第8話:赤毛の男

「じゃあ、ここで少し待っていて。先に司祭様と話をつけてくるから」

「わかった」


 フランはそう言ってレグルスを門の前に置いていった。門は大きな池のほとりにあり、門をくぐるとその先には池を渡るための橋が架かっていた。レグルスが立っている側は集落になっており、池の向こうは鬱蒼とした森だ。背後には人の営みの気配がするのに、池の向こう側はとても静かだった。

 

 ――森の神がどんなものか一目見られたらいいと思っていたが……これは対面せずとも分かるな。『腐敗』している。


 レグルスは道中で編み上げておいた解析の魔術を発動させながら息を吐いた。解析の魔術はレグルスが立っている位置から指定の範囲までを解析する魔術だ。効果範囲は狭いほど得られる情報の精密さはあがるが、まずは全体を把握したいので範囲の指定は広く発動させた。


 ――うーん……森自体に魔力が巡っているな。地に根が這うように、地中から魔力がいきわたっている。森は広いからどこまで巡っているかは分からないが……魔力が濃く、禍々しいのは池の先だ。


 レグルスは池の先へと視線を向けた。解析の魔術からみるに、巨大な魔力が波打っていた。己の中の魔力を鎮めることすらしない、出しっぱなしの勿体なさだ。レグルスはその存在が、ミーズ神と呼ばれている怪鳥に違いないとあたりを付けた。


 ――魔力の乱れがすごいな。骨を取り込んだ影響かもしれない。そうだとしたら肉体が『骨』に適応できていないんだ。


 骨に適応できる強靭な肉体というのはノットーの歴史上でも最近できたものだ。最高傑作はもちろんミレイであるが、そこに到達するまでに数々の苦難と失敗があったとされている。『骨』がなんであるか知っているノットーですらそうなのだ。下界の生き物がとりこんで無事に済むはずがない。


 ――天文学的な確率で適応できる生き物もいるかもしれないが……ん?


 レグルスは近づいてくる魔力の塊に思考するのを止めた。そして解析の魔術を一度とりやめると、今度は効果範囲を狭めた設定に変えて再発動させる。すると二十メートルほど後ろにある木の裏に、誰かが潜んでいるのが分かった。それがなかなかの魔力の持ち主で、少し驚いてしまう。


 ――すごいな。ノットーにいてもおかしくないくらいの魔力があるぞ。


 先ほどの解析魔法でこの集落の人間には大小あるが魔力が宿っているのは分かっていた。この先に向かったフランにも量は多くも少なくもないが魔力がある。しかし背後にいる人間の魔力は集落の中でダントツに高く、安定していた。


 ――どこから来たんだ? 近づかれるまで気が付かなかったな。


 魔力の量が多いので、もしや司祭だろうかとレグルスは振り向いた。木の裏にいた人物は道へと出たのか、まっすぐレグルスの方へと向かってくる。レグルスは腕を組み、あえて視線を外した。だが隠した指先に念のため魔力を込めておく。これで攻撃をされたりしても、カウンターを仕掛けられる。思わぬ魔力の持ち主の登場にほんの少し緊張したレグルスだったが、その存在が十メートルほどの距離に近づいたところで「おーい」という声が聞こえたので振り返った。


「おーい、そこの兄ちゃーん」


 ――『にいちゃん』?


 レグルスはまた知らない単語が出て、首を傾げた。先ほど聞いた『おねえちゃん』の亜種だろうか。それともあの人物の活舌が悪くて、『おねえちゃん』が『おにいちゃん』に聞こえたのか。レグルスはひとまず先ほどエマに『おねえちゃん』と呼ばれていたフランを探してみるも見当たらない。それどころか周囲には己しかいないので、もしかしなくても自分を指しているのだろうかと、レグルスは声をかけてきた人物を見返して言った。


「もしかして俺を呼んでいるのか?」

「そうだよ! お前、お前!」


 軽く手を振りながら歩いてきたのは、へらへらと笑っている赤毛の青年であった。見た目の年齢はレグルスとさほど変わらない、十代後半~二十代前半といったところだろう。青年は髪を撫でつけ、つるりと出した額を軽く搔きながらレグルスの目の前で止まった。顔の位置はあまり変わらないが、だらりと気を抜いた姿勢をしていているので青年のほうがレグルスより背は多少高いだろう。着ている衣服は体よりも大きなものを着ているようで、ラフであった。とても強者に見えないが、魔力には一部の乱れもなく感心してしまう。

 レグルスは特に表情を変えずに、こっそりと青年の観察をしていた。青年はそんなレグルスを遠慮なく、上から下、右から左とじろじろ見てくる。そして「うんうん」と頷くと白い歯を見せて笑った。


「フランが拾ってきたっていう余所者ってお前だろ? なるほどねぇ、確かになんかこう……シュッとしてて強そうだわ!」


 頷く青年にレグルスは首を傾げた。確かに青年が言うように『フランが拾ってきた余所者』というのは間違いない。しかしそれをなぜこの青年が知っているのだろうか。なるべく人目につかないようにと、フランはこそこそしながらここまでレグルスを連れてきたというのに。


「おっ。もしかしてなんで自分のこと知ってるのかって顔してんな? ふふふ……このダグ様はなんでもお見通しなんだぜ? お前たちが砂漠から来たってことも知ってる」

 

 含み笑いで話すダグという青年に、レグルスはほんの少し眉根を寄せた。魔力量もさながら、情報が正確なのも不気味だ。しかしダグはレグルスが警戒したのに「ははっ、なーんちゃって」と笑い飛ばし、腕を頭の後ろで組んで背を伸ばした。

 

「フランが誰か拾ってきたってのはネリーさんに聞いただけだし、砂漠から来たってのはここに人間なら誰だって分かることだよ。だって人が往来できるのって砂漠側だけだし」


 安心しろと言うように種明かしをしたダグだったが、組み替えた足が若干震えている。それを見たレグルスはこの場で一番緊張しているのはダグであることを察した。恐らくフランが連れてきたという『余所者』がどういう人間なのか確認しに来たのだろう。それが誰かに命令されてなのか、ダグ本人の意思なのかはわからない。だが豊富な魔力を有するダグが強者であるのは間違いなかった。


「お前の名前は? あ、俺はダグね。さっきも軽ーく名乗ったけど」

「俺はレグルスだ。連れが一人いるが……そちらはミレイという名だ」

「ほーん。そういやとびっきり可愛い女の子が一緒だったってネリーさんが言ってたなぁ。その子はどこにいるの?」

「可愛い女の子?」


 レグルスは『可愛い女の子』と言われて誰のことだろうと思った。しかしネリーとフランは知り合いだ。そのことを踏まえると、該当するのはミレイだろう。ネリーはどうやら、ミレイを『女』だと勘違いしたようだ。


 ――確かにミレイは顔立ちが可愛らしいからな。


 ミレイは顔のパーツが整った作りをしている。髪の生え際から眉間の間、眉頭から鼻先の間、そして鼻先から顎先までもすべて均一なバランスだ。黒目も大きいので、美醜の価値観が文化的に定まっていない限り、好感と庇護欲が湧くような顔つきである。

 

 ――女性のサンプリングがエマしかいないためはっきりとは言えないが……ミレイは古の女神をモデルに造られているからな。顔立ちは女性に近いのかもしれない。

 

「可愛い女の子というのがミレイを指しているなら、フランの家にいるぞ。エマと留守番をしている」

「あ、そうなの? なんでお前さんは一人でここにいるんだ?」

「司祭へ面会しにきたんだ。この森は滞在するのに、司祭の許可がいるんだろう?」

「ほーほーほーん? なるほどねぇ。この森を通過じゃなくて、滞在するのかぁ……そーかそーか」


 ダグは頭の上で組んでいた腕をゆっくりと解くと、レグルスの肩に置いた。ほど近いところから覗くように見てくるダグにレグルスはちょっとびっくりする。しかしダグは実に真剣な顔をしながら言った。

 

「それはやめとけ。悪いこと言わねえから、そのミレイちゃんも連れて今すぐこの森を出るんだ」

 

 ひそめられた声量で言われた内容に、レグルスは興味が出た。許可がいるという点と、フランが人目を忍ぶ様子から、この集落は排他的な可能性が高いと思っていたが……なぜそこまで排他的なのかが気になってくる。


「差し支えなければ教えてほしい。どうしてすぐにでも森を出ないとだめなんだ? もうすぐ夜になる。朝を待ってから移動したほうが安全だと思うが?」

「バカ。このままここにいると……死ぬかもしれねえんだぞ」


 ダグは小声でそう言いながら、きょろきょろと辺りを見る。特に池の向こうを気にしているようだった。あの向こうに行ったフランはまだ戻ってきていない。


「死ぬ……とは穏やかじゃないな。どうして死ぬって分かるんだ?」

「……そりゃあ……」


 ダグはレグルスの質問に言い淀んだ。そしてレグルスの肩を掴んでいた手を離すと溜息をついて前髪を掻きむしり、地面に顔を伏せた。


「ミーズ神の好物は人間だからだよ」

 

 ダグはそう言って、レグルスを下から睨みつけてきた。その目は嘘を言っているようには見えない。しかしそれが本当だとして、どうしてダグはそんなことを教えてくれるのか。初対面の余所者にその事実を教えてやることはダグにどんな利益をもたらすのか。ダグは心優しく、知らぬ余所者でも死ぬことを哀れに思ってという可能性もあるが、ひそめられた声音から考えて、教えることはリスクがあるのだろう。


「忠告どうも。だがフランからそんな話は聞いていないな」

「俺の話が嘘だって言いたいのか?」

「嘘だとは思っていない。本当だとも思っていない。情報が少なすぎて、今の段階ではその話の真偽は決められないな」


 レグルスの回答にダグは不満そうに唇を尖らせる。そして繰り返すように「俺は嘘を言ってない」と宣言した。それにレグルスは分かっているというように頷く。だがダグの助言に従って森から逃げるわけにはいかない。なにしろここの神が『骨』を取り込んだ可能性が高いのだ。ミレイのためにも取り返さねば。


「……出たほうが良いと言うが、フランが滞在のための捧げものを用意してくれたから大丈夫だ」

「捧げものぉ?」

「ああ。獣の肉を持参していた」

「……そんなん、ぜんぜん足りねえよ」

 

 小さく呟かれた言葉にレグルスはおやっと思う。しかしダグが言葉を続けるより早く、木の板の上を駆ける足音がした。振り返ればフランが戻ってきたようで、橋の上を駆けてくる。背負っていた袋の存在はどこにもない。向こう側に置いてきたのか、はたまた袋ごと捧げられたのか。


「レグルス、おまたせって……あれ? ダグじゃない。こんなところで何してるの? あんた、神の池には近づきたがらないのに」

「いやー。ネリーさんにめっちゃ可愛い子が外から来たって聞いたから……ここにいたら会えるかなーって♡」

「ああ、ミレイのことね……。あの子なら私の家にいるけど……」

 呆れたようにダグを見上げるフランと、気安い態度をとるダグにこの二人は知己であり、それなりの親密さがあるのをレグルスは理解した。集落は広くなさそうなので、全員が知り合いでも不思議ではない。

 

「おっ♡ じゃあちょっくら、可愛いお顔を拝ませてもらいに行こうかなー♡」

「それはいいけど、変なことしないでよ! ミレイはうちが預かる子なんだから!」

「わかってますよーだ。あ、ついでに夕飯もご相伴に預かりますかねぇ~♡」


 ダグはへらりと笑うと手を軽く振り、来た道を戻っていく。フランは腰に手を当て、その後ろ姿に向かって「もう!」と言った。レグルスはダグの魔力に相変わらず変化がないのに着目していた。対面している間、ずっと同じ量であった。ほとんど変化のないそれに、もしかしたら何か術を発動させていたのかもしれないと推測を立てる。レグルスがじっとダグの背を見ていると、横に並んでいたフランが「あの……レグス……」と控えめに呼んできたので振り返った。


「なんだ?」

「その……ダグは不真面目っぽく見えるけど、女の子には優しいから! だからミレイに酷いこととかしないわよ!」

「そうか」

「……えーと、あの……もしかしてダグを引き留めるべきだった? その方がいいなら、私ちょっと走って連れ戻してくるわよ!」


 そう言ったフランにレグルスは首を傾げる。ダグの存在は確かに興味深いが、引き留める必要はない。夕食をフランの家で食べるという内容を言っていたので、司祭との面会後にまた会うことができるだろう。それにしてもフランもミレイを女だと考えているのに、レグルスは興味深さを感じる。


 ――フランもミレイのような可愛らしい顔立ちなのに、男と見抜けないものなんだな。まあ、わざわざ訂正して話が長引くのも良くないか。早く司祭に会ってみたいし。


 レグルスは己もフランに対して勘違いをしているというのに、それには気付かぬままひとまずミレイの性別については言及しないことにした。また機会があればで構わない。それに性別を誤認されていることに、レグルスは特別デメリットを感じなかった。だから今にも走り出しそうなフランに首を振って意見を否定する。


「特にその必要はない」

「……本当?」

「?」

「いや……だって、その……み、ミレイとは良い仲なんでしょ?……砂漠を二人で渡るくらいなんだから」


 コホンと咳払いをしてそう言ったフランにレグルスは固まった。それはなんとも慣用句らしきことをフランが言ったからだ。『砂漠を二人で渡るくらい』とはどういう意味であろうか。下界でその行為はなにか特別な意味をもつものなのか。『砂漠を二人で渡る』=『良い仲』という図式はなんなのか。


 ――良い仲って……仲が良いってことだよな? ミレイは俺のたった一人の友人だ。確かに仲がいいのは間違っていない。……慣用句の意味は分からないが、ここは話を合わせておこう。


「そうだな。俺とミレイは良い仲だ」

「やっぱり! そ、そりゃあそうよね! 当たり前よね!」

 

 フランは顔を赤らめながら、うんうんと頷いている。レグルスはフランのその様子に話を合わせたのは正解そうだと頷く。二人はうんうんと頷きあっていた。しかしフランはハッとした顔をすると「それならなおさら、ダグを連れ戻してくるわ!」と駆けていこうとするので、レグルスはその腕を掴んだ。フランの腕はミレイくらい細い。これであの豪速の矢が放てるのは不思議なくらいだ。間違いなくフランも魔力を使って矢を放っているのだろう。だが今はそれより、フランの意識を司祭との面会のほうに向けさせなければならない。だからレグルスは立ち止まって振り返ったフランに言った。

 

「待ってくれ。今は司祭のところに行ったほうが良いんじゃないか? 待たせるのは良くないだろう」

「……それもそうね。じゃあ司祭様のところに行って、早く家に戻りましょう。ミレイもレグルスの怪我のこと、心配してるだろうし」


 それはどうだろうか。ミレイが作ってくれた怪我なので、レグルスの活動にさほど支障がないのは分かっているだろう。そこに心配を注ぐことをきっとミレイはしない。恐らくフランとエマの家を物珍しさで見て回っているはずだ。


「ほら、行くわよ!」

 

 フランは池に架かる橋を早足で渡りながら、レグルスを呼んだ。そんなに急ぐ必要もあるのだろうかと思うが、司祭とやらの拝むのは楽しみなので、大きく一歩を踏み出す。レグルスは禍々しい生き物と化した怪鳥がいるであろうその先に、臆することもなく進んでいった。



 

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