第20話 イオの暗躍


 ―――『姉を殺せ』。


 その任は、腕輪と共にナバダの弟であるイオに与えられた。

 西の大公ハルシャ・タイガの命令に、逆らうことは出来ない。

 与えられた腕輪に込められているのは、死の魔術。

 発動条件は、裏切ること、逃亡すること、あるいは腕輪を外そうと試みること。


 ―――姉さん。


 共に生き延び、その美しさと才覚から皇帝暗殺の刺客として旅立った姉が、失敗し放逐された時から、こういう命令が下ることは分かっていた。


 彼女を殺すか、自分が死ぬか。

 その絶望以外に道はないのだと。


 すぐに殺されずに、今生きているだけマシなのかもしれない。

 イオは南部に赴いて姉を探し始めた。

 しかし、南部に送られる途中で、アーシャ・リボルヴァと共に失踪したという彼女の手がかりは掴めなかった。


 ―――このまま、見つからなければ良いのにな。


 ふと、そんな風に思う。

 探すのをやめると言う選択肢もあったが、単に自分の死期を早めるだけで、何の解決にもならないことも理解していた。

 淡々と、何も考えないように、しらみ潰しに手がかりを追っていたところで、ある日、アーシャの噂を聞いた。

 随分と派手に振る舞っているらしく、名前を聞く頻度が増えていき、情報が集まってきた。

 〝獣の民〟の村に住んでおり、最近とてつもなく羽振りがいいこと。

 南の領地に現れては、商人達に取り入り、お得意様として存在感を増している、ということ。

 西にも手を伸ばすようだ、という話も聞いた。

 希少な宙を舞う魔導具を駆っており、街に現れる時、彼女の側には常に浅黒い肌の美貌を持つ女が付き従っているそうだ。

 その人物が、イオの姉、ナバダ・トリジーニであることに間違いはないだろう。


 ―――姉さん。


 見つけてしまった。

 ならば、動かなければならない。

 イオもナバダも、西の大公にとっては元々、使い捨ての駒だ。

 多少なりとも上手くいけばいい、程度で、失敗しても大して問題とはしないだろうが……ハルシャがわざわざ『皇帝陛下の命令である』と口頭でイオに伝えたのは、多分嫌がらせなのだろう。

 『もしイオが自害して果てたとしても、すぐに次の刺客が放たれる』、と言外に伝えているのだ。


 ―――なら、その場で殺せば良かったんじゃないのか。


 ハルシャが皇帝を狙っているのは、西の権力者の間では公然の事実だ。

 その手駒が皇帝の命を狙ったのに、処刑されずに南に送られている意味が分からない。

 姉を苦しめることが目的だったのだろうか。

 あるいは、姉が命を狙ったにも関わらず、ハルシャを処分出来なかった皇帝からの、嫌がらせなのかもしれない。

 巻き込まれた方はたまったものじゃないが。


 ―――姉さんに、伝えないと。


 彼女の命を狙っている者達の存在を。

 姉に限ってそれはないと思いたいが、もし万一、処刑されずに放逐されたことで許された、あるいは逃げおおせたと思っていたら油断するかもしれない。

 イオ自身が姿を見せて姉を襲い、警戒してもらわなければ。

 その上で死ぬ。

 きっと、それが一番良い形だろう。

 決意を固めたイオが〝獣の民〟が住む村に潜り込む手立てを探していると、ちょうど『魔性の平原』に向かうという、騎士の一団と出会った。

 どうやら頭が白い飛竜を駆っている女性騎士が率いているらしい。

 彼らの掲げる旗と女性騎士の顔には、見覚えがあった。

 ハルシャの息子、ウルギー・タイガの婚約者である、ドーリエン伯爵令嬢ベリアだ。


 ―――何故彼女が、こんなところに?


 あの騎士団の目的がなんであれ、『魔性の平原』に赴くというのなら、潜り込めれば都合が良い。

「我らが主人たるアーシャ様が『魔性の平原』にいる、というのは間違いのない情報か?」

「はっ! 聞き込みによると、身体的特徴が一致しております。金の髪に、顔の火傷痕。二丁の魔剣銃を所持しているとのことです!」

 駐屯地に潜り込んで聞き耳を立てると、そうしたやり取りが聞こえてきた。

 かすかに頷いたイオは、いきなりベリアがこちらに向けた視線を感じ、さらに息を潜めて気配を殺す。

「何者だ?」

 気づかれた。

 剣の柄に手をかけ、軽装鎧に身を包んだ彼女は、怜悧な美貌をこちらに向けてジッと注視したまま、動かない。

 不思議に思った部下が「何か?」と問いかけるのを手で制して、ベリアはイオが身を潜めた木立に近づくと声を上げた。

「感じていた気配が消えたら、『そこにいる』と言っているようなものだぞ?」

「……!」

 イオは、特に気負った様子もなく問いかける彼女に、息を呑む。

 姉と共に地獄のような環境を生き抜いてきたイオ自身も、元から相手に悟らせるような甘い気配断ちはしていなかった筈だ。

 視線を向けられて、より息を潜めただけで、ベリアはそれを悟った。

 現に部下達は今、戸惑ったように声を発した彼女を見ている。

 

 ―――どうする?


 イオは、振る舞うべきかを瞬時に判断して、姿を見せることにした。

 するりと木を降りると、ベリアの前に跪く。

 ベリアの部下達がザワリとさざめき警戒を高める中、イオは告げる。

「ご無礼をお許し下さい、ドーリエン伯爵令嬢。皇帝陛下の・・・・・命により・・・・、陰ながらリボルヴァ公爵令嬢の元へ赴くまでの間、見張り・・・をしておりました」

 イオは、嘘はついていない。

 皇帝の命を受けてイオが・・・『姉を暗殺する為』にアーシャの元へ向かうことと、その為に見張り・・・をしていたのは、事実である。

 アーシャの名と、西の大公と、隠れていたことへの言い訳と。

 それらの内、どれをどう組み合わせて口にしたか、というだけの話だ。

「陛下も疑い深いことだ。皇国への忠誠を、命を対価に誓ってもまだ足らぬと見える」

 ベリアは、面白そうにかすかに笑みを浮かべながら、イオに告げた。

「こそこそする必要はない。堂々と共に居ろ。自分ばかりが、一方的に見張られるのは性に合わん」

 随分と勝気な女性のようだ。

 こちらの行動も監視したい、ということなのだろう。

 が、特に問題はなかった。

 どちらにせよ、アーシャと……姉のナバダと出会うまで、行動を起こすつもりはない。

「承知いたしました」

 イオは丁寧に頭を下げる。

 逃亡しても良かったが、それだとアーシャの元へ向かうらしきベリア達を追跡するのに、更に警戒されてしまうことになる。


 ―――彼女は、アーシャと姉を狙う側ではない。


 先ほどのやり取りを聞くに、ベリアがアーシャを守る役目を仰せつかったとするのなら、当然、居場所を知っているだろう。

 ドーリエン伯爵家は西の勢力ではあるが、〝化け物令嬢〟の話は有名だし、皇帝陛下も寵愛する相手に危険がある人物をわざわざ近づけはしまい。

 上手く同行出来ることになったイオは、道中、どうやら意外とお喋りであるらしいベリアに、様々なことを語られた。

「正直、くだらない婚約者から逃れられて清々している」

「アーシャ様を尊敬している。あの陛下に不快と斬り捨てられることもなく、懐に入り込む賢明さと、美貌の傷を『誇り』とする心根の強さに」

「皇帝陛下が容赦のないお方であらせられるのは事実だが、誠に公平なお方でもある。その最愛であるアーシャ様の手助けが出来るなど、これほど嬉しいことがあるだろうか」

 また、イオにも色々なことを尋ねてきた。

「ふむ、影としての訓練か。それは具体的にはどういうものなのだ? 一つ教えてくれ」

「む、難しいものだな。貴殿はどのような武器を扱うのだ? 短剣か。一度手合わせをしてくれ。ああ、大丈夫だ。手の内を全て明かせとは言わない」

「強いな……まさか私が勝ち越せぬとは。貴殿が尊敬するという姉君は、もっと強いのか? 一度お会いしてみたいものだ」

 そんな風に。

 『魔性の平原』での旅は穏やかに進み、そのことによってイオは徐々に迷いが生まれてくる。


 ―――このまま一緒にいてはいけない。


 ベリアは、今まで出会ったことのないタイプの女性だった。

 明朗快活、表情こそさほど変わらないが一本芯の通った真っ直ぐな気性。

 イオは暗殺者だ。

 迷惑をかけてしまうのではないか。


 ―――だけど、何故ダメなんだ?


 同時に、別の自分が囁きかけてくる。

 ベリアは、姉の元へ向かう為に利用するだけの相手に過ぎない。

 姉を殺さないのなら、どう転ぼうとイオは死ぬし、その後のことを考える必要はないのに。

 イオの正体がバレたことでベリアが迷惑を被っても、構いはしないのではないか。


 ―――なぜそれが、ダメだと思うんだ?


 イオは、ベリアに触れ合う機会が多くなるにつれ、そう自問自答するようになっていた。

 判断は間違っていない筈だ。

 最初から、利用するつもりで姿を見せたのだから。

 イオを惑わせているのは。


 ―――きっと、あの目だ。


 藍色の、涼しげな瞳。

 自分を見つめるあの目に、フラフラと、火に飛び込む虫のように惹かれてしまっている。

 その自覚が芽生えた時に、イオは決意した。

 遠くから誰かが来ることを、頭上の飛竜からベリアが合図してきた時に、警戒をそちらに向ける一団の中から、そっと姿を消した。

 気づかれないよう遠く離れた位置から、アーシャと思しき少女に、部下と共に一斉に跪くベリアの姿を見る。

 

 ―――そして、アーシャと共に現れた、姉の姿を。


 ナバダは、別れた数年前よりも遥かに美しくなっていた。

 土埃にまみれ、飾りけのない外套に身を包んでなお、その浅黒い肌と黒い髪は艶めいている。

 信じがたいことに、姉は他人に対して笑みを浮かべるようになっているようだった。

 共に地獄を生き抜き、イオ以外には無機物を見るような目を向けていた姉が……。


 ―――姉さんが、今幸せなら。


 やはり、イオは消えるべきだ。

 これからベリアらが案内される先にあるだろう、〝獣の民〟の村。

 彼らは、驚異的に強いと噂されている。

 そこを襲撃したら、イオは姉ではなくとも誰かに殺されるだろう。


 村の者達か、アーシャか、ナバダか、あるいはベリアか。


 ただ出来れば。

 姉とベリアの悲しげな顔だけは見たくないと、ふと、そう思った。

 

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