第19話:ミーズ神④

 突如現れミーズ神の攻撃を防いだダグの存在に、神官も驚いているようだった。レグルスもダグが守ることしかできない……つまり『防御はできる』というのには驚いたが、ダグの魔力の量を考えればミーズ神の攻撃を防ぎきったことは不思議でもなんでもなかった。

 先ほどの攻撃が最大威力だったのか、ミーズ神は反動で身動きが取れない様子を見せている。折角ダグが作ってくれた好機だ。それを見逃す手はないと、レグルスはミーズ神の前に出て最後の仕上げとして魔術を放った。魔術はミーズ神を取り囲む光として発現し、筒状の光の中に取り込まれたミーズ神は奇声をあげる。レグルスは魔術が正常に発動したことに一安心して、息をゆっくり吐いて体から力を抜いた。

 

「え? え? なにが起きたんだ?」

「魔術が発動した。これで終わりだ」

「まじで?」


 きょときょとするダグに大丈夫と声を掛けようとしたが、神官が高笑いを始めたのでレグルスはそちらを振り返る。フードを目深にかぶっているのではっきりとした表情は見えないが、神官は実におかしそうに笑っていた。レグルスはそれに何とも思わなかったが、ダグは腹を立てたのか「なにが可笑しいんだよ!」と強い語気で言い放つ。神官は笑い声を小さくしていくと、姿勢を正して余裕たっぷりな様子を二人に見せた。

 

「失礼。面白いことを言うものだから……笑いがこみあげてきてしまった」

「どこが面白いんだよ」

「ふふ……ミーズ神を倒そうなんて、面白いことじゃないか。あの神はもうじき完成する。本当にもうすぐだ。いまさら何をしたって、お前たちの負けは覆らない」

 

 神官の言葉にダグはたじろいで身を引いた。そしてどうしようと言わんばかりにレグルスを見てくるが、すでに手を打った後だ。今のレグルスがするべきことは、術がうまく作用したかどうかの観察しかない。

 だからレグルスは神官の言葉にはさほど興味は持たず、自身がミーズ神に掛けた術が問題なく発動しているかどうかを注視した。即効性はもたせているので、結果はすぐに出てくる。レグルスは解析魔術でミーズ神の状態をチェックし、魔術に修正するような点がなく、正常に作動していることをしっかり確認してから頷いた。


「残念だが、ミーズ神は完成しない」

「は……?」


 レグルスの言葉の意味が分からなかったのだろう。訝しむような、呆れたような、そんな声を漏らした神官をレグルスは振り返った。

 

「俺が掛けた魔術はミーズ神の肉体に負傷や負荷をかけるものじゃない。その身の内に蓄えられた『毒』を浄化する術だ」

「っ……!?」


 術の作用を聞いた神官は動揺したようだった。しかしミーズ神の状態を知らないダグはレグルスの話した内容について、腕を組んで首を傾げている。

 

「毒の浄化ぁ~? え? 倒すんじゃなくて治してあげたの?」

「治癒の目的はないな。ちゃんと倒すが……倒した際、周囲に被害がでないように、まずはミーズ神の強毒性を無効化する必要がある」

「きょーどくせい?」

「魔術で解析した結果……ミーズ神は体内に毒を蓄えているのが分かった。攻撃の際に毒を使用してこないのは、死んだ際にまき散らすタイプだからだ。その濃度は非常に高く、毒が散布されればこの森も、そこに生きる人間もあっという間に死に絶えるだろう。解毒をする前に間違って殺してしまえば、この森は腐り落ちる。それを神官たちは狙っていたんだ。」

「ええ!? まじかよ!? ……あ、でもいま浄化してるってことは大丈夫ってことだよな?」

「そうだな。あと数分もすれば解毒できるだろう」

「っ……!」


 レグルスのその言葉を聞いた神官は、無言で杖を掲げた。するとミーズ神が羽を大きく広げて空中に飛び上がる。レグルスは逃すわけにはいかないと、その羽に重力を上乗せする魔術をかけた。ベキベキと羽のひしゃげる音がして、飛びかけたミーズ神が地面に落下する。

 しかし落下と同時にミーズ神が奇声を上げて膨れ上がった。その変化に身構えると、ミーズ神の肉体はボコボコと変形していく。そしてすぐにドンっと大きな音が鳴ったと思えば、地響きがして……ミーズ神はくたりと萎んで潰れてしまった。


「えっ」


 レグルスは目が点になってしまう。萎んだミーズ神は静かで、まるで生きていないようだった。むしろ先ほどまで生きていたのが不思議なくらい、生気がなく、抜け殻のようである。


「なにこれ? どうなったんだ?」

「…………やられた。逃げられたな」


 レグルスは解析魔術でミーズ神の状態を調べて、なにが起こったか理解した。ミーズ神は抜け殻のようになった訳ではなく、本当に抜け殻になったのだ。


「中身がなくなっている。この鳥の皮を捨てて、本体は地中に潜って逃げたみたいだ」

「え、この鳥って本物のミーズ神じゃなかったってこと!?」

「いや、本物といえば本物だろう。だが鳥の肉体は外皮として捨てることができたというだけだ。本体はもうそこにはない。どこかへ逃げてしまった」


 何も言わずに迅速な行動をとった神官は賢かった。おそらく神官がミーズ神に皮を捨てさせたのだろう。一度浮遊させることで、飛んで逃げると勘違いさせた。落とすのではなく、この場に縛り付けるような魔術をかけるべきだったとレグルスは頭を掻く。


「この場合、解毒ってどうなったんだ?」

「俺の掛けた術の効果範囲から逃げられてしまったから、解毒は途中で止まってるだろうな」

「え!? てことはとんでもない毒はそのまんま!?」

「軽減はされているだろうが……まだ毒性が高いのは確かだな。しまった……飛べないように落とすのではなく、拘束する魔術をかけるべきだった」

「いや落ち着いて反省している場合じゃって……あれ!? 神官のヤツもいねぇ!」

 

 ミーズ神の溶解液で穴ぼこだらけとなった広場にはレグルスとダグの姿しかなかった。どうやらミーズ神に気を取られている間に神官は姿を消したらしい。あっという間に手がかりを失ったレグルスはどうしたものかと腕を組んで首を傾げる。


「今回の討伐は失敗した。すまない、ダグ」

「俺に謝られても……この後どうすんだ?」

「まあ、ミーズ神を探して解毒の後に、殺すという手順に変更はないな。ただ居場所が分からない」

「ええ~……」


 なんとかしてミーズ神を探し出さなければならない。神官は今夜、決着をつけると言っていた。つまり何か達成したい目的があったのだ。ミーズ神の状態は万全とはいえなくなったが、レグルスたちになにかを企んでいることを知られたいま、悠長に雲隠れするだろうか。


「探そう。破れかぶれに毒を周囲に巻かれても困る」

「そうだけど、どうやって探すんだ?」

「うーん……俺の術の痕跡がまだ残っているだろうから、広範囲にスキャニングできればおおよその位置は分かりそうだが……魔力が足りないな」

 

 もう北の森にいるかもわからない。森全体に魔術を展開するのはレグルスだけではさすがに無理だ。あっという間に魔力が枯渇し、解毒の魔術がかけられなくなってしまう。


「仕方ないな……ミレイに頼ろう」

「ミレイに? なんで?」

「ミレイから魔力を供給してもらうんだ。そうすれは森中をスキャニングできて、ミーズ神もすぐに見つけられる。よし、集落に戻ろう」

「よくわかんないけど、すごいなミレイちゃんは」


 レグルスはそう言って広場に空いた穴を飛び越えた。ダグも遅れて走り出したが、その途中で「あっ!」と声をあげ、「そうだそうだ!」と言いながら茂みのほうへと走っていってしまう。そして戻ってこずに「レグルス~ちょっと来てくれ~」と呼ばれたので、レグルスはダグの後を追った。

 なんだろうかと思って茂みを覗けば、そこには人間が木に背を預けるようにして寝かされていた。その人物は赤いワンピースを着ており、女性に分類される身体的特徴を有していた。桃色をした豊かな髪を二つに分けて三つ編みにし、眼鏡をかけている。見た目だけで判断するなら年齢は十代後半といったところか。さきほど助け出した相手であるのは明白で、胸が上下しているのを見るにちゃんと生きているようだった。


「生贄にされかけた人間か。怪我はないみたいだが……魔術で眠らされているようだな。……どうしたダグ? 変な顔をしてるぞ」

 

 女性が生きていたことは喜ばしいことだろうに。しかしダグは女性の前で腕を組んでしゃがみこみ、変な顔をして首を捻っている。なにを考えこんでいるのかと思ってレグルスが問いかければ、ダグは「いや、それが……」と小さな声で呟いた。

 

「この子、知らないんだよなぁ……」

「ん? 集落の人間だろう?」

「違う。見たことない。たぶん……外の人間。見たことない意匠のワンピース着てるし」

「ということは……わざわざ外から連れてこられたのか?」


 集落の人間以外も、ミーズ神に捧げられていたということだろうか。満月の夜に一人ずつだとしても、10年で考えると単純計算で120人程度食われていることになる。


「……森の外では人買いなんて当たり前らしいからな。もしかしたら、神官たちはそういうとこからも供物を調達してたのかも……」

「なるほど」


 新たな事実や下界の文化に興味を唆られたが、今はそんな議論している場合ではない。レグルスは眠っている人物をじっと見て、左手をかざした。そして先ほどまで自分たちに掛けていた迷彩魔術を眠っている女性に掛ける。すると術者ではないダグには見えなくなり、驚いた声が上がった。


「うおっ! 消えた!」

「いや、見えなくなる魔術をかけただけだ。この人には悪いが……いまは起きるのを待つ余裕も、起こして事態を説明する時間もない」

「えっ!? いや……まあ、そうか……」

「ひとまずこれで獣には見つからない。事が済んだら迎えに来るとしよう」


 レグルスはそう言って集落のほうへ駆け出した。ダグは良心の呵責があるのかチラチラと振り返っていたが、時間がないのは分かっているようでレグルスの後を追い駆けて隣に並ぶ。

 

「ちょいちょい思うけどさ……」

「なんだ?」

「レグルスって冷徹だよな」


 ダグのその言葉に『冷徹』の意味を考えた。言葉の通り受け取るならば『感情に左右されず、冷静に物事を見通すこと』であって誉め言葉だ。しかしダグは微妙そうな表情をしていて誉め言葉以外のニュアンスも含まれているのかもしれない。だがそこまで考慮して返事をするのは大変なので、レグルスは素直に誉め言葉として処理することした。


「ありがとう」

「いいえ~。お前がそんなで、俺はけっこう助かってるわ」

「そうか。それは良かった」


 助かっているということは、ダグに利益を提供できているのだろう。利益がある限り、面倒な対立は起こらないはずだ。レグルスは今のところ人間関係に亀裂はないと軽く胸を撫でおろす。


 ――ダグが先ほど見せた能力は非常に有用だった。恐らく、魔力で防護壁のようなものを作ったのだろう。守ることしかできないというのは……他の術を習得していないということか? だがミーズ神の攻撃を防げるのなら、中途半端な攻撃をするよりよほど有能だ。


 レグルスはこの後、どう立ち回るかを考えながら裏口から神殿の中へ入った。ミレイを起こすならば、もはや手っ取り早く物量で押し込めてしまうのも手だ。しかし神官が自暴自棄になってミーズ神を自爆さるようなことがあれば被害は甚大になるだろう。

 

 ――やはり無難にミーズ神を解毒してからだな。


 そう決めたレグルスは通路からホールに繋がる扉を開けようと手を伸ばしたのだが、それより先にドアノブをダグが掴んだ。そのまま開けるのかと思ってレグルスは少し身を引いたが、ダグはドアノブを持ったまま止まっている。急いでいるはずなのにどうしたのかとダグを見れば、伺うような眼差しでレグルスを見ていた。


 ――人間関係に亀裂はないはずだと思っていたが……。見誤ったか?


 ここで何か対立を引き起こすのは困るなと思いながら、レグルスが相手の出方を伺っていると、ダグはひとつ息を吐いてから話し始めた。


「……こんな時になんだけどさ、ひとつ確認しときたい」

「なんだ?」

「……お前がミーズ神を倒そうとしてるのってエマに頼まれたからってだけじゃないよな? そもそもこの森にやってきたのが既に珍しいことだし……。お前らの目的ってなんなんだ?」


 ダグの声が少し震えているのは何故なのか。先ほど見せた魔術でいまさら恐れでも抱いたのだろうか。確かに自分には魔術という特殊な力があるが、ダグはミーズ神の攻撃をも防いだのだからもう少し余裕があってもいいのではないだろうか。そんなことを考えながらも、特にダグに隠す必要も感じなかったからレグルスはひとまず質問に答えた。


「ミレイが倒すことを望んでいるんだ」


 『骨』の回収に関しては説明が色々と付随しそうなので、簡潔にレグルスの戦っているわけを告げた。レグルスは『骨』を回収したいミレイのためにミーズ神を倒そうとしているだけだ。だから一言で言い切ったのだが、ダグは説明がまだ続くと思っていたらしく、しばらく沈黙をして、何も言わないレグルスにキョトンとした顔をする。

 

「え? ……理由ってそれだけ?」

「そうだな」

「……ミーズ神に立ち向かうのは、ミレイが倒してほしいって思ってるから!? それだけの理由でお前……命かけて戦ってんの!?」

「どんな答えを聞きたかったのかは分からないが……俺の戦う理由はそれだけだ」

 

 命を懸けてと言われても、勝算もなしにやっているつもりはない。事前に得られる情報が少ないから、確かにその場で対応しなければならないことが多いが、レグルスはできると思っているからやっているに過ぎない。しかし聞き捨てならない言葉だとレグルスは珍しく不満に思った。天空に浮かぶノットーでいくら周りに冷ややかに見られても動じなかったが、言葉にされると心に澱みができる。

 

「友人の願いを叶えたいと思うのは、そんなにおかしいことなのか?」

「うっ……」

 

 自分とミレイの間にある友情の軽視は看過できない。言葉に詰まったダグを見て、レグルスは大きく息を吐いた。別に溜息をついたわけではない。ただ会話を切るのと、自分の気持ちを切り替えるためにやっただけだ。しかしダグは気まずく思ったのか、ガシガシと頭を掻いている。


「行こう。時間が経てば経つほど、こちらが不利になる」

「……わかった」


 ミーズ神を倒す時まで味方であれば、それでいいのだ。だからダグが自分をどう見ていようとレグルスには問題がなかった。

 

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