第15話 陛下の想い③

 

 その後、デビュタントの夜会が始まると、アウゴはアーシャを側に招いた。

 周りがざわめく中、眼下で淑女の礼をして近くへ寄った彼女は、小さく囁いた。

「陛下。先刻は、大変失礼致しました」

「赦す」

 緩む口元を押さえきれずに、アウゴは笑みを漏らす。

 すると近くに立っていたリケロスが、驚愕の表情を押し殺しているのが、視界の隅に映った。


 ―――我が誰かに笑みを向けるのが、そんなにおかしいか?


 問いかけてみたい衝動に駆られたが、自制する。

 アーシャは、たわいもないことを話し始め、それに時折うなずき、返事を口にしている内に、緊張は徐々に解けたようだった。

 それから、夜会のたびに彼女を側に招く。

 夜会で聞いた噂話やこぼれ話などを、アーシャはいつも楽しげに話した。

「南のサレンフィール伯爵領では、良質な火灰が多く取れるそうですね。『空を飛べる運び手がいれば』と父君がこぼしているのを、サレンフィール嬢が聞いたそうですわ!」

「北西のノッド侯爵領では、夏が寒かったせいか、魔獣が山から領地に降りて来るそうですわ! 倉庫を食い荒らすそうで、ノッド嬢が心配しておられましたの! 騎士様が守ってくださらないかしらって!」

「西端のミーミル子爵領で、賊との小競り合いが起こっているというお話を小耳に挟みましたの! きっと皆、お菓子がなくてイライラしてるのですわ!」

 それらを聴きながら、アウゴは一度問いかけてみた。

「そなたは、人の話ばかりだな。自身の話はせぬか」

 するとアーシャは、キョトンとした後に、ニッコリと笑う。

「公爵領は、皆様ほど困っておりませんもの!」

 そうではない、ということを、おそらく彼女は分かってはぐらかしている。

 普通の子女は……それが領主や騎士であっても変わりはしないが……アウゴを前にすれば、自慢や嘆願を口に上らせるものだ。

 あるいは、媚びるような言葉を、自分を売り込むような言葉を。

 出世の為、領地の為、家族の為、一族の為。


 ―――全て、己らの為・・・、だ。だが、アーシャは。


 広く物事を見て、情勢を見て。

 己や領地の利ではなく、皇国そのものの安寧だけを願って動いている。

 そうした者は、ことのほか少ない。

 国の頂点に近しい者で、己の欲を全く表に出さないのは、アーシャとリケロスだけだった。

 そんな彼女が、唯一己の感情を表に出すのは、アウゴの事を話す時と、もう一つ。


「ナバダ嬢のこと、どう思う?」


 彼女のことを問いかけた時だけ、アーシャは不機嫌そうな様子を見せる。

 もちろん表情に出す訳ではないが。

「あまり好ましくありませんわね! わたくし、陰でこそこそ・・・・・・なさる方は好きではありませんの! 正々堂々となされば宜しいのに!」

 アウゴは、返答に満足した。

 彼女は気づいている。

 ナバダが、アーシャの命を狙っていることに。

 分かっているのなら、手は打っているだろう。


 アーシャは、自らの手に負えないことだけを、こちらに伝えるからだ。


 彼女の雑談が雑談ではないことも、当然気づいている。


 サレンフィールの火灰は、魔導爆弾の材料である。

 本格的な採掘体制と空輸手段があれば、皇国軍の増強が行えるだけでなく、サレンフィール伯爵とアウゴの繋がりが強固になるだろう、という意味だろう。


 ノッド領では、冷夏による飢饉が、人だけでなく山々にまで及んでいる。

 飢えた魔獣から、冬を越す為の食糧を守る人手が足りない故、派兵すれば恩を売れるのだ。

 そうすれば、今まで中立の立ち位置だったノッド侯爵が皇室派となる公算が高い。


 ミーミル領は土地が痩せているにも関わらず、領主である子爵がそれを改善しない。

 貧しい農民が賊と化しており、西の大公の手のものがミーミルの領地を奪うために、策略として後押ししている。

 対策としては、領主のすげ替えと、土地を土魔術で肥やす魔導士が必要となる。


 それらはアーシャの立場では、皇帝であるアウゴに対してしか、望めぬこと。

 アーシャは、聡い。

 夜会の噂で、他領の困りごとを的確に見抜いて伝えて来ているのだ。

 そうしてアウゴが動くと、何事もなかったかのように次の噂話をする。

 

 ―――手柄はいらぬか。


 それも、アウゴには面白かった。

『なぜ、人を慈しむ? そなたは』

 アーシャはその問いかけに、やはり不思議そうに小首を傾げた。

『陛下が、陛下として在られるために。その御身を支えることが、正妃たらんとする者の在りようと存じておりますわ!』

 アウゴが、皇帝として在り続けるために。

 人の上に立つ者は、なるほど、民草を慈しみ、貴族を従えてこそ栄えるものだと、アーシャは信じているのだろう。

 アウゴ自身は、皇帝の座そのものに興味はない。

 故に。

『では、そなたが我が寵愛を望むは、皇帝故か?』

 もし仮に、アウゴが善政の皇帝ではなく、破滅の使者となるならば、彼女はどうするのか。

 あるいは自分が皇帝でなく臣下であったなら、アーシャはどう振る舞うのか。

 そうした意図を含む問いかけに、彼女はただ微笑んだ。

『わたくしは、陛下ご自身の寵愛を望んでおりますの! お立場が一介の騎士であったとしても、欲する心に変わりはありませんけれど、陛下は今、陛下ですもの!』

 アーシャの笑顔に、瞳に、偽りはない。

 そう。

 彼女は出会った時、話をしたいと言った時、アウゴが皇帝であることなど知らなかった。

 権力ではなく自分が望まれているという感覚は、とても心地よく、それがアーシャであることがさらに心地よかった。


 ―――愛している。


 そう、口にしてしまいたくなる。

 だがそれは、今口にすれば、アーシャの奔放さを奪ってしまう言葉でもあることを、アウゴは知っていた。

 彼女が常に側にいる生活は、心地よいだろう。

 だがアウゴは、彼女がその奔放さを保ったまま、自分の側に在ることを望みたかった。

 そしてアーシャは、想像するよりも上の提案をしてきた。

『わたくし、皇国革命軍を結成いたしますわ!』

 自らを危険に晒しても、なお、アウゴと並び立つに相応しい者になろうという、覚悟。

 その覚悟に、アウゴも己の気持ちを示した。

 思い出が籠った【幻想花】の宝玉の力を借りて、自らの右目と彼女の右目を繋いだ。

 この宝玉の封印を解き、記憶を蘇らせ、繋いだ視線を離す時は……きっと彼女が、幾万の軍勢を率いてアウゴの前に立つ時だろう。

 救うべき者を救い、排すべき者を排し、あの美しい瞳の輝きでアウゴを見るのだろう。

 その瞬間を、何よりも楽しみに待つ。


 アーシャに入れ込み過ぎるのは危険だという直感は、正しかった。

 そして同時に、間違っていた。


 アウゴにとっては、出会いそのものが間違い。

 もはや、知り合う前の己には戻れない猛毒。


 そして民にとっては、出会うことそのものが正しい道筋。

 退屈に支配された皇帝に、気まぐれに滅ぼされぬという救済そのもの。


 ―――アーシャが望むのなら、くあろう。


 彼女の望みを為せるのなら、この退屈な皇帝の地位にも意味がある。


 ―――アーシャが望むなら、しくあろう。


 彼女の望むままに滅ぼす為、この退屈な皇帝の地位を使い、蹂躙する。

 アーシャが、信念を貫き。

 民の営みを目にし。

 そうして人を従えた果ての選択を以て。


 彼女が、民にとっての幸運の女神となるか、傾国の乙女となるかが決まるのだ。


 物思いにふける間に、宰相リケロスによって、執務室に一人の少女が通される。

 ひどく緊張した面持ちの彼女は、アーシャの妹。

 アウゴは、治癒師見習いとなるかを問いかけ、彼女はそれにハッキリと頷いた。

 そんなミリィ・リボルヴァに、未完成の書類を渡す。

 魔獣の傷痕を消す薬草と、魔獣の傷を完治させる魔術の基礎を記したもの。

 それをアウゴ自身が完成させるのは、簡単なことだった。


 ―――だが、アーシャには必要ない。


 渡されたものに目を通して驚くミリィに、それを完成させるか、放置するかを委ねた。

 アウゴは挑戦せぬ者を好まない。

 しかし自分自身は、何かに挑戦するには強大すぎるという自覚があった。

 アーシャに出逢い、その気持ちを人に委ねることを覚えた。

 果敢に挑戦する者を見るのは、それを成し遂げる者を見るのは、心地よい。

 その心地よさを、自ら選択することで、楽しませてくれるのなら。

 最も果敢で、最も愛するアーシャが共に、民のそうした営みを見守る選択を、してくれるのなら。


 ―――皇帝の地位も、退屈ではなくなるだろう。


 どうか、滅ぼしたくなるような退屈な想いをさせないで欲しいと、アウゴは民に願いながら、ミリィを見送った。

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