第7話:家庭の事情②

「お待たせ、準備できたから行くわよ。エマ、悪いけど留守番お願いね」

「うん! わかった!」


 エマはパッと明るい顔を見せた。様変わりした様子はわざと明るく振舞っていて、フランに心配をかけまいとしているに違いない。レグルスはそう思ってから、自分の考え方にハッとした。


 ――エマとは知り合ったばかりだ。そう決めつけるのは早いだろう。……ダメだな。客観的に捉えなければ。


 信仰心によって、エマへ対して過剰な好感を持っていることにレグルスは気が付いた。これは由々しき事態である。自己都合からたった一人に偏った好感を向けるのは良くないだろう。下界にある文明レベルを見るに、ノットーのような繁殖方法が確立されていないのは間違いない。となれば人間は、通常の哺乳類の繁殖方法で増えていると推測できる。つまり母胎からの出産である。この世界には『母胎』を持つものがエマ以外にも数多くいるということだ。


 ――俺が信仰しているのは『母胎からの誕生』だ。あまり個人に引きずられるべきじゃない。……落ち着け。下界に来て、新鮮な体験を数多くして、俺はいつもよりおかしくなっているんだ。


 レグルスはノットーでは感じられなかった、強い心のざわめきに戸惑いがあった。この状態のままいるのはよい結果を生むとは思えない。手始めにすることは、己がいまおかしな状態であるという自覚を持つことだと、レグルスは腹の底に力を入れる。


「レグルス。どうしたの?」

「ああ、いや……なんでもない」


 覗き込んできたミレイの顔を見て、レグルスは目的を自分の中で反芻した。自分たちの下界での目的は『神の骨』の回収。『ミレイに力を与える』のが目的だ。


「行ってくる。ミレイはどうする?」

「僕は……ここにいようかな。そっちのほうが安全だろう。エマと一緒にいるよ」

 

 ミレイがそう言ってエマの頭に手を置いた。その眼差しは笑っていないが、ミレイがエマを殺す心配をレグルスは特にしていなかった。先ほどエマと対面した時のレグルスの態度をミレイは不快に思ったのは間違いない。だがレグルス不在時に殺すなんてことを、ミレイがするわけない。


 ――ミレイなら、俺が見てるところでやるだろうしな。


 友人だから分かる。ミレイはレグルスに遠慮をしない。不快なものはレグルスに見せつけて殺すに違いない。自分はこれほど嫌なのだとレグルスに伝えるためだ。だが逆に捉えれば、いないところでは殺さない。レグルスはひとまずエマの安全を確信して頷き、フランの意見を聞くために振り向いた。


「そうね……二人のほうがまだ心配じゃないか……。じゃあ、ミレイも留守番をお願い」


 フランはそう言って玄関を開けて外へ出ていったので、レグルスもその後を追った。外へ出てみると、太陽がずいぶんと低い位置になっている。昼だった空が、だんだんと日暮れに向かっているようだった。


「この感じだと、帰ってくるの夜になるかも」

「そうなのか。ところでその荷物はなんだ?」


 メインストリートに向かって歩いていくフランはいつの間にか袋を背負っていた。玄関を出る前には持っていなかったので、外に用意しておいたのだろう。フランの体躯には不釣り合いなほど大きな荷物を、レグルスは歩きながらしげしげと眺めた。それにフランはちらりとレグルスを見て、憮然とした表情で言う。


「これは……捧げものよ」

「捧げもの?」

「司祭様に怪我を治してもらうにも、滞在の許可を得るのにも、ミーズ神に捧げものが必要なの」

 

 その言葉にレグルスはフランの様子が変だったのはこれが原因だろうかと思った。対価が必要となるのなら、内容によっては気軽に司祭の助力は乞えないだろう。


「そうなのか。中身はなんなんだ?」

「うさぎ3匹分の肉と、キツネ2匹分の肉よ」


 それをレグルスが聞いても、捧げものとして適切な量なのか分かるはずがない。だが神に助力を乞う場合、対価を求められることについては不思議ではないと思った。それは神も何かを消費して傷を治すだろうからだ。ミレイだって神の御業を行使するには大量の魔力を消費する。だから治癒に対価を求めるのは適切だろう。しかし後者はなぜ求められるのか。森にいるだけで対価を求められるのはなぜなのか。


「捧げものの内容や数は誰が決めるんだ? 司祭か? それとも神そのものが決めているのか?」

「え? さあ……? 気にしたことないけど……捧げものをしなさいって言ってくるのは司祭様よ。でも司祭様以外、ミーズ神の声は分からないから、ミーズ神が言ってるんじゃない?」


 フランの返事の内容にレグルスは左手の指先を軽く唇に当てて、ふむっと考える。もしかしたら滞在に対する対価は神にとっては必要のないもので、司祭が決めた政におけるルールなのかもしれない。となれば、フランに無駄な捧げものをさせる必要もないだろう。レグルスの怪我はミレイに拵えてもらったものだ。あとでミレイに治してもらえばいい。


 ――森への滞在の許可だけは欲しいな。怪我の治療はどうでもいい。


「フラン。その捧げものは食い扶持としてフランが狩ったものだろう? 俺の怪我の治療は頼まなくていい。放っておいてもじきに治る。だが森には滞在したいから、そっちは頼りたいんだが……」

「なに言ってるの」


 フランは立ち止まり、レグルスの言葉を遮るように言葉を重ねた。その声音は硬く、レグルスはフランを不快にさせたことを悟った。フランは唇を引き結び、眉間に皺を寄せてレグルスを下から睨みつけている。


 ――下界の人間は思ったより感情が豊かなのかもしれない。ミレイにちょっと似ている。

 

 レグルスは明らかに怒っている様子のフランにそう思った。ノットーの賢者たちは澄ました顔の者が多く、腹の内をあまり表に出さなかった。神に仕える者として感情的になるのは良くないものだとされていたからだ。ノットーでころころと感情を変える様なんて見せたら、侮蔑の対象だろう。だがレグルスは奔放なミレイと長く居たので、感情的な様子は特に気にならない。むしろ変化に富んでいて観察する分には楽しいとさえ思っている。

 けれど今は観察して楽しんでいる場合ではない。下界のこの森で過ごすにあたり、フランは助力してくれる都合のいい存在なのだ。不快にさせることはなるべく回避したい。タイミングから考えて、フランが怒ったのは『治療を頼む必要がない』と言った点だろう。しかしそれでどうして怒ったのかまでは、レグルスには分からなかった。


 ――だがここは素直に謝意を伝えるほうが良いだろう。


 レグルスは動かすのが苦手な表情筋を何とか動かし、哀れっぽく見えるように取り繕う。そして許しを請うように両の手のひらを自分の前に軽く掲げて、フランに向けた。


「すまない。気に障ることを言ってしまっただろうか?」

「……」


 我ながら、なるべく申し訳なさそうなさそうに伝えられた。レグルスがそう思っていると、フランは呆れたような表情になり、溜息を吐いた。そして地面に視線を落とすと、小さな声で言う。


「怪我を甘く見ないでよ。……私の父さんはそれで死んだんだから」

「怪我の治療は頼まなかったのか?」

「……捧げられるものがなかったのよ。その時の、父さんには……」


 フランはそう言って下を見続けている。フランはレグルスより小さい。近くで下を向かれるとその表情が見えなくなってしまう。レグルスはじっと俯くフランが泣いているような気がして、そっと手を頭の上に乗せた。そしてゆっくりと撫でる。こうするとゲームに負けて散々と喚いた後に不貞寝するミレイの機嫌も良くなるのだ。


 ――泣いている場合に有効かどうかは未知数だが、頭を撫でられるのは心地がいいとミレイが言っていたからな。気分を良くする効果は期待できるかもしれない。


 そう思ってレグルスはフランの頭を撫で続けた。するとゆっくりとフランが顔を上げる。俯いていた顔が上がったという結果に、レグルスは効果があったかもしれないと喜ばしい気持ちになった。もちろん一度の結果で効果を決めつけることはできないが、気分が落ちた人間を見かけた場合は積極的に頭を撫でて検証を重ねれば、より効果が分かるかもしれない。そうレグルスは思ったけれど、上向いたフランの顔色は真っ赤だった。


 ――顔色がとても赤い。顔面の皮膚血管が拡張しているんだ。


 レグルスはその事象を認識できたが、原因は分からなかった。人間の顔面の皮膚血管が拡張し、血流量が増大する理由はいくつかある。運動や炎天下での作業でもなるが、いまはその状況にないので当てはまらない。となると興奮や羞恥など心理的な要素からの赤面が妥当であろう。だがレグルスはフランが赤面しているというのは良いことなのか、悪いことなのか判断がつかなかった。

 

「フラン。顔色が赤いが大丈夫か?」


 一応、突発的な発熱の可能性もあり得るので、ここは体調を心配する方向が良いだろうとレグルスは判断した。するとフランはますます顔色を赤くし、頭を撫でてくるレグルスの手から逃げるように一歩下がってしまう。


「大丈夫かって……いきなり何するのよ! 急に頭なんて撫でてきて!」

「すまない。嫌だっただろうか」

「嫌って言うか……なんで撫でるのよ! あ、頭撫でるとか、びっくりするでしょ!」

「フランが泣いているような気がしたから、元気になってもらいたかっただけなんだ。不快に思ったなら本当にすまない」


 森の神に奪われた『骨』を取り戻すためにも、フランの助力が必要だ。その下心から、レグルスはフランを不快にしたくはない。意地を張るつもりは元からないが、フランに対してはなるべく正直であろうと己の考えを素直に伝えた。フランに元気をだしてもらいたかったのは嘘ではない。フランの機嫌が良いと、レグルスとミレイの利益に繋がる可能性が高いからだ。


「別に不快だったわけじゃないわよ! ただ、こういうのは……そう! もっと子供とかにするものなの! 私みたいに大人相手にはしないものなの!」

「ここではそうなんだな。わかった。気を付けよう」


 レグルスは良いことを教えてもらったなと深く頷く。危うく落ち込む人を見かけるたび、老若に関わらず頭を撫でてしまうところだった。頭を撫でるという行為は子供に向けてする文化はこの森だけなのか、下界の常識かは分からない。しかし下界には下界の文化があるという当たり前の一端に触れられて良かったとレグルスは微かに微笑んだ。すると落ち着き始めていたフランの顔色が再び赤くなったが、俯いて泣いている様子もないので、レグルスは静観することにした。


「はあ……。まあ、ありがとね。びっくりはしたけど……確かに元気が出たかも」


 フランはそう言ってふふっと笑った。それは虚勢などではない本当の笑みのようで、ひとまずフランの機嫌が良くなる結果に落ち着いて良かったとレグルスはホッとする。そしてフランは怪我の完治を強く希望している事実も分かったので、治療の辞退は取りやめることした。


「そうか。そうだ怪我の治療のことだが――」

「治してもらうわよ。その怪我は私のせいなんだから、絶対に譲らないからね」

「この怪我はフランのせいじゃないが……分かった。治してもらう。その代わり、捧げた分以上の獲物が手に入るように手伝うことにするよ」


 治療を辞退しようとしたのは捧げものの量を減らすためだ。それが免れないなら、元の総量以上の成果をあげればいい。結果として動物の肉がプラスになればいいのだとレグルスは考えた。しかしフランは笑って首を振る。


「狩りの手伝いはいいわよ。これでも私、この森では凄腕なんだから! ……だから私よりエマの手伝いしてあげてよ。家のこと全部任せちゃってるし」

「どっちも手伝うけど……」

「私のことはいーの! エマをお願い!」

「……わかった。頑張るよ」


 やはり妹のことは大事にするものなのだろうか。それともこれはフランの特性なのか。どちらにしてもここはフランの提案に乗っておこうとレグルスはエマを選ぶことに了承した。するとフランはとても満足そうに頷く。

 

「……ふふ。まあ、そのためにも怪我を治してもらわないとね。さあ、司祭様のところに行きましょう」


 笑ってそう言ったフランの向こうには、沈む夕日が見えていた。

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