第10話 少年とお話ししますわ!

 

「そこの貴方。無事ですの?」

 アーシャが、ナバダに抱えられた獣人の少年に近づいて声を掛けると、彼は犬に似た顔の大きな口をぽかんと開いて、魔獣とこちらを交互に見た。

「あの魔獣を、一人で倒したのか……? 姉ちゃんが!?」

「そうですわよ?」

 何か驚くようなことなのかと、アーシャは首を傾げた。

 得意な間合いレンジで落ち着いて対処できる状況であれば、狩る方法を訓練した者なら、誰でも獣は狩れる。

 狩りは、準備と度胸が全てだ。

「それより貴方、怪我などはなくって?」

「ない、けど……」

 ナバダに降ろされた少年は、なぜか警戒した様子で毛を逆立てる。

「姉ちゃん、もしかして貴族か?」

「あら、何で分かったんですの?」

 思わず問い返すと、ナバダが舌打ちした。

「何を素直に答えてるのよ」

「あら」

 言われてみれば、認めてしまってはせっかく変装している意味はない気がする。

 これは失態、とアーシャがおでこに手を当てると、少年はジリジリと後ろに下がった。

「やっぱりか! そんなケッタイな喋りかたしてたら、オイラみたいな子どもでも分からぁ!」

「ケッタイ……?」

「珍妙な喋りかたってことよ」

「まぁ! わたくしの口調の、どこが珍妙ですの!?」

 言葉遣いの美しさには、誰よりも気を付けて来たつもりなのに。

 そう思っていると、ナバダが深くため息を吐く。

「あのね。貴族言葉ってのは、普通、貴族しか使わないのよ。お分かり・・・・?」

 まるでかつてのように、薄く笑いながら嫌味ったらしく言葉遣いを正す彼女に、アーシャは眉根を寄せる。

「撃ち殺しますわよ?」

「あらあら、ご令嬢が随分と物騒ですこと!」

 怖い怖い、とわざと口元を押さえるナバダに、ピキピキとこめかみが鳴る。

 

 ―――くっ……そういえば、ナバダはこういう女でしたわ!


 何かあれば、すぐにこうして煽り、あげつらおうとする気に食わない性格をしていることを思い出した。

 応戦態勢に入り、怒りを押し隠してアーシャも完璧な笑みを浮かべる。

「これは失礼いたしましたわ、ナバダ。元々下賤げせんな上に愚かしい貴女と違って、わたくしは、そのようなことを口にしてはいけませんわよね?」

「……!」

 ナバダも、頭に血が上りやすい性格をしている。

 我ながら安い挑発をしているのにあっさり乗って来て、頬を引き攣らせながら睨め付けてきた。

「困ったわね、もう気が変わりそうよ。この場で首を掻き切ってやりたいわ……!」

「出来るモノならやってご覧なさい? 実行した時に、血の海に沈むのは貴女のほうですわよ!」

 ふふん、と鼻を鳴らして睨み返すアーシャに、横から少年がおそるおそる口を挟んでくる。

「ね、姉ちゃん達、仲悪いのか……?」

 問われて、ナバダと同時に我に返る。

「まぁ、良いとは言えませんけれど、今はあんまり関係ないですわね!」

「そ、そうね。それよりアンタ、何でこんなところで魔獣に襲われてたの?」

 気を逸らすつもりか、本題に戻ろうとしているのか微妙なところだが。

 ナバダが少年に問いかけると、彼はまだこちらを信用していいか半信半疑な様子で、自分の状況を口にした。

「いや、食べ物を取りに来たんだけどさ……」

 彼の説明によると、この大岩周りの樹林は食べ物が豊富らしく、木の実などがたくさん採れるのだが、代わりに魔獣の巣窟なのだそうだ。

 少年の住んでいる村では、大きな獲物の分け前が働いている量で決まるらしく、交換品もなく貰えるものだけでは、食うに足りないらしい。

「それで拾いに来たんだけど、あの魔獣に襲われたんだ」

「なるほど……許せませんわね!」

「え?」

 アーシャは、拳を握りしめる。

「こんな年頃の子を危険な場所に赴かせるだなんて! わたくしが、村長か誰かにガツンと文句を言ってやりますわ!」

「え? え?」

 動揺する少年を見て、ナバダが呆れ声を上げる。

「アンタ、本当に猪突猛進ね。小さな村なら、食い扶持を稼ぐ為に全員が働いて当たり前なのよ。いちいち怒るようなことじゃないわよ」

「それなら、村の中で働かせれば宜しいんじゃなくて!?」

「それじゃ食えないから、外に出て来てるんでしょ。畑だって、土は良いけど魔物が多い地域だから無差別に広げられないし。これだからお貴族様は」

「……むぅ」

 確かに、アーシャは恵まれた生活をしていたので、そこを突かれると弱い。

 ナバダは皇都にいたとはいえ、素性が暗殺者なのであれば、もしかしたらそうした村の出身なのかもしれなかった。

 だからといって、一方的にやり込められるのは癪だ。

 素早く頭を働かせたアーシャは、背後に転がる魔獣に気づいた。

「なら、村に貢献したと言えるだけの分け前があれば、貴方はしばらく村から出なくて良い、ということですわね?」

「まぁ、そうだけど……」

「だったら、良い案がありますわ!」

 ニッコリと笑ったアーシャは、背後の魔獣を指差す。

「あれを村に持ち帰れば、しばらく安泰でしょう!?」

 人間の数倍ある魔獣から採れる肉は、小さな村くらいなら、しばらく賄うのには十分だろう。

 アーシャの提案に、少年はポカン、と口を開けた。

「そりゃそうだけど……どうやって持って帰るんだ? それにあれ、姉ちゃんの獲物じゃ……」

「別に、わたくしは欲しくないですもの!」

 言いながら魔獣の元に向かい、アーシャは【淑女のバッグ】の口を開ける。

 そして念じると、魔獣の巨躯がしゅるん、と中に収まった。

「は!?」

 少年は先ほどから驚きっぱなしで、もう顎が外れそうになっている。

「こうして運べば、村に持って行くのも簡単ですわ! 案内して下さる?」

 少年は少しためらった様子を見せてから、チラチラとアーシャとナバダの顔を見る。

「どうしましたの?」

「村の場所を貴族に教えるってことに抵抗があるのよ。ここは皇国領じゃなくて『魔性の平原』だし、この子〝獣の民〟でしょ?」

 言われて、アーシャは納得した。

 自由を尊び、国家に属さない人々なのだから、そういう懸念があって当たり前だった。

 〝獣の民〟との繋がりは欲しいところではあるけれど、年端もいかない少年に迷惑を掛けるのは本意ではない。

「なら、すぐ近くで魔獣の死骸を出して、お別れしたら良いのではなくて?」

「アンタがそれで良いなら、別に良いんじゃないの?」

 そうして少年の顔を見ると、彼はペタリと獣の耳を伏せて、申し訳なさそうな顔をする。

 獣の顔でも、意外と表情というのは分かるものだと、アーシャは全然関係ないところで新たな知見を得る。

「……な、なんでそんなに親切にしてくれるんだ……?」

「困っている民を助けるのは、貴族として当然の務めですわ!」

「民じゃないけどね。それにこの子にはバレてるから良いけど、アンタ、どこでもここでもそれ言わないでね」

 ナバダに釘を刺されて『分かってますわよ!』と言い返す間に、少年は決心したようだった。

「いや、村まで案内するよ。オイラ、怒られるかもしれねーけど、助けて貰ったのに礼もしないの、なんか違うと思うし……」

「そうですの? 貴方、良い子ですわね!」

 別にお礼はいらないのだけれど、彼の発言は素晴らしいので、アーシャはニッコリと笑って頭を撫でる。

 すると、へへ、とちょっと嬉しそうに声を漏らした彼は、先に立って歩き出した。

「褒められたの、久しぶりだ! あ、そういえば、一個忘れてた」

「何ですの?」

「オイラ、ベルビーニって言うんだ! 姉ちゃん達は?」

「わたくしは、アーシャですわ!」

「ナバダよ」

 それぞれに名乗り合うと、ベルビーニは初めて、満面の笑みを見せた。

「ありがとう、アーシャ、ナバダ! ちょっとの間だけど、よろしくな!」

 

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