」

「……レグルスが夜な夜な出かけて何かしていること」

 

 フランの意外な言葉に今度こそレグルスは驚いた。まるきり気付かれていないと思っていたが、フランは知っていて黙っていたようだ。あれほど夜には一人で出かけないよう忠告しながらも、実際に夜に出かけているのを知っていて黙っていたのはなぜなのか。レグルスが興味深く見つめていると、フランは言った。


「エマが予言を受けたって話したでしょ? 『賢者の島』から『賢者』がくるって。神様を連れて……私たちを助けてくれるって」

「前半はフランからも聞いたが、後半は聞いていないな」

「あれ? そうだった? ……なんて、嘘よ。あの時はあえて言わなかったの。あなたの反応が知りたくて」

「反応?」

「本当に『賢者』だったらなにかしら反応するかなって。でも……あの時は特になかったよね」


 フランはそう言って短く笑うとレグルスを見た。その瞳は品定めしているようで、レグルスはなるほどと思うと同時に、自分の中にあるフランの人物評を大きく書き換えた。どうやらフランはただ優しい人間ではないようだ。もっと欲深く、自分の利益に敏感で、最大の好機をじっと待つことができる狩人だった。


 ――けど、いまは待つ姿勢じゃ困る。この狂暴な殺意が込められた魔力を存分に奮ってほしい。


 レグルスは何としてでもフランを前線に赴かせたかった。ミーズ神を殺して子供たちを無事に集落に帰還させるには、いまのレグルスの力だけでは足りない。ミレイと合流できるのなら話は別だが、現状どこにいるのか分からず、またその状態も不明なのだから計算に入れるのは論外だった。ミレイ抜きで、ミーズ神を殺す算段をつけなければならない。そのためにはフランの力が不可欠だとレグルスは分かっていた。もちろんダグにも働いてもらうつもりだが、それだけでは足りない。極限の集中と、憎悪をもって放たれる一撃が欲しい。


「いまさらだが……俺は確かに『賢者』だ。『ノットー』ではそう呼ばれる立場だった」


 答え合わせをするようにレグルスがそう言うと、フランの目が少し輝く。それは恐らく期待なのだろう。だが一方的に期待をかけられても困る。予言がされたからと言って、待っていても結果はやってこない。天災についての予言ならばまだしも、人が関わる予言に関しては過程を飛ばした結末だけを言っているに過ぎないのだ。そこに到達するには、人間は手を尽くさせねばならない。


「でもフランとエマを助けに来たわけじゃない」


 事実をただ述べたのだが、フランにとっては残酷だったかもしれない。レグルスは自分より少し下の位置にある潤んだ瞳を見つめながら、それでも言った。


「勘違いされたら困る。俺とミレイは誰かの希望を叶える都合のいい存在じゃない。俺たちには俺たちの目的があってここにいる。期待や望みを掛けられても、それを果たす義務はない」


 突き放すような言葉であったが、レグルスは突き放すつもりで言ってはいなかった。本当にただ事実を述べているだけだ。レグルスはミーズ神を殺すつもりでいるが、それは『骨』の奪還に最適解だと思っているからだ。向こうが命乞いと共に『骨』をどうぞと差し出してくるなら、それはそれで構わない。レグルスとミレイの邪魔をしないのならば、この森で彼らが起こそうとしていることを静観するものひとつの手だ。


 ――まあ、あの神官がそんな提案をする筈はないがな。恐らく俺たちの『骨』が欲しいという行動は、ダーナ神の目的と競合する可能性が高いだろうし。


 結局のところ、今回の事態を穏やかに解決するのは難しい。交渉の席に向こうはつく気がないだろうし、いまのところレグルスも交渉すべきと思っていない。利を総取りしたいからだ。けれどその結末でフランとエマが無事に生きているかなんて保証はない。期待させるようなことを言ったのは人語を操る鮭であって、レグルスではないのだから。


「他人に自分の命を預けるものじゃない。他人なんて完璧にコントロールできるわけないんだ。どうしても叶えたいことがあるなら、自らの手で勝ち取るべきじゃないか?」


 揺れるフランの瞳にレグルスはあともう一押しだと思った。フランが何を思って踏みとどまっているのかは分からないが、これだけの憎悪をミーズ神に抱えているのだ。あと少し押せば、レグルスが期待する殺意を持ってミーズ神に立ち向かってくれることだろう。しかしエマを攫われてもなお、振り切ることのできない躊躇いは何なのか。


 ――『エマを助けたくないのか』と声をかけるか? いや、それだと救出のほうに意識が向くか。できればミーズ神を殺すほうに意識を向けてほしい。……外すかもしれないが……揺さぶってみるか。


 レグルスは今までに得た情報を統合して、ひとつの仮説を立てていた。特に確認する必要もないことだったので、今まで放っていた仮説だったが、それをフランへぶつけることにした。何かを堪えるようにして見つめ返してくるフランに、レグルスは目を細めて問いかける。


「……いいのか? このままだとエマも喰われてしまうぞ。……母親や父親と同じように」

 

 その瞬間、フランの瞳から大きな水滴が落ちた。それはまさしく涙だった。


 ――泣いてる……。はあ……人が泣いているのを久しぶりに見たな。

 

 幼かった頃は涙をみる機会があったが、成長するにつれて泣くような者たちは周りにいなくなってしまった。だから物珍しさにレグルスはフランの目をじっと見つめたが、次第にその瞳には轟々と煉獄の炎が宿っていく。再び蘇ったフランの殺意に、レグルスは息を飲んだ。


「いいわけないでしょ……! 母さんも父さんも、エマを守るためにその命を懸けたのよ……! 二人の想いを受けてエマは育ってきたの……! だから……私だっていつか父さんたちと同じようにって……ずっと、ずっと思って……!」


 涙と鼻水で顔を汚しながらも、どす黒い魔力をこぼすフランにレグルスは驚くばかりだ。魔力の質は取り込んだものや感情によって変化するのは承知していたが、レグルス自身はその経験がないので魅力的に見えてしまう。しかし好奇心に満ちた顔など今はそぐわない。レグルスは努めて冷静な様子を取り繕いながら、じっとフランの言葉に耳を傾ける。


 ――フランはエマのために死ぬつもりだったのか。父親と母親がそうしたように、エマのためにいつかは己の肉をミーズ神に差し出す日が来ると思って生きてきたのか。


 確かにそれは自分とミレイが地上にやってこなければ、そう遠くない未来に起こりえたことだろう。あの神官はミーズ神の身の内に不毒の呪いを溜め込んでいた。純度の高い呪いを身の内に溜めるのならば、頑強な肉体が必要になる。過剰すぎる魔力も肉体を崩壊させるが、もともと維持をさせるつもりはなかったようだった。

 溜めこめるだけの呪いと、注げるだけの魔力をミーズ神に与え続けて最終的には崩壊させる。偶然にも『骨』を得たために魔力はそちらから調達したようだが、それがなければ順番に集落の人間が喰われていたはずだ。ダーナ神とやらが神官に期限を設けたようだし、二人ともあっという間にミーズ神の腹の中へ行くことになっただろう。


「フランがその身を捧げたとしても、エマもいつか喰われるぞ。それくらい分かっていたことだろう?」

「そんなの分かってるわよ! ここに居てもいいことないって! 未来なんかないって! でも……どうすることもできなかったの!」


 癇癪を起したように叫んだフランの目に、もう涙はなかった。きりきり吊り上がった眉と鋭い目で睨みつけられたレグルスは口を閉ざす。ここに来てからレグルスは日が浅い。生まれてから大半の時間をこの土地で過ごしてきたフランにこれ以上なにかを言える立場ではないだろう。フランが今まで何もしてこなかったのか知る由もないし、実際のところフランひとりではミーズ神を倒せないのは明白だ。彼女の中にあった生存戦略として、一番効果的なことが『耐えしのぶ』だったのだろう。


「村で一番狩りが上手くたって、あんな化け物相手にどうしろっていうのよ! 倒す方法の検討もつかないししエマを連れて砂漠越えなんて無謀すぎる! 途中でエマが死んじゃう! そんなの嫌! 私は絶対に、絶対にエマを守りたいんだから! 私なんてどうなってもいいから、エマが無事ならいいの!」


 そう叫んだフランは息を切らしていた。上下に大きく動く肩が、力の入れようと熱意を伝えてくる。レグルスがフランの様子を伺っていると、今度は急に無表情になった。部屋中に放出していた憎悪がこもった魔力も収束していく。それに少しレグルスは焦ったが、それに対してフランの瞳はギラギラと輝いていた。表情はないのに、黒いほどの殺意がある。


「レグルス」

「ああ」

「私、ミーズ神を殺すわ。手を貸して」

「わかった」


 手を貸してくれと頼んだのはレグルスの方だった。しかしいつの間にか立場が逆転している。


 ――まあ、なんでもいいか。


 フランがやる気になったのなら、レグルスはそれで良かった。結末が望むものであれば、過程はさほどどうでもいい。変な拘りを持つ方が選択肢は狭まってしまう。物事は柔軟に対処すべきだ。

 

「用意してくる。でもすぐに出発するわよ」

「もちろん」


 フランは鼻を啜りながら部屋を出ていった。レグルスはフランを見送ってから、窓の外を見た。空には大きな月が浮かんでいる。夜はまだまだ残っていた。けれど朝日が昇る前に決着はつくだろう。


「……ミレイなら大丈夫だ」


 レグルスは自分に言い聞かせるようにそう呟いた。なにしろ友人は神なのだ。神もどきとそのお付きの神官にやられる訳がない。レグルスはそう信じている。だらか自分はやるべき最善をと、しっかりした足取りで誰もいない部屋を後にした。


 

 

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