第15話:レグルス、親睦を深める②

 満月の夜あたりに誰かが死ぬと言ったダグの声は軽い調子だったが、膝の上に乗せた手が僅かに震えていた。平静を装っているのだろう。ダグの身の内にあるのは恐怖か、はたまた憎しみか。

 

「あーでも定期的って言ったけど、毎回のように人が喰われるわけじゃないぜ。満月のたびに人を喰ってたら、いくらミーズ神が10年くらい前に来た神でも、集落から人がとっくに消えちまうからな」

「えっ」


 思ったよりミーズ神の浅い歴史にレグルスは驚いた。神殿の古さから考えて、もっと昔からこの森で崇められているのかと思ったがそうではないらしい。ダグは火から鍋をどかすと、湯を沸かすためかケトルを置いた。そしてガリガリと頭を掻くと、じっとレグルスを見て言う。


「あいつは突然この森に現れたんだ。たぶん、外から来た。んで、同じ時に現れた司祭と神官が『ミーズ神』って呼ぶから、まあ……神なんだろうなって感じだよ。正直、俺はあいつを全く信じてない。」

「つまり10年前までは司祭と神官どころか、ミーズ神までいなかったのか?」


 ダグはレグルスの言葉に頷くと、背中を丸めて手のひらを組んだ。そして前かがみになり、言葉を探すようにしてミーズ神について語る。


「あの鳥が神の座に収まったのは、司祭と神官がこの森に来てからだ。そもそもこの集落はあいつらが作ったものなんだよ」

「住民も連れてきたのか?」

「住民は元からいた。この森は最初、集落らしい集落はなかったんだ。森のあちこちに何軒かのグループがある程度で、だいたいは親族でそれぞれ狩場を維持して暮らしてたんだよ」

「縄張り争いは起きなかったのか?」

「なかった。この森は恵みがすごいだろ? 飢えることなんてないくらい潤沢に食べ物があるから、グループ同士で獲物を求めて争う必要もない。むしろ物々交換したりとか、穏やかな交流があったくらいだ」

「ふむ」


 この森の豊かさはレグルスも承知している。春夏秋冬、すべての季節の植物や作物が実っているのは把握済みだ。それが『なぜか』と考えた時に、可能性としては厄災後に地上が『そういう環境になった』もしくは『なんらかの神の力が働いている』のどちらかだろうとレグルスは思っている。しかし気温や湿度を考えても、前者は無理があった。可能性として高いのは後者のほうであり、森に影響を与えているのはミーズ神だろうと予想していたのだが、それはどうやら違うらしい。


「それにしても……」

「ん?」

「やたらに詳しいな? ダグの歳は知らないが、子供の頃の話だろう?」

「ああー……そうだな……。まあこの話はあれよ。知り合いの話から詳しく聞いた感じなんだわ」

「知り合い? ここの住民か?」

「そーそー! そんなとこ! それよりミーズ神のことだけどよ、あいつが現れる直前に、森の住民が怪我したり病気になったりすることが一斉に起きたんだ!」


 明らかに話題を変えたような気もするが、脱線しかけた話を戻したともとれる。レグルスはダグに追及することなく、頷き返して話の先を促した。


「そんで司祭や神官が森に現れて『この森は邪神に犯されている。ミーズ神を信仰し、その力を借りるためにそれぞれの家が人の肉を捧げれば、この災厄から森は守られる』って言ってきたんだ」

「それをみんな信じたのか?」

 

 助けてもらう代わりに、生贄を差し出すのは重い対価ではないだろうか。豊かな森で生きていた人間には難しい選択だろう。そう思ったレグルスに、ダグは「うーん」と言いながら、少し上の方を見る。明らかに思い出しているような様子に、レグルスは黙って続きを待った。


「……半々って感じだったかな。信じるやつもいれば、疑うやつもいた。でも疑ったのはだいたい怪我をした家だったんだ。病にかかったほうは目も当てられないくらいすぐに衰弱していった。体力がないとすぐ死んじまう。先にミーズ神への信仰を決めたのは、病にかかったほうの家だった。それにあの時に求められたのは『人間の肉』だったけど、生きている必要はなかった。すでに死んでしまったやつを利用すれば良かった」

「なるほど」

 

 生者の肉ではなく、死者の肉でもいいならば、対価の敷居としては低くなるだろう。とくに病のほうはどれほど重病化は不明だが、苦しさから逃れたい不安に心が支配されるに違いない。


「信仰を示したグループがひとつ出たらあとはすぐだった。治った連中が自発的に他の連中を説得しに回ったからな。交流があって、それぞれ知り合いだったのが悪かった。知人の苦しみをみんな放っておけなかったんだ」

「ミーズ神の評価が高かったのか。まあ、確かにすでに助けられず死んでしまったものを差し出すだけで生き残れるとしたら、生存戦略としては間違っていないな」


 たとえその病と怪我がミーズ神側の策略だとしても、覆す力がなければどうにもならないだろう。虐げられても種を繋ぐために降るしかないことは人同士の争いでも当たり前に起こることだ。

 

「まーな。それでだいたい半分くらいはミーズ神の信徒になるのを決めた。残り半分は……フランのとこの親父さんとお袋さんが切っ掛けだったなぁ」

「フランの『おやじさん』と『おふくろさん』?」

「おお」

「すまない。単語の意味が分からない。フランの……なんだろうか?」


 急に分からない単語が出て、レグルスは首を傾げた。ダグは一瞬変な顔をしたが、レグルスが外から来たことを思い出したのだろう。「あー……フランの父親と、母親ってこと」と言い直したので、レグルスはなるほどと頷いた。どうやら単にスラングだったらしい。


「ちなみに話が逸れるが……『おねえちゃん』は姉、もしくは若い女性を呼ぶ言葉で、『おにいちゃん』は兄、もしくは若い男性を呼ぶ言葉で間違いないだろうか?」

「え? まあ、それであってるぜ?」

「そうか、感謝する!」


 ずっと誰かに確認したかった推論が聞けて胸がスッとした。疑問が解けるのも、推論が正しかったことを知るのも気持ちがいい。新しいスラングも覚えたので、これからも下界ならではの言葉を覚えていきたいとレグルスは楽しい気持ちになった。だからそのまま、にこやかな状態でダグに続きを促した。


「それで、フランの父親と母親がどうしたんだ?」

「あー……フランの親父さんは森で一番の猟師だったんだ。腕っぷしも強かったし、みんなからは一目置かれてたってわけ。そんな親父さんが正体不明の『なにか』にやられたってのが、ほかの連中に堪えたんだよ。親父さんでもダメだったなら、誰も敵うわけないって……」

「なるほど」

「んで、ダメ押しの様にフランのお袋さんが、親父さんを助けるために自分をミーズ神に差し出しちまったんだわ」

「ということは……夫の傷はそれほど深かったってことか?」

「そう……じゃないかな~? 俺はその……人づてに聞いた話だからな~?」


 なんだか怪しい言い方であったが、その点は置いておくとしてとレグルスは当時の状況を頭の中で整理した。正直、命に関わるほどの傷を負った人間を差し出したほうが良いのではないか思ったが、すぐにそうでもないかと思い直した。ダグの話ではフランの父親は森一番の猟師だ。フランの母親は自分が生き残るよりも、夫が生き残る未来のほうが後の生活は苦しくならないと踏んだのだろう。しかし――。


「母親が身を差し出したのはなぜだ? 確かエマが産まれてすぐの頃だろう? 成熟した大人よりも、何もできない赤子を犠牲にした方が利益は大きいと思うんだが……」

「おい。それ、二度と言うなよ」


 ダグの硬い声に、レグルスは息を止めた。じりじりと浴びせられる強力な魔力に、どうやらダグを不快にさせたらしいことが察せられる。

 

「ここだけの言葉にしとけ。フランと……絶対にエマには聞かせるなよ」

「……そうか」


 レグルスはハッとした。赤子を差し出したほうが生活は楽になるのだと分かっていても、母親がそうしなかった理由なんて明白だ。それは単に『できなかった』からに過ぎない。自分が腹を痛めて産んだ子供をどうして神に肉として捧げられようか。レグルスは我が子を庇う尊い母性に、胸が熱くなり、苦しい気持ちになって胸を押さえた。


「……すまない。俺が愚かだった……」

「え、愚か!? そこまでは言ってねーよ! まあ、でもエマには事故で死んだって言ってあるし、話題に出すなよ!」

「……ということは、フランは知っているということか?」

「……知ってる。だって今はアイツが家長だし……親父さんもそのつもりでフランに狩りの仕方を叩き込んだんだからな。ちゃんと全部、事情は知っているぜ」


 つまりフランが司祭に対してぎこちないのは、言ってしまえば母親の仇がそこにいるようなものだからだろう。あちらとしては負傷した父親を助け、邪神から家族を守る加護を与えているという立場なのだろうがと考えて、レグルスはふと疑問が浮かんだ。


「そういえば、邪神っていうのはどうしたんだ? ミーズ神に倒されのか?」

「いや、ぜんぜん。今もいる」

「いるのか?」

「いる……っていう話だよ。ミーズ神はその邪神から俺たちを日夜守るために森を飛び回っている。俺たちはそんなミーズ神のために、捧げものをしろ……っていうのが、向こうの設定」

 

 吐き捨てるようにそう言ったダグは、やはりミーズ神を信じていないどころか嫌悪をしているのだろう。来訪したばかりの余所者に助言を与えるくらいだ。正直、集落の人間が間引かれるくらいなら、余所者を代わりとして生贄に差し出したほうがいいだろうにと思いながらも、レグルスはダグの親切さがちょうどいいと穏やかに微笑む。


「ダグがミーズ神を信じていないのは分かった。では他の住民たちはどうなんだ?」

「さーあ? 表向きはみんな従ってるけど……内心じゃ恐怖心や嫌悪があるだろ。邪神を鎮める力が必要だからって、定期的に人間の肉を求めてきてたけど、最近はそのペースが速いし……。おかげで集落から爺さん婆さんがいなくなった」

「この村に老人がいないのはそういうことか」

 

 ダグは頭が重たそうに頷き、沸いたらしいケトルを手に取った。木でできたカップにお茶を注ぐと、2つあるカップのうち1つをレグルスに寄こしてくる。レグルスはそれを黙って受け取ると、湯気を軽く吸い込んだ。芳醇な香りがするこの茶葉も、森の恵みで作られたものだろう。ミーズ神という他所の神が現れて森を闊歩しても、この森の豊かさは変わっていないのかもしれない。


 ――どちらにせよ、森の恵みとミーズ神が無関係なのはありがたい。これならミーズ神を殺してもなんの問題ないな。


 レグルスはそう思いながらお茶を一口飲んだ。舌先が熱を感じるが、まるでちっぽけなことだ。しかしダグは猫舌なので今度は驚かさないようにと、ダグがコップから口を離すのをしっかり見てからレグルスは言った。


「情報提供に感謝する。ミーズ神を殺しても住民は困らないことが分かったのは非常に良かった」

「……まーあ、困るやつはいないだろうな。……本当に邪神がいたら困るかも知んねーけど」


 ダグはそう鼻で笑った。しかし全くもって邪神という存在を信じていない様子だった。向こうの言い分を全く信じていないダグに、その根拠はどこからくるのかと思ったが、話が脱線するのでレグルスは追求しなかった。ミーズ神の正当性について議論する価値はレグルスにない。ミーズ神が本当に力を揮い、この集落を守っていたとしてもレグルスには関係がないのだ。


 ――ミレイに『骨』を持って行ってやらないとな。ミーズ神がどんな神でも、殺さなければ。

 

 『骨』を持って行った段階で対話をする余地はない。『骨』に興味を持った段階で危険なのだ。ここで『骨』を取り上げたとしても、次にまたどこかで『骨』を集めようとするかもしれない。そんな何度も手間がかかるくらいなら、殺してしまったほうが楽だ。


 ――まあ、魔力の質を見ても間違いなく敵意を向けてくるだろう。変にまごついて集落への影響を広げるより、さっさと殺したほうがいい。


 レグルスは殺すという意思がより強く固まり、満足げに頷いた。そして一人きりでもいいけれど、できれば協力者がいればありがたいと、散歩に行くように気軽な様子でダグを誘った。


「ところでダグ。君も一緒にミーズ神を殺しに行かないか?」

「は?」


 ダグは素っ頓狂な声をあげたが、レグルスには予感があった。ダグは間違いなく、手を貸すだろうという予感が。


 

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