第5話:乙女

 その森は豊かな場所であった。砂漠と違い潤いに満ちた空気であり、少し歩くだけで見つかる自然の恵みは、動物が生きるのにこの上なくありがたいことだろう。レグルスは小鳥のさえずりを聞きながら、前を歩くフランの後を追っていた。フランの後をついて歩いているのは招待を受けたからだ。フランを落下から助けた際、レグルスが背中を強く打ったので、その手当も兼ねて家に招かれたのだ。

 これはレグルスとミレイにとってチャンスであった。原住民からごく自然に情報を引き出すチャンスである。レグルスたちは知りたいことがたくさんあった。先ほどの森の神と呼ばれる怪鳥のことも含めて、この世界がどうなっているのかなど、フランが知る限りのことを聞き出したかった。

 レグルスはふむっと考えを巡らせながら、隣を歩いているミレイに視線を向けた。ミレイは初めて見る森に興味津々らしく、あちこちをキョロキョロとしている。しかし物珍しさに手を伸ばすことはなく、眺めるに留めていた。出発の時に『森の植物には闇雲に触れないこと』とフランに注意されたからかもしれない。ミレイはどうやらフランを不快な人間というカテゴリには入れなかったようだ。レグルスはフランを重要な情報源とみているが、ミレイはどう考えているか分からない。だからフランがミレイの処罰すべき対象から外れるのは都合が良かった。

 レグルスはフランから情報を得る為には、まず手始めとしてあることをすべきだろうと、ミレイにそっと近寄ってこっそり話しかけた。

 

 「ミレイ、頼みがあるんだが……」

 「ん? なんだい?」

 「俺の背中に青あざを作ってくれないか?」

 

 その頼みにミレイは嫌そうな顔をした。それはそうだろう。ミレイとて好き好んで友人を傷つけたいわけがない。しかしレグルスは自分のものより少し下の位置にあるミレイの顔をじっと見つめた。ミレイが嫌がるのも分かっているが、必要なことはすべきだ。

 レグルスはさきほど強く背中を打った。だが頑強に造られたレグルスの肉体はその場限りの痛みしか感じず、見た目に変化は起きてないだろう。「絶対に手当てするから」と主張したフランの様子から、下界の人間であれば間違いなく負傷する状況だったのだ。それなのに青あざひとつないなんて、怪しまれて排斥されてしまうかもしれない。しかし情報を抜き出す前に森から追い出されるような事態は勘弁してほしい。せめて下界の人間がどんな文化で暮らしているのかくらいは知っておきたい。だからレグルスはほんの少し強請るような声音でミレイに囁く。


 「ミレイ」

 「……もう、しょーがないなぁ」


 ミレイは唇を尖らせると、ふんっと鼻を鳴らしてレグルスの背中に手の平を当てた。その瞬間に焼けるような熱さが背中に走り、レグルスは思わず呻き声をあげてしまう。


 「いっ……!」

 「え? どうしたの?」

 「いや、なんでもない。ちょっと背中が痛んだだけだ」


 痛がる様子のレグルスに、少し先にいたフランが焦ったような顔で振り返った。そして「ゆっくり歩いたほうがいい?」と聞いてくれるのに、ミレイが「ゆっくりしたところで治らないよ。どうせなら早く手当てしたい」としれっと言う。その様子は怪我をした友人を心配している言葉であったが、レグルスには分かった。どうやらミレイは怒っているらしい。やりたくないことを無理にさせたからなのは間違いない。


 ――でも必要な処置だったからなぁ。

 

 レグルスの背中はじんじんと痛み続けている。いくら頑強な肉体をしていても、神であるミレイから与えられた負傷はちょっとやそっとでは治らない。下界の人々の肉体がどれほどの強度と回復力を有するか分からないが、これで怪しまれる事態にはならないだろうとレグルスはひとまず安心した。それから三人はしばらく森の中を歩き続けると――。


 「ここが森の集落よ。私の家は外れのほうにあるわ」


 フランがそう説明した場所は森が開けたところに造られていた。恐らく木を伐採して場所を作ったのだろう。パッと見ただけで10は建物が立っている。メインストリートと思われる道は奥に向かってカーブしており、この先にも家屋が点在しているというのならば、今は姿がないが集落には百人近くいそうだった。


 「おや、フランお帰り」

 「ただいま、ネリーさん」

 「あれま……その人たちは?」


 集落の入り口近くで出会ったのは果物がたくさん入った籠を背負った中年の住民だった。その人物はレグルスとミレイをじろじろと眺めている。明らかに怪しんでいる様子にレグルスは少し焦りを覚えたが、フランが取りなすように「森で助けてもらったの! 大丈夫だから!」と言う。なにを根拠に大丈夫と言っているのかわからない。しかしネリーと呼ばれた人物はフランの言葉に不躾な視線を向けるのをやめた。


 「フランがそう言うなら、そうなんだろうね。でも見たところ外の人だろう? 滞在するなら……その、『シサイ』様にちゃんと許可を取るんだよ?」

 「うん……。分かってるわ……」


 フランは頷くと、レグルスとミレイを振り返ることなく歩き始めた。去りぎわにネリーが二人に向かって頭を下げたので、それに倣ってレグルスも会釈をした。恐らく下界でも会釈が挨拶に該当するのだろう。レグルスは集落の全容が気になりながらもフランの後をついて歩いていたが、フランは集落のメインストリートへ差し掛かる前に、脇道に逸れてしまった。


 「こっちのほうが近道だから」


 フランは振り返らずにそう言った。フランの家は集落の外れとのことだが、向かう道は鬱蒼とした木々の間にできた細い道で、実に人目が避けられそうである。


 ――もしかして、この集落は排他的なのか?


 先ほどの人物の様子からして、他の住民もレグルスとミレイを怪しむ可能性は十分にあった。なにしろ森の外から来た者の滞在は、司祭の許可が必要だというのだ。もしこの集落に外の人間が頻繁に出入りしているとなれば、いちいち許可をとるのは面倒なことだろう。許可制は怪しい人間を集落に入れないという点で効果的だが、専門的にそれを扱う機関がなく、司祭がそれを行っているというのならば片手間で十分な程しか外部からの来訪はないことが予想される。


 ――いや……『シサイ』が『司祭』とは限らないのか?


 レグルスは言葉が通じているので自然に『司祭』だと思ったが、もしかしたら同音異義語の可能性もある。念のため確認しようと前を歩くフランに問いかけた。


 「フラン。村の滞在には『シサイ』の許可がいるそうだが……『シサイ』っとはなんだ?」

 「え? 司祭様の事? ミーズ神に仕える人で、集落の政を取り仕切る人だけど……二人の故郷にはいないの?」

 「ああ……なるほど。いや、いる。名称は違うがそういう役職はあった」

 「ふーん?」

 「僕たちのところはね。神に仕えるのは『賢者』って呼んでいたんだよ」


 首を傾げたフランにミレイが補足をしてくれた。ノットーで神に仕える者たちは確かに『賢者』と呼ばれている。とはいえ1000人もいるのでそれぞれ担当する専門分野が分かれていて、ミレイに直接的に関われるのはごく僅かであったが。しかし細かいことなどフランに伝える必要はない。同じような役職で、呼び方が違うことだけ伝わればいいとレグルスは思ったが、ミレイの補足を聞いたフランは瞳を大きく見開いて言った。


 「賢者って……もしかして二人は『賢者の島』から来たの?」

 「「賢者の島?」」


 急に固有名詞を言われてレグルスとミレイは首を傾げた。ノットーは空に浮ぶ島であり、賢者が1000人もいるので『賢者の島』に該当してもおかしくはない。しかし下界の地理など一切分からないので、そのような地名が本当にあるのかもしれない。二人はどうするかと一瞬だけ顔を見合わせて頷きあうと、とぼけることにした。

 

 「すまないが、わからないな。俺たちの故郷は自分たちではそう呼んでいなかったから。ちなみにそれはどんな場所をさす言葉なんだ?」

 「あ、ごめんごめん! 気にしないで! 特定の場所ってわけじゃないから!」

 「特定の場所じゃない? じゃあなんで僕たちが『賢者の島』から来たのかなんて聞くのさ?」


 フランは二人の問いかけに、困ったように頬を掻いた。そして「実は……」と種明かしをしてくれる。


 「私の妹……エマって名前なんだけど、その子がたまーに予言を受けるんだよね」

 「予言?」

 「うん。たぶん、森の精霊的なものからだと思うんだけど……この前、『賢者の島』から『賢者』がやってくるっていう予言を聞いたって嬉しそうに話してたから……」

 「なるほど」

 「まあ、気にしないで! ほら、私の家はもうすぐよ!」


 フランはそう言って話を打ち切ってしまう。レグルスは話の続きを追求しなかった。正直、森の神とは別に精霊というものもいるのかと知的好奇心が刺激されたが、フランは詳細を知らない様子だ。予言を受けた『エマ』という妹のほうから聞いたほうが手っ取り早くて確実だろうとフランの後をついていく。しかしレグルスは数歩進んで、遅まきながらフランの言った『妹』という単語に気が付いた。


 ――妹? 妹ってたしか……同じ親から生まれた年下の女のことだよな?


 レグルスはこれから会う『エマ』が『女』であるということに気が付き、胸がときめいた。『エマ』が女だということは、『エマ』は母親になれる胎を持っているということだ。つまりレグルスの信仰する神聖性を持つ人物に会うということになる。


 ――すごい、下界には『女』がいるのか……!


 レグルスは、幼いころから信仰してきた胎を持つ存在を拝めることができるなんてと、いまから歓喜で体に震えが走りそうだった。逸る気を抑えながら獣道を抜けると、そこには木造でできた家がある。家の横には川があり、簡素な橋とで繋がっている道はおそらく集落のメインストリートだろう。その家の前に、遠目から見ても背丈がミレイよりもずいぶん小さな人間がいた。その人物は家の前に積み上げられている薪を拾い上げているらしく、小さな腕にはすでに2つほど抱えている。


 「あの子が妹よ。エマー! ただいまー!」

 

 フランが名前を呼ぶと、エマと呼ばれた人物がパっと振り返った。


 ――あれが……母胎を持つ『女』……! いや、乙女か!

 

 その人物はまだ少女という容貌であった。フランと同じである亜麻色の髪を腰のあたりで緩くまとめていて、膝よりも長いエプロンドレスを着ている。乙女はフランの存在を認めると、嬉しそうな顔で笑った。そして腕に抱えていた薪を地面に置くと、こちらに向かって駆け寄ってくる。レグルスは朗らかな笑顔でドレスの裾を揺らしながら走って来る乙女の姿に、レグルスは感動を覚えた。

 いずれ『母』になる可能性を秘めた乙女。それを前にして、レグルスは胸が苦しくなった。なにか報われたような気持ちになったのだ。ノットーでは絶対に出会えなかった存在が目の前に確かにいるからかもしれない。


 「お帰りなさい! あっ……お客様?」

 「あー……うん、そう。こっちがミレイで、こっちが……」


 レグルスはフランの紹介を遮るように一歩前に出ると膝をついた。そしてエマに向かって恭しく首を垂れる。


 「お初にお目にかかります。俺の名前はレグルス。お会いできたことに喜びを感じています」

 「えっ!? え、えと……エマです……」


 エマは膝を折ったレグルスに驚いた様子だった。しかしレグルスはもっとエマに敬意を表したくて、その小さな御手をそっととると自身の額を寄せる。額に触れさせることはさすがに避けた。そこまでしては失礼な気がしたからだ。レグルスの信仰はぼんやりとしていたものだったが、エマに出会えたことで少し形どられたような気がした。レグルスは本当に『この世に母胎がいる』という感動で涙がでそうになる。


 「ちょっと。そこらにしときなよ」

 「いたっ!」


 レグルスは跪いていた足に横から衝撃がきて飛びのいた。向う脛をこれでもかと強く蹴られたのだ。ジンジンと痛む脛をさすりながら顔を上げれば、目の前にはミレイが立っていて、レグルスを蔑むように見ている。その様子にレグルスはハッとした。下界に降りてきたのは、ミレイが『骨』を集めるためだ。そして『骨』を集めるミレイの目的は、完璧な神になって、レグルスを自分の胎から産みなおすことである。

 

 ――しまった……浮かれて失念していた。


 レグルスは初めて見る『女』に感動していただけだが、ミレイとしては面白くないだろう。レグルスが持つ、自分以外への信仰を見せつけられたのだから。レグルスは友人を傷つけてしまったことを反省した。


 「ごめん、ミレイ」

 「僕が怒ってる理由、ちゃんと分かってるならいいよ。許してあげる。どーせ最後は僕が一番になるからね!」


 ミレイはふんっと鼻を鳴らしてエマのほうに振り返った。そしてつまらなそうに見つめて、「ミレイだよ。よろしく」と言う。エマはミレイを見て、レグルスを見て、フランを見て、小さく頷いた。フランはというと、レグルスとミレイの行動に変な顔をしている。だが足をさすって痛がる様子を見せるレグルスに、背中の怪我のことを思い出したようで「そうだ背中の手当てをしなきゃ! エマ、救急箱用意して!」と言ったのだった。

 

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