第12話 陛下の想い①
「……陛下、いかがなさいますか?」
宰相の問いかけに、アーシャの方を眺めていたアウゴは、現実に引き戻された。
執務室の中。
宰相に手渡された書類を一瞥した後、書かれた内容に少し興をそそられながら返答する。
「良いだろう。時がくれば、アーシャを一度呼び戻す」
その短い一言で、同い年であり、旧知の学友でもある彼はこちらの意図を悟る。
「では、伝令を?」
「必要ない」
アウゴは、自らが言葉少なである自覚があった。
伝えるべきことは口にするよう心がけてはいるが、相手がある程度
故にこの宰相を、アウゴは『極めて優秀な者』と評価している。
それに、こちらの気分を害することを恐れずに、意見を述べる胆力を持つ者は少ない。
欠点といえば、堅物で堅実な為、アーシャほどの面白みがない点だけだ。
アウゴは彼の質問に対し、さらに答えを重ねた。
「我が迎えにゆく」
「……また、勝手にお出かけになるおつもりですか」
宰相が渋面を浮かべたので、アウゴはあるかなしかの微笑みを返した。
「我が伴侶候補は、もうアーシャが唯一。
こうして、最終的には宰相が『御心のままに』と頭を下げる割に、こうして苦言を呈してくる辺りが、アウゴにとって好ましいのだ。
そして、無駄と知りながら目的を果たすための奸計を
「どちらにせよ。直接動く方が、
「重々、承知しておりますが。それでも、不穏な者達に付け入る機会を与えるのが、好ましくない事実にございます」
表情には出さないが、この宰相こそが、最後の最後まで『リボルヴァ公爵令嬢の暴挙を赦したことを、撤回せよ』と反対を述べ続けた一人だった。
二心ある者は誰も反対せず、今頃アーシャの命を狙うために動き出しているだろう。
アーシャを亡き者とし『自身の娘を皇妃に』と、欲望に目を輝かせながら。
つまり、反対していた者は、より狡猾であるか、皇国に二心なしと判断できる。
宰相は最も忠実な者の筆頭であり、故にこんな書類を持って来たのだろう。
―――『領王を一堂に会する、席を設ける。』
端的に言えば、それは『現在、唯一の皇妃候補であるアーシャを連れ戻せ』という、宰相の抗議の表れに他ならなかった。
未だに彼は、アウゴがアーシャに自由を赦したことを認めていないのだ。
領王、とは、この皇国が皇国になる前……初代バルア皇帝に当たる祖父の代に併呑した、王国や部族のかつての支配者であり、最も力のある領主らのことである。
西の大公や、南の大公もその一人だ。
初代皇帝は、支配以外に興味がなかった。
最後まで屈さずに抗戦した王族は、領内が乱れようとも、容赦無く一族郎党皆殺しにした。
しかし、機会を見るに敏、と降伏したり傘下に入った者に対しては、手厚く遇したのだ。
『従うならば』と放置した、とも言える。
その中でも、領土と領主の支配権を残された元王族や支配者達が、すなわち領王である。
領王の地位は、臣籍降下した王族に与えられる『公爵』に匹敵し、故に領王の中でも力のある者を慣例的に『大公』と呼んでいるのだ。
『領王会議』は年に一度、必ず開かれる。
新年会合、とも呼ばれるそれとは違い、今回の招集は臨時招集だ。
緊急招集には、二種類がある。
一つは、勅命によるもの。
どこかの大規模な反乱、他国との開戦、などの際に、突発的に招集の命を下す。
もう一つは、法典に記載のある事項。
重要な婚礼、突発的な虫害・天災等による飢餓の発生などに際して招集することが可能だ。
今回の理由は―――『正妃候補が定まれば、速やかに領王を招集し披露を行うこと』。
当然、重要な婚礼に関する記載である。
それを今、この時にアウゴの元へ持ってくることが、アーシャの現状への宰相の抗議、と受け取れるのだ。
要は『候補が一人しかいないのだから、さっさと婚約披露宴を行え』という意味であり、アーシャが正妃となる前準備の一環だった。
彼女が革命軍を率いて戻ってからでも遅くはない、とアウゴ自身は考えていたが、宰相は一刻でも早く、それを推し進めたいのだろう。
彼女が皇都を出た今でも、宰相は手元に引き戻すのを諦めていない。
危険だから。
守らねばならぬから。
―――我は、アーシャと視線を繋いでいるのだがな。
決して、宰相の思うような『野放し』にはしていない。
しかしそれは、公にはしていない事実だ。
宰相に対してすら、告げていなかった。
結婚披露宴を行えば、皇都からアーシャを出さない理由がより強固になるとでも、思っているのだろう。
だが彼女は、立志を終えてからの婚姻を望んだ。
故に、アウゴは披露宴を執り行うにしても、アーシャを皇都に縛り付けるつもりは毛頭ない。
―――全く、小賢しい。
しかし、あえてそれを仕掛けてくることが面白い。
闇雲に忠誠を誓われるよりは、主人の為ならば意に沿わぬことをしようとする方が、相手をしていて楽しいのだ。
アウゴは、宰相に目を向ける。
「アーシャは、止まらぬだろう」
「止めていただきたい、と、再三申し上げております」
宰相はこう見えて、アウゴ自身の次くらいには、アーシャを買っている。
正妃となる者を容姿の美醜のみで評価するほど、くだらぬ価値観は持ち合わせていないのだ。
性格的にどうであろうと、妃としての素養は随一、と、候補として挙げた時の調べで宰相は口にしていた。
「止めぬ。しかし、会合の場を設けるは、赦す」
再び御前に戻る時は革命軍を率いて、とアーシャは言ったが……彼女の道行きに、披露宴は益となる。
正式な披露が行われれば、別の正妃候補を、と口にする者達は黙らせることが出来るのだ。
―――アーシャが婚姻を結ぶ前に、
皇国に二心を持つ者どもが、手駒を動かさざるを得なくなる。
彼女の元へと、羽虫が集うのだ。
目的に叶う、となれば、アーシャも拒否はしないだろう。
アウゴは書類に署名し、判を押して宰相へと返した。
出ていく彼の背中を見ながら、アウゴは〝獣の民〟が住む村へと向かう、アーシャの視界に再び意識を向ける。
何よりも、楽しみなのは。
「我の顔を見て驚き、嬉しそうに笑うアーシャを眺められること」
口に出して、呟いてみた。
アウゴは、外見からは分かりづらいのだろうが。
正直、そろそろ目で見て愛でるだけでは収まらないほど、アーシャを愛しく思っている。
―――誰に言われずとも、奪われるつもりはない。
視界を繋いだのは、心配よりも。
アーシャの全てを眺めていたい、という欲望のほうが大きいことを、アウゴは自覚していた。
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