第4話:ミーズ神①

 落下してくる人間を受け止める経験など、そうあるものではないだろう。重力が上乗せされた衝撃を腹に感じ、レグルスは目をぎゅうと瞑って唸った。人によっては骨が折れるだろうが、幸いレグルスは頑強に造られていたので痛いだけで済んだ。しかしすぐには起き上がれないので、反射的に自分の腹の上に乗っている原住民に震える手で触れた。骨の形から考えるに恐らく背なのだろう。レグルスは仰向けで倒れていて、相手はうつ伏せで落ちたので、腹と腹が触れ合っている。


 ――ん? この人間、なんだか柔らかいな……?

 

 とりあえず怪我がないかどうかを確かめるように撫でれば、原住民は勢いよく起き上がった。そしてレグルスを覗き込むように見てくる。その頭部の下で垂れ下がる胸部の膨らみに、レグルスはなるほどと思った。


 ――ああ、弓使いだから胸筋が発達しているのか。胸襟の発達具合と手足の筋肉の発達具合が随分とちぐはぐだが……下界の男性体はそういうものなのか?


 ノットーで生まれる人間は必ず平均以上に育つよう作られているので、こんなにも整っていない体躯をしているのに、レグルスは不思議な気持ちになる。


 ――うーん? この個体はまだ子供なのか。胸筋の異常発達は生活環境における個性だろう。


 体躯が小さいのはまだ未成熟だからとし、変に膨らんでいる胸部は個性だとレグルスは判断した。男だという事実は疑いもしない。なぜならレグルスが生きて生きた場所は『男しか生まれない』という特異な場所だったからだ。初対面の相手の性別なんて気にもしなかった。男であるのが当たり前であったからだ。だから目の前にいる原住民の本当の性別に関してはまるで気が付いていない。しかしレグルスの目を曇らせた原因はそれだけではない。もっと大きな要因があった。それは――。


 ――まあ、ミレイも小さいしな。顔も同じように可愛いらしいから、筋力より庇護欲を感じさせるように進化しているのかもしれない。


 友人の男が可愛いという点である。レグルスはミレイを見慣れていたので、あまりにも可愛らしすぎる男というのに違和感を覚えなかった。そんなレグルスは地面に横たわったまま、ぼんやりと原住民を見上げて思考に耽っている。するとレグルスの反応がないのに焦ったのか、原住民の子供は慌てた様子で声をかけてきた。

 

「ちょっと! あなた大丈夫なの!?」


 少し高めの声にやはり子供だとレグルスは確信した。しかしそれよりも重要な点がある。


 ――言語が同じだ!


 先ほどは戦闘中ということもあってそれどころではなかったが、言語が一致しているというのは驚くべき事実だろう。語尾が独特だとは思ったが、下界の特徴かもしれない。そんなことよりも意思疎通できる事実が何より重要だ。レグルスは背中と腹が痛かったが、とりあえず怪しまれないよう友好的に努めなければと、原住民に差し出された手を借りながら起き上がる。


「いてて……ありがとう」

「お礼を言うのは私のほう! 誰だか知らないけど……助かったわ」

「どういたしまして」


 レグルスは立ち上がると服の汚れを払った。背中は見えないので、これはあとでミレイに払ってもらうことにする。ずれた上着を着直して、振り返ってみれば巨大魚は舌をだして沈黙していた。無事な片目は虚空を見つめており、死んでいることがよく伝わってくる。


「……死んでるみたい。おかしいわね……手ごたえは感じなかったのに……」


 訝しむ原住民にレグルスはぎくりとしたが、すぐに「レグルス―!」と自分を呼ぶ声がしてそちらを振り向いた。もちろん声の主はミレイで、レグルスの方へと一人きりで駆け寄ってくる。どうやらゴーレムは置いてきたらしい。レグルスはゴーレムを原住民に見られることがないように、指を横一文字に動かして術を解いた。これでゴーレムはただの泥と水に戻っているはずだ。


「ミレイ」

「大丈夫かい? 背中を打ったの?」

「たいしたことないよ」


 背中の汚れを取り払ってくれるミレイに、レグルスは笑った。強かに打ちはしたものの、怪我はしていない。打ち身にすらなっていないだろう。そんなことより、せっかくあの魚を殺したのだ。原住民にばれないように骨を回収したい。そう思って魚に近づきたかったものの、原住民がレグルスとフレイをじろじろと訝し気に見てくるので、不用意な動きはできなかった。

 

「あなたたちは知り合い?」

「僕とレグルスは友達だよ」

「そう……。私の名前はフラン。あなたたち、森では見かけない顔だけど……どこから来たの?」


 怪しみつつも、そこまで距離を取らないのはさきほど落下したのを助けたからだろうか。なんにせよ、下界の知識を得るためにこの原住民の警戒はときたい。レグルスは『友好的に』と己に言い聞かせて、最大限にっこりと笑った。表情筋を動かすのは少し苦手だが、やらねばならないときくらいはわきまえている。


「俺はレグルス。こっちはミレイ。わけあって住んでいたところから旅に出たんだ。森へ入ってきたのは、さっきの魚にミレイの大事なものを取られてしまって……」

「そうだ! 僕の『骨』!」

「骨? あ、ちょっと! まだ本当に死んでるか確認してないから危ないわよ!」


 ミレイは止めるフランの言葉なんて気にせず、完全に静まり返っている魚のほうへと向かっていった。魚の内部は毒によってどろどろに溶けているだろう。一瞬で殺すためにかなり強い毒を生成したが、あとから考えると森の土壌に流れたら影響が出るのではとレグルスはドキドキしてくる。


 ――ミレイに毒は効かないからいいけど、もう少し考えて行動すべきだったな。


 しかし思いもよらず文明をもった原住民に出会えたので、興奮してしまったのだ。話も通じるという貴重な情報源だ。浮かれて、うっかりしてしまったのも仕方がないだろうとレグルスは己の失敗を横に置いた。反省はするとしても、いま重要なのはあの魚にフランを近寄らせないことだ。ミレイは大丈夫でも、フランは近づいただけで体調に影響が出る可能性は高い。早く毒を分解する術式を、あの魚の死体に打ち込もうとレグルスが体内で術式を組み始めたところで、フランが動いた。


「待ちなさいってば!」

「えっ」


 フランはミレイが何の警戒もなく近づいていくのに焦ったのか、手を伸ばして駆けだした。それが無遠慮にミレイに触れて、レグルスは息を飲む。ミレイが他人に触れられるなんて、滅多にないことなのだ。許されているのはレグルスだけであり、許しもなく神であるミレイに触れるなんて、水風船のように破裂させられてもおかしくない。実際に昔、ミレイは勝手に触れた賢者を水風船のように破裂させたことがある。


「ミレイ!」

 

 頼むから情報を抜いてからの神罰にしてくれと、切なる願いを込めてレグルスはミレイの名を呼んだ。しかしそれがミレイに届いたかは分からない。なぜならミレイの目的である魚の上に、巨大な影が降り立ったからだ。それは身の丈が5メートルはありそうなフクロウだった。しかしフクロウであるというのはその体毛とシルエットが伝えてくれているだけで、顔を見たらまるでフクロウだとは思えなかった。なぜなら、くちばしと眼があるべき場所に人の顔がある。その顔は若々しく、瑞々しい。


「っ!」


 さすがに驚いた様子で固まったミレイだったが、フランは庇うように前にでた。しかし声は出さず、広げた腕や手のひらには力が入っていたので、フランが怪鳥に対して恐ろしさを感じているのは間違いない。レグルスは怪鳥の登場に魔術を放つ準備を始めた。あの怪鳥が二人に殺意を向けたのならば、すぐにでも攻撃しなければならない。どう見ても友好そうな気配がなく、まがまがしい魔力を帯びた化け物と呼ぶべきなにかだとレグルスは感じた。怪鳥はじっとミレイを見つめており、唇をなにやら震わせている。


「……ねえ、なに不躾に見てるのさ?」

 

 ミレイはしげしげ見てくる怪鳥に向かって、不快を隠さず言い放った。その途端にフランがミレイに組み付いて、手のひらで口を塞ぐ。肩を抱くようにしているのは何かあった時に逃げるためだろうか。レグルスは組みあがった術をいつでも発動できるよう構える。


「…………アッ、アッ……アッー!」


 怪鳥はミレイの言葉に返事をするよう、綺麗なソプラノで鳴くと丸い巨体を振って、じりじりと下がった。そして魚に生えている足を掴むと、大きく羽ばたいて空へと飛びあがる。


「「あっ」」


 ミレイとレグルスは思わず声を出した。それもそのはずだ。『骨』を持って行った魚を追いかけてきて、ようやく取り戻せると思ったところで、横から掠め取られたのだ。怪鳥は自分より大きな魚を難なく持ち上げると、あっという間に森の奥へと飛んで行ってしまう。レグルスとミレイはその事態に呆然としていたが、フランだけはホッと胸を撫でおろしているようだった。


「よかった……。私たち、見逃されたみたい……」

「レグルス! あいつ! あの鳥! 僕の『骨』を持っていった!」

「そうだな……持っていかれたな?」

「取り返しておくれよ! 僕の『骨』!」


 癇癪を起したミレイは腕を振ってレグルスに言った。怪鳥のほうに意識を持っていかれたのか、フランに触れられたことはどうでも良さそうだ。そのことは不幸中の幸いだったなと思いながら、レグルスはミレイに「はいはい」と返事をする。だが怪鳥が魚を持っていったという事態は確かに歓迎できない。


 ――巨大な生き物には、『骨』が魅力的に映る可能性が高くなってきたな。


 あの鳥は狙いすましたかのように空から降りてきた。間違いなく魚を狙ってきたのだろう。『骨』を持った魚を。あの怪鳥のように『骨』に惹かれる生き物が多くいる場合、奪い合いが始まるかもしれない。それを繰り返していくと、強い生き物に『骨』が集まっていってしまう可能性があった。レグルスは不穏な事象に頭が痛くなる。これならば賢者を生きたまま放り出したほうがまだ良かったかもしれない。


「仕方がない。あの鳥を追いかけよう」

「うん。捕まえて殺して、今度こそ『骨』を取り返そう」


 ミレイはふんふんと意気込んで腕を振る。しかしそれを止める者がいた。


「なに言ってるのよ! 滅多なこと言うもんじゃないわ!」


 フランはそう言って、ミレイが振っていた腕を掴んでおろした。それにレグルスは再び緊張したが、ミレイは気にした様子もなくフランに向き直る。


「滅多なことってなに? 君……ええと、フランだっけ。フランはあの鳥のことなにか知ってるのかい?」

「知ってるもなにも……あれはこの森の神よ」


 フランの言葉に、レグルスとミレイは驚いた。下界に神という存在がいるとは思っていなかったからだ。しかし驚く二人をフランはおかしいと感じなかったのだろう。むしろ驚いた様子に当然だというように溜息をつき、腰に手を当ててもう一度言った。


「あの怪鳥は、この森を治める『ミーズ神』なの!」

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