第34話 皇帝アウゴ・ミドラ=バルア(前編)

 

 イオが跳躍するのを見て、アーシャは奥歯を強く噛み締めて呼吸を止めた。


 ―――もう少し……ですわ……っ!


 失敗は出来ない。

 手の魔剣銃の狙いを定める為に、極限まで意識を集中する。

 

 ―――狙うは、腕輪……!


 《風》の魔弾は十分に届く距離だけれど、ベアングリードに抱えられた上にモルちゃんに拘束されたままで、姿勢が最悪なのだ。

 アーシャの握力では、一発打ったら反動の衝撃ブローバッグで手から魔剣銃が飛んでいくだろう。

 だから、確実に当たる距離に、イオが入った瞬間に……。


 ―――ここッ!!


 アーシャは、引き金を絞った。

 銃口がブレる前に、キュン! と宙を引き裂いて飛んだ《風》の魔弾が、狙い違わずイオの腕輪だけを撃ち砕く。

「やりましたわ……!!」

 しかし、同時に魔剣銃がどこかへ飛んで行き。

『グルゥァアアアアッッッ!!』

 まだ、ウルギーに操られたままのシロフィーナが風の息吹ウィンドブレスを吐き出して、アーシャは、ベアングリードやイオごと、強烈な一撃に吹き飛ばされた。


※※※


「アーシャ! イオ!」

 ナバダは、思わず叫んだ。

 ブレスに吹き飛ばされたアーシャは、気絶したのか動かない。

 目を凝らすと、微かに胸は上下している。

 紅蓮のドレスと、ベアングリードやモルちゃんの強靭な体のおかげで、なんとか即死は免れたらしい。

 モルちゃんの拘束は解けており、同じように気絶したのか近くに転がっていた。

「無駄ナ足掻キダナ」

 アーシャが気絶したからか、つまらなそうにウルギーが呟き、指を鳴らす。

 すると最悪なことに、アーシャを抱えていたベアングリードも、瀕死の様子だが生きていたようだ。

 元々怪我を負っているような動きをしていた上に、飛竜のブレスが直撃したからだろう。

 全身がズタズタに引き裂かれて、ほとんど力はないようだが……イオの支配も解けて完全にウルギーに掌握され、怪我を無視してアーシャの方に向かっていく。

「イオッ!」

 ナバダが声を張り上げると、イオはピクリと指先を動かした。

 後ろに跳んでいたのが功を奏したのか、鎌鼬かまいたちによって怪我を負ってはいるものの、動いて起きあがろうとしている。

 けれど、上手くいかないようだ。

 あの子は、アーシャを助けにはいけない。

 そこで、ウルギーの声が聞こえた。

「興ガ削ガレタガ、続キダ」

 ウルギーの両脇には、ギドラミアとシロフィーナ。

 ナバダやベリアを抱えたベアングリードも、ウルギーの命令に応じて、腕に抱いたこちらにギロリと目を向けてくる。

「……ッ!」

 大きく口を開けて、こちらに噛みつこうとしてくる。

「私ニ逆ラッタ愚カシサヲ噛ミ締メ、恐怖ト絶望ノ中デ死ぬガイイ」

 ウルギーの愉悦に満ちた声。

 どうにも出来ない。

 皆死んでしまう。


 ―――そんな、ことを……!!


 アーシャがあれだけ頑張ったのだ。

 それを無駄にさせて、良いわけがない。

 あんな状況で、アーシャはイオの命を優先した。

『わたくしについて来れば、全て上手くいきますわ!』

 あんな、誇らしげで、何も疑っていないような、憎らしい顔をして。


 ―――どこが、上手くいってるってのよ……ッ!!


 馬鹿が。

 こんな状況でイオを助けたって、どうにもならないだろうに。


 ―――どこまでも……ッ!!


 どこまでも、アーシャはナバダの神経を逆撫でする。

 あの女は、見捨てないのだ。

 ナバダに、イオを助けると約束したから、それを実行した。

 だったら。


 ―――私だって……一応、アレとタメ張るって、思われてたのよ……!!


 極大魔術で疲れている程度で、良いようにやられたままで、終わってたまるか。

 ナバダは、ブレスの影響で紫の靄が散り、ウルギーの支配力が僅かに弱まったのを感じていた。

 ウルギーは、傲慢の名の通り、どこまでもナメ腐ってる。

 自分に勝てるはずがない、と。


 ―――誰が、お前如きに……!!


 ナバダは、残った魔力を無理やり捻り出して、全身から放出した。

「おぉおおおお!!」

 指先が僅かに、動く。

 ナバダはそこを起点に、支配を打ち破り……腕を振り抜いた。

 手にしたダガーを逆手に持ち替えて、べアングリードの喉を、魔力を込めた刃で一息に引き裂く。

 頸動脈を断たれて、べアングリードの首からバシャバシャと飛び散る紫の血を浴びながら。

 ナバダは魔獣の拘束を抜け出して、アーシャの元へと跳んだ。

 一歩、二歩、三歩。

 速度だけなら、この場の誰にも負けない。

 同じように拘束を解いたのか、シャレイドがウルギーに、ギドラミアにウォルフガングが襲い掛かっている。

「ホウ……ダガ、間ニ合ウカナ?」

 再び飛竜が、アーシャに向けて風の息吹ウィンドブレスを放とうとしている。

 そこに。


「シロフィーナ! 待機ステイ!」


 べアングリードの顎を下から槍で貫いたが、硬く締め付けられた腕からは逃れられていないベリアの、渾身の呼びかけ。

 飛竜が、ピタリと動きを止める。

「アーシャは……ッ!」

 殺させない。

「アーシャ・リボルヴァは……ッこんなところで死んでいい女じゃ、ないのよッ!」

 最後の力で爪を振り上げた魔獣と、倒れ伏すアーシャの間に。

 ナバダは覆い被さるように体を滑り込ませ、体でその一撃を受け止めようとして……。


『―――平伏せよ』


 静かな声が響き渡ると同時に、アーシャの体から、彼女のものではない・・・・・・・・・膨大な魔力が膨れ上がった。


 ―――!?


 さらに間髪入れずに不可視の圧が天上から降り注ぎ、ナバダは飛び込もうとした前傾姿勢のまま地面に押し付けられ、思わず目を閉じる。

「ぐっ……!」

 ウルギーの支配力など、比べ物にならなかった。

 そして、巨人の手で抑え付けるような圧で這いつくばらされたまま、背筋が怖気立つような怒りの気配・・・・・を感じる。

 力を込めて首だけ曲げると、そこに見えたのは、柔らかそうな紫の革で出来た靴。

 それが、宙に浮いている。

 視線を周りに走らせると、同じようにベアングリードもうつ伏せに倒れて絶命していて……シャレイドやウォルフガングも膝をついている。

 ウルギーやギドラミアですら、倒れてこそいないものの、その動きを拘束されているようだった。

「コレ……ハ……!?」

 初めて、苛立ちでも愉悦でもなく、狼狽えたようなウルギーの声が聞こえる。

 靴の持ち主は、ふわりと地面に降り立った。

 アーシャを、腕に抱いて。

 その黒い瞳を、冷たく光らせ。

 圧倒的な魔力の放出によって、黒い髪と服の裾をゆらめかせている。

「……アーシャ」

 その男の呼びかけに、腕の中にいる少女がピクリとまぶたを動かし、目覚めたようだった。

 彼女が、掠れた声で呼んだ、相手は。

 この土壇場で、現れたその男は。

「へい……か……」


 ―――バルア皇国第三代皇帝、アウゴ・ミドラ=バルア。


 彼は怒りの気配を漂わせたまま。

「自由は、許した。―――だが、死ぬことを許した・・・・・・・・覚えはない・・・・・

 しかしどこまでも静かに、そう、口にした。

 

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