第18話 騎士令嬢の断罪劇

 

「ベリア・ドーリエン伯爵令嬢! 私は貴女との婚約を解消する!」

 皇帝アウゴは、夜会の折に目の前で突然繰り広げられ始めた茶番劇を、肘掛けに頬杖をついた姿勢のまま、ひどく冷めた気持ちで見ていた。


 それを始めたのは、西の大公子息……ウルギー・タイガだ。


 彼の横には、色気しか取り柄がなさそうな女がはべっている。

 どこかの令嬢だったのは記憶しているが、名前まで覚える価値がないと判断していた女だ。

 得意げな顔をしているウルギーも、この件が終わったら忘れるだろう。


 ―――くだらぬ、が。


 アウゴは、それと相対する、武人のような雰囲気を纏った伯爵令嬢に目を向ける。

 西部領にある武の家系、ドーリエン家の長女、ベリアだ。

 左右を編み込みつつ、藍色の髪を馬の尻尾のように纏めた髪型をしている。

 飾り気のない上質な深い青のドレスを身に纏っており、背は少し高く、凛とした印象の少女だった。

 

 切れ長の涼しげな一重の目には、ウルギーやこの状況に対する、何の感情も浮かんでいない。

 逆に、冷静にこちらをチラリと気にするような素振りを見せている。


 ―――ほう。


 その冷静さに、好感が持てた。

 ベリアは、ウルギーに言葉を返す。

「ウルギー様。陛下の御前で、非礼とは思わぬのでしょうか」

 淡々と述べられたその言葉に、ウルギーが疎ましげに顔を歪める。

 だが、すぐにその表情を嘲るようなものに戻すと、彼は言い返した。

「皆にお聞きいただくために、わざわざこのような場で告げているのだ! ベリア、貴様の貴族令嬢として相応しからざる振る舞い、そして学舎での悪行、目に余る! 人を虐げ、排除せんとするその性根は、やがて西の地を預かる私に全く相応しくない!」


 ―――愚かな。


 アウゴは、思わず溜め息を吐きそうになった。

 どう見ても、ウルギーの侍らす令嬢よりも、そしてウルギー自身よりも、ベリアの方が為政者に向いている。

 まず、この場での振る舞いを見る限り、判断力の時点で落第だ。

「令嬢として相応しからざる、ですか。ウルギー様が、伴侶となる私が武に長けることを疎んじておられるのは存じておりましたが」

 まるで気にした様子もなく、ベリアは淡々と答える。

「我がドーリエン家は、辺境守護を任としております。命を賭ける兵らを導く者として、先頭に立つ気概を持って励むのは当然のこと。また、学舎での悪行とやらには身に覚えがございません。人を虐げ、排除せんとしたこともございません」

「言い逃れをす……」

 るな、と愚か者が言い切る前に、瞳に強い光を宿したベリアが言葉を重ねる。


「―――皇帝陛下のご威光に誓って。無実と宣誓いたします」


 ベリアの言葉に、ウルギーは息を呑み、夜会の参加者がざわめいた。

 アルゴの名の下に無実を宣誓するということは、虚偽であった場合に死罪を賜ることを受け入れるのと同義。


 ―――良い覚悟だ。


 その宣誓を面白いと思ったアルゴは、笑みこそ浮かべなかったものの、ベリアに好感を持った。

「リケロス」

 アウゴが口を開くと、その声が通ったのか、一斉に視線がこちらに向けられた。

 問われた宰相は、静かに答える。

「は。貴族子女の通う学舎内で、ベリア嬢に関するそのような噂があるのは事実でございます。同様に、取り巻きと思しき者による嫌がらせの類いもあったと、報告が上がっております」

 リケロスの言葉を受けて、ウルギーの目に愉悦が宿り、勝利を確信したように笑みを深めた。

 しかしその表情は、続けられた内容を受けて、すぐに強張る。

「が、ベリア嬢ご自身の関与は、認められておりません」

「ふむ」

 ベリアは、人を使って能無しを排除しようとしたか……あるいは、実際に関わりがないか。

 どちらの側・・・・・にせよ、行動としては最低ライン。

 たかが学舎内での序列争いに、自分の手を汚す程度の者は、皇国の支配層に必要ないのだ。

「関与が認められぬ。つまり、無実ということか?」

 アウゴの言葉をどう受け取ったのか、ウルギーは、少し焦ったようにベリアに向き直ると、再度口を開いた。


 ―――口を利くのを許した覚えはないが。


 あの愚か者は、いつそれに気付くのだろうか。

「わ、私はこちらのガーム嬢と出会い、真実の愛を見つけた! しかし決して、慎ましやかな関係を崩したわけではない! にも関わらず、貴様が嫉妬して彼女を傷つけたことには、証人がある!」

「どのように言われても、誰が現れようとも、わたくしの答えは一つです。陛下のご威光に誓って無実にございます」

「では、死ぬがいい! こちらへ!」

 そこで、ウルギーに証言者として目を向けられたどこかの令嬢が、青い顔で前に出て来る。

「……西のドーリエン領を狙っている、との噂がある家のご令嬢にございますね」

 リケロスが密やかに呟くのに頷いて、アウゴは声を上げた。


「質問者を我とし、虚偽を禁ずる」


 その瞬間、ざわめいていた夜会の空気が凍る。

 元々騒いでいたのは、アウゴ自身が口を開いた時点で、この場が皇帝預かりになっていることを認識していなかった愚物のみだが。

「証人、答えよ。ベリア・ドーリエンが、ガームとやらへの嫌がらせをおこなったという証言、真実か、虚偽か、あるいはそなた自身の行いか」

 おそらくは、ガームとかいう令嬢への嫌がらせは、行われている筈だ。

 あるいは、行われているように見せかけられている。

 その程度の小細工は、自らの手を汚さぬのと同程度に、なすべき事柄である。

 問題は、それが誰の手によってどのような経緯で行われたか、だ。

「この件に関しては」

 証人が口を開き、吐息を漏らす程度の段で、アウゴは言葉を重ねた。

「追って、調査を行う。もし仮に、そなたが虚偽を申告し、それが発覚した時」

 軽く目を細めて見据えると、証人は目に見えてガクガクと震え始めた。


「その身のみならぬ罰、家門のみならぬ・・・・・・・罰がくだること、心せよ」


 証言者の一族郎党ですら済まさず、協力者全てに罰を降す。

 そう宣言したアウゴに、ウルギーは顔色を土気色にして、ガームは発言の意味すら理解出来ていないのか、証人と横の愚物に視線を交互に向けている。

 証言者の令嬢は、己の運命を悟ったのか、ヒュ、と喉を鳴らした。

 アウゴはこの茶番が、ウルギーが仕組んだものと最初からほぼ確信している。

 故に、逃げ道を塞いだ。

 ベリアの行いである、とすれば、証言が虚偽。

 ウルギーの策略である、とすれば、そもそも訴えの根幹自体が虚偽。

 西に領地を構える証人の家門にとって、皇帝の不興も西の大公の不興もさして変わらぬ死刑宣告に等しい。


 ―――脅されていたのだとすれば、まだ情を加えてやる余地はあるが。


 最初から青い顔をしていたのが、強要によるものか、あるいは協力する約束はしたが、ウルギーがアウゴの前でやらかすと思わなかったからか。

 ドーリエン家と対抗する家の出であるのなら、前者である可能性は限りなく低い。

 証人は、迷った結果。

 絶望を滲ませた声色で、小さく呟いた。

「……此度の件、ベリア様は、無関係に、ございます……わ、わたくしが一人で、勝手に、行ったことで、ございます……」

 と、証言者自身が自らの罪を認めた。

 ベリアは小さく息を吐き、ウルギーの顔が再び歪む。

 証人は、おそらくこれ以上何かを口にするつもりはないだろう。

 しかしウルギーは、それを自身の策略と漏らされるのを恐れたのか。

「そのような嘘をついて、ベリアを庇う必要は……ッ!」

「誰が発言を許した」

 これ以上、愚か者の発言を聞くのは不快が過ぎる。

 アウゴが、トン、と魔石の埋まった玉座を指先で叩いた瞬間。


 ウルギーとどこかの令嬢ガームに、〝呪い〟が降りかかった。


 二人のそれなりに整った顔が紫のモヤに包まれ、ウルギーは利き腕である右腕も同時に同じものに包まれる。

 いきなり襲いかかった苦痛に、二人が絶叫した。

「ぎぃぁあああああ!! 顔、顔がァ……!!」

「ああああああ……!!」

 ボトリ。

 腐り、千切れて床に落ち、音を立てたのは、ウルギーの右腕。

 それを目にした者達から短い悲鳴が上がり、輪が二人を中心に二回りほど大きく広がる。

 やがて紫のモヤが晴れると、二人の顔は二目と見れぬ膿の滴る醜いイボに覆われ、紫に変色して腫れ上がっていた。

「沙汰を告げる」

 ガームは、一瞬で変化した相手の顔を呆然と見下ろし、膝をついたウルギーは、失った腕を押さえて痛みに呻いていた。


「一つ。真実の愛で結ばれたウルギー、ガーム両名は、婚姻せよ。

 二つ。我が求めに応じる場合以外は、幽閉とせよ。

 三つ。週に一度の昼の褥を義務とせよ。

 四つ。月に一度、皇宮に顔を見せよ。

 五つ。顔の治癒を禁ず。癒した場合、癒やし手と共に極刑とす。

 六つ。自死を禁ず。成された場合、一族郎党八つ裂きとす。

 七つ。殺害・病死を禁ず。成された場合、当主一家を斬首とす。

 八つ。南西、『魔性の平原』に赴く場合のみ、自由を赦す。

 以上だ」

 淡々と告げたアウゴに、夜会の場はもはや皆が氷の彫像かと思うほどに、動かなくなった。


 ―――アウゴの〝処刑〟。


 年嵩の者はそれに、久方の畏怖を思い出しただろう。

 歳若の者は初めて見たそれに、皇帝に逆らうことの愚かしさを心に刻んだだろう。

 そして一部の者は思った筈だ。


 ―――アーシャが居れば、と。


 アウゴが冷酷に走らずにいたのは。

 デビュタント以来、常に彼が参加する夜会の場に彼女がいてアウゴを楽しませ、手を煩わせぬよう、何らかの騒ぎとなる前に封じていたからに他ならない。

 アウゴは、少しでもアーシャの好まぬであろう振る舞いをした者を、全て平等に、容赦なく切り捨てて来た。

 大公位に在る者すら例外ではなく、東の前大公は、その愚かさ故に沈んだ。

 北の前大公も、アウゴの即位に反旗を翻した故に、同調した者諸共に心を破壊し、奴隷に沈めた。

 アウゴに敵対することは無謀だと、魂の底に刻みつける為に、見せしめとして。


 ―――我、一人在れば。


 仮に皇国を治めきれずとも、滅ぼすに容易き異常の皇帝だと……そうと認識し、噂する者は、多ければ多いほど良いのだから。

 それが、アウゴ・ミドラ=バルアという男だと。

 故にアーシャの行動は、アウゴが赦すから看過されているお遊びに過ぎない、と周りから思われている。

 ベリアはどうか、と、アウゴは目を向けた。

「ベリア・ドーリエン」

「は!」

「婚約者の愚行を御せぬことを罪とし、真実の誓いを持って減刑とす。

 選択を三つ与える。

 一つ。現状にて我の選びし者と番うこと。

 二つ。貴族籍より自身の身を放逐とすること。

 三つ。リボルヴァ公爵家アーシャの元へ赴き、これに仕えること。

 選べ」

 彼女は、アウゴの問いを聞き終えて即答した。

「アーシャ・リボルヴァ様に忠誠を誓います」

 社交界でもなく、自由でもなく、迷いなく第三の選択を選んだ彼女に……アウゴはアーシャも居らぬのに、珍しく頬が緩む。

「では、け」

「畏まりました」

 ベリアが優雅さよりも凛とした潔さを感じる淑女の礼カーテシーの後に、踵を返す。

 アウゴは、彼女の背中を見送ってから一人の男を呼んだ。

「ハルシャ卿」

「ここに」

 ス、と前に出たのは、ウルギーの父である壮年の男だった。

 白いものの混じり始めた髪に、冷酷さを感じる目の色をした偉丈夫である。


 ―――西の大公、ハルシャ・タイガ。


 最もアウゴに敵対的でありながら、領土内の小さな男爵領一つ生贄に捧げるだけで、アウゴの〝処刑〟を逃れた男。

 かつては一国を支配した王の血筋に相応しく、武に長け、知に長ける者。

 であると同時に、その才覚を民の血を搾り取る為に発揮する、強硬な貴族主義者でもあった。

 しかし、子には恵まれなかったようだ。

 あるいは、あえて・・・か。


 ―――この場で、処断してやっても良いが。


 それでは、アーシャが納得すまい。

 故にアウゴは、軽い罰のみでこの場を終えることにした。

「子息の責を負い、見張れ。次はなく、失敗も必要ない」

「謹んで」

 ハルシャは、まるで感情を揺らさぬまま静かに頭を下げると、手で合図を出した。

 ウルギーとガームが、彼が密かに連れていた私兵に腕を取られて、連行される。

 彼らはこれから、死ぬことも許されず。

 お互い好んだのだろう美しい顔も失い、それでも褥を強要される罰を与えられ、命じた通りに絶望を生きることになる。

 そのまま、ハルシャもその場を辞して夜会が再開されるも、アーシャが現れた後から少しずつ緩んで行っていた空気は、もはやどこにもなく。

 再び数年前のように、恐怖と緊張に支配された者達を前にして、アウゴは微かに目を細めた。

「陛下。戯れが過ぎるかと」

「アーシャが民を得た。次は、兵が必要だろう」

 アウゴは視界の片隅で、ドーリエン家の当主と夫人が、挨拶もそこそこに入り口から去っていくのを追っていた。

 ベリアは、ドーリエン家から与えられた己の私兵を率いて、アーシャの元へ馳せ参じるだろう。

 皇帝の命令を全うする為に、ドーリエン伯爵も兵を惜しみはしない筈だ。

 そして下らぬ余興に交えて、邪魔なタイガの勢力を少し削いでおいた。

 〝西の虎〟にしてみれば大した痛手ではないが……アウゴの牽制を受けている現状では、すぐにアーシャ暗殺に自分直属の駒を使うことはしない。


 ―――その間に、アーシャなら準備を整えるだろう。


 あの虎の地は、平民や獣人を最も軽んじる。

 生得の要素を理由に他者を虐げることは、アーシャが最も嫌う振る舞いである。

 しかし今すぐにぶつかるには、それなりに強大。

 為政者たる西の大公は、過去の処断された迂闊な大公達と違い、その誰よりも強い叛意を行動に表さず、慎重に隠し切っている強者であるが故に。

「あれに兵を与える程度のことは、些細な盤面の変化に過ぎん。クイーンとナイトのみで挑む者にポーンを与え、対戦相手のルークを駒落ちさせておいただけだ」

 大公の息子ウルギーは、大して優れたところがなさそうな男ではあったが、多少の采配が出来、学舎卒業後は『魔性の平原』方面の国防を担う予定だった筈だ。

「あれは、圧による支配ではなく、仁による支配を望む」

 上手くいくかどうかは、アーシャ次第。

 しかし、と、アウゴは横に立つ宰相リケロスの、眉根の寄った生真面目な渋面を見上げる。


「―――革命・・の行く末に、お前とて興味はあろう?」


 からかうように問いかけるが、リケロスは沈黙を持って答えた。

 アウゴは知っている。

 彼が決して、必要であると認めてはいても、アウゴのやり方に賛同しているわけではないことに。

 そして、アーシャのやり方に興味を覚えていることに。


 必要とあらばいくらでも冷酷になれるアウゴとは違い、この男は、心優しき者であるが故に。

 

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