第7話 ナバダの事情①


 ―――全く、無様ね。


 ガタゴトと揺れる巨大な馬車の中で、灯り取りの格子から差し込む光を眺めながら、ナバダは自嘲の笑みを浮かべた。

 【魔力封じの首輪】に、手枷と、足の鎖に繋がった鉄の球。

 もし馬車が賊に襲われたとしても、逃げることも抵抗することも出来ない状態で護送されている。


 そして、当初の目的に反して・・・・・・・・・死ぬことも・・・・・出来ていない・・・・・・


 今のナバダには、絶望しかなかった。

「……ふふっ」

 何一つ思い通りにならなかった状況に、思わず笑みを漏らすと。

「あら、楽しそうですわね!」

 と、癪に障る声が聞こえてきたので、ナバダは笑みを引っ込めて舌打ちした。

「話しかけて来んじゃないわよ、雌犬」

「だって暇ですもの。別に話くらい、しても良いのではなくて?」

 馬車は、木の柵で半分に分けられている。

 柵の向こう側には、寝具としても使う腰掛けに座ったアーシャが居た。

 いつもの、イライラするほど煌びやかな公爵令嬢然とした格好ではなく、普通の旅人のような姿。

 さらに髪色まで違う彼女に、最初は面食らったが、すぐに腹立ちが上回った。


 ―――頭の狂ったクソ令嬢が。


 今の状況は、全てあの化け物皇帝とコイツのせいなのだ。

 特に、アーシャ・リボルヴァは。

 何不自由ない生活を捨てて、革命軍結成なんていう夢見がちな道楽に溺れる、愚か者のくせに……南部に赴くのに、こんな風に『弁えた』格好も出来る辺りが、本当に気に食わない。

 無駄にプライドが高い割に、敵対する自分にも屈託なく話しかけて来るところも、本当に、最高にムカつく相手だ。

 ただ、ナバダ相手に嫌味が言いたいだけかもしれないが。

「……」

 こちらは別に話すこともないので黙っていると、再びアーシャが口を開く。

「無視なさるのでしたら、下策に溺れた貴女の愚かしさを、延々語り続けて差し上げても宜しくってよ?」

「黙れ」

「あら、愚か者扱いされるのがご所望ですのね? ふふ、そもそも、陛下を暗殺なんて出来るわけがないでしょう。何でわたくしや他の妃候補を狙いませんでしたの?」


 ―――出来たらやってたってのよ……ッ!!


 ナバダは、黙らないどころか本当に当て擦りを始めたアーシャの顔を、殺意を込めた視線だけで射殺せたら、と願わずにはいられなかった。

「どんな方法でも、貴女の頭があれば殺せたでしょうに。陛下暗殺よりも、正妃の座を狙う方が容易くてよ? 分かっていて?」

「黙れって言ってんのよ!」

 ギリギリと、奥歯を噛み鳴らしてから、ナバダは怒鳴りつける。


 ―――他の女どもを殺せたところで、意味がないことすら、コイツは理解してないのに……ッ!


 こんな奴のせいで。

 本当に『そこ』だけ、まるで気づいていないのだとしたら、どれほど賢かろうがアーシャの頭は完全に終わって・・・・いる。

 マトモな人間じゃないのだ、コイツも、皇帝も。


 ―――誰が正妃に選ばれるかなんて、考えるまでもなかったでしょうが……ッ!


 ナバダが、どれだけ長い間、アーシャを殺す隙を窺っていたと思っているのか。

 だがこの女は……パーティーの場で、口をつけるフリをしていても、どんな料理も口にせず、どんな飲み物も飲もうとはしなかった。

 一人ふらりと離れた時に、事故に見せかけて始末しようとしても、一瞬も警戒を解かなかった。

 常に彼女のそばに控える連中は、どいつもこいつも年嵩なのに、見ただけで分かるくらい、とんでもない腕前を持つ手練ればかりだった。

 身に覚えのない汚名を着せて凋落を狙おうにも、そもそも汚名を着せる余地がないくらい、この女は『イカれている』と認知されていた。

 アーシャを殺せなければ、他の令嬢をいくら蹴落としたところで意味がない。

 奔放に見えて、誰よりも自分が危険な立場にいるのだと、彼女は熟知していた。


 恋する狂気。


 数ある二つ名の中でも、最も的確にこの女を表す言葉を、ナバダは他に知らない。

 そして影でそう呼ばれていることすら、この女は知っているのだろう。

 知っていて、まるで何も気にしないのだろう。

 忌々しいほどに隙がなく、容姿と性格以外の全てが完璧な公爵令嬢。


 ―――〝鉄血の乙女アイアンメイデン〟アーシャ・リボルヴァ。


 節穴の目をした他の貴族どもと違って、それでも彼女以外の誰よりも皇帝の寵を得て近くに接していたナバダは、肌でひしひしと感じ取っていた。

 皇帝が、アーシャしか見ていないことを。

 容姿の美醜だの、性格の良し悪しだの、アーシャ以上に頭の狂ったあの皇帝には、まるで関係がなかった。

 楽しければそれでいい、とでも思っていそうな、なのにまるで考えが読めない、不気味すぎる支配者。

 全てを見抜いているかのように、アーシャ以外の人間に向ける、ゾッとするような退屈そうな目。


 ―――何でそれに、アンタが気づかないのよ!?


 皇帝の暗殺。

 それは、雇い主からナバダに科せられた条件の中でも、本当に最後の手段だったのだ。

 元は親のいない孤児で、美貌と強い魔力を持つ自分は、西の陣営にとって都合のいい駒。

 自分の意思など、そこにはない。

 上から一方的に命じられた第一の目的は、皇帝の正妃となることだった。

 アーシャさえいなければ、もしかしたら成功していたかもしれない。

 血を吐くような努力を強要され、礼儀礼節と共に叩き込まれた暗殺の技術は……アーシャの言うように、ナバダの対抗馬となる令嬢連中を始末するためのもの。

 そして『正妃として選ばれなかった時、せめて皇帝の命を奪え』と、厳命されていたのだ。

 だが、全部終わった。

 アーシャも、皇帝も、結局はナバダの手に負えるような連中ではなかった。


 ―――せめて、アタシが殺されていれば。


 ナバダは虚無を感じていた。

 何故かアーシャの右目が、あの忌々しい皇帝と同じ色に染まっていることにも、彼女の道楽にも、まるで興味などない。

 ただ、自分を生かした皇帝が。

 大人しく殺されようとしなかったアーシャが。

 とてつもなく、恨めしい。

 殺されるつもりの特攻すら、あの皇帝は許さなかった。

 ようやく離れられると思ったクソ令嬢は、こともあろうにナバダの身柄を引き受けた。

 そうして何一つ成し遂げられず、こうして、西に敵対的な南の大公の領地に護送されている。

 長く苦しめ、と、化け物どもにそう宣告されているようで、耐え難い。

 もう、全部、どうでもいいのに。

 失敗したことなど、とっくに西の大公には知れているだろう。


 ―――ごめんね、イオ。


 心の中で、西の大公の元にいる弟に……もう殺されているだろう弟に、謝っていると。

「貴女も、素直じゃありませんわね」

 また、忌々しい声が聞こえてきて。


愚行に走った理由・・・・・・・・を陛下に告げていれば、悪いようにはなさらなかったと思いますわよ?」


「―――ッ!?」

 心中を見抜かれたような言葉に背筋を怖気立たせながら、アーシャに思わず視線を向ける。

 すると、彼女は呆れたような顔をしていた。

「まぁ、それすらも話せないように縛られているのであれば、その限りではありませんけれど、ね?」

 この、口ぶり。


 ―――コイツ……ッ!!


 アーシャは、知っている・・・・・

 どうして調べたのかは全く分からないが、ナバダの行動の理由だけでなく、背景までも。

「……殺してやる……ッ!!」

 コイツは、知っていて放置したのだ。

 ナバダがどんな状況にいるか、知っていて蹴落としたのだ。


 ―――イオの命が掛かっているのを、知っていて……ッ!


「あら、瞳が燃えましたわね! 逆恨みも甚だしいですけれど、無駄に諦めた目をしているより、そちらの方が貴女らしいですわよ!」

 アーシャはにっこりと言い、色の変わった……しかも、今までと違ってきちんと見えているかのように動く、右目の辺りを指先で撫でる。

「それに、何か事情がありそうなのも、話せないのも図星……何よりですわ。家族を人質にでも取られている、といったところですわね」

「……!」

 頬に手を当てて、してやったり、と笑みを浮かべるアーシャに。


 カマをかけられたのだ、とナバダはそこでようやく気付いた。


「この、雌犬……ッ!!」

「ああ、もう話さなくて結構ですわよ。呪縛をわざと破って、自ら命を断つような愚かな真似をしなかった辺りも、評価に値しますわ」

 アーシャはニコニコと、何度もうなずいて見せた。


「その上で、死んでいない、ということは―――当然、まだ諦めていませんわね?」

 

「……何の話を、してるのよ」

 相変わらず、アーシャは口にする言葉の先が読めない。

「今もって生きているということは、人質に取られた家族の生存に、一縷の望みをかけているのではなくって?」

 まるでそれが当然であるかのように、アーシャはキョトンとした顔で小首を傾げる。

「輸送団が去ってわたくしと二人きりになったら、わたくしを殺して西に向かおうとしているから、大人しくしているのではなくて?」

「へぇ……」

 ナバダは、アーシャの問いかけに、プツン、と脳裏に音が響くのを確かに聞いた。

 それまで自分を支配していた虚無と怒りが、明確な殺意として形を取る。

「殺されてくれるわけ? それはアタシも、良いことを聞いたわね」

 このクソ女も、皇帝も。

 『誰も彼もが、自分の手のひらの上で踊る』とでも思っているかのような傲慢さが、一番気に食わないのだ。

 一方的にゴチャゴチャとモノを言われることに対する反骨心が、メキメキと湧き上がってくる。

 どんな手を使ってもこの首輪と枷を外して、この女をくびり殺してやる。

「慈悲深い〝化け物令嬢〟様は、そこまで分かっていて同行を申し出た、ってことで、良いのよね?」

「当然ですわね」

 ナバダが歯を剥く笑みと共に告げると、アーシャも腕を組んで頬に指を添え、目を細めながら薄く笑みを浮かべた。


 ―――この顔だ。


 普段は愛想よく振る舞うくせに、時折コイツが覗かせていた、この顔。

 半分だけ人形のように整った顔立ち。

 もう半分は、目元が爛れて溶けた顔立ち。

 それらとこの酷薄な表情が合わさった、地獄の底から他人の悪意を愉しむようなこの姿が、この女の本質だ。

「そうしたいなら、それで良くってよ。お好きになさいな」

 それきり、アーシャは黙った。

 

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