第13話:予言者
「よーし! 今日もお洗濯がんばるぞー!」
そう言って家のそばにある川岸で腕を伸ばして張り切るエマを、レグルスは微笑ましく眺めていた。しかし眺めているだけではダメだ。家事を取り仕切るエマの指示のもと、手伝いをするのがレグルスの役目である。フランはあまり手伝いなどは気にせず、好きに過ごしてくれても構わないと言ってくれているが、レグルスは積極的にエマの手伝いをしていた。
理由としては情報収集が目的だ。この森のことはだいたいフランから聞いたが、森の外についてはあまり知らないようだった。フランが知らないとなればエマも同様で、フラン以上の情報が出てこないのは分かっているものの、レグルスはエマからある話を聞きたくてずっと機会を伺っているのだ。
「お天気が良くて気持ちがいいね!」
「そうだな。洗濯物もよく乾きそうだ」
「うん! お洗濯日和だよね! あっ、折角だからシーツとかも洗っちゃおうかなぁ?」
どうしようと迷うエマに、レグルスは穏やかな表情を意識して作りながら言った。
「取ってきたらいいんじゃないか? 俺は先に洗い始めておくから」
「いいの? じゃあ、おにいちゃんお願いね」
エマは洗濯物が入った籠をレグルスの前に置き直すと、手を振って家へと戻っていった。レグルスはエマが家の中に入ったのを確認すると、穏やかな表情を真顔に戻して洗濯物が入った籠を見下ろす。この家は暮らす人間が倍になったのだ。洗濯物の量も以前より増えているのだろう。レグルスは「よしっ」と気合を入れるとエマがいないのをいいことに、川の水を魔術で浮き上がらせる。そして水の球体を創り出すと、そこに洗濯物を放り込んでいった。エマが四人分のシーツや枕カバーを持ってくるまでにある程度は洗っておきたい。レグルスは洗濯物が入った水の球体の中に、追加の魔術で汚れを落とす成分を投入した。これで最後に球体の中に回転する渦を作りだせば、洗濯魔術が完成する。実は一瞬で汚れを吹き飛ばす魔術もあるが、濡れていないと怪しまれるから水流で洗う方法を採択していた。
――この森に来てだいぶ日が経ったが……一向にエマから予言の話がでないな。
フランから聞いた、エマが受けたという予言。それは精霊からの予言ではないかという話だったが、今のところエマからその話題は出たことがない。新密度を上げて警戒心を解けば、話が出るのではと思ったが、エマがレグルスのことを『おにいちゃん』と呼んで慕った様子を見せても話してくれる素振りはなかった。
――仕方ない。そろそろこっちから切り出すか。
あわよくば向こうから話題にしてくれないかと期待していたが、やはり欲しい情報は聞き出すほうが早い。エマから信頼を寄せられている自覚はあるので、レグルスはそろそろ踏み込んだことを聞こうと決めた。こうして考えている間も、目の前で洗濯は進んでいる。レグルスはそろそろ洗いあがっただろうかと魔術を解こうしたところ、背後から「わぁ……!」という声が聞こえ、慌てて振り返った。
「すごい……! 魔法だぁ……!」
背後にいたのはエマだった。戻ってくるのが早すぎないかとレグルスは思ったが、エマの手にはシーツどころか枕カバーもない。取りにいったはずなのに手ぶらなのはなぜなのかと、魔術を見られてそれどころではないのに、レグルスは思わずエマに聞いてしまった。
「エマ、シーツはどうしたんだ? 取りに行ったんじゃなかったのか?」
「あ、シーツはないの。ほら、まだミレイちゃんが寝てるからやっぱり今日はいいかなって……それより! これ! これって魔法!?」
「……そうだな。魔法みたいなものだよ」
厳密に言うとレグルスが使うのは魔術だが、ノットーにおける魔法と魔術の区別を下界における区別が一致しているか分からなかったので、ひとまずエマの言葉を肯定した。瞳を輝かせていたエマは、レグルスの答えにますます星を瞳に入れる。口元を手のひらで覆い、背筋を伸ばしているその姿は実に子供らしい反応だ。レグルスはエマのその様子を見て、口元に指を立てて言った。
「エマ、俺が魔術……いや、魔法を使えるのは秘密にしていてくれ」
「秘密なの?」
「そうだな。まだちょっと、秘密がいいんだ」
レグルスが秘密というのに、エマは周りを見渡した。誰もいないのを確認したのだろうか。自分しか魔法を見ていないのを確かめると、エマは口元にあてていた両手を握りしめ、大きく2回も頷く。
「わかった! 秘密にする!」
「ありがとう」
レグルスがそう言って魔術を解いた。水は川に戻っていき、洗濯物はたらいに飛んでいく。勝手に空を飛ぶ洗濯物にエマはぴょんぴょんとその場で跳ねた。レグルスからすればなんてことのない魔術だが、エマからすると珍しいらしい。やはり魔術はこの森ではメジャーなものではないようだ。司祭は使っているようだが、それもあいまって特別なものなのかもしれない。
レグルスはうっかりエマに見られたことを反省して、ちいさく溜息を吐いた。エマは興奮していてレグルスの落ち込みには気付いていない様子だ。洗いあがった洗濯物を広げてその結果を確かめている。
「すごい! もう綺麗になってる! いつもなら洗うのにたくさん時間がかかるのに!」
「そうだな……」
「やっぱり、おにいちゃんは賢者様だったんだね……!」
エマのその言葉にレグルスはハッとする。エマは濡れた布をたらいに戻すと、レグルスの方に近づいてきて背筋を伸ばした。なにか囁こうとしているのだろう。レグルスはエマの身長に合わせて体傾けエマの口元に耳を寄せた。
「おにいちゃんが賢者様なら、ミレイちゃんが神様なの?」
「……どうしてそう思うんだ?」
「あのね、それはね……」
レグルスはエマから出た『賢者』という単語に疑問はなかったが、ミレイを『神』と称したのには引っ掛かりを覚えた。少なくともフランの話に『神』は出てきていない。レグルスに聞かれたエマは相変わらず小さな声でこそこそと喋っている。おそらく先ほど秘密にしてくれと頼んだからだろう。長引きそうなのでレグルスは片膝を地面につけて、エマの声に耳をそばだてた。
「フィンタンが教えてくれたんだよ。賢者様と七色をした神様が、賢者の島からやって来るって。そしてエマとお姉ちゃんを助けてくれるって」
「フィンタン……。それはエマに予言をくれた者の名前か?」
「そうだよ」
「そのフィンタンはどこにいるんだ? どんな姿をしているんだ?」
七色の神様というのはミレイのことで間違いないだろう。ミレイは髪、瞳、羽のすべてを含めれば確かに7色くらいありそうだった。そんな予知をし、それをエマに予言として渡す『フィンタン』という存在にレグルスは興味がそそられる。だからどんな精霊なのかと探りを入れると、エマは「ふふっ」と笑ってすぐそこにある川を指さした。
「そこの川に住んでる鮭さんだよ!」
「えっ」
「今日はいるかな? たまに誰かに獲られちゃってみるたいで、いないことあるの」
無邪気にそう言うエマにレグルスはつい怪訝な顔をしてしまう。誰かに獲られるなんてことがあり得るのか。獲られた後はいったいどうなるのか。鮭ということは食べられてしまうのか。
――鮭って魚だよな? 魚が予言をする……いや、精霊が宿っていたりするなら直接脳内に言葉を伝えたり――。
「なんと……ようやく来たか。賢者よ」
「!!」
「吾輩は待ちわびていたぞ……」
腹に響くような低い声がすぐ真横から聞こえたレグルスは勢いよく振り返る。すると川からなにか飛び出してきた。そのなにかは、大きく弧を描いて地面に落ちる。見るとそこにはビチビチと跳ねる大きな鮭の姿があった。
「鮭だ!」
「うむ。吾輩は鮭である」
びっくりして認識した事柄をそのまま口にしたレグルスに対し、鮭は落ち着いた声で肯定を返した。
「喋っている……。下界の魚は声帯を所持しているのか?」
「もちろんだ。鮭だって話したくなれば、話す時くらいある」
「フィンタン、噓つかないで!」
レグルスと鮭のやり取りに、エマが強い語調で入ってきた。エマはレグルスに向かって「フィンタン以外のお魚は喋らないからね!」と、騙されるなと言わんばかりに忠告を重ねてくる。レグルスは下界の魚が喋らないことに少しがっかりしつつ、地面に横たわる『フィンタン』という鮭を見た。
「君がエマに予言を授けたフィンタンか?」
「いかにも。吾輩がフィンタンである。そういう貴様は賢者であるな?」
「そうだな。僕は一応、賢者だよ」
己が下界で言うところの『賢者』に当てはまるかレグルスは分からない。だがフィンタンは『待ちわびていた』と言った。つまり何某かの目的が『賢者』に対してあるということだろう。予言をする魚の目的というものが知りたくて、レグルスはフィンタンの話に合わせた。
「そうか。では賢者よ。お主に予言を授けよう」
「予言……」
「うむ。賢者レグルスよ……『汝、王を目指し、古き神に安寧なる眠りを与えよ。さすればこの世は栄華を極めん。川に鮭は溢れかえり、食卓は大いに潤わうであろう……』」
レグルスはフィンタンのどこを見ているか分からない瞳を見つめた。前半はともかく、後半の予言はおかしい気がするのは気のせいなのか。しかしフィンタンの表情はいたって真面目な鮭であり、ふざけている様子はなく、びちびち跳ねている。レグルスはフィンタンの予言に眉を寄せて考え込んだが、考えても仕方がない。予言した魚が目の前にいるのだからと、フィンタンに説明を求めることした。
「その予言の意味は……」
「うっ!」
「どうした?」
「長くしゃべりすぎた……わ、吾輩の命はこれまでだ……!」
元気にビチビチ震えていたフィンタンだったが、どうやら時間経過とともに苦しくなったらしい。魚なのに、陸に上がったせいだろう。レグルスは唐突に訪れようとしている予言者の死にびっくりしたが、よく考えれば陸上にいるのが問題なのではないだろうか。
「苦しいなら、水に戻ったらいいんじゃないか?」
「吾輩の死に悲しむな……。これも、星が定めた運命だ……」
「だから水に……え、もしかして水に戻ってもダメなのか?」
レグルスの提案をまるで聞いていないような反応をするフィンタン。もしやもう聴覚が死んでいるのか。それとも水に戻る体力が残っていないのかもしれない。レグルスはひとまず水に戻してやろうと思い、フィンタンを拾い上げようとしたが、それよりも早くフィンタンに最期がやってこようとしていた。
「吾輩の最後の願いだ……。どうか、どうか吾輩のことは美味しいカルパッチョにして……うら若き乙女の血肉に……ぐふぅ」
「あっ」
沈黙をしたその様子に、フィンタンが死を迎えたのが分かった。レグルスは死んでしまったフィンタンに、これはどうしたらいいのかとエマを見れば、エマはいつの間にか持ってきていたらしい食材を入れる籠にフィンタンを拾って入れてしまう。そして穏やかな表情でフィンタンだったものを眺めながら言った。
「今日のお夕飯は何にしようか」
「……エマ。フィンタンが死んでしまったんだが……」
「うん。フィンタンっていつも予言すると死んじゃうの。でも大丈夫だよ。また別の鮭さんとして生まれてくるから」
「……なるほど?」
予言したから死んだというよりも、水の外に出てくるから死んだのではないかとレグルスは思ったが、エマの反応からして当たり前のことなのだろう。どうやらまた現れるという話なので、レグルスは特に指摘しなかった。
――予言をする鮭か……。また生まれるということは……誰かが意識を鮭に潜り込ませているのだろうか?
驚いてなにも調べなかったが、魔力を持っている可能性が高い。次に会う機会があれば、その時こそ調べようとレグルスは決めた。
「今日のフィンタンは大きいね。なに作ろうかなぁ。あっ! そうだ! おにいちゃんがミルクを貰ってきてから鮭のグラタンでも作ろっか! おねえちゃんの好物なんだよ!」
「……いいんじゃないか?」
フィンタンの希望であるカルパッチョではないが、フランが食べるなら願いの一部は叶うだろう。つやつや光り輝く新鮮な体なのに、その瞳はもう何も映さないフィンタンを眺めながら、レグルスはエマの提案を肯定した。
――それにしても、まさか魚が喋るとはな。まあ、砂上を泳ぐ魚もいたくらいだし……あっ。思い出した。そうだ……あの砂漠を生きる魚! ノットーの生物化学研究所の資料で見たんだ! 確か……下界が荒廃し、海に生物が存在しない場合の食糧手段として開発された砂魚だ! 一度で多くの食料供給ができるよう、やたら巨大化させられていたんだったな。でもそれ本体が肉食で、生態系を壊す恐れが大きいって理由で開発放棄されたって書いてあった気がする。いつの時代の資料だったか……。俺たちの世代どころじゃなく、もっと前の世代の資料だったような……。
「ねえ、おにいちゃん……」
「ん? なんだ、エマ?」
地上にいた巨大魚がノットーで見た資料の中に存在したかもしれない事実に行き当たり、思考に耽っていたレグルスだったが、エマに呼びかけられて振り向いた。エマはもう動かないフィンタンとレグルスをちらちらと見てくる。なにか言いたげなその様子に、レグルスはなるべく柔らかい声を出すように気をつけながら、屈んでエマの視線に合わせてもう一度問いかけた。
「どうした?」
「えっと……おにいちゃんはその……ミーズ神様を倒しちゃうの?」
「えっ」
「フィンタンが予言してたでしょ?」
少し上目遣いになりながらそう言うエマに、レグルスはどう返事をすべきか迷った。この森はミーズ神が治めている。司祭はミーズ神から力を借りている可能性があり、住民たちはその司祭から恩恵を受けて生きているようだ。
――この森で生きるのには神が必要なのか? 『骨』を取り戻すには、ミーズ神を殺すほかないと思っていたが……エマやフランは困るのだろうか。ミーズ神を殺した場合のシミュレーションが上手くできない。情報が不足している。
「……神様を倒していいのだろうか? それは良くないことなんじゃないか?」
フィンタンの予言もどれほど真に受けていいのか分からない。自分たちがここにやってくることを予言したのは事実だが、すべてを鵜吞みにするのはどうなのか。
――フィンタンの企みもわからないしな。まさか鮭の繁殖が目的なわけないだろうし……。
そんなことをレグルスが考えていると、エマは急に不安そうな顔になり、縋るような眼差しを向けて言った。
「た、倒して! お願い!」
「えっ……ミーズ神をか?」
「うん! 倒してほしいの! じゃないとおねえちゃんとエマは……来年には……死んじゃうってフィンタンが……」
エマは泣きそうな顔でざるの中で横たわるフィンタンを見つめた。どうやらフィンタンはエマに死の予言もしていたらしい。それをいつ聞いたかは分からないが、きっとフランには話していないのだろうとレグルスはなんとなく思った。
「なるほど……そうだったのか。死の予言をされるなんて怖かっただろう。エマの気持ちは分かった。フランとミレイのためにもなんとかなるよう頑張ってみるよ」
レグルスがそう言うと、エマはパッと明るい顔をする。なんとかするということは、話の流れから考えると神を殺すということだ。それに罪を感じないのだろうかとレグルスは興味深くエマを見つめながら、いま思いつきましたというように、「そうだ」とわざとらしい声をあげた。
「エマに協力してほしいことがあるんだ」
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