第3話:地上に降り立った二人

 ノットーはこの世界に残された最後の砦である。大厄災で荒廃した世界を再興するために造られた神が眠る揺り籠だ。下界は荒み、瘴気に満ち、酸性の雨が常に降り注ぎ、およそ人が住める場所ではない。ノットーに集う賢者の使命は神と共に、この世界に祝福と救済をもたらすこと。ゆえにその時まで――決して下界に降りてはいけない。


「ノットーの教えを完全には信じていなかったが……実際に目にしてみると衝撃だな」

「すごいね。一面、砂ばっかりだ!」

「砂漠というやつだな。降雨量よりも蒸発する量のほうが多い土地らしい」


 ノットーの書物で得た知識を記憶から引っ張り出しながら、レグルスは辺りを見回した。ここに来るまでは浮遊できるミレイに連れてきてもらったが、まっすぐに降りてきただけなので下がどんな場所かまでは考えていなかった。予想していた通り、ノットーでの教えは賢者を下界に降りさせないための方便だったらしい。地上は瘴気に満ちておらず、酸性の雨も降っていない。しかし照りつく太陽と乾燥した空気、そして気温を考えるに、ここが生命活動に適した土地ではないのは事実であった。

 

「さて……見渡す限りの砂地だな。ミレイ、体に異変はないか?」

「ないよ。問題なく活動できる。レグルスは大丈夫かい?」

「俺も問題ないかな。少し暑いが、適応できる範囲だ。それで……ミレイ」

「うん?」

「地上に降りてきたわけだが、何のために降りてきたんだ?」

 

 レグルスの質問にミレイはきょとんとした顔をしたが、すぐに猫のように目を細めて「ふふふ……」と笑う。そして人差し指を立てると、自信満々な様子で言った。

 

「それはもちろん、完全なる神になるためだよ!」

「つまり?」

「地上に落ちた『骨』を手に入れる!」

 

 ミレイの語る目的に、レグルスはなるほどと頷き腕を組んだ。ミレイは確かにノットーの神であるが、全能なわけではない。ミレイが完全な神として存在するには『骨』を取り込み、力をつけねばならないだろう。もちろん『骨』はなんでもいいわけではない。集めるべきは特別な『神の骨』だ。その『神の骨』を取り込めば取り込むほど、ミレイは全能を持つ神に近づいていく。

 

「ほかの賢者たちを潰したのは『神の骨』を得るためか?」

「もちろん」

 

 ミレイは無邪気に笑った。ミレイには賢者たちを水風船のように破裂させたことへの罪悪感など欠片もないだろう。レグルスもそれでいいと思っている。なぜなら『神の骨』はミレイものだからだ。

 一部の賢者たちはある程度の成長を遂げると『神の骨』を取り込む。それによって知識の継承、魔術の行使が簡単にできるようになるのだ。神であるミレイにではなく賢者に『骨』を与える理由は、単純にノットーの運営を円滑にするためである。ゆえにミレイが完成に近づき、ある程度の段階までゆけば、すべての賢者は『骨』をミレイに返還する掟があった。つまりノットーでは『骨』は神たるミレイからの預かりものというわけだ。

 

「俺が持っている『骨』はどうする?」

「最後でいいんじゃないかな? レグルスもあったほうが便利だろう?」

「わかった」

 

 ミレイの提案にレグルスは素直に頷いた。実際、ミレイの言うように『骨』があると便利なのはまちがいがない。現にこの草木も生えない砂漠という土地で汗もかかずに立っていられるのは、過酷な環境に対応できるよう調整されて造られた肉体ということもあるが、その身にある『骨』の影響もあるだろう。『骨』がなければ、汗くらいは掻いているかもしれない。


「じゃあ、ひとまず『骨』を探そう。どこに落ちたか目星はつくものなのか?」

「もちろん。この先をずーっと進んだ先だよ」

「なるほど」

「だからレグルス、なにか乗り物を用意してくれるかい?」


 ミレイのお願いに、レグルスは頷いた。ミレイの言う『ずーっと』という距離は分からないが、ひとまず人の足で移動するより、何かに乗ったほうが楽だろう。


「乗り物……自動で動けばいいから、ゴーレムでいいか?」

「なんでもいいよ」

 

 砂漠は材料が少ないので、砂と水蒸気でできる簡単なゴーレムを作ることにした。レグルスはゴーレムを創造するための工程を手早く魔法陣に落とし込み、創造のトリガーとなる量の魔力を注ぎ込む。するとゴーレムが音を立ててこの世に生まれ落ちた。全長三メートルほどあるゴーレムは、じっと黙ってレグルスとミレイを見下ろしている。

 

「これでいいか?」

「うん」


 ミレイは羽を背から出して軽く飛びあがり、ゴーレムの肩に乗った。そして身を乗り出すとレグルスへ向かって手を差し伸べる。


「ほら、掴まりなよ」

「ありがとう」


 レグルスは自分より細いミレイの腕を遠慮なく掴んだ。簡単に引き上げられたレグルスはゴーレムに飛び乗ると、その肩に立って遠くを見る。ミレイが指示した方向は見渡す限り砂地だった。しかし空から下界に降りてくるとき、かなり遠くに緑の群生地があったのを目視している。

 

「そういえばノットーから降りてきたとき、遠くに植物が生えているのをミレイは見たか?」

「見たよ。さすが僕たち、運がいいよ。『骨』があるのもそっちの方向だ」


 ミレイはそう言ってゴーレムの肩に腰を下ろした。レグルスは目的の方向を見定めると、ゴーレムに魔力を通して合図を送る。ゴーレムはゆっくりと動き出し、どしんどしんと足音を鳴らして進んでいく。なかなか上下の運動が大きいが、人が歩くよりも断然に早かった。


「砂漠とやらは代り映えのない風景でつまらないね」

「一面が砂地だからな」

「花のひとつでも咲いていたらいいのに……」


 つまらないと言ったミレイは、唇を尖らせてゴーレムの頭にもたれかかった。反対側の肩に立っているレグルスはミレイがバランスを崩して落ちないのを確認した後、ふむっと考える。確かに砂地ばかりで花どころか草すら生えていない。いくら二人が過酷な環境に耐えられる肉体をしているとしても、砂ばかりの場所で過ごすのは苦痛だろう。やはりこの先に見える森とやらに期待をするしかない。

 

「下界に植物は存在しているようだが、生命体はどのくらいいるんだろうな」

「えーわからないよ。そもそも下界に降りたっていう記録はノットーにないからね。意思疎通ができる知的生命体は期待できないかも」

「ああ、そうか。昆虫類や魚類どまりの可能性……」

 

 レグルスが下界の状態に思考を巡らせていると、ズズズズズと地鳴りが背後から聞こえてきた。ミレイとともに振り向けば、砂で構成された地面が一部分盛り上がりながら、こちらへと迫ってきている。


「ん?」

「なんだろうね?」

「わからないけど、とりあえず避けよう」


 右か左へ避ければいいとレグルスがゴーレムに指示を与えようとしたが、その前に盛り上がった部分がさらに高くなり、砂を巻き上げて巨大生物が飛び出してきた。それがなんであるかを考えている暇はない。大口を開けて飛び掛かってくるその生き物は、ゴーレムごとレグルスとミレイを飲み込まんとしている。

 レグルスはミレイを抱えると、ゴーレムを踏み台にして高く飛んだ。同時に魔術で風を操り、生き物の軌道から逸れる。一瞬見えた生き物は、約10メートルほどある魚のような姿をしていた。巨大魚はゴーレムをばくんと飲み込んだが、着地して砂に潜り込むと、真横に避けた二人には見向きもせずにまっすぐ進んでいってしまう。レグルスと地面に着地するとミレイを下ろし、二人揃って遠ざかっていく魚をぼんやり見送った。

 

「なにあれ? なんだったんだろう?」

「魚に見えたが……大きかったな」

「下界の魚って大きいんだね」

「そうだなぁ。いや、あれ……どこかで見たような気がするぞ……」


 レグルスは己の記憶を辿ろうとしたが、再び砂地から何かが飛び出したような音が前方より聞こえて意識がそちらに向く。遠くに見える魚は空中にしばらく滞空すると、また地中へと潜っていった。


「なるほど。定期的に外に出ているのか。じゃあ、先ほどの生き物は呼吸のために飛び出したのかもしれない。どちらにしても『生命体の存在』は確認が取れたな。あの大きさの生き物がいるなら、生命体の数には期待ができそうだ」

「そうだね。なに食べて大きくなるか知らないけど」

「まあ、草食の可能性もあるか」

 

 そんな話をしながら、レグルスはもう一度ゴーレムを創り出した。この広い砂漠で、他の生き物の気配はいまのところなかったというのに、偶然にもあの生物を見かけられたのは幸先が良いのかもしれない。そんなことを思いながら、レグルスは二体目のゴーレムを見上げる。


「できたぞミレイ。乗ってくれ。…………ミレイ?」

 

 ミレイはレグルスの声が聞こえていないのか、じっと遠くを見ていた。その先は巨大魚が向かった方向だ。もともと進行方向は同じだったので、二人が向かおうとしていた先でもある。レグルスは黙っている様子にどうしたのかと近づいて顔を覗き込んだ。長いまつ毛に縁どられた瞳は光を受けてキラキラと輝き美しい。ミレイはその瞳を瞬きで一度も隠さず、前を見据えたままで言った。


「レグルス。『骨』が逃げていくよ」

「え?」


 レグルスはミレイの言葉を受けて巨大魚が向かった方向を見る。『骨』が逃げるということは、元あった位置から移動しているということだろう。しかし『骨』にはそれができない。なぜなら前の持ち主である賢者はミレイが破裂させているのだから、物言わぬ、動きもしない状態になっているはずだ。そもそもミレイはあちこち動かれるのを厭って賢者を破裂させたのだろう。それが移動しているとなると、考えられるパターンはどれもあまり歓迎できる事態ではなかった。


「ひとまず追いかけよう」

「うん」


 二人はゴーレムに乗ると、巨大魚が進んでいった痕跡を辿るように進んでいった。別に巨大魚の後を追い駆けているのではない。ミレイが言う『骨が移動している』方向へと向かうと、自然と合致しているだけだ。


「ミレイ、もしかして『骨』が元あった場所はすでに通り過ぎてるのか?」

「とっくに過ぎている」

「そうか。つまり……」

「喰われたみたいだね」

 

 可能性としてはかなり高かった。二人の向かう方向も、変わらず巨大魚の足取りを追うように進んでいる。これはもはや、先ほどの巨大魚が『骨』を喰ったということで間違いないだろう。面倒なことだが、起こってしまったことなのでそれはしょうがない。レグルスとしては気になるところは別にあった。巨大魚が『骨』を偶然食べてしまったのか、それとも狙って口にしてしまったかだ。


「……なあ、ミレイ。生き物は『骨』を体に取り込みたいものなのだろうか?」

「どうだろうね。考えたこともなかったよ」

 

 レグルスの言葉にミレイは「面倒くさいことになったな~」と伸びをした。それは巨大魚に持っていかれていることだけをさした言葉ではないだろう。なぜならミレイは大半の賢者を破裂させて、『骨』を下界に落としたのだ。動かなくなれば回収も楽だと考えてのことだったのに、実際には下界にいる生物が『骨』を食べてどこかへ行ってしまうなんて、完全に目論見は外れたことになる。なにしろ二人は全く知らない未知の世界で、どこにいったか分からない『骨』を探さねばならないのだ。落下したまま動かなければ、砂漠地帯を探すだけに終わっただろう。しかし生き物を介されるとどこまでも移動していってしまう可能性がある。なぜなら――砂を泳ぐ巨大な魚も『骨』を得た結果、住み慣れた砂漠を捨てて新たな世界にいってしまうからだ。

 

「見て、レグルス! 植物の群生地が見えるよ! あれは森でいいのかな?」

「そうだな! あれこそ森と呼ぶべきものだろう!」


 二人は初めて見る森にワッと歓声をあげてはしゃいだ。その間もゴーレムは巨大魚の痕跡を追いかけるように、淀みなく森の中へと突入していく。森の地面には明らかに、巨大な何かが通った跡が残っていた。木々はなぎ倒され、地面が抉れている。あと先ほどはなかった足跡のようなものが増えていた。レグルスとミレイは続いていく巨大な足跡を眺めて顔を見合わせる。


「レグルス、あの魚……両生類になっちゃったみたいだ」

「もともと砂地で暮らしていたようだから、分類としてはもともと両生類じゃないか? 水に適応できるか知らないが」


 二人はバキバキに折れた木々の間をゴーレムに乗って通っていく。どこまで進むつもりなのだろうかとレグルスが思っていると、ミレイが「レグルス」と呼んだ。それにどうしたのかと視線を向けると「あの魚、止まったよ」とはっきり言われる。

 レグルスはミレイの言葉にうなずくと、体内で魔術を構築し始めた。あの魚の弱点はわからないが、とにかく倒して『骨』を回収しなければならない。そう思っていくつかの魔術を自身の中に一時的に『スタック』して留めておく。準備がだいたい整ったところで、レグルスは前方から魔力を感じて顔をあげた。

 

「…………?」

「どうしたのレグルス?」

「いや……」


 レグルスは魔力が強まったり弱まったりと、収縮する反応を前方に感じて首を傾げる。魚が『骨』を取り込み、魔力を得たのだろうか。しかし取り込んですぐにここまで繊細な魔力の動かし方ができるだろうか。レグルスは腕を組み、左手で口元を隠して考え込む。


「レグルス、近いよ! すぐそこだ!」

「わかった。ミレイはここにいろ」


 レグルスはそう言ってゴーレムから飛び降り、地面を駆けた。魚の後を追って出た場所は開けており、地面にはなぎ倒された木々が散乱していた。どうやらこの場が開けているのは、魚が暴れまわったからのようだ。例の魚はすぐそこで、『ギャアアアアッ』と鳴きながら、手足をばたつかせている。手足があることも、鳴くことも魚から逸脱している。鳴き声は高らかでビブラートが利いていて、浮袋を振動させてでるような音ではなかった。明らかに魚は声帯を手に入れている。


 ――土地が開けているから、焼いてみるか。多少は森が燃えるかもしれないが……鎮火すればいいかな。


 レグルスが火炎系の魔術を発動させようと思った瞬間、魚の向こう側、薙ぎ倒されていない木の上になにかいるのが見えた。それは亜麻色の長い髪を、高いところでひとつ結びにした人型の生き物で、動きやすそうな衣服を身に着けて弓を構えていた。その人型の生き物はレグルスよりも体躯が小さく、体つきがふっくらしていた。そしてミレイのように可愛らしい顔立ちをしている。


 ――知的生命体だ! 間違いなく文明を持っている!


 レグルスは人型の生物にたいへん興奮した。そのため魚への注意が逸れて、大きく振り上げられた腕の存在に気が付くのが遅れてしまう。危うく直撃であったが、目の前が陰ったのに反応して寸でのところで避けた。


「うわっ」

 

 辛くも攻撃を回避したレグルスは、人型の知的生命体の前で火炎系の魔術を使うことへの是非について考えた。相手が魔術という存在を知らなければ警戒心を高めるだろう。そしてあの知的生命体はこの森に住んでいる可能性が高い。つまり原住民だ。となれば住処を焼かれるような状況は歓迎しないだろう。


 ――焼くのは駄目だ。えーと、毒に切り替えよう。


 レグルスはなるべく見かけだけは穏便に魚を沈黙さることにした。原住民にこちらが危険な存在と思われるのだけ避けられればいい。だから魚に毒を打ち込んで内部から破壊しようと、レグルスはスタックしていた魔術を発動するタイミングを伺った。表皮から毒を打ち込むにしても原住民の死角になる位置から行う必要がある。こちらが危険な術を持っていることを原住民には悟られたくない。レグルスは奇怪な鳴き声を上げてのたうち回る魚の攻撃を避けつつ、動きを観察した。するとさきほどと同じく、魔力が収縮するのを感知する。

 

「ちょっと! さっさと逃げなさい!」

 

 その声と同時に原住民が矢を放ち、魚のむき出しになっている眼球が射られた。原住民が魔力をまとった一射を放ったのに、レグルスは少し驚いていた。一瞬のことだったが、矢に乗せられた魔力は相当なものだった。飛び出た魚の目に対して斜め上から刺さった矢は、体にまで食い込んで貫通してしまった。地面に刺さった矢はすでに魔力を失っているが、そうとう痛かったらしい魚は「ぎゃぴぃいいぃぃぃ!」と耳をつんざくほど凄い鳴き声を上げて暴れまわっている。


「危ない!」

「きゃあ!」


 魚が暴れまわったせいで原住民が立っていた木が倒れていく。バランスを崩したその姿を見たレグルスは、今がチャンスと魔術で作り上げた毒矢を魚の傷口めがけて放った。綺麗に入った毒矢は、すぐに内側から魚を溶かすだろう。だから魚はもういいと、レグルスは魔力を足に巡らせると地面を蹴って原住民が立っていた木のほうへと駆けた。


 ――落下して死なれたら困る!


 ミレイやレグルスならあの程度の高さなんともない。しかし下界の人間の強度は不明なので落下したら死んでしまうかもしれない。せっかく出会えた知的生命体だ。死んでしまうことだけは避けたかった。だからレグルスは下敷きになる覚悟のうえで落下地点に滑り込んだのだった。

 

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