第8話 ナバダの事情②
そうして、輸送団と別れた後。
「さてと、ナバダ。ここからは本当に二人きりですわね!」
遠く去る一団を満足げに見送りつつ、アーシャはパチン、と指を鳴らした。
その途端、ナバダを押さえつけていた【魔力封じの首輪】の気配があっさりと消滅する。
「!?」
「ついでに、コレも差し上げますわね!」
次いで、まるで些事であるかのようにあっさりと放られたのは、小さな鍵。
【魔力封じの首輪】を外すためのものだ。
「……どういうつもり?」
鍵を受け取ったナバダは、警戒しながらも指先に魔力を込めた。
身体強化して鋭く硬質化した爪で、手枷の鎖を切り裂き、足枷も外す。
その間、アーシャは何もせずに黙ってこちらを見ていた。
―――何が狙いなの?
アーシャは、ナバダが【魔力封じの首輪】を外し終えるまで結局動かず、それを見届けた後に、腰に下げたバッグに手を伸ばす。
そして、どう考えても中には入らなさそうな大きさの……彼女が背負うのと同じ程度の皮袋を取り出すと、ぽん、とナバダの足元に放った。
「貴女が、陛下に負けた時に持っていた幾つもの武器と、最低限の旅支度が入ってますわ。その位は自分でお持ちになって」
「どういうつもりだって聞いてるのよッ!!」
訳が分からなかった。
アーシャの行動は、ナバダを完全に解放する行為に他ならない。
いくら彼女が強いと言ったところで、魔力の卑小さを武具と技量で補っている程度。
暗殺術と併せて武術や魔術も、文字通り決死の環境で習得したナバダに、敵うはずもないのに。
まして今は身を守る護衛もいない。
全く意味が分からなかった。
「警戒してますの? 肝っ玉が小さいですわね!」
「……」
ナバダが黙っていると、つまらなそうな顔で、アーシャは肩を竦めた。
「どういうつもりも何も―――貴女とわたくしは
あっさりそう言われて、ナバダは思考が追いつかなかった。
「無様な汚点を付けたからといって、別に支配しようなんてつもりは、サラサラありませんわよ!」
アーシャは軽く肩をすくめた後、言葉を重ねる。
「陛下のお命を狙った手段は浅慮も浅慮、三下以下の下策な上に万死に値するゴミの所業ですけれど、それも陛下がお許しになられた以上、わたくしが口を出すことではございませんわ!」
『さ、参りますわよ!』と無防備な背中を、こちらに向けたアーシャに。
皮袋を持ち上げ、中に入った愛用の短剣を手にしたナバダは……そのまま、足を踏み出した。
心臓を、一突きで狙う。
本気の殺意を込めて突き出した刃は……振り向いたアーシャが手にしていた、魔剣銃によって弾かれた。
「あら、本当に
あくまでも余裕の笑みを崩さないアーシャに、飛び退ったナバダは再び刃の先を向ける。
相変わらず隙のない女だが、手練れの護衛なしなら、やはりこちらの方が上。
ナバダは殺す前に、少しだけ話に付き合ってやることにした。
「利害が一致……? どこで一致してるっていうの?」
「家族を助けるために、西に向かうのでしょう? 違いますの?」
「アンタ、馬鹿じゃないの? もうとっくに殺されてるに決まってるでしょう?」
あれから、どれだけ時間が経っていると思っているのか。
すると、アーシャは本気で不思議そうな顔をした後、不意に侮蔑の表情を浮かべる。
そしてため息を吐くと、気分が削がれたように銃を下ろした。
「―――では何故、貴女は生きているんですの?」
「……っ」
その言葉は、深く、ナバダの胸を抉った。
「家族が生きている望みにかけて生き恥を晒したのではなく、ご自身の命だけが惜しくて生きていましたの? ……そのように低い矜持の持ち主でしたの?」
―――また……知ったような口を……ッ!
ナバダは、こっちの瞳を、ジッと覗き込んでくる。
この目だ。
一番嫌いなのは、アーシャの
夢見るようなことばかり言って。
前向きな希望ばかりを口にして。
他人に、誇り高く在ることが当たり前だと言わんばかりに、問いかけてくる。
お前は、その程度なのかと。
「がっかりですわ、ナバダ。少しでも誇りがあるのでしたら、今からでも遅くはありませんわ。さっさと自害なさいませ」
「皇帝の、雌犬如きがァ……ッ!」
「馬鹿の一つ覚えですわね。もう少し語彙を磨いたほうが宜しいのではなくて?」
「アンタに……何が分かるのよ……ッ! アンタに、私みたいな人間の、何が……ッ!」
呻きながらも、ナバダは理解していた。
アーシャが、
この頭の狂った相手は……決して恵まれているばかりではない境遇に、居たのだから。
美しさこそを至上とする女の園で、顔に傷を負っていることがどれほどの不利か。
細く小さい体格で、持って生まれた魔力も少ない彼女が、ナバダの背後からの一撃を弾くほどの技量を身につけるのには、どれほどの修練が必要だったか。
だから、ムカつくのだ。
その精神性が、誰よりも強靭だから。
その努力の総量が、誰よりも重ねられているから。
―――誰よりも誇り高いからこそ、アーシャは皇帝のお気に入りなのだと。
見せつけられるから、気に入らないのだ。
分かっている。
分かっていた。
ナバダは―――アーシャに、憧れてしまったから。
誰よりも力強い彼女に、自分では敵わないと……もうとっくに、認めてしまっていたから。
だから、皇帝を襲った。
どう足掻いても、アーシャに勝てないから。
せめて皇帝を襲って殺されれば、もしかしたら、イオだけでも助けて貰えるかもしれないと。
じわり、と目尻に涙が滲む。
彼女の言う通りだ。
彼女の言う通りだったから、死ぬことが出来なかった。
アーシャを出し抜き、西に向かって、イオを救えるかもしれないと、儚い望みに縋ったから。
「何一つ、上手くいかない……アンタのせいで! 何一つ! どうせ無様よ! それでも、弟が生きてるって、信じたくて、何が悪いのよッ!」
口から出てくるのは、そんな言葉ばかり。
他人を蹴落とすことばかりを、教えられて来た自分では、アーシャのようには決してなれない。
「今まで上手くいかなかったとしても、これからは上手くいきますわよ!」
しかしナバダの吐露に、彼女は笑みを浮かべる。
「だって、わたくしが居ますもの!」
あまりにも、堂々と。
胸に手を当てて宣言するアーシャに、ナバダは呆気に取られる。
「……そんな訳、ないでしょうが」
「上手くいきますわよ! だって、陛下も居ますもの!」
ナバダの言葉を遮って、アーシャは力強く重ねる。
「ねぇ、ナバダ。お分かりにならなくて? 貴女のことに、わたくし如きが気が付いたのですわよ? 陛下が、お気付きにならないと思いまして?」
「……皇帝が気づいてたら、何だって言うのよ」
ナバダは、じわり、と体に汗が滲むのを感じながら、アーシャに問い返した。
すると、ふぅ、と息を吐きながら、彼女は笑みを深める。
「ここまで言われて、分かりませんの? 貴女は今まで、陛下の何をご覧になって来たのか……理解に苦しみますわね!」
言われて、ナバダは思い返していた。
アーシャと話している時以外は、いつでも退屈そうだった皇帝の姿が、脳裏をよぎる。
自分に向けられる、つまらなそうな目が思い返され、鼓動が速くなった。
「皇帝がどうか、なんて、思い返すまでも……」
ない、と続けようとしたナバダは、ふつりと口をつぐむ。
皇帝の様子が違ったことが、あったのを思い出したからだ。
それは、ナバダが彼を殺すために……いや、殺されるために襲い掛かった時のことだった。
『……殺しなさいよ、早く』
『
そんなやり取りをしたのは、皇宮の中庭だった。
皇帝暗殺を決行することを決意した、さる日の夜会の後。
気配を消して兵士達の目を盗み、皇宮を去る貴族達の波から、ナバダは静かに離れた。
そして人の気配が消えるまで、と、中庭の暗がりで身を潜めていると。
中庭に、皇帝が姿を見せたのだ。
休息のために皇宮奥の寝所へ引っ込んだはずの彼が、礼装を解いて、ふらりと。
何故そこにいるのかなど、考えなかった。
ただ、こちらに背を向けたその姿が、隙だらけに見えて。
千載一遇の好機に、生涯で最も意識を研ぎ澄まして襲いかかった。
けれどそれは、ナバダが自分の願望に目を曇らせていただけ。
腰に佩いた剣を、皇帝が抜く瞬間すら見えなかった。
気づけば、ナバダの短剣は弾き飛ばされていて……振り向いた皇帝の顔が、目の前にあった。
いつもと違う、愉しげに輝く赤みがかった黒の瞳が。
『本性、見たり。決死の覚悟は見事』
『ッ……!』
そこから何が起こったかは、あまり覚えていない。
無我夢中で、持ちうる限りの技術をもってその首を狙ったが、全く届かなかった。
〝稀代の魔導王〟は、その魔術を操る技術の片鱗すら見せず、ただ、剣一本でナバダの全てをねじ伏せて見せた。
荒く息を吐き、膝をついたナバダは、遊ばれているのだと感じた。
どうあっても敵わないことを、まざまざと見せつけられて。
『……殺しなさいよ、早く』
そう、口にした言葉への返答が。
『
と、問う声だった。
『何故、ですって? 皇帝殺しを企てた相手に対する問いかけとは思えないわね……』
ボソリと吐き捨てた言葉が、闇に響く。
もう、敬語も何もかも、演技すらも必要ないと思っていた。
どうせ殺されるのだから。
なのに。
『見事、と述べた。覚悟、そして技量。怖じけるでもなく、始末を望む潔さ。……
―――赦す?
そんなことは望んでいない、と睨みつけたナバダが目にしたのは……今まで見たこともないような、生き生きとした笑みを浮かべた皇帝の姿だった。
こちらに対する親しみすらこもっているような、そんな目に。
思わず呆けたナバダに対して、パチン、と皇帝が指を鳴らすと、夜の闇から【魔力封じの首輪】と鉄の鎖が滲み出して体に巻きつき、拘束された。
『追って、沙汰を告げる』
そう言って背を向けた皇帝に、ナバダは叫んだ。
『待て! アタシを、殺しなさいよ! 何で殺さないの! ―――殺しなさいよォッッ!!』
生き残ってしまうわけにはいかない。
そうして、舌を噛もうとしたナバダに、皇帝が最後の一声を残した。
『死せば、諸共そなたの希望、潰えることを心せよ』
ナバダは、その言葉に顎を大きく開いたまま、動きを止める。
イオの為に死のうとしていたのに、なぜか、その言葉に思い止まってしまったのだ。
そうして、死を考える度に、脳裏を『万一』がチラつくようになった。
もしかしたら、イオが死んでいないかもしれない、という期待と呼ぶにも淡い願望が。
―――気づいていた?
皇帝が、イオのことまで、気づいていたというのなら、なおさら。
「……そんな訳が、ないわ。私は、何も漏らしていないはずよ!」
「漏らさずとも、陛下は全てを見通しておられるに決まっているでしょう! だから貴女を生かして、わたくしに託すのをお認めになったのですわ!」
「……っ!」
コイツらは、本当に何なのだろう。
一体、その目には何が見えているのか。
本当に、全てが自分の思い通りになると信じて疑っていない。
ナバダが、アーシャを本当に殺すことはないと確信しているのだろうし、弟が生存していることも、まるで決定事項のように思っているのだろう。
不気味さすら感じながら、ナバダは諦めて肩を落とす。
「……もう、いいわ」
自分の何もかもが、愚かしく見えて来た。
だから、コイツらは嫌いなのだ。
それでもきっと、コイツらに従うことが一番良いのだと、分かっている。
従うことで、イオの命が救われるのなら、それでいい。
本当に生きていてくれるのなら、それでいい。
この先、どれだけ生き恥を晒しても、自分が惨めになったとしても、イオさえ生きていれば。
もし死んでいたら、その時はアーシャを殺して自分も死ねばいいだけだ。
そう、ナバダは覚悟を決めた。
―――でもきっと、そうはならないんでしょうね。
アーシャを見ていると、何の根拠もないのに、そう思えた。
「……今殺すのは、止めて置いてあげるわ」
「あら、随分上からですこと!」
「アンタは、人のこと言えた性格じゃないでしょうが!」
怒鳴り返したナバダに、アーシャはうふふ、と楽しそうに笑い、魔剣銃を仕舞う。
「そうと決まれば、行きますわよ!」
「ちょっと、南部領はそっちじゃないわよ?」
方向音痴なのか、明後日の方向に歩き出すアーシャにそう声をかける。
彼女が向かう方向は、〝獣の民〟が住むという『魔性の平原』に向かう方向だ。
「存じておりましてよ? 最初に言ったでしょう。わたくしと貴女は、利害が一致していると!」
「……革命軍を、結成するんじゃなかったの?」
『魔性の平原』に向かっても、その先には西の大公領があるだけだ。
武で鳴らした家門は多いが、あの領地は虎神を崇める宗教の力が強く、その祭司である西の大公に逆らう者は非常に少ない。
仲間を集めるには不向きな土地柄だ。
「革命軍は結成致しますけれど、わたくし、最初から輸送団と別れたら西に向かうつもりでしたわ!」
「何で?」
「分かってないですわねぇ!」
アーシャがピッと扇を取り出して、ナバダに向かって突き出してくる。
「陛下に翻意を持つ人々の平定が、わたくしの目的ですのよ? だったらまだ大人しくしている南の大公よりも、西の大公を下すのが先ですわ! 何かおかしなことがありまして?」
まるで自明の理のように言うが、ナバダはそんな彼女に、先ほどの懸念を伝える。
「でも、あっちの貴族は……確かに皇帝には反抗的だけど、アンタには従わないでしょう」
「西の領地までは行かないですわよ! わたくしが最初に協力を仰ぐのは〝獣の民〟ですわ!」
「……………はぁ!?」
あまりにもぶっ飛んだ発想に、思わずナバダは声を上げた。
「〝獣の民〟ですって!? アンタ、それがどういう意味か分かってるの!? 連中こそ、本気で貴族になんか従わないわよ!?」
彼らは、そもそも皇国どころか、太古から国家に従うことすら良しとしない自由の群れだ。
大半が、西や南の圧政に耐えかねて逃れた者達と獣人族で構成されており、貴族を毛嫌いしている連中なのである。
「だからこそ、都合が良いのではないですの! 貴族としてのわたくしではなく、わたくし自身を認めてくれる可能性が一番高いですわ! 何せ、一騎当千と呼ばれる獣人族に、腕前と気骨のある人々ですし!」
楽観が突き抜けている。
やっぱり、この女はおかしい。
「それに、そのくらい出来ないと、陛下に愛していただけないですわよ!」
付け加えられた言葉に、とんでもない脱力感を覚える。
―――アンタ、とっくに愛されてるでしょうがッ!
心の中でそう叫びながらも、それを口にするのはなんだか癪だったので、ナバダは黙った。
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