第9話 『魔性の平原』に着きましたわ!

 

 アーシャ達は、数日後に〝獣の民〟が住まう『魔性の平原』に足を踏み入れた。

 そのまましばらく進んでいくと、徐々に姿を見せたのは、真ん中が大きく割れた巨大な岩。

「何ですの? あれ」

「大き過ぎるわね」

 岩は、遠目に見なければ小さな山としか思えないくらい大きく、割れた間はおそらく中に入れば谷としか思えないだろう。

 周りも樹齢が古そうな背の高い樹木に覆われており、アーシャの目には異質なものに映った。

「とりあえず、あの岩を目指してみましょう!」

「良いけど、村がどこにあるかのアテもなしで、よくここに来ようと思ったわね……」

 髪を掻き上げ、薄い呆れを含んだような口調で言うナバダに、カチンと来て言い返す。

「あら、そう言う貴女も知らないのでしょう?」

「ここに来ることすら知らなかったのに、知ってる訳がないでしょうが。バカなの?」

 そんな彼女に、さらにアーシャが言い返そうとした時だった。


「うわぁああああああ!」


 という、高い声の悲鳴が聞こえてきたのは。

 その周りにある森の方、遠くから聞こえたそれに、アーシャはナバダと顔を見合わせる。

「誰の悲鳴ですの?」

「アタシに聞かれて分かる訳ないでしょ」

「それもそうですわね。何だか切羽詰まっていそうな声ですし、様子を見に行きましょう!」

「面倒ごとに首を突っ込む気?」

「困っているなら助けないと、寝覚めが悪いですわよ!」

「ッ……この甘ちゃんのお人好しが……」

 アーシャが言い捨てて駆け出すと、文句を言いながらもナバダが追従してくる。


 ―――ちゃんとついてくるのに、素直じゃないですわねぇ。


 アーシャは、バレないように隠れて笑みを浮かべた。

 皇都では、衝突することの多かったナバダだけれど、以前の取り巻き達に対する態度を見るに、どちらかと言えば面倒見が良い方だ。

 その素性からすれば半分演技だったとしても、全てが上辺だけの人間が認められるほど、女の世界は甘くはない。

 アーシャが、あまり関係のないことを考えながら岩に近づいて行くと、逆に巨大な木々が岩の姿を覆い隠していく。

 そして森の方から響いてくる不気味な音が、鮮明に聞こえるようになってきた。

「魔獣……?」

「そうなんですの? 音はおあつらえ向きに、こちらに迫ってきてますわね!」

 魔力の気配を察したらしきナバダのつぶやきに応えた時、森の切れ目からカゴを背負った小さな影が森から平原に飛び出してきた。

 獣人の少年だ。

 その背後から、バキバキ、と音が響き、木の枝を強靭な毛皮でへし折りながら、黒く巨大な魔獣が姿を見せる。

「【火吐熊ベアングリード】……!?」

「あら、ずいぶんと大きな個体ですこと」

 炎を吐く熊型の魔獣だが、通常の成体より遥かに大きい。

 俊敏で剛腕、かつ獰猛。

 追われている少年は、全く生きた心地がしないだろう。

 むしろ今まで逃げ切れているのは、子どもとはいえ流石に獣人、といったところか。

 先ほどまでは相手が動きづらい森の中だった、というのも理由としてあるだろうけれど、見た感じ、少年は足が速いわけではないようだ。

 でも、左右にジグザグに駆ける動きが、魔獣を翻弄して攻撃を避け続けている。

「あの少年、お願い出来まして?」

 ナバダが短剣を逆手に握るのを見て、アーシャも魔剣銃を片手で引き抜きながら問いかけた。

「構わないけど……あれ、アンタがどうにか出来るの?」

「もうちょっと小さめなら、昔倒したことがありましてよ!」

 ベアングリードは、アーシャの顔に火傷を負わせたのと同種の魔獣だった。

 ナバダが懸念する理由は分かる。

 魔獣は強力な魔術でも弾くことがあり、まして今回の相手は、大人の五倍はありそうな巨軀だったからだ。

 しかし。

「心配は無用ですわ! 今からアレの気を逸らしますので、頼みましたわよ!」

「分かったわ」

 ナバダは、それ以上無駄に喋らなかった。

 地面を蹴り、今までとは比べ物にならない速度で駆けて行くのを見送りながら、アーシャは腰のポーチに手を伸ばす。

 その紐に、アクセサリーのように吊り下がっていたスライムボガードをそっと左手に取り、触腕を指に巻いた。

「お願い致しますわ、モルちゃん!」

 スライムボガードにつけた名前を口にしながら足を止め、魔力とイメージを流し込みつつ、鋭く腕を振る。

「シッ!」

 投擲したモルちゃんは、触腕がピン、と伸びるあたりまで突き進むと……指から触腕が剥がれると同時に、その姿を変えた。

 頭のない、コウモリと鳥の合いの子のような、あるいはたこのような奇妙な形状になると、翼を羽ばたかせて垂直に浮き上がり、そのまま魔獣に向かって滑空する。

 ベアングリードは狙い通り、視線を遮って飛び抜けたモルちゃんに反応した。

『グゥルァアアアッッ!!』

 よだれを撒き散らしながら立ち上がり、爪で叩き落とそうと暴れるが、モルちゃんは、するん、するん、と柔らかい動きでそれを掻い潜る。

 そうして十分に魔獣を引きつけている間に、ナバダが横抱きに少年を掻っ攫って逃走した。

「戻りなさいな、モルちゃん!」

 それを見届けたアーシャが声を張ると、モルちゃんがトンボ返りを打ってまた垂直に浮き上がり、魔獣の手が届かない位置から、緩やかにこちらに戻ってくる。

 すると、ギロッと、ベアングリードの目がこちらを捉えた。

「わたくしに対して、この距離で弱点を晒すのは愚策でしてよ?」

 アーシャはモルちゃんを左手で受けて、その勢いを殺す。

 ぐにゃり、とモルちゃんが形を崩して、元の小さな雫型の球体に戻る。

 それを指に巻きつけて垂らしつつ、アーシャは半身に構えた。

 重心を落として魔剣銃を両手で握ると、両目が使えるようになったことで精度の上がった狙いを定める。

 そうして、最大射程と速度を持つ《風》の魔弾を、一発だけ放った。

 キュン、と音を立てて宙を駆けた弾丸が、狙い違わずベアングリードの右目を射抜く。


 ―――命中!


 スッ、と息を吸い込んだアーシャは、さらに集中した。

 血を飛び散らせた魔獣は痛みを感じたのか、硬直して動きを止めている。

 その隙を突いて、次にアーシャが狙いをつけたのは、左目。


 ―――ここ!


 二発目の《風》の魔弾も命中し、完全に視界を奪われた魔獣が前脚を振り上げ、激怒の咆哮で大気をビリビリと震わせる。

『グゥルォオオオオオオオオオオッッ!』

 嗅覚も聴覚も優れるべアングリードは、視覚を奪われてなお、アーシャに向けて真っ直ぐに突っ込んで来た。

 一口で食い殺そうというのか、大きく開いたその口に向けて……。


「これで、終わりですわ!」


 アーシャは、射程が短い代わりに最も威力のある《火》の魔弾を撃ち込んだ。

 弾丸が口蓋を貫いて後頭部を突き抜けるのを確認しつつ、アーシャは身をかがめて、突進してきた魔獣の股下を潜り抜ける。

 そのまま外套の裾を靡かせて振り向くと、ドシャ、と前脚を折った魔獣が、勢いのまま地面を削りながら転がり。

 炸裂した火の魔力が、ベアングリードの頭蓋の中を焼き尽くして、燃え上がった。

 

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