第35話 皇帝アウゴ・ミドラ=バルア(後編)

  

 アウゴは、全てを見ていた。

 アーシャが己の手で〝獣の民〟の信頼を勝ち取る様も。

 襲い来る魔獣に対処する様も。

 そして〝六悪〟が一、〝傲慢なる金化卿バベル・ド・ゴゥル〟に魂を売り渡した、ウルギー・タイガの所業も。

 その、全てを見守ることが、アーシャの願いであり、望みであったが故に。

 だが。

「アーシャ。たとえ、そなたが志半ばの死を、本望としようとも。その本望は、我が想いに反するもの」

 アウゴが選び取る・・・・未来に、アーシャの死は含まれていない。

 アーシャが、手助けを望まぬとしても。

 彼女に望み願いがあるように、アウゴにも思い描く未来がある。

 それが害されるのならば、アーシャの願いを無下にすることになろうとも、動かねばならない。

 アウゴは皇帝である。

 己の望みを叶えるために、この地位に在る。

 その願いは、誰のどんな願いよりも優先されるのだ。


 ―――アーシャが、我の横に並び立つ未来は。


「死ぬことは赦さぬ。何が起ころうとも。……心に、刻むがいい」

 腕の中のアーシャは、泣き出す直前のように顔を歪めると、目線を下げた。

「陛下……どうか、お慈悲を」

いな。アーシャを危機に晒す行為は、皇帝の名の下に赦されざる行為なれば」

 目を細めて圧を強めると、ウルギーとギドラミアも地に伏し、〝獣の民〟の男が纏う土人形の体と鳥人族の男が押し潰れて、ミシミシと音を立てる。

「が、ぁ……!」

「ぬぅ……!」

「不甲斐なき者どもは、アーシャの側に侍る資格もない」

「陛下、どうか……!」

 アーシャが腕の中で身悶えてすり抜けると、そのまま自ら頭を地に伏して、足元に頭を垂れる。


「どうか……どうか、わたくしに・・・・・、お慈悲を」


「……?」

 珍しく意図が読めず、アウゴは一度留まる。

「申してみよ」

「畏れながら、この状況は、かの者達に責のある事には、ございません。全ては、わたくしの力不足によるものに、ございます」

 ですから、とアーシャは地面に額を擦り付ける。

「罰を下す必要があると、陛下がお考えでありますれば、どうかわたくし一人に。相手の力を見誤り、無謀な攻めに及んだのは、わたくしにございます……!!」

 アーシャの声が、震えている。

「〝獣の民〟は、陛下の救うべき者どもなれば、どうか……平和への世の流れを、塞き止める者は彼らではございません。彼らは、未だ陛下の御心や御威光の、届かぬだけの者達にございます」

「……」

「わたくしは矮小であり、陛下に並び立つに相応しくない身に、ございますが、どうか、今一度、わたくしに機会を……陛下の御心の有り様に触れえぬだけの、者達に……その御心を伝え、彼らと共に、覇道を参ります機会を、お授け下さい……!」

 アウゴは、アーシャの金の髪を見下ろし、続いて周りの者達を見回す。

 ナバダ、ベリア、そしてイオと〝獣の民〟の二人。

 地に伏しながらも、なるほど、瞳から火を消している者はいないようだ。

 アーシャを案じ、その裁定を案じている。

 己が身のみを可愛く思う者は……ただ一人を除いて、いないようだった。

「無様を、晒して、しまい、誠に、申し訳ございません……ですがどうか……お慈悲を……」

「……沙汰を、申し渡す」

 アウゴは、身をかがめて、アーシャの肩に手を置く。

 皇帝は地に膝をつかない。

 それは臣下の行いであるから。

 アーシャが顔を上げたので、その額の土を指先で払い、ついでに強く押し付けすぎてついた擦り傷を癒すと、言葉を重ねた。


「半月の間、都への帰還を命ずる。もって罰とする」


 どうせ、夜会への参加準備には、時間が必要だ。

 良き口実であろう。

 罰をアーシャのみとせよと言うのであれば、不問とする以外の選択など、そもそもない。

「……仰せのままに」

 ホッとした様子のアーシャに、アウゴは一つ頷いて、頬を撫でた。

「少し、眠るがいい」

 魔術によってアーシャを眠りに落としたアウゴは、再び抱き上げて、始末をつけることにした。

「ナバダ・トリジーニ、イオ・トリジーニ。両名は、アーシャを助けんとしたその行為に免じ、罪状の一切を不問とする」

 皇帝暗殺の罪も、連座でのイオの手によるナバダ暗殺の命も、これで解消となる。

 二人の圧を解くと、イオは呆然としており、ナバダは不満そうな様子ではありつつも、大人しく頭を下げた。

「……ご厚情に、感謝いたします」

「殊勝なことだ」

 微かに笑みを浮かべて、以前の断罪の場での暴言を揶揄からかってやると、ギロリと睨みつけてきたが、何も言わない。


 ―――気概は死んでいないようで、何より。


 アーシャが救おうとした二人は、そもそもから裁くつもりも無かった。

 次いでアウゴは、圧を解くと即座にべアングリードの腕から抜け出したベリアに目を向ける。

「ベリア・ドーリエン」

「はっ!」

 膝をついて、拳を地面に押し付けたベリアに、一言だけ伝える。

「アーシャを守れぬのであれば、辞すがいい。まだ従うのであれば、二度目はない」

「次は、命に代えましても」

 深くうなだれた彼女に、それ以上言葉は掛けなかった。

「〝獣の民〟の者ども。我が臣下にあらざる故に、アーシャの嘆願に免じて長らえよ」

 圧を解いてやっても、二人は答えず、こちらを警戒した様子を崩さずに姿勢を立て直す。

 そして、最後に。

「価値なき者、ウルギー・タイガ。他者の力に、権に、魔性に頼らねば何一つ成せぬ者よ……大人しくしていれば生きること程度は許してやったが、もはや、存在することそのものが無価値」

 何があろうとも赦すつもりのない、無様な姿でうつ伏せになった黄金の骸骨に、アウゴは傲然と言葉を投げる。


「アーシャに対する蛮行、定めを破りガームをしいした罪、我への不敬。その全ての罪状において、死を命ずる。己が選択の結果に、沈むがいい」


「クク……」

 動けもしないわりに、ウルギーには余裕があるようだ。

 笑みを漏らして、眼窩の紫炎を揺らめかせる。

「不死ナル私ヲ、ドウ殺ストイウノダ?」

 ウルギーの言葉に、アウゴはそんな能力もあったか、と思い出した。

 おそらくは、何らかの制約を掛けることによって、身と魂を不滅とする禁呪の類いだろう。

 その『死』の条件は様々で、一律ではない。

 だが、いちいち探り出すのも面倒臭い話なので、アウゴは少々思案した。


 ―――さて、どうするか。


 すると沈黙をどう取ったのか、ウルギーがカタカタと嗤う。

「如何ニ強大ナチカラヲ持トウト、所詮、貴様ハ人間……イツマデヲ抑エ込メルカナ……?」

 どうやら、本格的にウルギーの人格が〝傲慢なる金化卿バベル・ド・ゴゥル〟に乗っ取られ掛けているのだろう、一人称に別の声が重なっている。

 今囀さえずっているのは、おそらく、封じられていたという本物の金化卿なのだろうが……。


「我にとって〝六悪・・程度・・の相手など、戯れに過ぎぬ」


 ウルギーの先の発言をそのまま返してやり、アウゴは対処を決めた。

 一瞬のうちに魔力で魔導陣を描き出した後、つま先で軽く踏みつける。

いでよ。〝六悪・・が一・・、真理の探究に身を捧げ、異端の叡智を宿す者……」

「ッ!?」

 アウゴの詠唱を聞いて、ウルギーが大きく顎を開いた。

「馬鹿ナ……馬鹿ナ……ソンナ、筈ガ……!」


「契約において、疾く顕れよ。―――〝貪欲なる胎児エイワス・ホムンキュリア〟」


 魔導陣が紫に輝き、ゆらゆらとウルギーに似た邪悪な気配が立ち登ると、アウゴの肩辺りに濃縮して結実する。

 紫のもやで出来た臍の緒が繋がったままの、年老いた赤子。

 それ以外に形容しようのない存在が、そこに居た。

 臍の緒の先は、アウゴが人差し指に嵌めた指輪へと繋がっている。

『お喚びですか、我が主人あるじ

 しゃがれているのに甲高い声に、反応したのはアウゴではなかった。

「我ガ同胞ハラカラヨ……ッ! 何故、何故〝六悪〟タル汝ガ、人ナドニ従ッテイル……ッ!?」

『金化卿か……我が主人に喧嘩を売るとは、何とも愚かよな』

 以前、魔導の探求をしていた時に出会い、戯れに降していたエイワスは、『フラスコの中の小人』とも呼ばれる存在である。

 己の力で動く術を持たぬ代わりに、ありとあらゆる叡智に通じる……と言われているが、その正体は耳や目が広く、長生きしているだけの魔性だった。

 知識は多少役に立ち、魔術もそこそこ・・・・扱えるが、ただそれだけだ。

 だが、長生きしているだけあって雑学には通じている。

「金化卿の弱点を言え」

『複合魔術にて、不死たり得る者にございます。陽光に触れれば不死は絶え、魔獣に食われれば魂が砕ける……そのような制約にございます』

「なるほど。代わりに、魔獣や人を操る力を持つか」

『是』

 不死という、幽玄と現世の逆転した力の代償は昼夜の逆転。

 他者を征服する力の弱点は、征服した他者に革命を起こされること。

 そういう事なのだろう。

 タネが割れてみれば、大した仕掛けでもない。


「陽光か。……では・・浴びるがいい・・・・・・


 アウゴの言葉と共に、ウルギーの周囲に陽光が溢れ出た。


※※※ 


「ガァアアアア!! ヤメロォ!! ヤメッ、ヌゥァアア……ッ!!」

 陽の光に焼かれて、ウルギーがジタバタと暴れようとするが、押さえ付けている皇帝の力のせいでビクとも動けていない。

「何故、何故ェ……タカガ、ヒト程度ノ身デ在リナガラ……六悪ヲ従ェ……コレ程ノ、チカラヲォ……!?」

たかが力・・・・一つ手にするのに、ヒトである己の本質と他者を犠牲にせねばならぬ程度の者に、負ける道理などない」

 ナバダは、その光景に知らず知らずの内に息を詰まらせていた。

 ウルギーの周りの空間が、ベキベキとガラスのようにひび割れて、牢の柵に似た形でウルギーを囲い込んでいる。

 陽光はそこから漏れており……その先に見えるのは、真昼の太陽が浮かぶどこかの景色。


 ―――あり得ないわ。


 己を転移する魔術すら遺失している現在に置いて、空間を繋ぐ・・・・・魔術を単身で、しかも即座に行使するなど……いや時間をかけて魔導陣を敷いたとしても、常軌を逸している。

 しかも、その間にも皇帝がウルギーを地面に押し付けている圧を増しているのか、黄金の骨がミシミシと音を立ててひび割れ始めていた。

 そのあまりにも理不尽な力の顕現を目の当たりにして、ナバダは思わず自嘲する。


 ―――アタシは、こんなとんでもない奴を殺せと言われてたの?


 絶対に無理だ。

 ウルギーは、ナバダ達の相手をすることを、戯れだと言ったけれど。

 アウゴにとってみれば、きっとこの世の全ての障害が、遊びのようなものなのだろう。

 魔性も人も関係ない。

 皇帝アウゴは、一人全軍どころか、一人でこの世の全てを支配することすら、赤子の手を捻るような気安さで可能な存在なのだと、思い知らされる。

 それを、していないのは。

 彼が執着するのが、腕に抱いているアーシャ・リボルヴァという公爵令嬢だけだから。

 ただ、本当にそれだけの事なのだろう。

「ガァアアアア……ッ!! 灼ケル……我ガ金色ノ肉体ガ……不死ナルガ……!! 全テヲ支配スルガ……! 馬鹿ナ、馬鹿ナァ……ッ!!」

 陽の光に触れるだけで、黒い煙を放って、ウルギーの体が黒ずんでボロボロと崩れ落ちて行く。

「そして、魔獣に喰わせる、だったか?」

 皇帝は、まるで研究作業のようにジッと崩れていくウルギーを眺めていたが、半ば崩壊した辺りでポツリと呟く。

 そうして目を向けた先にいたのは、【二又女蛇王ギドラミア】と化したガームだった。

「貴様が都合よく使い潰したそこの女にも、〝選ばせて〟やろう」

 と、アウゴがギドラミアの拘束を解く。

 どうやら、ウルギーの支配からは逃れているらしい魔獣に、本来のガームであった頃の意識があるのかどうかは、ナバダには分からなかったが。

「死ぬ前に、一人だけ喰い殺す権利をやろう。選ぶがいい」

 そう皇帝が口にすると、両腕を折られているが無事な左の頭が、ぱちぱちと瞬きをしてから……瞳孔のない瞳をウルギーに向けると、鬼のような形相になってギシャァ! と吠え猛る。

 そして、両目を潰された真ん中の上半身が、ズルズルと這うようにウルギーを閉ざした陽光の檻へと近づいていく。

「来、来ルンジャナイッ! ガーム、オ前ハ私ニ従順デアレバ良イノ……グァアアアッ!!」

 手足が失せて逃げることも出来ないウルギーは、左右に退くように開いた檻の隙間から巨大な顔を押し込んだガームに、下半身を齧られて絶叫した。

 バキ、ボキ、と音を立てながら、目の潰れたガームの顔をした魔獣が、少しずつウルギーを噛み砕きながら呑み込んでいく。

「真に強大なる支配者ならば、過去に他者に封じられることも、そのような無様を晒すこともなかった。つまりそなたはその程度だった、ということだ」

 真に強大なる支配者・・・・・・・・・本人であるアウゴの言葉は、もはやウルギーには届いていない。

「グゥォアァアアア……ッ!! ワ、ハ、コノ世ノ支配者タルベキ者ナルゾ! 我ガ名ハ〝傲慢バベ……ッ!!」

 最後まで言い切れなかった、その喚きが……〝傲慢なる金化卿バベル・ド・ゴゥル〟ウルギー・タイガの、断末魔だった。

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