第28話 敵襲ですわ!

 

「魔獣が、こっち向かってきているですって……!?」

 夜中、突如として鳴り響いた見張り台からの警戒の鐘の音。

 ショールを羽織って寝巻き姿で起きてきたアーシャは、伝令からナバダと共に報告を受け、表情を引き締めた。

 夜間に外で警邏けいらをしていた、私兵団の兵士から合図があったらしい。

 その規模が問題だった。

 【覗見小鼠ピーピングトム】と呼ばれる、透明化して獲物を探り集団で襲う、小型の魔物を含むかなりの数らしく、村が危ないという。

「……イオ、ですの?」

 伝令が去った後にアーシャが問いかけると、ナバダが頭を横に振る。

「いいえ。いくら成長していても、あの子に操れる魔獣の数はせいぜい普通の魔獣数体から、小物で1十数体程度の筈よ。でも、侵攻の規模は数十体以上。魔物寄せの香を使った可能性もあるけど、それだと制御は出来ていない筈だわ」

「……! いえ、香は使われていないでしょう」

 魔物寄せの香を使うと、普通の動物も引き寄せられる。

 魔獣だけが侵攻してくることは、あり得ない。

 しかし、何らかの理由で制御の出来ていない魔物の大侵攻スタンピードが発生しているのは事実だった。


 理由は分からないが、一大事である。


「わたくし達も出ますわよ!」

「元からそのつもりよ!」

 ベリアは今日、イオを〝獣の民〟の村に連れてきた罰の一環で、村周辺の見張りに当たっているのでこの場には居ない。

 アーシャは部屋に戻って寝巻きを脱ぎ捨てると、魔剣銃のホルスターを肌着の上から巻き付けて、胸元の祖母のペンダントを握った。

 魔力を流し込んで紅蓮のドレスを身に纏い、金髪縦ロールの元の姿に戻って、外套のフードを羽織りながら駆け出す。

「化粧をしている暇が欲しいですわね!」

 すっぴんを人目に晒すのは、いくらアーシャでも恥ずかしい。

 今は夜。

 【風輪車ツインサイクロン】に乗って空に上がれば、見えるのは暗視ゴーグルを付けたシュライグと、頭の白い愛竜と共に魔獣を警戒しているだろうベリアくらいだ。

 急いでに跨ったアーシャは、起動してナバダを待つ。

 すると、部屋の窓から顔を覗かせた彼女は、漆黒の暗殺服に着替え終えた姿で、窓から直接庭に飛び降りてきた。

 ご丁寧に、顔布を巻いている。

「一人だけ顔を隠して、ズルいですわよ!?」

「アンタも巻けば良いでしょうに」

「……それもそうですわね」

 ナバダが後部座席に飛び乗る二ケツする間に、外套のフードを被って備え付けの口布を引き上げたアーシャは。

 浮遊待機アイドリング状態の【風輪車】のハンドルを握って、魔導陣接続機クラッチを滑らかに繋ぎ、魔導陣指定足柄ギアを蹴り入れて加速魔術機構アクセルを解放した。

 ゴッ! と音を立てて斜めに高度を上げていく【風輪車】が、小屋の屋根ギリギリを飛び抜けて、警戒の狼煙が上がる方向へと駆け抜ける。

 まんまるに輝く月を正面に見て急上昇した後、アーシャは車体を水平に戻した。

「アンタって乱暴よね」

「公爵家にいた頃は、馬に乗るのは禁止されておりましたわ!」

「でしょうね」

 話しながらも、二人で眼下に目を凝らす。

 村を囲う柵の辺りでは、夜番の者達が松明を手に忙しく走り回っているのが見えた。

 そして視線の先に、空から迎撃体勢を整えようと指示を出しているベリアと、村長の家の方向からゴーグルを付けて羽ばたいてきたシャレイドの姿が見える。

「シャレイド! 話は聞いてまして!?」

「おうよ!!」

「少しでも数を減らしたいので、『炸裂符』を……」

「持ってきてるぜッ! ありったけなッ!」

 と、アーシャの言葉を遮って、手にした紙束を掲げる。

「流石ですわ! ……貴方も、飛べまして?」

 流石に貰ったばかりでゴーグルに慣れていないシャレイドが、戦地でいつも通りに振る舞うのは厳しいだろう。

 夜間という時間が、単身強大な魔獣を狩れる貴重な戦力である彼の力を削いでしまうのだ。

 が。

「飛んで爆撃程度なら、問題なくやれる! 飛べる魔獣がいたら、始末するのをサポートしてくれりゃなッ!」

 後は使って慣れる、と笑うシャレイドに、アーシャも一瞬笑みをこぼしてから、頷いた。

「ええ! では、参りましょう!」

 ベリアと合流して炸裂符を分け合い、襲撃に備える。

「ナバダ。わたくしには、闇夜に紛れる【覗見小鼠ピーピングトム】が見えませんの。わたくしが飛んで、貴女が符を使う形で行きますわ! 場所を指定なさいな!」

「自分で出来ないくせに、何でそんなに偉そうなのよ?」

「貴女も【風輪車】には乗れないでしょう!?」

 そう指摘すると、ナバダは黙った。

 アーシャが魔力流を感じるのが苦手なように、ナバダはこの魔導具の操作が壊滅的に下手くそだったのだ。

 一度乗りたそうなので貸してあげたけれど、魔力を流し込んだ途端に一気に浮き上がった【風輪車】から落ちる、乗れたと思ったらクラッチが繋げない、と散々だったのである。

 ちなみに空高く浮き上がった【風輪車】には安全装置が備わってそうで、ゆっくりと降りてきて普通に着地した。

 優秀なである。

 そうして準備を整えて、戦場に着いて待機していると。

「……来たわね」

 ナバダの言葉と共に、風が草原を渡る音に似た不気味な音が、徐々に迫ってきた。

「村に、被害は出させませんわ!」

「当然よ。右、水平、二時方向!」

 符を手にしたナバダの指示が飛び、アーシャは斜め前に【風輪車】を進ませる。

「もう少し速く! そう、ここ!」

 ナバダが魔力を込めた符を真下に向けて投じると、淡く赤に光るそれが尾を引きながら、魔力に制御されて不自然な程に真っ直ぐ落ちていく。


 数秒後に、炸裂音。

 

 パッと明るく輝いたところを見下ろすと、キィ! と声を上げながら焼かれる、十数匹の魔物の姿が見えた。

 符の輝きが薄れると共にまた闇に紛れてしまうが、一部の、驚いて隠形おんぎょうが解けたと思しきモノ達が、一対の赤い目を光らせて逃げ惑っていた。

「次! 斜め下、九時方向! 地面を舐めるように走って!」

 アーシャは方向を切り返すと、細かい指示を聞きながら地面スレスレを走る。

 斜めに体を倒したナバダが、符を直線に並べるようにトン、トン、トン、と等間隔に地面に置いていき。

「上昇!」

 指示と同時に、車首を上に向けて空に駆け上がる。

 すると、進路上に罠のように置かれた符が、侵攻する小鼠達を吹き飛ばしていった。

 シャレイドとベリアも、同様に小鼠達の始末を始めたようだ。

 そうして、三人であらかた吹き飛ばし終えたところで、ナバダが口を開く。

「降りるわよ」

「どうしてですの?」

「符も残り少ないし、始末し切れなかったのは直接やるわ」

 ナバダがダガーを引き抜きながら、ベリアを示す。

 彼女も符を使い終えたのか、頭の白い飛竜の風の息吹ウィンドブレスで残った小鼠達を引き裂いていっている。

 シャレイドは、続いて地上部隊の指揮を取る為に、村の方へと引いていく。

「残りは、飛竜とシャレイドの指揮する村人達に任せたらいいのではなくて?」

「見えないヤツらがまだ残ってるでしょう。他の連中には、大型を任せた方が良いわ」

 キッパリと反論されて、アーシャは少し考えてから頷いた。

 確かに、見えない相手に消耗させられるよりは、大型のモノを相手にする体力を残して貰った方が良いのかもしれない。

「でしたら、わたくしはもう少し先に赴いて、どんな魔物がいるかを確認し……」

 と、前方に目を向けたアーシャは、深くため息を吐いて、魔剣銃を一丁引き抜いた。

「悠長なことを言っている場合では、なくなりましたわね」

 視線の先に見えたのは、飛行する魔物達の姿だった。


 【雷速隼ファルドラ】と呼ばれる種類の、雷撃を放つ高速の怪鳥である。


 数匹が、月明かりの中に群れを成して、こちらに迫ってきていた。

「むしろ、こちらからお願いしなければならないですわね。降りて下さる?」

「一人でやれるの?」

「ベリアもいますわ。地上の小鼠退治の負担は増えますけれど。……それに、役目を終えた過積載荷物デッドウェイトを乗せた速度で、相手できるものではありませんわ!」

「随分な言い草ね。せいぜい死なないように気をつけなさいよ」

 ナバダはそのまま、するりと空中に身を躍らせた。

 アーシャも。怪鳥の雷撃に撃たれる前に動き出す。

 バチバチ、と雷速隼の体の周りで弾ける火花と雷の範囲を見るに、相手の射程はおそらく《火》の魔弾より長く、《風》の魔弾よりは短い。

 追いつかれなければ、そして《風》の魔弾で始末することが出来れば、どうにかなる筈だ。

「飛ぶモノは軽い……【火吹熊ベアングリード】や【遁甲蛇ゴルゴンダ】よりは外皮が薄い筈ですわ」

 試しに一発放つと、翼に当たって羽毛が数枚散る。

 目を凝らすと、ポツンと小さく穴が開いていて、紫の血が少量ながら滲んでいるのが見えた。

 一発で撃墜出来る程ではないけれど、効く。

「なら、負けませんわ!」


 アーシャは、【風輪車ツインサイクロン】のポテンシャルを、フルスロットルで解放した。

 

「行きますわよ!」

 【風輪車】でほとんど垂直に急上昇するアーシャに、【雷速隼ファルドラ】の群れは狙いを定めたようだった。


 ―――そうよ、いらっしゃいな!


 こちらを追うように旋回しながら高度を上げていく怪鳥達の風切り音と、出力を上げた【風輪車】のキュィィ……! という駆動音が混じり合う中。

 アーシャは、腰から取り上げて指に下げていた相棒のスライムボガードに魔力とイメージを流し込むと同時に、体ごと車体を横に倒し、急旋回した。

 急激な重圧が体に掛かると一気に血の気が引き、じわ、と視界の端が暗く滲む。

 しかし生半可な速度と軌道では、ファルドラ達に追いつかれてあっという間に爪のエサ食になってしまうだろう。

「くぅ……! モル、ちゃん、お願いいたします、わ!」

 制動を掛けながら【風輪車】の尻を振って百八十度反転したアーシャは、一瞬停止した時にモルちゃんを解き放つ。

 まるで投網とあみのように網目状になってブワッと広がったモルちゃんが、その粘ついた体で蜘蛛の糸の如く旋回中のファルドラの一体を絡めとり、翼の動きを乱した。

 いきなり制止をかけられて、きりもみ状に落ちていくそれを放っておいて、アーシャは右手でハンドルを保持しながら、左で魔剣銃の狙いを定める。

 利き手ではない腕。

 光源は、真円の月光のみ。


 ―――ふん、きっちり当てますわよ!


 アーシャは片目を閉じて、直近の一匹に極限まで意識を集中して目を凝らし……間髪入れずに引き金を絞った。

 《風》の魔弾が宙を裂き、大きく開いたファルドラの口腔から後頭部を貫く。


 ―――二匹目!


 それを確認した直後に、今度は浮遊するための魔力供給を断って、落下。

 腹の底が押し上げられるような滑落感を覚えつつ、右手と両腿に力を込めて車体から離れないように踏ん張りながら空を見上げた。

 二匹のファルドラが、先ほどまでアーシャの居た空間を挟み撃ちするように、高速ですれ違う。


 ―――そのまま、ぶつかってしまえば行幸でしたのに!


 魔剣銃をホルスターに収めたアーシャは、浮遊力を再起させると、落ちていくファルドラとモルちゃんを追いかける。

 それに、追従してくる怪鳥が一匹。

「ふふ、これは避けられまして?」

 アーシャは指の間に挟み込んでいたそれに魔力を込め、わざとギリギリまでファルドラを引きつけてから、指を開いて離す。


 爆発。


 残っていた炸裂符の一枚が、三匹目のファルドラの頭を吹き飛ばして、爆風でアーシャはさらに加速する。

 先ほどすれ違った二匹を引き離しつつ、耳元を轟々ごうごうと流れる風の音に負けぬよう、迫り来る地上を前に声を張り上げる。

「モルちゃんっ!」

 網目状になっていたスライムボガードは、しゅるしゅると体躯を縮めると、小鳥に似た姿になってこちらに飛んでくる。

 いきなり解放されても、ファルドラは浮力を回復できない。

 モルちゃんを抱くように攫いながら、緩いU字を描くように、アーシャは地表スレスレから再び上昇した。

 轟音と共にファルドラは地面に叩きつけられ、その風圧で【覗見小鼠(ピーピングトム】が何匹が巻き込まれて、吹き飛ぶのが見えた。

「っ……ぶな……!」

 どうやら近くで魔獣の相手をしていたらしいナバダが、飛び退きつつ何やら口にしたようだが、よく聞き取れなかった。

 というか、まだファルドラ二匹に追われているので、それどころではない。

 流石に軌道を変更できないアーシャに、上から突っ込んでくるファルドラ。

 もう一匹は、こちらよりも安全な軌道で追従してきている。


 ―――もう一度、モルちゃんに……。


 と、指示を出そうとしたところで。

 唐突に、上から来ていたファルドラが無数の刃に引き裂かれたようにズタズタになり、横に吹き飛んで落下軌道に入った。

「あら?」

「無茶をしすぎです、アーシャ様ッ!」

 かなり離れているのに、耳をつんざくような怒鳴り声が届いた。

「ベ、ベリア?」

「連携を取るつもりがないのですか!? 一人で全て引きつけるなんて、何を考えておられるのですか!」

 遠くで、頭の白い飛竜が高度を下げてくるのが見える。

 どうやら先ほどのファルドラは、ベリアの飛竜が風の息吹ウィンドブレスで始末したらしい。

「助かりましたわ!」

「そ、そんな礼で誤魔化されるとでも思っているのですか!?」

 顔を真っ赤にしていそうな様子が、容易に思い浮かべられる声音。

 まるで間近で怒鳴られているようで、耳が痛い。

 どうやら風の魔術に適性のある者が習得出来るという、伝令魔術でも使っているのだろうと推測したアーシャは、離れたところにいるベリアに小さく謝った。

「ごめんなさい」

「二度とやらないで下さいね! 残り一匹、確実に始末しますよ!」

「ええ!」

 アーシャは、追従してきているファルドラを、低高度で、ベリアの飛竜が狙いやすいように誘導した。

「そのまま右に。そうです、行きますよ……3、2、1、射てショット!」

 連携を取れば、残り一匹は呆気なかった。

 飛竜が再び放った風の息吹を受けて、ファルドラが墜ちる。

「どうにかなりましたわね! 地上は……」

 と言いかけたところで。


『―――見ツケタ、ゾ』

 

 と、背筋が怖気立つような不気味な声が聞こえた。

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