第2話:旅立ち

 正面のステージに立つ議長が、朗々とした声でそう言った。罪状については独居房に入れられた段階で告げられてはいたが、レグルスは内心で首を傾げる。なぜならそれは、レグルスが丁寧に隠していたことだからだ。

 唯一の神を崇めるノットーで、他の神に信仰を示せばどうなるかなんて生まれたてでも分かることだ。だからレグルスは心の中に自分だけの神がいることは秘密にしてきた。たったひとりの友人だけにしか教えなかった。自身の心にある神の話なんて、誰もいない場所で友人と二人きりの時に少し語る程度だったのに、それがどうしてバレたのかと気になってしまう。

 

 ――その情報を誰から入手したか、聞けば教えてもらえるだろうか?

 

 集まった賢者たちの喧騒を聞きながらレグルスはぼんやり思う。レグルスは知りたがりであったので、目の前にぶらさげられた疑問が気になって仕方がなかった。疑問が生まれたばかりでは、おちおち死んではいられない。とはいえ、レグルスは自分の未来がまるで明るくないことはわかっていた。

 このホールの中心に置かれた簡素な椅子へ座わらされ、ノットーの賢者たちに囲まれるという状況はレグルスの記憶の中に何度か登場している。もちろんその時は車座側だった。この後の流れはお決まりで、ほぼ一方的な問答の末に殺されるのだ。この椅子側に呼ばれたということは、もう結末は決まっていて、ここで問答をするのはほぼ見せしめのようなものであった。同じことを起こそうとする者がいないように、賢者の中でも位の高い者たちが下の者に見せるのだ。何が正しいかということを。


 ――うーん……どこから漏れたのか……。

 

 レグルスは実に落ち着いた様子で考え事を続けた。この先で自分が死ぬと分かっていても、取り乱すことはない。いまのレグルスの心の中を占める関心ごとは、自身の秘密を誰が漏らしたかだ。レグルス自身は友人以外に秘密を話したことがないので、その友人が漏らしたか、はたまた実は誰かに聞かれていたか。


 ――俺の秘密を知っているのは、ミレイだけだが……。


 レグルスは唯一の友人のことを思って、ほんの少し眉を寄せた。しかし友人が裏切るとはまるで思えなかった。友人にとってなにより特別な存在であるという自信がレグルスにはある。絶対に友人は己だけは裏切らないと思っていたし、レグルスもまた友人を裏切るつもりはない。二人は立場が違ってもとても対等で、それを友人であるミレイも手放しで喜んでいたのだからと、ミレイが漏らしたはずはないとレグルスは信じていた。


 ――でも可能性としては0じゃない。


 レグルスは己の難儀な性格に困ってしまう。ミレイを信じているのに、証明されていない限りは可能性を考えてしまうのだ。レグルスは物事について考えることが好きだったので、いくら信じている友人が相手でも可能性があるなら選択肢に入ってきてしまう。これから死ぬというのに、友人に可能性を感じたままは嫌だった。是非ともどこかで情報の入手経路について質問し、友人の潔白を証明したいとレグルスはそれだけを考えていた。

 

「では管理番号0963。まずは汝は我らが神、30ー1ではない紛い物の神に心を預け裏切ったという大罪を、自身の言葉で宣言しなさい」

 

 そう告げたのはレグルスの正面に立っている、白く長い髭をたくわえた老齢の男であった。この場の中でかなり位が高い賢者、管理番号0058だ。その位の高さから、このような弾劾の場で進行を務める役を担う立場ではないのにと、レグルスは不思議に思いながらもはっきり答えた。

 

「俺は我らが神、30-1を裏切った覚えはありません」

 

 曇りなき眼でそう言い放ったレグルスに、多くの賢者たちが騒めいた。それもそのはず。確信をもって開かれた裁きの場であったからだ。しかしレグルスの声に震えはなく、背も曲がっておらず、瞳に濁りもない。賢者たちが使う魔術を使わずしても、嘘はないのがわかるほどであった。けれどこの場に呼ばれたということは、どんなことを言っても結末は変わらない。

 

 ――俺がいると……損をする人間がいるのだろうか?

 

 してやられたと思いはするが、ここまで来てしまえば覆すことはできない。レグルスが期待するのは、処断される前に設けられる質疑応答の機会だけだ。それまではのんびりと待つかと肩の力を抜いたところで、周囲から尋常じゃない殺気を向けられた。急にどうしたと思うと同時に、さすがのレグルスも九百近い人数から憎悪に近い感情を向けられれば胃が縮む。そろりと前を見上げれば、管理番号0058が弛んだ瞼を大きく持ち上げ、レグルスを見つめている。それはまさに怒りの形相であり、レグルスは自分の言葉がそんなに気に入らなかったのかと引いてしまった。

 

「裏切った覚えがない? では管理番号0963、お主は我らが神、30ー1の神託が誤っていると申すのか?」


 管理番号0058の言葉は意外で、レグルスは目を丸くする。神託……つまり情報の出先は神よってであった。突き付けられた言葉に、丸くした目を顰めてしまう。神から漏れたという事実に、レグルスは疑わしさを覚えたからだ。

 なぜならレグルスは、このノットーに住まう神によって寵愛を受けていた。それはもう、誰の目から見ても明らかなる贔屓をされているのだ。正直、神を信仰する賢者たちには申し訳ない気持ちになるほど目をかけられていて、表立って何かを言うものはいなかったが、じっとりとした視線を感じるのはよくあることだった。この目の前にいる管理番号0058からも憎々し気に見られたことがある。というよりも、恐らくレグルスを嫌う筆頭であろう。


 ――あ、そうか。神託だから管理番号0058がいるのか。

 

 神から与えられた裁きの場だ。憎いレグルスを神の意向として裁けるとなるならば、自らの手で嬉々として行うだろう。しかしレグルスには疑問がある。前述したとおり、レグルスは神にとてもとても愛されているので、神がレグルスを失うような神託をするはずがないのだ。


「あの、本当に30-1が神託をしたんですか? それ自体が虚偽ではありませんか?」


 その問いに管理番号0058の顔色が赤く染まり、険しい表情になる。その表情はどっちだとレグルスは思いながら、彼を怒らせてしまったことは分かった。神託がそもそも虚偽ではないかという質問は、つまり『お前は神の名を語って嘘をついていないか?』と確認しているわけだ。ノットーでは神の名を勝手に語ることは重罪で不名誉なことだ。しかしレグルスとしては神の口から語られないと、到底信じられない。どうして神が自分の秘密を暴露し、裏切るような真似をするのか皆目見当がつかないのだから。だから神託が虚偽である可能性のほうが高いと思って、レグルスはじっと管理番号0058を見つめた。


「本当だよ。僕が神託をした」

 

 ホールに声が響き、賢者たちの息が一瞬止る。なぜならレグルスの背後に音もなく神が降臨したからだ。神は空中に現れ、左足のつま先からゆっくりと降り立つ。その相貌はとても可愛らしく、頬っぺたは薔薇色で、髪は雲によって光が乱反射して紫と桃色に染まった夕焼け空のような色をしていた。そして露出している白く華奢な肩を動かしてレグルスの首に抱きつくと、背後から覗き込んで歌うように言った。


「ところで……レグルス。僕を番号で呼ぶのやめてよ。ちゃんといつもみたいに呼んで?」

「……わかったよ、ミレイ」

 

 ミレイの言葉に、この場に集う賢者の大半の眉間に皺が寄ったが、そんなことは二人にはどうでもよいことだった。なぜならミレイはノットーの神だ。神がレグルスに正式名称ではなく、愛称で呼べと言っているのだから従うのが道理であろう。だからレグルスは軽蔑とも侮蔑ともとれるような視線を大量に向けられても気にしなかった。さすがにこの数の悪意をいっぺんに受けたことはなかったが、それどころではない状況だ。まさか友人であるミレイによってこの場が設けられたとは可能性はあると分かっていても、思いもしなかったからだ。

 レグルスとミレイは、長年の友である。10年来の友人だ。しかしミレイと出会った時、すでにレグルスの心に神がいた。もちろんミレイではない神だ。その事実は多くの賢者に信仰されていたミレイによってすぐに看破された。しかしそれを背信だと責めることはなく、むしろ自分に心酔していない人間が珍しかったのか、ミレイはレグルスに一線を画した親愛を示し、友人となった。

 心にミレイ以外の神を飼うなんて、ノットーでは許されないことだ。当然、そのようなことがないよう徹底的に教育されるし、その気配があれば幼い頃に間引かれるのが当たり前の場所だ。しかしレグルスは幼いころから心に形なき神が住んでいる。隠すのが上手かったからか、はたまた運が良かったのか……レグルスは生きてこられた。しかしそれもここで終わりである。他ならぬミレイによって、この弾劾される場に引きずり出されたのだから。ミレイの意図は分からないが、ここで自分の人生を大きく変える何かが起こるとレグルスは予感していた。

 

「ふふふ♡」

 

 愛称を呼ばれたミレイは、機嫌よさげにレグルスをぎゅうと抱きしめると、軽い調子で離れる。そして踊るようにレグルスの前に立つ。ひらりと揺れ動くスカートの裾からは小ぶりな膝がでている。ミレイは椅子に座っているせいで、自分よりも小さなレグルスをじっと見下ろしていた。その瞳は上辺だけ慈愛で満ちていたが、大半は偏執と偏愛のようだ。しかしレグルスはその眼差しに慣れているので身じろぎひとつせず、まっすぐ見返す。ミレイはそんなレグルスに嬉しそうに笑い、そっと手を伸ばすと指の腹で微かにレグルスの頬を撫でた。

 

「レグルス、もしかして怒っているかい?」

「いや、怒ってはいない」

「本当? 僕は君の秘密を晒してしまったのに?」

 

 ミレイはそう言って眉根を下げた。その表情は先ほどとは打って変わり、申し訳なさそうだ。レグルスはミレイをじっと見返しながら、ふるりと首を振った。腰まである黒髪の三つ編みが微かに揺れる。ミレイは頬に触れていた手を首に滑らせ、レグルスの結われた髪を掬った。首元から手前に引き出された三つ編みはまるで繋がれた縄のようだ。二人は友であったが、神であるミレイから逃れられるとはレグルスは思っていない。

 

「いいよ。秘密を明かしたのは俺なんだから怒っていない。そのリスクは俺が負うものだ」

 

 レグルスの口調はおよそ神に向けるべきものではなく、二人を取り囲む賢者たちの心はささくれ立つばかりであったろうが、当のミレイは嬉しそうに笑った。その笑みはいつみても子供の頃から変わらぬ無邪気さがあって可愛らしい。だがこの笑みも周囲の賢者たちには喜怒哀楽も判別つかぬ、アルカイックスマイルに見えていることだろう。信仰というものは、目の前にある真実さえ己の希望通りに歪めて見てしまうものだ。このノットーでミレイを子供らしく可愛いと思うのなんて、レグルスしかいないのかもしれない。

 

 ――まあ俺も、人のこと言えないけど。


 レグルスは己の中にいる神の存在に笑ってしまいそうになる。なぜならレグルスの神ははっきりとしない、ぼんやりとしたものだったからだ。当たり前だが教義なんてものもなく、神についても詳しく知らない。レグルスの神についての知識は、たった一冊の本によってもたらされたからだ。その本も学術書や歴史書でもなく、子供が健やかに眠れるよう寝しなに母や父が読んでやるような物語なのでたいした厚さはない。レグルスの神はたかだが40頁ほどの本から生まれたのだ。その本は母の肚から生まれる生命の神秘について描かれている本だった。

 レグルスには母がいない。そもそもノットーに生まれる者には母がいない。ここに生きるのは全て男であり、誰の胎からも生まれないのだ。子供はガラス筒の中に満ちた液体の中で造られて育つ。それがノットーの賢者たちの生い立ちだ。ノットーの賢者たちは『神』のために造られ、生まれてくる。賢者だけではなく、ノットーにあるものは全て造られた存在なのだ。

 そのことはもちろん、みんな知っている。レグルスもそれが当たり前だと教えられた。しかしあるとき書庫で偶然見つけた一冊の本。母親の肚から赤子が産まれるその本を読んでから、レグルスは『母体からの誕生』に神聖と信仰を見出してしまったのだ。それが大罪なことは分かっていた。他ならぬノットーの神であるミレイが許していても、ノットーでは大罪なのだ。それでもレグルスは、己の中に生まれた信仰を排斥できなかった。

 

「……ありがとうレグルス、許してくれて。だけどごめん。お前は許してくれたけど、僕はお前を許せそうにはないんだ」

 

 ミレイの言葉にレグルスの喉が微かに動いた。ミレイ越しに見える管理番号0058が心なしか嬉しそうだ。見渡すことはできないが、周囲にいる賢者たちも嬉しいのだろうかとレグルスはぼんやり考える。

 

「あのね、レグルス。僕……ずっと考えたんだけどさぁ」

「……うん」

「やっぱり君の特別な存在は、僕であってほしいんだよね」

 

 ミレイはそう言って。レグルスを見たまま、肩を開いて腕を後ろへ向けた。その瞬間に「ぐぎゃっ!!」という声が上がり、何かが潰れた音がする。レグルスは何が起きたのかと少し体を傾けてミレイの向こうを覗き込めば、管理番号0058がミンチの様に潰れていた。それを確認したレグルスは疑問が晴れたので、椅子にきちんと座りなおす。周囲はざわざわと喧騒がすごかったが、ミレイの話の続きのほうが大事なことだ。


「特別な存在?」

「そう。だって僕にとって君は特別な存在だ。この世界でたったひとつを選ぶなら、僕はレグルスを選ぶ。なのにレグルスは僕じゃないなにかを選ぶなんて、ひどいじゃないか」

 拗ねたようにそう言ったミレイに、レグルスは驚いて目を見開いた。ミレイがそんなことを考えていたなんて知らなかったからだ。友人としてお互いに知らないことはないと思っていたけれど、別々に存在しているのだから、そんなことは当たり前だいまさら気が付く。そして『ずっと考えていた』というミレイの言葉に、どうして隠し事をしたのかとレグルスは少しばかり不満を感じた。友人として水臭いと、血生臭さの漂うホールでそう思った。

 ミレイはレグルスのわずかに寄った眉間の皺から考えを感じ取ったのか「なんか恥ずかしくて言い出せなくて……」と言って、もじもじと口元を隠してしまう。

「でも僕は君の考えや心を大事にしたい。レグルスが夜空に煌めく星のような瞳で語った、『母の胎から産まれる』ということへの憧れを否定したくない。たとえ僕の腸が煮えくり返ってもね」

 ミレイは笑ってそういうと、己の腸が入っているだろう辺り、つまりは下腹を撫でた。二度、三度とそこを撫で、そしてにんまりと笑う。その笑みは悪戯を思いついた子供のようで、少女めいた風貌もあいまって実に可愛らしかったが、それを向けられたレグルスはこのホールに連れてこられてから初めてゾッとした。

 

「ミレイ」

「ねえ、レグルス。僕はいいことを思いついたんだ」

「待ってくれミレイ。嫌な予感がする」

「そんなことはないよ、とっても良いことだ。僕の願いも、レグルスの信仰も守れる最善の方法なんだよ」

「…………ひとまず聞くが、どんな方法だ?」


 信仰を守れると言われて、レグルスは欲が出てしまう。大変なことが起こるのは予感していた。レグルスはミレイの友人であったのでわかっていたのだ。何かをやると決めたミレイは止まらないし、極端な方法も気にせず行うと。なぜならミレイは神である。この地、ノットーの神なのだ。誰がミレイを制することができるというのか。

 ミレイは爛々と光る眼で大きく手を広げた。その途端にミレイの肩甲骨あたりからオーロラのように輝く羽が広がり、そして高らかと声を上げた。

 

「僕がレグルスを産んであげるよ!」

 

 その言葉がホールに響いたと同時に周囲にいた賢者たちの肉が水風船のように弾け飛ぶのが見えた。弾け飛ばない奴もいたが、ホールどころかノットーの地面ごと底が抜けたので落下していくだろう。ミレイは夢見る少女のようにくすくすと笑っていたが、レグルスは少女なんて実際には見たことがなかったので、ただただその笑みを『ミレイらしい』と思っていた。

 空中に浮かぶノットーの底が抜ければ、もちろん落下していくのみだ。レグルスはどうしたものかと一瞬迷ったが、すぐに羽をばばたかせたミレイに抱きつかれ、下降する速度がごくゆっくりになったのがわかった。

 

「レーグルス♡」

 

 疲れた時に食べる砂糖菓子のように、ミレイの声がレグルスの脳を揺さぶる。レグルスは鮮血が地表に向かって落ちていくのを眺めながら、そっとミレイの背に片腕を回した。

 

「頑張ってレグルスを産めるようになるからね♡」

「…………うん」

 

 レグルスはミレイの言葉に反論する気もなかった。なぜなら、レグルスには信仰があったので、母体から生まれるということが魅力的だったからだ。とはいえ、現在は天高くあったノットーから地上へと落下している最中だ。レグルスはミレイの腕の温度を感じながら、地上とはどんなものなのかとぼんやり考えていた。

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