第18話:ミーズ神③
森の木々より大きな怪鳥は大きく翼を広げていた。それが威嚇でないのは見ればわかった。紫色になり、膨れ上がったミーズ神の顔はレグルスたちをまるで見ていなかったからだ。どこを見ているのかさっぱり分からない視線のまま、ミーズ神は胸を張ったと同時に口元を膨らます。それを見たレグルスは即座にダグへ声をかけた。
「ダグ、横に避けろ!」
「へっ? え!?」
二人が左右に飛びのけば、ミーズ神の口から何かが吐き出された。そして先ほど立っていた場所に着弾し、地面がどろどろに溶けていた。石畳が抉れるような溶けかたをしているのにレグルスも流石にやや驚いたし、ダグは悲鳴をあげている。
「溶解液か?」
「うぇええええ!? こんなの人間が喰らったら一発アウトじゃねーの!?」
「普通ならそうだろうな。ダグ、当たるなよ」
「言われなくても当たりたくねぇよ!」
レグルスはミーズ神に警戒しながら、神官たちの方を伺った。どうやら司祭は逃げ出してしまったようで姿はなく、神官が余裕ありげに立っているだけだった。その様子にレグルスは首を傾げたくなる。彼はもしや、レグルスとダグの相手なんてミーズ神がいれば十分だと思っているのだろうか。
――俺たちを殺すつもりなら、ぶつけられる最大戦力を使ったほうが早いだろうに。なぜそれをしないんだ?
神官の沈黙を不気味に感じながらも、レグルスはひとまずミーズ神をなんとかしようと決めた。後方を警戒しつつ、目の前の標的を無力化するわけだが、ミーズ神の能力が溶解液だけとは思えない。ここはダグと協力し、まずは情報を収集するのがいいだろう、少し離れたところにいるダグを見てみれば……完全に腰が引けている姿が目に入った。
「……ダグ、大丈夫か?」
「大丈夫なわけないだろ! 普通の人間はこんな化け物を目の前にして大丈夫でいられるわけないんだよ!」
「なるほど……ところで戦えそうか?」
一応聞いてみると、ダグは青くなって引き攣った顔をレグルスに見せた。言葉はなくとも、『無理です』という思いが伝わってくる。
――あれだけの魔力を有しているのに。
それでもまるで自信なさげなダグに、レグルスは不思議な生き物を見た気分になった。しかし自信がない人間に何かをさせるのは、不確定な要素が含まれるだけだ。それならば元からひとりで何とかするほうがいい。
「わかった。ここは俺が何とかするから、ダグは自分の目的を遂行してくれ」
「え、俺の目的って……?」
「犠牲を出したくないんだろ?」
そこまで言えば分かったのか、ダグは「あっ」と声を漏らしてから頷いた。ミーズ神の注意をこちらに向ければダグは祭壇の上にある『人間が入っているかもしれない麻袋』を救出して逃げることができるだろう。そうすれば犠牲を出さないという目的をダグは達成できるし、レグルスからすれば余計な枷がなくなるというわけだ。だからレグルスはミーズ神と神官の注意を引くために大げさに声を張った。
「食べた『骨』は美味かったか? ひとつ、いいことを教えてやる。俺も『骨』を持っているぞ」
この言葉に反応したのは神官の方だった。ミーズ神に人の言葉など届かないのだろう。元から届かないのか、『骨』を取り込んでしまったゆえに届かなくなったのかは分からない。しかしレグルスは神官の注意が引ければ十分だった。
神官はミーズ神に力を注ぎたがっている。ならばレグルスが『骨』持ちであることを知れば、レグルスを食わせようとしてくるに違いない。なにしろ『骨』はとんでもない力があるのだ。祭壇の上にある捧げものを喰らうよりも、『骨』を持つレグルスを丸呑みしたほうが良いのは明白だった。
「『骨』を持っていると自ら言うなんて……どこから来たのか知らないが間抜けなのか? しかし『骨』を運んできてくれたのには感謝する。有効活用した後に、ダーナ様に献上しよう」
「……なるほど。そのダーナとやらも『骨』を欲しがっているのか?」
「ダーナ様の御名を邪教徒が気安く呼ぶな! ミーズよあの男を殺して喰らえ!」
「…………」
レグルスは神官の言葉や挙動を見て、考える。やはり神官は自ら動く気がないようで、ミーズ神にやらせるつもりのようだった。レグルスはそれをなぜだろうと思うも、ミーズ神がまた胸を膨らませたので溶解液を避ける用意をした。先ほどの一撃とは違い、今度は溶解液の塊が3つほぼ同時に飛んでくる。レグルスはそれが当たらないように最小限の動きで避けた。その間も神官の様子を伺うが、向こうもじっとレグルスを伺っているだけだ。
――もしかして神官は戦えない状況なのか?
戦闘能力がないという可能性もあったが、レグルスが想像したのは『なにか術を展開しているゆえに戦うことができない』というものだ。神官が先ほどミーズ神に命令をし、ミーズ神もそれに反応しているのを踏まえると、ミーズ神に対してなんらかの術を行使している可能性があった。
――ちょっと言葉が通じるような状態ではなさそうだからな……。魔術で操作をしているのかもしれない。
レグルスはふむっと頷きながら、解析魔術を組んでいく。ミーズ神を倒すだけならば、ごり押しで魔法を放てばすぐに終わるだろう。しかしそのために周囲の森を吹き飛ばすわけにはいかない。集落の人間がいい顔をしないだろうし……それとレグルスには、どうにも嫌な予感があった。
――神官はミーズ神の肉体が壊れるのを承知で力を注いでいるようだが……なぜだ?
それがどうしても気になるのだ。せっかく作った神が壊れてもいいのだろうか。それとも壊れるとは思っていないのか。しかしそれも魔術で状態を解析したら分かるかもしれないと、レグルスは解析魔術を展開する。するとレグルスが魔術を展開したことに気が付いたらしい神官は、再び杖を前に出して振った。その様子を横目でしっかり見ていたレグルスは、ミーズ神は神官が操っている線が濃厚だと思いながら解析魔術で得た情報を読み解いていく。
――ええっと……掛けられている術の構成はっと……。ちょっと見たことない部分もあるが……ある程度は解読できそうだ。
ミーズ神の体内に巡っている魔術の痕跡を見てそう思ったが、同時にミーズ神が羽を飛ばしてきた。レグルスは高速で飛来する羽と、崩れている足場と、ミーズ神に掛けられた術のすべてを判別しなければならない状況にちょっとばかり冷や汗が出る。
「おっ……と!」
「レグルス!」
ダグの声にレグルスは全て避け終わってから、ちらりとそちらを見やった。するとダグは広場の入り口のほうにいて、肩には人を抱ぎあげている。質素なワンピースらしきものを着ているので、どうやら女性が捧げものにされようとしていたらしい。生きているか死んでいるかまでは分からないが、この場にあった憂いがこれで消えるとレグルスはホッと息を吐いた。
「ダグ! そのまま行け!」
「お、おお!? わ、わかった! 俺が戻るまで死ぬんじゃねえぞ!」
「え? 戻って来るのか?」
自分は戦えないと言ったのはダグなのに、戻ってくるつもりがあるのは何故なのか。レグルスは不思議だと思いながら、次に来た攻撃を大きく走って避けた。このまま避け続けても事態は好転しない。ひとまずスタックしておいた魔術の中から、足止めに使えそうなものをミーズ神に向けて放つ。すると放った雷撃は直撃し、ミーズ神はぎちぎちと体を震わせて僅かに固まった。発動も早く、避けにくい魔術を使用したのは確かだが、それにしても避ける様子すらなく、あっさりと攻撃が当たったのにレグルスは拍子抜けしてしまう。
――いや、待てよ。簡単に当たりすぎじゃないか?
そう思ってレグルスはもう一度攻撃を試みることにした。今度はあえて魔術を組み上げ、見た目だけ派手にして威力を極少に抑えた火球を放つ。弾速も落としたので、この攻撃は普通避けようとする動作があるだろうと思ったが、ミーズ神は避ける様子をひとつも見せず、むしろ突っ込んで火球にぶち当たりながらも溶解液を吐きだしてきた。
レグルスは攻撃を避けると、ミーズ神に掛けられている術の解析、解読に注力する。どうやら神官は本当にミーズ神を長く維持するつもりがないらしい。体が壊れかけているとはいえ、『骨』を取り込んだミーズ神を手放すような行為をなぜするのか。
――普通に考えれば不自然だが……ミーズ神に掛けられている術が『壊れると発動する術』ならば話は別だ。
レグルスは激しくなっていく攻撃を避けながら、ひたすら術の解読をする。何も知らずに事を成すなどできない。ミレイの願いを叶えることはもちろんだが、協力者として力を貸してくれたエマやダグの不利益になるようなことは避けたい。そのためにはやはり、情報は多く欲しかった。
「先ほどから避けてばかりだが……どうした? もう魔力が尽きたのか?」
「…………」
神官が挑発するようなことを言っていたが、レグルスはそんなものどうでもよかった。特に他者の評価を気にする性格ではないし、プライドというものもそこにはない。そしてちょうど魔術の解析が完了したのだ。神官の目論見は分からずとも、ミーズ神が何をできるかは理解できた。理解できれば、対策が練れる。
レグルスは解析魔術で得た結果から、新たに魔術を組んでいった。使ったことがない魔術を一から組み上げなければいけないが、知っているものを応用すればなんとかなりそうだった。レグルスは使ったことがない、初めての魔術を組み上げるのが楽しくて、思わず口元が緩む。攻撃を避けなければいけないので、没頭できないことだけが残念だったが、ほぼ組みあがってしまった今となってはどうでもいいことだ。とにかくすぐにでも魔術の実践に移りたい。
――よし、やるぞ。
レグルスは組み上げた魔術を発動させた。レグルスの周囲に大きく魔法陣が展開され、周囲が淡く光り輝きだす。手っ取り早く実行するために、発動時の魔法陣を隠す処理をいれなかったために明らかにこれから魔術を使うというのが分かってしまうが、向こうは『攻撃は当たってもよし』というスタンスなので問題ない。現に神官はレグルスが大きな魔術を展開しても余裕の態度を崩さなかった。しかしそのまま喰らうのは癪に障るのか、ミーズ神が今までで一番大きく胸を膨らませる。
――溶解液がくるな。直撃コースだが……防御魔術を展開できれば防げるはずだ。
そう思ってレグルスはその場から動かず、組み上げた魔術をミーズ神に向かって放とうとした。だがほぼ同時にミーズ神が攻撃をしかけてきたので、仕方なくレグルスは防御行動に移ろうとしたのだが――。
「レグルス! あぶねえ! 」
必死な声と共に視界が遮られた。庇うように立ちはだかったのはダグだった。レグルスは飛び込んできたダグに驚いたが、今はそこに注目すべきではない。なぜならミーズ神の攻撃はすでに放たれていたからだ。
――しまった……!
完全に防御に移るタイミングを逃してしまい、時すでに遅く、ミーズ神の放った溶解液はダグの眼前で『なにか』にぶつかって弾け飛ぶように霧散する。
「あっ」
「うぉおおおお! 怖ぇええええ!」
ダグは庇うために広げていた腕を縮こませ、棍棒を抱え込んで叫んだ。その姿は全くの無傷だ。それはそうだろう。ミーズ神の攻撃はダグに当たる前に消滅したのだから。しかしなぜ消滅したのかについてだが、一瞬だが確かにレグルスには見えていた。ミーズ神の攻撃があたる直前で、ダグが防護壁を張って防いだのだ。
「……ダグ、戦えないんじゃなかったのか?」
あんなに怖がっていたのに飛び込んできたなんて。やはり戦えないなんて嘘でだったのかと思いながらレグルスが声をかけると、ダグは涙目になりながら声を張り上げた。
「馬鹿っ野郎! 戦えるわけねーだろ!」
「?」
「俺は! 守ることしか! できねーの!」
はっきり、くっきりと力強く吠えるようにダグはそう言った。レグルスは呆気に取られて瞬きしたが、ダグの顔色は夜でも分かるくらいに真っ青だったので、嘘ではないのだろうなぁとぼんやり思うのだった。
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