第9話:ミーズの森の司祭

 司祭のいる神殿は池に架かる橋を渡った先にあった。それは均等に切り出された石を積み上げて作られており、美しいステンドグラスがはめ込まれている。壁面は苔むし、植物のつるも這っていて、どうみても作られてから、かなりの年月が経っている様子だった。だが使えないほど劣化はしていないようで、これを設計した人物と組み上げた者たちの技術の高さが窺い知れる。レグルスは集落で見た家屋の建築様式と、この神殿の技術力がだいぶ異なるのに気がついた。もしかしたら神殿は元からあり、集落はかなり後にできたのかもしれないとしげしげ眺める。


「この神殿は昔からあるものなのか?」

「え、神殿? さぁ……? 昔からここに住んでいるわけじゃないから、特にそういう話って聞かないのよね」

 

 フランは慣れた様子で神殿の入り口へと歩きながらそう言った。レグルスは地面にはった木の根で足を取られないように気を付けながら、フランの後をついて行く。


「最近になってこの辺に住みだしたのか?」

「最近ッてほどじゃないけど……10年くらい前に来たのよ。お母さんが死んじゃった後にね」

「ということは、元は別のところに住んでいたのか? 家の中のものはずいぶんと歴史を感じたが……」


 十年前に移り住んできたというには、家具などに年季が入っていた。もっと長く使われてきた物だろう。集落に移り住んで、誰かに譲られたものだろうかとレグルスは思ったが、フランは軽い調子で「ああ! 違うの」と笑う。


「あれは前の家から運んできたのよ。移り住んだって言っても、この森には住んでいて、私たちは森と砂漠の境目辺りに住んでたんだ。だから全部運んだのよ」

「同じ森に住んでいるとはいえ、砂漠の境目からすべての家具を運ぶのは大変だったんじゃないか?」

「うーんそうかもね。でも集落の男の人が総出で手伝ってくれたから」


 フランはそう言って神殿の中に入っていく。フランについての情報は増えたが、神殿に関してはあまり知ることができなかったとレグルスは少し肩を落とす。だが本命のミーズ神に仕える司祭とやらにはこれから会えるのだと、レグルスはわくわくしながら石造りの神殿の中に踏み込んだ。すると入り口をくぐってすぐに、白地に黒の刺繍が入ったローブを着た人物が立っているのが見えた。目深にかぶられたフードによってその容貌は分からない。その人物はフランとレグルスを見ると、静かに頭を下げた。


「お待ちしておりました」

「すみません、お待たせしちゃって」

「……司祭様が奥でお待ちです」


 そう言って奥の扉を示す人物は司祭と同じく、ミーズ神に仕える人間だろうか。疑問に思ったレグルスは小声でフランに質問した。

 

「フラン、あの人物は誰なんだ?」

「ん? ああ。あの人は神官よ」

「ふうん……」


 すんなりと帰ってきた答えにひとまず納得する。レグルスはその人物を興味深く眺めたが、フランに「行くわよ」と言われたので、後ろ髪を引かれる思いで歩き出した。

 

 ――あの人間も魔力が高いな。この集落は魔力の高い人間が生まれやすいのか?

 

 レグルスがちらりと後ろを振り返れば、ローブを着た人物はレグルスとフランを黙って見送っている。やたらに伸びた背筋と見えない表情になぜか不気味さがあった。射貫かれるような視線を向けられているからだろうか。


 ――俺が余所者だからか?


 レグルスは背後が気になりながらも、司祭が待っているという奥へ向かった。神官であの魔力ということは、司祭はもっと高い魔力を有しているのかもしれない。そう思いながらレグルスは石造りの神殿の中を歩いていく。中は外と比べてしっかり手入れがされていた。かび臭さや湿気もなく、清潔感がある。灯された明かりは原始的にたいまつを利用しているため少し暗かったが、歩く分にはなにも困らない。レグルスはフランについて行き、ホールへと辿り着いた。

 そこにはいくつものステンドガラスが壁に飾られていて、奥の壁面にも丸く作られたステンドガラスがはめ込まれていた。沈む夕日の光が窓から差し込み、床にステンドガラスの影を作っている。ホールの奥の壇上には片手をあげた乙女らしき象があったが、その像は頭部が欠けていて、背にある羽も片側が欠け落ちていた。

 

 ――羽の生えた乙女か。森の神をイメージしたものだろうか?


 ミーズ神の姿は怪鳥そのものなので、あの像とは似ても似つかない。美化しすぎではないだろうかと思いながらも、レグルスは周囲の様子をしげしげと見る。ホールは広く作られているが、あの怪鳥が入れるような入口はないので神はここには来ないのだろう。無理矢理入ったらどこかに大穴があるはずだ。ということは神に仕える司祭と言っても、ここは神と接触する場所ではなく、信仰心を高めるためにあえて用意している場所なのかもしれない。

 

「ちょっとレグルス。あんまりキョロキョロしないで。司祭様の前よ」


 フランが小さな声で言ったが、ホールの天井は高いので思った以上に声は響いていた。レグルスはフランの言葉に司祭がいたのかと前を向く。すると確かに象の前に背の小さな中年の人物がいた。衣服は金の糸で刺繍の施された白いローブを着ており、被っている帽子にも同様の刺繍が施されている。確かに徳の高い様子は演出されていた。しかしレグルスはその司祭を見て、想像を裏切られたと言葉を失う。


 ――驚いたな。魔力がずいぶん低い……。


 解析の魔術はずっと発動させていたのだが、その術を通してみる司祭は実にちっぽけな魔力しかなかった。司祭であれば神から祝福の1つでも貰っているだろうと思っていたが、その様子は感じられない。言ってしまえば魔力はフランのほうが高いくらいだ。そしてさきほど会ったダグと比べたら、それこそ空を飛ぶ鳥と地を這う虫くらい違った。これで司祭と名乗っても住民への求心力はあるのだろうかと、新参者のレグルスが心配してしまうほどだ。しかしレグルスに心配されていることなど全く知らない司祭は「えへん」とわざとらしく咳ばらいをし、胸を張っている。


「ええ~チミがこの森に滞在したいという、砂漠からの来訪者かね?」

「はい。砂漠のほうから来ました」


 厳密にいえば空の上にある浮島からだが、最初に降りた地点は砂漠であり、そこから森へ移動したので間違っていないだろう。レグルスはじっと司祭を見つめると、司祭は居心地悪そうに視線をぐるりと巡らせ、再び咳払いをする。


「ええ~……本来であれば余所者を森に滞在させるのことは、歓迎すべきことではない。なぜならこの森を治めるミーズ神は、森の外にいる蛮族どもが大嫌いだからだ」

「なるほど」

「だがチミは幸運である。敬虔な信徒であるフランがチミのためにミーズ神へと供物を捧げる約束をした。その信心に免じてミーズ神はこの森にチミがいることをお許しになられたのだ!」


 腕を大きく広げ、大仰な様子で話す司祭であったが、レグルスは『供物を捧げる約束をした』という言葉にフランをちらりと見る。フランは黙って司祭を見ていた。その瞳は暗く、とてもじゃないが神を信望する敬虔な信徒には見えない。


 ――捧げものは持ってきた筈だが……足りないと言われたということか。ダグの言っていた通りだな。


 ダグは捧げものが獣の肉だけでは『足りない』とこぼしていた。一足先に司祭の元へと行ったフランは捧げものについての交渉をしていたのかもしれない。なんにせよ交渉は成立したようだ。どのような対価が追加で求められたかは分からないし、フランの様子を見ても教えてはもらえないかもしれないが、滞在は認められたらしい。


「ミーズ神の寛大なお心に感謝します」

「うむ!ミーズ神に多大な感謝をしたまえ!」

「はい。もちろんです。ところで……そのミーズ神に拝謁することは可能でしょうか? 滞在の許可への感謝はもちろんのこと、実はこの森へ入ったときに魔物と遭遇して、ミーズ神がいらしてくださったのです。ぜひ、感謝を直接お伝えしたいのですが……」


 これで対面できたら万々歳。できなかったらまた他の手を考えればいいとダメもとでレグルスは頼んでみた。司祭はレグルスの言葉にぽかんとした顔をしたが、すぐに真っ赤になり、ぶるぶると震えだした。


「け、け、けしからん! 身の程知らずめ! ミーズ神とお会いしようなど甚だ図々しいわ!」

 

 司祭は怒った様子でそう言ってぶんぶんと腕を振った。その様子にフランが「ごめんなさい司祭様! レグルスは外から来たから、森のことをよく知らないんです! どうか許してあげてください!」となだめ始める。どうやらミーズ神とは会えないらしい。もとから期待をしていなかったので、別に構わない。


「大変、失礼しました。先ほどの言葉はどうかお忘れください」

 

 レグルスもさっさとこの場を収めたほうが良いだろうと頭を下げた。司祭はいまだ腹立たしそうにしていたが、その様子が実に面白いとレグルスは思う。ノットーにも感情がでやすいとされる人間がごく少数はいたが、この司祭は比べ物にならないくらい感情表現が豊かだ。偉そうであったり、驚いたり、怒ったりと忙しない。


 ――うん。嫌いじゃないな。


 もう少しこの司祭と話をしたくなり、レグルスはほんの少し笑ってしまった。それをどう思ったのか、司祭が再び顔をしかめると腕を掲げる。だがそれを遮るように、フランがレグルスと司祭の間に立った。

 

「司祭様! レグルスの怪我を治してあげてください! さきほどお話した通り、私を庇ってできた怪我なので……」

「うむ……そうであったな。敬虔な信徒を守ったことは、チミが外から来た蛮族であったとしても、正しきことと認めてやろう」


 司祭はそう言うと顔を歪めながらも、後ろにあった槍掛けから杖を取った。杖の材料は木であるようだが、装飾が彫られてあり、持ちやすいようにか布が巻かれていて、たなびく革ひもの先には飾りの石がついている。


「では、ミーズ神のお力を借りて、この私がチミを癒してやろう!」


 司祭はそう言うと杖を掲げた。その途端に司祭の魔力が増幅する。それにレグルスはなるほどと心の中で頷いた。


 ――神器があるのか。司祭本人に魔力が大してなくてもかまわないのはそれが理由か。


 司祭は「この者を癒したまえ!」と言うと、術を発動させた。するとレグルスにだいたい初級程度の回復魔術がかかる。体の回復速度を高める術式は簡素ながら威力は高かった。これは単純に媒介になっている杖の効果によるものだろう。術式で指定された分を超えた量の魔力が乗せられているのだ。


「はあ、はあ……げふ、げふんっ!……ええ~これで……はぁ……君は、完治した……。どうだ……。体が楽になった、だろう……」

「……はい、ありがとうございます」

「ありがとうございます! 司祭様!」


 魔術を発動させたことで体内の魔力が空っぽになったのか、司祭は肩で呼吸をしていて見るからに疲れた様子だ。魔力をどこかから調達しているようだが、発動時に自分の魔力も消費しているらしい。それは杖の特性か、はたまた司祭が杖を使いこなせていないのかは分からないが、とにかく魔術行使によって司祭はずいぶんと疲弊したようだった。この疲弊具合をみれば、たしかに治癒の対価を求めたくなるだろう。


「うむ……では……下がりなさい。ほら、さっさと……さっさと帰りなさい」


 しっしと腕を払った司祭は立っているのすら辛いのか、杖にしがみついていた。おそらく一刻も早く横になりたいのだろう。しかし司祭として威厳を保つためか、膝をブルブルさせながら立っている。レグルスは気にせず座ればいいのにと不思議に思った。体が限界を伝えているのだから、体面などより体調を優先すべきだ。座っても、横になっても、彼が司祭であることには変わりがないだろうにと思いながらも、フランに腕を引かれたので歩き出す。


「それじゃあ司祭様、ありがとうございました!」

 

 フランは言い捨てるようにして、レグルスの腕を掴んだまま走りだす。それに逆らうでもなくついて行けば、フランは神殿から一刻も早く出たいようでずっと走り続けた。それこそ神殿を出て、池に架かる橋を渡りきるまでずっと走っていた。


「はぁ……はぁ……」

「フラン、大丈夫か?」

「大丈夫、ちょっと全力で走りすぎちゃっただけ……。レグルス、息切れてないのね……。走るの得意だったりする……?」

「まあ、苦手ではないな」


 元から作りが違うので得意不得意という枠組みではない気がしたが、フランは知らないことなので、ひとまず適当にレグルスは返事をした。


「はー……私も狩りで森を駆けまわってるから、自信あったんだけど……」


 そう言ったフランはレグルスに向かって上から下へと視線を巡らせると、「治ってよかったね!」と大きな口を開けて笑った。その際にちらりと犬歯が見えた。その尖った歯を見ながらレグルスは「そうだな」とひとまず頷き返す。フランはどこか肩の荷が下りたというように、ぴょんぴょんと軽い足取りで跳ねるように家に続く道へと進んでいった。


「レグルス、帰りましょ。きっとミレイが待ってるわ」

「ああ」


 レグルスは前を向いて歩きだしたフランを見て、一度だけ後ろを振り返った。池向こうは変わらず禍々しい魔力がある。神殿よりさらに奥。北に広がる森の中から魔力を感じた。

 

 ――あの先にミーズ神がいるのは間違いない。どこかのタイミングで向こう側の森へ忍び込むしかないな。


 神殿にミーズ神の姿はなかった。おそらく神殿よりもさらに奥の森にいるのだろう。会うことはできないと司祭に言われたが、たまたま見かけてしまうことは仕方がないはずだ。レグルスは池向こうの森に迷い込む算段をつけながら、少し先で手を振るフランの元へ歩き出したのだった。




 

 

 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る