第26話 〝傲慢なる金化卿〟バベル・ド・ゴゥル


「どうしたもんかな……」

 イオは、十分に離れた草原くさはらの陰から、遠くに見える〝獣の民〟の村を見張っていた。

 連れてきて、近くに潜ませていた【遁甲蛇ゴルゴンダ】のつがいが一瞬で始末されたことには驚いたものの、イオの目的は、皇帝の指示を達成することではない。


 ―――どう殺されるのが最善かな。


 出来るだけ、自分が本気で相手を狙って殺されたように見せかけたい。

 が、相手に被害が出るのは避けたいので、向こうがきちんと警戒している時に襲いたいが……そうなると、次はいつ動くかが、かなり難しかった。

 イオ一人で〝獣の村〟に潜入するようなパターンは、万が一捕まってしまえば、腕輪の効果で死ぬのが先か、その前に洗いざらい吐かされることになるだろう。

 そうなると、姉の心労が嵩む。


 ―――姉さん、気づいてたしな。


 衝撃を受けていた顔を思い出し、胸が痛む。

 優しい姉である。

 なるべく負担にはなりたくない。

 多分警戒はしただろうし、このまま逃げて、腕輪の効果で野垂れ死にも考えたが……そうなるともしかしたら、姉がずっと自分を探し続けることになるかもしれない。

 残る手段は外から、相手が迎え撃てる形で行うこと。

 それなら、襲撃に魔獣を使うのはほぼ確定だ。


 ―――あの森の辺りには、魔獣が多そうだったな。


 イオは、割れた大岩の周りにある森を思い浮かべた。

 あの辺りは何故か魔力や瘴気が濃いようで、魔獣自体も他の地より強大そうだった。

 イオが操れる魔獣の数には限界があるし、あまり数を揃えて暴れさせると〝獣の民〟に思わぬ被害が出るだろう。


 ―――なるべく強力な魔獣を一匹、かな。


 あまりに強すぎる魔獣だと、こちらの支配を跳ね除ける可能性があるので、そのラインの見極めには注意が必要だ。

 そう思いながら、一旦監視を切り上げて『大岩の森』へ向かったイオは、ふと、森の中……ちょうど割れた大岩の中心辺りから何かの気配を感じた。


 ―――なんだアレ。

 

 背筋がゾワゾワと怖気るような感覚に、警戒を最大級に跳ね上げたイオは、慎重に音を立てないよう、気配のある場所を目指す。

 イオは、魔獣の気配を感じることが出来る。

 今の気配は、普段感じるものとよく似た気配ではあるものの、明らかに異質だ。

 そうして割れた大岩の片側に辿り着いたイオは、岩の割れ目から生えた細い木立の裏側から、真下を覗き込む。

 するとそこに、妙なモノがいた。

 大きさは人とそう変わらないが、高級そうな服を身につけた〝それ〟には……肉がなかった・・・・・・


 ―――紫の光を淡く放つ、黄金の骸骨ガイコツ

 

 【放浪骸骨デスケルトン】という下級の魔物と似た外見だが、纏う瘴気の濃度が尋常ではない。

 その周りが暗く見えるほどの瘴気の中に〝それ〟は立っていた。

 足元に、肉が腐れたような女の死体が転がっていて、胸には黄金のナイフが突き刺さっている。


 ―――アレは、マズい。


 イオは、理屈も何もなくそう思った。

 尋常の存在ではない〝それ〟の名を……多分、イオは知っている。

 昔、魔獣を操る力を見出された後に、徹底的に叩き込まれた『魔のモノ』に関する知識の中に、同様の外見をした存在がいた。


 ―――【傲慢なる金化卿バベル・ド・ゴゥル】。


 〝六悪の魔性〟と総称される、最上位の魔物として名を刻みしモノ。

 かつて幾万の異形の軍勢を従え、『神にも勝る』と誇った傲慢の罰として魔に堕し、山をも砕く雷に撃たれて封じられた、とされている。


 ―――なんでこんなところに、あんなモノが?


 そんな疑問を抱いた瞬間。

 金化卿の視線が、ゆっくりとこちらに向けられた。

 その眼窩の奥に、チラチラと瞬く紫の熾火おきびのような瞳を直視する前に、イオは後方に跳ねていた。

 そして、一目散に逃げ出す。

 捕まれば死ぬ。

 それが分かってしまった。

 

 ―――こんな場所で、死ぬわけには。


 そして、どうにかして知らせなければ。

 姉の前で死ぬことになるよりも、あんなモノが〝獣の民〟の村を襲ったら……と、そこまで考えたところで、イオは衝撃に襲われて、いきなり跳ね飛ばされる。


 ―――っ!?


 叩きつけられた茂みの向こうには、足場がなかった。

 断崖の真横だったのだ。

 真下に、渓谷を走る川が細く見える。

 空中で、ゆっくりと放物線を描き、徐々に滑落感が襲ってくる。

 吹き飛ばされた崖上に視線を向けると、そこには【火吹熊ベアングリード】の姿があった。

 その気配すら感じられないほど、自分が焦っていたのだとイオは悟る。

 明らかに普通ではない様子の魔獣は、崖から身を躍らせてこちらを追ってきた。

 死ぬことなどまるで考えていない……いくら興奮していても、魔獣とて生き物なので、あり得ないことだった。

 十中八九、金化卿の仕業、だろう。


 ―――姉さん……!


 ベアングリードに掴まれながら、なす術もなく落下していったイオは、水面に叩きつけられた瞬間に、意識が吹き飛んだ。

 

※※※


『ハハハ……!』

 どこかで見覚えのある子どもが川に沈んだのを、目線に頼らない・・・・・・・視界・・で眺めた金化卿は、ひどく爽快な気分で笑みを漏らした。

 とてつもない力が、絶対的な支配者たる昂りが、魂の内側から湧き起こっている。

『コレゾ、我ガ身ニ相応シキ力ダ……!』

 金化卿は、黄金の骨になった自分の指先を、うっとりと眺める。

 もはや、何も恐れるものはない。

 怒りのままに、全てを薙ぎ払ってくれよう。

 西の地に住まう、自分を嘲笑した愚物どもも。

 自分に逆らった、ベリア・ドーリエンも。

 父たる西の大公、ハルシャ・タイガも。


 ―――ソシテ、アノ忌々シキ皇帝モ。


 全員、全員、なぶり殺してくれよう。


『我ハ〝傲慢なる金化卿バベル・ド・ゴゥル〟―――ウルギー・タイガ、デアル』


 金化卿と化したウルギーは、足元に転がる死体……恋人であったガームに目を向ける。

 己も、ウルギー同様に包帯の隙間から紫の皮膚を晒す無様な顔をしているくせに、腰を振る自分から、汚らしいモノであるかのように目を逸らし続けた女。

 胸に突き立てた黄金のナイフは、勿体無いので持って行こう。

 そう思いながら指を軽く動かすと、魔術によって勝手に抜けたナイフが手に収まる。

『ハハハ』

 愉快だ。

 人間だった頃には難しかった魔術も、『思う』だけでこなせる。

 魔獣の気配も感じられ、それを従わせる方法も簡単に分かる。


 ―――我コソ、支配者ニ相応シキ者ナリ。

 

 あのアウゴ・ミドラ=バルアの代わりに、皇国を支配してやろう。

 今の自分ならば、倒すのも容易かろう。

 ウルギーは、あの皇帝に右腕を腐り落とされ、顔を潰されてからのことを、思い返していた。

 醜悪な顔に変わり果てたガームとのしとねも、月に一度の皇都での謁見も、苦痛で仕方がなかった。

 『魔性の平原』に赴く僅かな時間だけ自由を許され、死ぬことも出来ない。

 他の者などどうでも良いのに、父の命令で丸一日中、それこそ褥の間までも監視されていた。

 元々死ぬつもりなどなかったが、ウルギーは、自分はこのような目に遭って良い存在ではないと、思い続けていた。

 他人は、全員が自分の思う通りになって然るべきなのだ。

 今の状況は間違っているのだ。

 ガームは死にたがっていたが、この女が死んだせいで処刑など冗談ではなかった。

 平原まで行くことだけは許されたのは、おそらく魔獣や、下賤な〝獣の民〟に殺されろということなのだろうと分かってはいても、他の自由などなかったので、数度、馬車で赴いた。

 だが、ある時。

 人目に晒されることの屈辱に耐えかねて、屋敷の蔵書室に赴いて……何かの声に導かれるように手に取った、奥の奥に眠っていた書物が、運命を変えた。


 そこには、『魔性の平原』に眠る力についての記述が、あった。


 黄金のナイフで胸を差し貫き、他者の魂を大岩の間で生贄に捧げることで、何者にも脅かされぬ不死の肉体を得られるという。

 ガームを無理やり連れて行き、監視役を、隠していた秘蔵の魔術……飲み水を毒に変える魔術で、殺し。

 そして、今。

『我ハ、全テヲ手ニシタノダ……』

 他人の生殺与奪の権利を得た。

 不死の肉体を得た。

 そして、圧倒的な力を、得た。

『マズハ、ベリア、ダ……』

 あのクソ生意気で思い通りにならぬ女を、絶望の中でくびり殺してやろう。

 そう思いながら、ウルギーは動き始めた。

 彼は、気づかない。

 傲慢で貪欲な魂の在りようが、金化卿の依代として相応しいと、一体何が・・判断したのか。

 彼は気づかない。

 なぜ普段、本など大して読まない自分が、図書室のさらに奥にある蔵書室の数ある本の中から、それを選び出せたのか。

 ウルギーは、気づかない。

 己の魂に宿る力はただの力ではなく、自分の身の内に巣食い始めたモノから貸し与えられているに、過ぎないことを。


 その対価として、何を支払っているのか。


 ただ己は全能であるという意識のみが残り、ウルギー・タイガという自我が徐々に崩壊し始めていることに、気づかない。

 気づかないまま力に酔い、そして無差別に振るい始めた。

 

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