第16話:北の森へ
玄関の前で最後の身支度を整え終えたフランは、ドアノブに触れようとしてそれを取りやめた。そしてまたなにか意を決したような顔をして、ドアノブに触れようとするも、すぐにまたやめてしまう。レグルスはそのフランの行動を隣で興味深く眺めていた。すでにフランはその行動を4回繰り返している。あと何回やれば満足するのだろうかとワクワクしながら心の中で数を数えていた。しかしそれはエマの言葉で終わりを迎えた。
「も~! おねえちゃん早くいきなよ! 集会に遅れちゃうよ!」
「そうだけど……エマ、本当に一人でいいの? やっぱりレグルスが行くんじゃなくて、ダグをうちに呼んだほうが……」
「平気だよおねえちゃん。ミレイちゃんも一緒だし!」
そう言ってエマは隣に立つミレイの腕に自分の腕を絡めたが、当のミレイはかなりぼんやりしていた。今にも眠りへと落ちそうなその様子に、フランは本当に大丈夫なのかと言いたげにレグルスを見てくる。フランとエマには、ミレイは特殊な体質で長時間眠ってしまう時があるとすでに説明済みだ。レグルスたちが森の外から来たからか、二人ともあまり不思議がりはしなかったが、実際によく眠るミレイを見ているとどうやらフランは不安を感じてしまったようだ。エマはミレイが神だと知っているので、きっとそういうものなのだと思っているのだろう。眠たそうなミレイにも普通に接している。
「大丈夫だ。この前も言ったが、これはミレイにとって普通のことなんだ」
「そうなのよね……分かってるんだけど……」
ううんと唸るフランに、エマが「二人とも本当に遅れちゃうよ」と言って急かしてくる。それにフランはようやく観念して頷き玄関の扉を開けた。外はもう陽が落ちていて、空には星空が広がっている。無数の銀河の中で、ひときわ輝いているのが月だ。丸々と太った月は明かりの少ない森を白く照らしてくれている。
「じゃあ、いってきます」
「いってらっしゃーい!」
エマに元気よく見送られて、レグルスとフランは家を後にした。これからフランはこの集落の住民たちによる集会へ向かい、レグルスはダグの元へ向かうことになっているのだ。
「レグルスはダグの家に向かうんだっけ?」
「そうだな」
「意外ね。いつの間に仲良くなったの?」
そう言いながらもフランは笑っている。最初フランに「ダグから招待を受けたので、夜に家を空ける」と伝えたときは驚かれたが、すぐに嬉しそうになったのだ。どうやらダグは人の家に行くことはあっても、自分の家に人を招くことはないらしい。だからフランは「ダグとレグルスが仲良くなってくれたら私も安心するわ!」と屈託のない笑みで言ってくれた。
しかし実際のところ、招待を受けたと言ってもダグの家に行くわけではない。途中で待ち合わせてダグと北の森へ侵入するだけだ。そして厳密にいうなら一緒に行こうとダグを誘ったのはレグルスで、ダグは嫌な顔をしながら、20分ほど熟考した後に承諾してくれたのだ。正直レグルスは行くか行かないを決めるだけで、なぜ20分もダグが迷ったのか分からなかったし、それほど迷うくらいならいっそ行かないことを選択すべきだと思ったが、余計なことは言わなかった。結局のところ、ダグは行くと決めたのだ。それはレグルスにとって都合のいいことだ。
「私はこっちだから。レグルス、ダグによろしくね」
「ああ、わかった」
レグルスとフランは集落の中心部近くで別れた。フランは集会所へ行くのだろう。その背中が見えなくなるまでレグルスは見送り、それからダグの家がある方面へ進む。神殿の池のほとりで待ち合わせても良かったが、忍び込むつもりである以上、誰かに見られるのは避けたかったのだ。なのでレグルスはダグの家の方面へ一度向かい、人気がないことを確認してから北上した。神殿がある北のエリアは、池に架かった橋だけが通路となるように他は柵で囲われている。どれほど柵で囲ってあるかは知らないが、大変なことだと思いながらレグルスは柵周りでダグの姿を探した。
「おい、遅いぞ!」
柵の周りではなく、向かいの茂みの中からダグは顔を出した。しゃがみこんで隠れていたらしいダグは、長い棒を不安げな様子で握りしめながらのそのそと出てくる。ダグが持っている棒は刃が付いていないので槍ではなく、ただの棍棒のようだった。先端はごつごつとした棘のようなものがついていて、反対側はつるりと丸いデザインになっている。レグルスはダグの持っている棍棒を上から下へとなんとなく眺めながら首を傾げた。
「そうか? まだ日が沈んでからそこまで時間は経ってないだろう?」
「馬鹿野郎! こんなところに一人で長時間いたいわけないだろ!」
ダグはそう言ってきょろきょろとあたりを見渡した。レグルスもそれに倣い、いちおう周囲を見渡すが誰の気配もない。この場には完全に二人しかいなかった。
「……よし、誰もいないな。まあこの時間なら集落のみんなは家に帰ってるか、集会所にいってるかだろ」
「それじゃあ予定通り始めよう。準備はいいか?」
「準備って言われても……俺はなんにもできないからな! ついてくしかできないからな!」
「その手に持っている棍棒はなんなんだ?」
「……いちおう、家にあった武器っぽいもの持ってきただけ……」
そう言って棍棒をぎゅうと握りしめて立つダグの足は若干震えている。棍棒はもはやダグがちゃんと立つための三本目の足となっているようだった。レグルスはダグの高い魔力を感じながら、不思議なものだと思う。その魔力を持ってして、何もできないはずがないだろうに……と内心では思っていたが、そんな問答をしている暇はない。さっさと侵入するに限ると気を取り直した。
「今頃は司祭と神官、そして集落の大人は祈りの準備を進めているんだな?」
「おう。満月の夜は司祭と神官は供物をミーズ神に捧げるんだ。それで住民たちは神の血肉になってくれる捧げものたちに感謝を捧げるために集まる……ってね。急ごうぜ。今回、人間が供物の中に入ってるかは知らねーけど……いたら助けてやらないとな」
「賛成だ。まずは身を隠すための魔術をかけるぞ」
レグルスはすでに道中で組み上げていた魔術を自分とダグにかけた。これで周囲の風景に姿を溶け込ませることができる。透明になる魔術もあったが、必要となる魔力の消費が大きいので、森という周囲に紛れこみやすい環境を利用しようと、魔力消費が少ない迷彩魔術を選択したのだ。
「いいぞ。これで周囲に見つかりにくくなった」
「……本当にかかってるのか? 違いがよく分からねぇんだけど……」
「かかっているぞ。だが、俺たちだけは通常通りお互いが見えるようにしてあるからな。残念ながら迷彩になっているという確認は難しいな」
「かかってなかったらどうすんだよ……怖え~」
ダグは自分の腕や足をしげしげと観察していたのをやめると、息を吐いた。そして「うしっ」と言うと、辺りを警戒しながら池のほうへと向かっていく。その肩は強張っていて、一歩踏み出すごとに周囲を見渡すのであまりに奇怪な動きだった。警戒をしているのだろうが、一歩ごとに周囲を確認しながら進んでいたら夜が明けてしまう。
「ダグ、急ぐぞ。時間がない」
「わかってるよ! ……ところでこれ、俺たちの姿が周囲に見えないとして……声はどうなってんだ?」
「それは普通に聞こえている状態だな」
「え……困らないか? 会話できないってことじゃねーか」
「そうだな……じゃあ、別の魔術を追加でかけるか」
レグルスはそう言ってすぐに魔術を組み上げた。簡単に会話ができればいいので、お互いの半径2メートルに陣を展開し、ドーム状のバリアを作る。それは一瞬だけ光り輝き、すぐに空気に溶けるように見えなくなった。ダグは口を開けながら、足元から頭上まで包み込んだバリアを見ていたが、消えたと同時に口を閉じて正面を向く。そして今のは何だろうと言いたげにレグルスを見た。
「いまのは?」
「俺を中心に、半径二メートル以内の音を外に漏らさない魔術をかけた」
「へえ~じゃあ、お前の近くにいれば喋っていても平気ってこと?」
「そういうことだが、特に他者を遮断する効果はないから……半径二メートルの中に誰かが入ってきた場合は会話をしないほうが良い」
「なるほど……」
ダグはそう言って遠くに見える池を見た。池に架かる橋の前には集落の男が二人立っている。満月の日はミーズ神に供物を捧げる大事な日であるため、誰も神殿に入ったりしないよう見張りとして集落の男が駆り出されているらしかった。
「なあ、橋を渡るんじゃなくて、この柵を乗り越えるんじゃダメなのか?」
「ダメだ。柵にはなんらかの術がかけられている。侵入者に罰を与えるものか……侵入を術者に知らせるものか……。なんにせよ、柵を超えるのはリスクがある」
「となるとやっぱり……正面からか」
「そのための迷彩魔術だ。行くぞ」
レグルスはそう言ってさっさと歩きだした。ダグのペースに合わせていたら時間がかかって仕方がない。レグルスが早足で進んでいると置いていかれたのに慌てたのか、駆け寄る足音がする。そして近くまでくるとぼやくように「置いてくなよ!」と小声が聞こえた。防音魔術を使っているので小声にする必要はないのだが、心理的にやはり不安があるのだろう。レグルスは特に返事せず、目の前に差し掛かった橋のほうを見つめていた。返事をしたらしたで、声が聞かれるのではないかとダグの心理的不安が増大し、パフォーマンスが下がると思ったからだ。
「「…………」」
橋の目の前には見張りが二人、つまらなそうに立っている。レグルスとダグは言葉を発せずにお互いの顔を見合わせると、頷きあってから歩き出した。見張りの間を通り抜け、橋を踏んでいく。コツコツと橋の上を歩く音がしているが、見張りに気が付いた様子はないので防音の魔術が聞いているのが分かる。
「はー……本当に見えてないし、聞こえてないのか……」
「そうだな。安心したか?」
「おお、まあ……少しは?」
二人はお互いが聞こえる程度の声で話をしながら北の森へと入っていった。防音の魔術は内側からの音は遮断するが、外からの音は遮断されない。だから東や西、南の森を探索した時と同様に鳥の声や虫の声がするだろうと思っていたが、実際には木々が風に揺れるだけの音しかしない、静かな場所であった。
「やけに静かだな。獣や鳥がいないのか?」
「あー……そうかもしれねぇな。 鳥や獣もあんな化物が住み着いたら逃げるだろ」
二人はそのまま神殿へと向かい、中へ入った。静まり返った夜の神殿にダグは「ひぇ~不気味~」と言っているが、レグルスは特に不気味だとは感じない。昼の神殿と大差がないだろう。そんなことより司祭と神官の姿を探すほうが先だったので、きょろきょろとあたりを見渡す。するとホールの右側にある扉が中途半端に開いているのが目に入った。なぜ半端に開いているのだろうと思いながら中を覗くと、廊下の奥の方から声が聞こえてくる。
「どうだ。準備はできたか?」
「は、はいっ! 今回の分はすべて荷車に乗せております……!」
「よし、では祭壇に運べ」
「は、はい……」
レグルスとダグはその会話を聞いて、お互いを見た。どうやらダグも同じことを思ったらしく、変な顔になっている。
「なあ、いまの会話さぁ……」
「どうやら捧げものを運び出すようだな。ついて行けばミーズ神がどこにいるか分かるかもしれない」
「いや、それはそうなんだけど、そこじゃなくて……いまの会話って司祭と神官だったよな? なんか……神官の方が、めちゃくちゃ偉そうじゃなかったか?」
「……そうだな」
ダグの言う通り、いまの会話は司祭と神官のものだった。姿は見えなかったが声がそうであったし、命令を出していた側の声は神官のものだった。神官に媚びるような声を出していた司祭の態度を考えるに、どうやらあの二人の力関係は実際と表向きでは異なるらしい。
「……立場の違いに関しては気になるが、神官のほうが要注意なのは元から変わらない。司祭よりも神官のほうが圧倒的に魔力が多いんだ」
「えっ、そうなの!?」
「ああ。とはいえ司祭は神器を持っている。どんな効果があるかも分からないから、そちらはそちらで注意する必要があるな」
「注意するものが多すぎるだろ~」
「……どうやら移動するようだ。行くぞ」
嘆くダグを促し、レグルスは二人の後をついて行く。廊下の奥には外へとつながる扉があり、こちらは大きさを考えると裏口だろう。会話にあった供物を載せた荷台はその裏口の前に置かれていた。外にある道は荷台が通れる程度には舗装されているようで、緩やかな下り坂の石畳が森の奥へと続いている。捧げものが載った荷車は司祭ひとりで引いていき、神官はまるで興味がないとばかりにさっさと神殿のホールの方へと引き換えしていく。 その様子をレグルスとダグは裏口の傍で黙って見ていた。司祭や神官は二人に気が付いた様子はない。
――さて、どちらについて行くか。神官も気になるが……目的はミーズ神だ。供物のある場所に現れるはずだから、ここは司祭について行こう。
レグルスはそう決めると、歩く速度を落とした。なにしろ大量の供物が乗った荷車を押しているのは司祭一人だ。明らかに人手が足りていないせいで進みが遅い。どれほどの距離を運ぶかは分からないが、汗を垂らしてヒーヒー言いながら運んでいる姿はなんとも居た堪れなかった。
「ひえー重そう」
「手伝ってやったら早く進むだろうが……気付かれるリスクが高い。静観するしかないな」
なにしろ荷台の上にある捧げものにはなんらかの魔術がかけてあるのだ。誰かがかけた魔術の上に、別の魔術の重ね掛けをする気にはならない。荷車にかかる重力を軽くしてやればサクサクと進むのは分かっているが、万が一なにかが起きたら今回の調査が台無しになってしまう。
――捧げものをするのが満月の度だというなら、長期保存を可能にする魔術でもかけてあるのかもしれない。まあ、黙ってついて行けば案内してくれるんだから、大人しくついて行こう。
そう思いながらレグルスは捧げものが乗った荷車を眺める。どれも袋に入れられていて中身は分からないが、ひときわ目立つ大きさの袋があってレグルスは目を細めた。全長150センチ前後の『なにか』が入った麻袋。横幅は40センチ程度のようだ。まるで人ひとりが入っているような大きさで、レグルスはふむっと左手の指を口元に当てて考えてから、一応伝えておこうとダグに声をかけた。
「ダグ、あそこの全長150センチ程度ありそうな袋が見えるか?」
「え? 袋?」
「人が入っているかもしれない」
取り乱さないでほしいと思いながら、レグルスが嫌な可能性の話をするとダグは表情を歪めて麻袋を見た。飛び出して確認するようなことはなく、司祭が運ぶ荷車をじっと見つめているだけだ。
「え、どうするんだ? 人なら助けたいんだけど……」
「……そうだな。そもそも人であるか、人であっても生きているか……その辺は分からないが、中身は確認したいな」
「どうやって?」
「残念ながらいま動くのは得策じゃない。捧げものは祭壇とやらに運ばれるようだからそこまで行ってみて、チャンスがあれば……になるな」
「ぐぅぅ~……」
ダグは苦悶の表情で唸り声をあげたが、最終的には頷いた。たいへん物分かりが良くて助かると思いながら、レグルスは司祭の行く先を見つめる。すると前方のほうに木々がなく、開けた場所があるのに気が付いた。司祭が進んでいる道は一本道だ。この先はどうやら行き止まりの様子で、間違いなくあそこが目的地だろう。
「ダグ、先回りをしよう」
「え?」
「どうやらあそこが目的地のようだ」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます