第6話:家庭の事情①

 「二人とも好きなところに座って」

 家の中に入るとフランが勧めてきたので、レグルスは暖炉が見える位置のダイニングチェアに腰をかけた。フランは二人暮らしだと言っていたが、それにしては家の中の物が充実している。暖炉の前には繊細な模様で織られた絨毯が敷かれ、美しい模様のカバーがされた長椅子まで置かれていた。テーブルと窓にはレースでできたクロスが掛けられおり、子供だけでこの持ち物は用意できるものなのだろうか。かつてから先祖がここで生きてきて、それを引き継いでいる可能性をレグルスは感じた。


 「レグルス、上に着ているものを脱いでくれる?」

 「ああ」

 レグルスはエマが箱を抱えて、キッチンのほうからやって来るのを穏やかな心で眺めながら、フランに言われた通り上着と中に着ているシャツも脱いだ。ミレイは家の中が気になるのか、リビングとダイニングをゆっくりと見て回っている。


 「脱いだが……これでいいか?」

 「うっ……!」


 むき出しになったレグルスの背中を見た途端、フランが声を詰まらせた。寄ってきていたエマも覗き込み、「ひゃあ!」と言って肩を竦めている。その表情はくしゃりと中央に寄っていて、恐らく背中の状態が酷く見えたから痛ましくなったのだろう。レグルスはエマの感受性の高さに感心して、微笑ましい気持ちになった。


 「これ……背骨が折れてない? レグルス、そうとう痛かったでしょ……」

 「どうなっているか見えないが……見た目よりは悪くはないと思う」

 

 なにしろミレイに後付けで作ってもらった青あざだ。神の御業で内出血を起こしてもらったに過ぎない。痛いことは痛いが、骨は折れていないので活動に支障はなかった。


 「本当に? とりあえず貼り薬を使うけど、効果あるかしら?」

 「ねえ、お姉ちゃん」

 

 エマの『おねえちゃん』という言葉に、レグルスはなんだろうと思った。レグルスの知識にはない単語だ。けれどエマはフランを見ていて、フランはエマの言葉に「なに?」と返事をしたので、『おねえちゃん』という単語は呼びかけのようだった。しかしなぜフランという名前ではなく、『おねえちゃん』と呼ぶのかレグルスには分からない。


 ――文化の問題か? なんで『フラン』が『おねえちゃん』になるんだ? 愛称にしても長くなっているし……。


 「司祭様にお願いして治してもらったら?」

 「えっ」

 「酷い怪我に見えるし……痛そうだよ」

 

 レグルスは一人考え込んでいたが、エマとフランの会話は続いていた。おかげで質問するタイミングを逃してしまったがレグルスはひとまずそのことについては置いておくことにする。『おねえちゃん』という単語の意味についてきちんと理解ができないが、ひとまず呼びかけということは分かっているので様子見でいいだろうという判断だ。だから別の気になることについて質問することにした。

 

 「司祭は医術が使えるのか?」

 「うん、そうだよ! 神様の力で病や怪我を治してくれるの!」

 「へえ、すごいな」

 「…………」

 

 目の前に立っているエマは凄いとはしゃいでいるが、レグルスの背後にいるフランは無言だ。それにおやっと思っていると、棚の上に置かれた絵を眺めていたミレイが振り返って言った。


 「いいじゃないか。行ってきなよレグルス。どうせその司祭とやらに滞在の許可を取らなきゃいけないんだろう? 一石二鳥じゃないか」

 

 ミレイの表情は何かを企んでいるようなものだった。森の神に仕えるという司祭とやらの顔を拝んで来いということなのだろう。確かに、森の神とやらを調べるためにも司祭は一度見ておきたい。


 「……それもそうね。じゃあ、ちょっと準備するから待っていてちょうだい」

 「わかった」


 フランはミレイの提案に頷くと、立ち上がって外へと出て行ってしまう。貼り薬は固定されているようなので、レグルスはシャツを着直して上着を羽織った。じっとしていても匂う、貼り薬の独特な香りにレグルスは新鮮な気持ちになる。ノットーは小さな怪我も魔術で治してしまうので、薬なんてものを使ったことがなかったからだ。


 ――司祭は神の力で怪我や病を治す……か。あの怪鳥にそんな力があるのか?

 

 下界は全て大災害で滅びたと教えられた。しかし大災害前の歴史の記録はノットーの書庫にいくつか残されている。そこには下界に強大な神が存在するというような記述は一切なく、むしろ強大な神がいないからこそ、世界は滅びたのだとされていた。なのに下界には神がいるらしい。これは調べねばなるまいとレグルスが思案していると、エマがそっと覗き込んできた。


 「司祭様はどんな怪我でも治せるんだよ。お父さんも、エマが赤ちゃんの時に狩りで大怪我したらしいけど、司祭様に助けてもらったんだって」


 だから大丈夫だよとはにかむエマに、レグルスは尊さを感じた。これがいつか母胎になる可能性を秘めた存在だと思うと、限りなく幸福に育ってほしいと合掌したくなる。そばにミレイがいるので絶対にできないことだが。


 「この絵に描かれているのが父親かい?」


 そう言ってミレイが持ち上げたのは暖炉の横にある、チェストの上に置かれていた小さな額縁だった。エマはミレイが持ってきた額縁を見て、こくりと頷く。

 

 「そうだよ。その絵はエマが産まれた時に、お父さんのお友達が描いてくれたんだって。上手だよねえ」

 「へえ、確かになかなかの腕前だ」


 ミレイは描いた人物の腕前を褒めながら、レグルスにも絵を見せてくれた。それは写実的に描かれ、人物の特徴がよくわかる絵だったが、なによりも幸せそうな雰囲気がよく伝わってくる。今のエマより小さな子供と、その後ろに立つ男性と、赤子を抱いた人物が描かれていた。この赤子がエマであるなら、赤子を覗き込む小さな子供はフランであり、そして男性は父親だろう。ではこの赤子を抱いた人物とは誰なのか。その人物は隣に立つ男性よりもふっくらとしており、曲線美があった。レグルスはその人物こそがフランとエマの『母親』だと思った。


 「この人は……エマとフランの母親か?」

 

 確かめずにはいられない。レグルスは指が震えそうになるのをどうにか抑え込み、描かれた件の人物を指した。するとエマはすぐに頷き、寂しげに笑う。

 

 「うん、お母さん。エマが赤ちゃんの時に死んじゃったけど……」

 「そうなのか?」

 「うん……。お父さんは『事故だった』って教えてくれたけど……産後の肥立ちが悪かったのかも……。それで死んじゃう人が多いから……」


 レグルスは『産後の肥立ち』が分からなかったが、『出産は命に関わる』ということだけは分かった。なにしろ計器で完璧に管理された試験管の中ではなく、母体の中で命が育まれるのだ。人ごとに環境や精神も違うのは当たり前。そんな何の保証もない場所からこの世に誕生するのだから、それは母体が命を失う事態が起きても何もおかしくない。

 命を懸けて子を産む母体に、レグルスはますます神聖性を感じた。下界に興味はなく、来たのは成り行きでああったが、降りてきて良かったと感嘆の溜息をもらす。そしてエマとフランの母親だというその姿絵をじっくり見た。エマとフランは血が繋がっているからか顔が似ている。しかしこうして絵で見る限り、エマは母親に似ており、フランはやや父親よりのような気がした。


 「ふうん? じゃあ、父親はどうしたんだい?」

 「お父さん?」

 「この家は二人で住んでいるんだろう。父親はどこに行ったの?」


 ミレイが聞くのに、エマはしょんぼりとした様子で俯く。そしてぼそぼそと小さな声で言った。


 「3年前……エマが7歳の時に森へ行って……そこで怪我して死んじゃったの……」


 部屋の中に沈黙が落ちた。明らかに気落ちしたエマの様子にミレイは動揺したのか、レグルスのほうを見てきた。しかしレグルスも人の死に落ち込んでいる人物を見たのは初めてで、なんと声をかけるべきか分からない。そんな時に玄関扉が開いてフランが顔を出した。


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