第36話 めちゃくちゃご寵愛賜ってんじゃねーか。
満足そうな顔をしたガームが眠るように目を閉じて動かなくなると、ようやく皇帝が動き出す。
いつの間にか、エイワスという名らしい〝六悪〟の赤子は姿を消していた。
「よく聞け」
皇帝が、再びナバダ達を
「アーシャは、我が伴侶となるべき者。望むが故に、奔放なる振る舞いを許諾しているに過ぎぬ」
皇帝は、アーシャを抱き直すと、眠る彼女に頬を擦り寄せるように顔を近づける。
「アーシャの道行きと志は、我が振る舞いと同義と知れ」
「……本気で言ってんのか?」
口を開いたのは、ウォルフガングだった。
「アーシャから聞いてはいた。だが、信じられねぇ。……もしそれが真実なら、何故それだけの力を持ちながら、俺達や大公どもを放置する?」
すると皇帝は、ウォルフガングをジッと見つめた後。
僅かに、口元を緩めた。
「我は、支配に興味はない。そして、自らの意思で抗う気概を持たぬ者にも」
それが答えだと言わんばかりの、簡潔な回答だった。
「そなたらは、己が手で掴み取る自由を、望んだのだろう。不自由の代わりに、ただ与えられ屠られるだけの家畜で在りたいのなら、願いを叶えるにやぶさかでは無いが」
どうする、という問いかけのつもりなのだろう。
おそらく皇帝は、ウォルフガングの答えなど、どちらでも良いと思っている。
しかし、ナバダにも分かることが一つだけあった。
―――面白がってるわね。
皇帝はこういう奴だ。
ただ従うことを良しとしない誰かが、気概を持って真正面から噛み付いて来るのが、おそらくは楽しいのだろう。
「そなたらには、選ぶ権利がある。アーシャと共に皇国に牙を剥き、その半分を相手にするもよく、この小さな大地で大人しく生を全うするもいい」
「皇国の半分を相手にしろ、だと? そいつらに牙を剥かなくてもいい国にするのが、本来、貴様のやるべきことだろうが!」
ウォルフが顔を真っ赤にして、吼える。
「力の無い奴が虐げられて足掻いてるのを見るのが、そんなに楽しいか!?」
「……止せ、ウォルフ」
止めたのは、〝獣の民〟の村長、シャレイドだった。
普段は快活で声が大きい彼だが、今は威厳を備えた低い声音でウォルフガングを制する。
「何でだよ!? こいつが放置してたせいで、俺やダンヴァロは! ベルビーニは!」
「お前は、前にアーシャの嬢ちゃんが言ってたことを覚えてねーのか。……皇帝だからこそ、法を守らなきゃ道理が通らねぇって、言ってただろ」
シャレイドの言葉に、皇帝は静かに頷いた。
「特異魔術の男。そなたは、暴君が望みか」
「何だと?」
「法をなき物と切り捨て、我が自ら大公を降す、あるいは、民を虐げし証拠を、他者の感知し得ぬ魔術に
ウォルフガングは、ますます眉根を寄せる。
「……クソどもがいなくなって、住みやすくなるだろうが」
「では、そのさらに先は」
皇帝は、あくまでも静かだった。
「そなたらから見れば、常軌を逸したる我の力によって、法に依らぬ統治をした先は。我が身罷いし後に、法は破ることを良しと示された者どもと、強大な力に頼り切り、自らを研鑽することを怠った者による後世か」
「……それ、は」
「それは」
腕の中のアーシャに目を落としてから、皇帝は再びウォルフガングを見る。
「―――真に、アーシャの望みし和平の世か?」
「……ッ」
ウォルフガングは、悔しそうに歯を噛み締めた。
「じゃあ、どうしろってんだよ! 未来がどうだか知らねぇが、今、この瞬間に虐げられてる連中がいるだろうが!!それを放置するのが正しいってのか!?」
「その為に、アーシャはこの場に参じたのであろう」
即答だった。
「自らの手に依て、大公を降せ。あるいは、大公が民を虐げているという証拠を、我が前に揃えよ。自らの手によって、それを成せ」
ある種の傲慢を感じさせる発言だったが。
おそらく人々がそう動くことが、皇帝にとって最も好ましいことなのだろう。
自分でやるのは簡単だと。
今この瞬間のことだけを、そして自分が生きている間のことだけを考えるなら、ウォルフガングの問いに答えた方法が、最善なのだ。
しかしそれでは、先に待つのが今よりもさらに酷い状況であると、皇帝は告げているのである。
回避したければ、自分が動かなければならないと。
―――だから?
ナバダは、唐突に理解した。
多分皇帝自身は、暴君として立っても問題はない、と思っている。
それどころか、皇国を滅ぼしてでも、アーシャが生きていればそれでいいとすら、思っているだろう。
だけど、アーシャがそれを望まないから。
「故に、問う。自らの手で、成す気があるか?」
自らが好ましいと思う、挑戦の気概を持つ者を選別し、助け。
―――皇帝は、人を、育てようとしている……?
彼が助けた人々を、ナバダは思い返す。
アーシャの望みを叶える為の駒が、自分やイオであり、ベリアであり、ダンヴァロであり……〝獣の民〟の人々なのであると、すれば。
『不甲斐なき者は必要ない』という言葉の、真意は、そこにあるのだろう。
「……そいつに答える前に、俺からも、一つ聞かせてくれ」
ウォルフガングが黙ったので、シャレイドが口を開いた。
「皇帝の婚約者筆頭の公爵令嬢がここに居て、今みたいな危機に陥ることは予想できただろ。なんでアーシャの嬢ちゃんを野放しにしてる?」
「アーシャは、反乱分子を平定する、と、自ら
「囮ぃ……?」
「我が皇国は、未だ一つならず。私腹を肥やし益をかすめる者、地位を虎視眈々と狙う者が後を絶たぬ。そなたらの知る通りに」
それは、その通りだ。
ナバダが消え、正妃の座がほぼ確実となったアーシャを、疎ましく思い、暗殺を目論む者は未だ多いだろう。
腹に一物を抱え、次期皇帝の親たらんと望む者が、正妃候補が一人放り出される好機に、食い付かないはずもない。
でもナバダの知る限り、アーシャは、そうした全てを承知して皇都を出た。
「自らを囮とし、人々の
「……」
「故に、問うている。そなたらは、
シャレイドは、夜空を見上げた。
「……ナメられたモンだぜッ! なぁ、ウォルフ」
「シャレイド……」
村長は、ウォルフガングの肩を叩いて、ニヤッと笑みを浮かべる。
「アーシャの嬢ちゃんやナバダの嬢ちゃん、ダンヴァロやベルビーニ、それにお前さんを〝獣の民〟として受け入れたのは、誰だと思ってやがるんだろうな、あの皇帝はよ!!」
ガハハと大笑いして、シャレイドは手にした武器を掲げる。
「気概だと? 上等じゃねぇかッ! 皇帝も大公どもを赦す気がねぇって知れた以上は、何一つビビる必要がねぇじゃねぇかッ! そうだろッ!?」
ウォルフガングは、呆気に取られたように彼を見上げた後に……小さく、苦笑した。
「ああ、そうだな。確かに、その通りだ」
「俺は、皇帝なんか信用しねぇし、皇国に属する気もねぇッ! だがッ! 俺が仲間と認め、今日まで目にしたアーシャ・リボルヴァの信念は……紛れもなく、本物だったッ!」
シャレイドは、ドン! と自分の胸に拳を叩きつける。
「一緒に行ってやるよッ! 苦しんでる連中を助けてぇって気持ちは、俺もアーシャの嬢ちゃんも一緒だからなッ!」
「……俺も、同じ気持ちだ。俺みたいな思いをする奴を、少しでも減らしてぇ。……他の貴族どもに従う気なんか、それが皇帝であっても、サラサラねぇが」
ウォルフガングは、ようやくいつもの、面倒見の良い兄貴分の笑みを取り戻して、皇帝に向かって拳を掲げる。
「〝
「そうか」
皇帝は、無表情ながらどこか満足そうに呟くと。
「……そなたらの、心意気は悪くない。自らの言、ゆめゆめ忘れぬことだ」
皇帝が、再び足先でトン、と地面を叩くと、近くに転がっていた魔剣銃と【【
二丁の魔剣銃はひとりでにアーシャのホルスターに収まり、モルちゃんは腰紐にぶら下がる。
そして魔導具は、正しい形でその場に着地した。
「この有機鉱物によって作られた魔導具は、特異魔術の者。そなたに預ける。おそらく、そなたの魔術と相性が良い」
「どういう意味だ?」
「正しく使用すれば、使用者に合わせて形を変える魔導具だ。試してみよ」
ウォルフガングに助言を与えた皇帝は、続いてシャレイドに目を向けながら、魔導陣を空中に描き出した。
「アーシャは半月ほど、預かる。その間に、準備を整えよ。西へ打って出るのであれば、そなたらでは未だ力が足りぬ。一人、戦力として心当たりのある者に、村へ向かうように伝えておく」
そうして、あっさりと転移魔術によって皇帝が姿を消すと。
ずっと
全員、とっくに限界だったのだ。
「……イオ」
ナバダは、少し離れたところで成り行きを見守っていた彼に声を掛ける。
ずっと会いたかった。
そして、多分これから、また一緒に過ごせると、そんな期待を込めて視線を向けると。
「姉さん……迷惑かけて、ごめん」
怪我をしているのか、足を引きずりながら近づいてきたイオを、ナバダは両手を広げて抱きしめる。
「アタシも、しくじったわ。お互い様よ」
「うん……」
涙が滲んでくる。
ようやく……解放された。
アーシャのおかげで。
そうしてイオと抱き合っていると、ウォルフガングの呻き声が聞こえて、涙が引っ込んだ。
「ったく、何が『未だご寵愛賜らぬ』だよ」
そう吐き捨てた彼を見ると、短い髪をぐしゃぐしゃとかき回して、彼はこう続けた。
「誰がどう見ても、めちゃくちゃご寵愛賜ってんじゃねーか」
「それに気づいてないのは、アーシャ本人だけよ」
ウォルフガングの呻きに思わず笑みを浮かべながら、ナバダは言葉を返した。
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