第20話:神隠し

 レグルスとダグが集落に向かう橋を渡る頃、宵の口はとうに過ぎ去り、時刻は夜半に差し掛かっていた。この時間帯ならば、朝が早いエマはとっくに眠っているだろう。できれば起こすことなくミレイを連れ出せたらいいと考えながら、レグルスはフランの家へと走っていた。神官とミーズ神は姿を消したが、必ずこの森のどこかに潜んでいる。いや、潜んでいるだけではなく暗躍すらしているだろう。ダーナ神とやらは結果を求めているのだから。


 ――向こうの計画を知らないから後手になるのは仕方がないが……。なるべく被害は小さくしたい。


 下界はノットーで聞かされていた話とはかけ離れた場所だった。荒廃した人の住めない世界ではなく、色々な人間がそれぞれの思惑で生きている。ミーズ神やらダーナ神やら……もしかしなくとも他にも信仰を集める神がいるかもしれないし、空からぶち撒かれた『骨』を拾いあげ、これから神になっていくような存在がいてもおかしくない。


 ――できればこの森には恩を売っておきたい。あの神官が躍起になるような『なにか』があるのは間違いないんだ。


 森の隅から隅まで調べたい。そのためにレグルスは森の住民たちに対して、良い顔をしておきたかった。だから神官の企みは可及的速やかに阻止したいのだ。そんな打算的な気持ちを胸に、レグルスはフランの家まで戻ってきた。家の明かりが落ちているということは、ミレイだけでなくエマも眠っているのだろう。そう思って家の玄関扉に近づいたレグルスだったが、すぐに眉をひそめた。街灯などないが、満月の夜だから正面に行かずともわかる。玄関扉が大きく開け放たれていた。


「あれ? なんで家のドアが開いてんだ?」

「…………」


 ダグの言葉には返事をせず、レグルスはすぐさま家の中に入って奥へ向かった。そして自分たちが借りている部屋のドアを開け、中がもぬけの殻であるのを確認する。窓際にあるベッドには誰かが使用した跡が残っている。枕がふたつ並んでいて、ひとつは花の刺繍が施された見覚えのないものだった。そっとシーツに触れてみたが温もりはないので、使用者たちはついさっきいなくなったというわけではないようだ。

 レグルスは一度部屋から出ると、念のためフランとエマの部屋のドアを開けた。ふたつ並んだベッドは綺麗にベッドメイキングがされている。片方のベッドに枕がないのは、おそらくエマがミレイと寝るために持ち込んだからだろう。レグルスは周囲の魔力を探って、家のどこにもミレイとエマの存在がないのを確認すると溜息をつきたい気持ちになりながらリビングに戻った。


「あ、レグルス! ミレイとエマは……」

「いない。この家から出ているようだ」

「ええ!? こんな夜にどこ行くってんだよ!?」


 ダグの言うことも尤もだ。夜は決して家を出ないという教育を受けているエマが、ミレイと一緒だとしても外に行くとは考えづらい。もし出かける場合があるとすれば、何かが起こって緊急手段として仕方がなくといったケースだろう。

 

「分からない。現状は二人がいないという事実しか確認できなかった。ひとまず広場に行くぞ。何か起こって逃げたなら、人気が多いほうに行くだろう」

「わかった、急ごうぜ!」


 二人はミレイとエマを探して広場の方へ向かった。途中、家の周りに異変がないか確認したが、特に変わったところは見当たらず、いつも通りの静かな森の夜でしかない。けれどそれも集落の中心に近づくにつれ変化があった。ザワザワと人の声が重なり合い、悲鳴のように誰かの名前を呼んでいる声まで聞こえてくる。


「え、なに? なんかあったのか?」

「…………ひとまず情報を集めよう。手分けするぞ」

「わかった」


 そう言ってレグルスとダグはいったん別れた。広場に到着すれば大人たちが青い顔をして歩き回っている。レグルスはひとまず話が聞けそうな人をと思って見渡すと、ネリーがルークをしっかりと抱きかかえて家の壁に寄りかかっていた。誰かを探している様子もないので、話が聞けそうだとレグルスはネリーに近づいて声をかける。


「ネリー」

「ああ……レグルス……」

「なんの騒ぎだろうか? 人々が行きかっているようだが……」

「それが……大変なんだよ……! 子供たちが……子供たちがいないんだ!」

「子供たちがいない?」


 ネリーの説明によると、ベッドで良い子に眠っていたはずの子供たちが家から消えるという事件が起きたらしい。どうやらた眠っている子の様子を見に行った親がいて発覚したそうだ。そして我が子が家のどこにもいないので、周囲の家に助けを求めたら、うちも子供がいないという家が次から次へと出てきたらしい。レグルスはそれを聞いてとても妙だと思った。子供がどの家からもいなくなるなんて、作為的なものを感じる。


 ――まず間違いなく神官の仕業だろうが……。子供を隠して回ったのか? 何のために?


 このタイミングで子供が消えたとなれば、先ほどやりあった神官がなんらかの手段で子供を攫ったのだろう。しかし目的がわからない。そう思っていたレグルスだが、目の前にルークがいることを思い出して首を傾げた。

 

「……そういえば、ルークは無事だったようだな」

 

 ネリーの腕にはルークが抱かれている。どこを見ているのか、ボーっとしていたが、それでも手足がじたばたと動いている。その様子にレグルスは目を細めた。それはルークが明らかに心ここに在らずといった様子だったからだ。

 

「ああ……うちは小さいからねぇ……。どこかへ行く前に、家の中で捕まえられたんだ」

「捕まえられた?」

「そうだよ。何人かの幼い子供は捕まえられたんだ。だけどみんな、眠っているのかっていうくらいぼんやりした顔でねえ。それにどこかへ行こうとしてるみたいなんだよ。うちの子もこうしてしっかり抱きしめてないと、ふらふらと歩きだしちまいそうで……」

「そうなのか……情報提供に感謝する」


 レグルスはネリーに感謝を伝え、ルークの頭を撫でた。するとルークはぼんやり開けていた目をゆっくりと閉じて寝息を立て始める。ネリーはそれを不審には思わなかったらしく「やっと眠ってくれたよ……」とホッと息を吐いた。レグルスはそれに微笑むと、静かにネリーの元を後にした。周囲を見渡せば、ダグがレグルスに向かって大きく手を振っているのが見えた。焦った顔つきからして、事態を把握したのだろう。ダグはレグルスの元へ駆けてくると開口一番に「やばい! 子供たちが行方不明だ!」と言った。


「知っている」

「なんでいないんだ!?」

「落ち着け。魔術で催眠をかけられ、自分の足で出ていったんだ」

「えっ」


 レグルスがそう説明すると、ダグは息を飲んだ。そしてぐっと拳を握り、小さな声で聞いてくる。


「神官の仕業か……?」

「確証はないが、状況的にはその確率が高いと思う」

「なんで子供を狙うんだよ!」

「いや、子供を狙ったわけじゃない。魔術の効果範囲に該当したのが子供たちだけだったんだ」

 

 先ほどルークに掛けられていた魔術を解いた時、術の解析もレグルスはもちろんしていた。ルークに掛けられていた魔術は催眠の類のもので、大雑把に命令を訳すと『意識がない者は、誰にも見つからないよう努め、ミーズ神の元へ来るように』というものだ。この『意識がない者』を対象にしているのは術のかかりやすさ、つまり魔力のコストダウンを目的にしているのだろう。子供が姿を消したのは、この時間帯に眠っていたのが単に彼らだけだったというのが真相だ。もっと深い時間ならば、集落の大半の者が姿を消していたに違いない。


「どちらにしてもまずい状況だ。ミーズ神の元に向かわされている。子供の足だからすぐには辿り着かないだろうが……意識がない状態に近い。道中で怪我をしてもおかしくない」

「ミーズ神の元に向かってるって……おい、それってまさか……」


 顔色が悪くなったダグには想像がついているのだろう。人間が強制的にミーズ神の元に呼び寄せられる理由とやらが。間違いなく禄でもない理由だ。しかし二人の近くにいたらしい集落の大人たちは気が付かなかったらしい。でもその中で、二人の会話を聞きつけたひとりの男が、淡い期待を持った表情で近づいてきた。


「子供たちがミーズ神様の元へ向かったっていうのは本当なのか……?」


 その男の声を皮切りに、広場にいた者たちは足を止めてざわざわと騒ぎ始めた。レグルスがざっと広場の中にいた者たちの顔色を確認すれば、明らかに動揺する者や泣き崩れる者もいるが、目の前の男性の様にまだどこかで『期待』をしている様子が見受けられる者もいた。


 ――これが病から救われた経験がある者と、ない者の差だろうか。いや、でもこの男も心のどこかでは疑っているのかもしれない。信じ切っているにしては瞳に動揺の色がある。

 

 レグルスは村の人間たちの視線が集中する中で顔をあげた。そして彼らを慰めるなんてつもりはなく、ただ事実を告げる。


「本当だ。俺は魔術が使えるから、さきほどルークにかかっていた術を解いたから知っている。子供たちはルークと同じ術を掛けられ、自分の足でミーズ神の元に向かわされたのだろう」

「いやぁあああ――!」


 誰かの悲鳴が聞こえた。それ誘発され、堪えていたものが決壊したのか、集落の女性陣があちこちで泣き出した。レグルスは恐怖が伝播していく様子がとても興味深かったが、この後に起こるのはパニックだ。それは避けなければならない。そう思った瞬間、隣にいたダグが一歩前に踏み出して両手を大きく広げた。


「落ち着いてくれみんな! 子供たちは俺たちが助ける! ミーズ神を倒して、子供たちを助ける!」


 その声に人々の視線がダグに集まった。泣き崩れている人は嗚咽交じりであったが、それでも顔をあげた。ダグは衆目を前に大きく息を吸い、広場中に届くように声を張った。


「ミーズ神の本性なんて、みんなもう分かってるだろ! あいつは俺たちを助ける神じゃない……俺たちを嬲り殺しに来た化け物だ!」


 ミーズ神を全否定するダグの言葉に異論が上がらないのはそういうことだ。結局、この集落にいる人間は誰もミーズ神を信仰してなんていないのだろう。みんな黙ってダグを見つめ続けている。


「いままで俺たちは、あいつらが好き勝手するのを黙って耐えるしかできなかったけど……いまは違う! レグルスがいる! レグルスはミーズ神を倒すため、この森にやって来てくれたんだ!」

「えっ」


 力強くそう言ったダグが急にレグルスに話を振ってきた。思わずダグの顔を見れば、ダグはバツが悪そうな顔を一瞬だけしたが、さっとウインクをしてくる。勝手に話を進めているという自覚はあるのだろう。しかしこの場でパニックを起こされたくなかったレグルスとしては、ダグがみんなの意識を引いてくれたのはありがたい。どのみち、場を落ち着かせるためにレグルスも似たようなことをするつもりだった。だが外から来たレグルスが話し始めるよりも、内部の人間であるダグから話してくれた方が集落の人々の心に響くだろう。

 集落の人々は悲喜こもごも、入り混じった視線をレグルスに向けてくる。レグルスはダグによって強制的にバトンを渡された形になったが、ひとつ息を吐いて前に出た。そしてゆっくりと集落の人々を見渡し、いま何をすべきかを考える。


 ――いまの彼らに必要なのは言葉による説明よりも、ミーズ神を倒しうる力があるという証拠を見ることだろう。


 百聞は一見に如かず。レグルスは自分の中の最高速度で魔術を組み上げ、それを集落全体に展開させた。『なにか』が起きたということはしっかり分かってほしかったので、演出は施してある。レグルスが展開させた魔術は、天蓋のように集落を覆う光のヴェールとなり、キラキラとした粒子を住民たちの上に舞い散らせた。これならばハッキリと、レグルスが『なにか』したというのが伝わるはずだ。


「こ、これは……?」

「すごい……!」


 驚く声をあげる住民たちだが、レグルスが展開したものはなんのことはない、ただの光のヴェールだ。多少のリラックス効果は期待できるが、それは美しいものを見た時にセロトニンが分泌されるからであって、この魔術自体にはなんの効果もない。本当にただ『光が天蓋の様になって集落を覆った』だけでしかない。しかしレグルスに対して『期待』をさせることはできただろう。正直無駄な魔力を使いたくなかったので、これだけで『期待』するきっかけが作れたのなら御の字だ。


「光のヴェールで集落を覆いました。皆さんは、この下にいてください」

 

 レグルスはなるべく落ち着いた声でそう言った。集落の人々は静かに、じっとレグルスを見ている。誰もが期待する視線を向けていて、なんて単純なんだとびっくりしてしまうほどだった。


 ――それだけ追い詰められていたのだろうな。満月の月夜ごとに、誰かが死ぬかもしれないと思いながら10年を過ごしてきたんだ。子供たちを奪われたという追い打ちを掛けられた状態で、元凶がいなくなるかもしれないと甘言をぶら下げられたら飛びつきたくもなるか。


 やっていることはミーズ神がこの森に現れた時と似たようなものだが、はっきり違う点はある。レグルスは村の人々を陥れようとはしていない。この集落にいたほうが過ごしやすいのでその辺は利用したいが、彼らから利益を奪い取りたいとは思っていない。だからこれから伝える言葉も、まるっきりの嘘ではなかった。


「俺はミーズ神を倒すため、この森に来ました。あの神は欺瞞に満ちている。この森に住む者を騙し、蹂躙し、尊い命を貪っている」


 レグルスの言葉に顔を歪ませる住人たちは何を思い出しているのか。犠牲になった人々への後悔か。それともミーズ神の治世である限り追いかけてくる命の危険か。


「だがそれも今日で終わりだ。俺は自らの勝手な都合で命を奪うものを神とは認めない。神は持てる力で命を育むものだ。子供を攫うなんて、言語道断。絶対に許すべきことではない!」


 断言をしたレグルスに人々は息を飲んだ。演説の経験などないので手探りであったが反応は悪くないとレグルスは心の中でほっと息を吐く。この森の人々がもっと冷静な状況だったら違ったかもしれないが、いま上手くいったのだからそれでいいとレグルスは大きく頷いて見せる。


「俺たちはこれから子供たちの救出、そしてミーズ神の討伐に向かいます! そして皆さんにはお願いしたいことがある! 帰ってくる子供たちのために清潔な寝床と食料を用意してください! 帰ってきた子供たちが安心して腕の中に飛び込めるように、ここで待っていてください!」

「わ……わかった! 待っている! だから……どうか、どうか子供たちを……!」

「お願いします……! うちの子を助けて……!」


 口々に『分かったから助けてくれ』と言う住民たちに、レグルスはひとまずこれで大丈夫だろうと安心した。レグルスがやりたかったのは、大人たちが子供を探すために森へ入り込むのを阻止することだ。ミーズ神がどこにいるか分からない以上、不用意な動きはしてほしくない。子供を探しに行って、二次被害が起きるのは御免こうむりたかったのだ。

 レグルスは足手まといになりえる要素が排除できたので、これでようやくミーズ神を追えると肩から力を抜いたが、すぐさまガシリと腕を掴まれた。それに次はなんだと振り返ると、ダグがレグルスの腕を掴みながら、周囲をキョロキョロと見回しているではないか。


「ダグ、どうした。挙動不審だぞ」


 今度は一体なんだと言外に含ませて声をかければ、ダグは油の切れたブリキ人形のようにギシギシと首をレグルスに向けて答えた。

 

「大変だ……フランの姿がない」


 

 

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