第10話:豆の筋取り

 司祭との面会が終わり、レグルスたちが帰途につく頃にはすっかり陽が落ちていた。自然の光源は月明かりしかないので、家屋から漏れ出る明かりを頼りに歩く。レグルスとフランは行きよりも時間をかけて帰ってくると、エマとミレイが待つ家の扉を開けて中へ入った。

 

「ただいまー」

「ああ、戻ってきたんだ。ご苦労さま」


 フランの挨拶に返事をしたのはミレイだった。ミレイはなにやら作業をしているらしく、椅子に座ってダイニングテーブルに向かっている。手元をよく見れば、どうやらマメ科の植物のさや取りをしているらしい。


「あれ、ミレイだけ? エマとダグは?」

「二人なら奥の部屋にいるよ。掃除をするって言っていたかな」

「ああ、なるほどね。ありがとう。ちょっと様子を見てくるわ」


 フランはそう言って奥の部屋に向かっていった。レグルスはミレイの横に立つと、せっせと作業している白い手を見つめる。テーブルの上にある容器には筋取りされた豆がたくさん入っていた。

 

「それは?」

「エマに頼まれた豆の下処理ってやつ。食事に使うらしいよ」

「へえ」

「レグルスもやる? やるなら手を洗っておいで。料理は手を洗ってからするものらしい。エマがそう言ってた」


 自分はすでに知っていますというように、ミレイはふふんと笑った。レグルスはそれに頷いて、手を洗う場所はどこかと部屋を見渡す。するとミレイが「キッチンに水場があるよ」と言うのでそちらへ向かった。キッチンには確かに水が流れている設備があった。どうやら水道が完備されているらしい。どこから水を引いているのだろうかとレグルスは興味深く思いながら手を洗った。そしてミレイのいた場所へ戻ると、隣の椅子に腰を掛ける。ミレイが作業する手元を横から観察して、レグルスも見よう見まねで豆の筋を取る作業を始めた。


「それで? どうだった?」

「ミーズ神には会えなかった」


 唐突な切り出しだったが、ミレイが聞きたいことなんて限られている。レグルスはさらりと返事をしながら、筋取りした豆を容器に入れた。


「ふーん。司祭は? そっちには会えたんだろう?」

「司祭は魔力が少ない人間だった。ただ……神器と思われるものを持っていたな」

「ミーズ神がそいつに与えたってこと?」


 レグルスは司祭が放った術式に込められた魔力と、ミーズ神らしき禍々しい魔力の質の違いに眉を寄せた。司祭が使った術に込められた魔力は禍々しくなかった。あの杖を媒介にミーズ神から魔力を直接もらっているとしたら、魔力の質が濁っていてもおかしくない。しかし過剰な濁りはなかった。もしかすると神器を通した結果、濁りが浄化される可能性もあるが、それもなにか違う気がするとレグルスは首を傾げる。


「いまのところ分からないな。だがミーズ神は神殿より奥の森にいる可能性が高い。折を見て、忍び込んで様子を伺ってみようと思う」

「その辺はレグルスに任せるよ。僕が行くと、神々しすぎて勘づかれるかもしれないしさ」

 

 ミレイのその言葉にレグルスはそういえばと気がつく。ミレイはかなり力を抑え込んでいるようだった。骨を飲み込んだ魚を狙ってミーズ神があの場に現れたというのなら、確かにミレイの存在は刺激になるかもしれない。


「レグルスも近づくなら見つからないようにね」

「わかってるよ」


 そう言ってレグルスは最後の豆の筋をとった。ボウルに豆をいれると、やることをなくしたミレイがそっとレグルスの背中に手を這わす。その途端にじわりと温かさが内側からこみ上げ、みるみるうちに背中の痛みが消えていくのをレグルスは感じた。


「治ってないじゃないか。司祭ってやつは治療してくれなかったのかい?」

「いや、してくれたが……腕が劣っていたからな。ミレイの作った傷に込められた魔力を打ち破れなかったんだ」

「なるほどね。まあ、僕に勝てないのは仕方ないか。……はい、これで治ったよ」

 

 ミレイはそう言ってレグルスの背から手を放した。にっこり笑うミレイにレグルスも微笑む。そして二人で正面を向いて真顔に戻った。正直、することもなく手持無沙汰である。ここで待っているべきなのか、それともフランたちがいる方へ行くべきなのかと考えていると、奥にいた三人が戻ってきた。


「二人とも、部屋の用意できたわよ」

「部屋?」


 フランの言葉の意味が分からず、レグルスは聞き返した。するとフランは「二人が寝る部屋よ」と当たり前のように言う。その言葉に驚いた声をあげたのはダグだった。


「えっ!? あそこ二人で使うのか!? ベッドひとつしかなかったじゃん! うっそ、破廉恥!」

「うるっさいわね! 仕方ないでしょ、元は父さんの部屋なんだから!」

「いやでもうら若き男女がひとつのベッドでって……え? お前らやっぱりそういう仲なの? なんだよ……! 折角のカワイ子ちゃんはお手つきだったのか……!」

「下品なこと言うんじゃないの!」


 目元に腕を当てて泣きまねをするダグの頭を、フランが勢いよく叩いた。フランの顔は赤いが、怒っているようだ。目じりを釣り上げているその姿に、ダグの発言のどの部分に怒ったのかとレグルスは首を傾げる。そしてミレイが女であると思われている誤解をそろそろ解いておくかと思ったが、レグルスが何か言うよりも早く、二人を宥めるようにエマが割って入ってしまった。


「まあまあ、お姉ちゃんもダグ君も落ち着いて。そうだ! お風呂沸いてるからお姉ちゃんとミレイちゃんで入ってきたら? 夕飯できるまでにまだ時間かかるし」

「え、私も夕飯作るの手伝うわよ!」

「いいのいいの。これはエマの仕事だもん」

「でも……」

「いいじゃん、ふたりで入って来いよ。初めての家の風呂なんて勝手が分からなくて困るだろ」


 迷ったフランの背を押したのはダグだった。ダグは先ほど騒いでいたのをすっかり忘れたように、のんびりした様子で椅子に座っている。その姿を見るに、ダグがこの家にいるのは普段から当たり前なことなのかもしれないとレグルスは思った。

 

「そう……ね。じゃあ、そうさせてもらうわ。ミレイ、一緒に入りましょ!」

「いいよ」

 

 ――いいのか。


 風呂を共にすることをミレイが了承するなら、レグルスとしては止める理由はない。ノットーにも風呂という文化があり、レグルスもミレイに付き合って一緒に風呂へ入ることはあった。しかし魔法で体と衣服を清潔にするほうが圧倒的に早いので、ノットーで風呂を利用する人間は少なかったが。


 ――俺はミレイに誘われない限り使わなかったが……ミレイは風呂が好きでよく入っていたな。だからフランの誘いに乗ったのかもしれない。


 風呂に入ることが決まった二人は廊下の奥へと消えていった。レグルスはそれを見送ってから、性別について訂正する機会を逃したことに気が付いた。会話を挟み込むタイミングというのは難しいものなのだなと考えながら、豆の入ったボウルをエマが回収していくのをレグルスは眺める。


 ――まあ、でも風呂に入れば分かることか。流石に服を脱げば、ミレイの性別がわかるだろう。


 自分が訂正しなくても、真実は伝わるとレグルスは気楽に構えていた。正直、ミレイの性別についての正誤よりも、ダグに質問したい気持ちの方が強かったのだ。だからエマが「パントリーに食材とってくるね」と部屋を出て行ったことに、これはチャンスとレグルスは意気込む。しかしこれまでも会話の主導権を取られてきたレグルスは、ここでも出遅れてしまい……ダグの方が一手早かった。


「なあ、聞きたいんだけどさぁ」

 

 そう話しかけられ、もしかして自分は会話が下手なのだろうかと思いながら、レグルスはダグのほうへ目線を向けた。するとダグはにっと笑ってからレグルスの肩に腕を乗せる。そして程近い距離だというのに、かなり抑えた声量で耳打ちをしてきた。


「もうミレイちゃんとは寝た?」

 

 ――質問の意味は分かるが意図が分からないな。


 瞬時にレグルスはそう思ったが、ダグはソワソワしてた様子で「ど、どうなんだ?」と返事を催促してくる。レグルスは少し考えて、首を傾げながら答えた。


「寝たことならあるな」

「あるのか!?」

「ある。よく一緒に寝ていた」

「ま、マジかよ! やっぱりそういう関係なのか……」


 ――ん? そういう関係ってなんだ?


 レグルスはダグの言っていることがよく分からなかった。しかし言葉通りに捉えるならば、レグルスとミレイは『よく一緒に寝ていた』のは確かだ。子供の頃からの友人なのから、ミレイの遊びに付き合って、そのまま一緒に昼寝をしたことはあるし、本格的な睡眠をとったこともある。だがそれはノットーでの出来事だ。下界では友人同士が一緒に眠ることは異常なことなのかもしれない。しかしよくよく考えるとダグとは知り合ったばかりなので、自分とミレイが友人同士だと知らないのかもしれないという可能性をレグルスは思いついた。確かに友人同士でもなく、一緒に眠るのはおかしいかもしれない。レグルスもミレイ以外と眠ったことはないのだから。


「俺とミレイは友人だからな。仲がとてもいいから、一緒に寝るのは当たり前なんだ」


 だから何も変なことはないと頷きながらレグルスはそう言ったが、ダグはさらにギョッとした顔を見せた。そして口元を覆いながら信じられないものを見るような目を向けてくる。

 

「えっ……嘘だろ……? 友達だから当たり前って……そんなの爛れてるじゃん……」

 

 嘘と言ってきたダグに、今度はレグルスが驚いた。なにが爛れているのか。そもそもミレイと寝たことがあるかと聞いてきたのはそっちなのに。そうレグルスが考えていると、ダグはレグルスからあからさまに距離をとった。なぜだか分からないが、その応対はとても不名誉なことをされたような気分がした。だからレグルスは若干目を細めて非難の眼差しを、ダグに向ける。しかしダグはレグルスの眼差し謎どうでもいいのか、独り言のようになにか言っていた。

 

「外の人間ってそうなの? 友達と寝るのって当たり前な世界なの? 倫理観どうなってんの?」

「なぜいきなり倫理観を問うんだ?」

「ええー……無自覚なのかよ。これって俺の感覚がおかしい? 世の中の流れについていけてない感じ?」

「?」


 レグルスとダグは嚙み合わない会話に、二人して見つめあって首を傾げた。レグルスはダグがなにか勘違いしているのではないかと思ったが、なにをどう勘違いしているのか分からない。これはどういう風に質問すれば疑問が解けるのかと考えていると、廊下の向こうから悲鳴が上がった。

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