第4話 陛下からのお誘いですわ!



「さて、始めますわよ!」

 庭に出たアーシャは、顔の脇の縦ロールはそのままに後ろ髪を結え、高い位置で巻き込むように纏めた。

 よほど天気が悪い時以外は、アーシャは欠かさず鍛錬を行っている。


 ―――淑女たるもの、どのような状況や格好でも戦えないといけませんものね! 


 怪我をしない為に、入念に体をほぐしていく。

 身を包むのは、普段着と見た目が特に変わらないドレス。

 しかし、実際は糸に刻印を刻み込んだ【魔力布まりょくふ】と呼ばれるもので出来ている。

 ただ頑丈なだけでなく、動きの補助を行う魔術と、防御結界を常時発動する立派な戦闘服だった。

 美麗さと実践的な要素を併せ持つ優れもので、アーシャは気に入っている。

 準備運動を終えて、竜の意匠を施した二丁の魔剣銃【メイデンズ・リボルヴァ】を手に、まずはかたを舞う。

 アーシャの使う得物自体はかなり特殊なものだけれど、動きの基礎は、魔力を込めた剣で戦う『魔剣術』と呼ばれる武道である。

 教えてくれたのは、今は何処かへ出かけて行方知れずの有名な師範だった。

 その武道で使われている型を終えたアーシャは、次は木に下げた的に魔力で生成した弾丸を撃ち込む訓練をし、さらに魔力と意思で伸縮する銃剣で丸太に切り込む訓練などを行う。

 一通りの鍛錬を終えたアーシャは、額の汗を拭った。

「今日は、ちょっと暑いですわね!」

 汗の染み込んだドレスを清浄の魔術で綺麗にしたアーシャは、氷の魔力弾を適当に木の幹に撃ち込み、木陰に入って生成された氷と扇で涼を取る。

 すると、大体終わりの時間を承知しているばあやが、紅茶の準備をして屋敷から出てくるのが見えた。

 同時に、雲の少ない空にポツンと染みた黒い影が、こちらに舞い降りてくるのが視界の端に映る。

 アーシャの体の半分ほどもある、黒い大鷲おおわしだ。

 それを見つけた瞬間に、笑みを浮かべて木陰から飛び出した。

「陛下ですわ!」

 漆黒の鳥は、陛下の使い魔である。

 陛下は文武魔道の全てに精通しておられる方ではあるけれど、その中でも特に魔導の扱いに優れており〝稀代の魔導皇帝〟と呼ばれている。

 あの使い魔も、陛下がご自身の魔力によって作られたものだった。

「陛下ぁ〜!」

 舞い降りた大鷲にアーシャが満面の笑みで手を振ると、大鷲は軽く首を傾けた後、スゥ、と姿を消してしまった。

「あら? ……少しくらいお話して下さっても宜しいのに、つれないですわね!」

 ぷく、と頬を膨らませて腰に手を当てた後、アーシャは、大鷲がいたところにヒラリと落ちた手紙を拾い上げる。

 そこには『一週間後の夜、居室のベランダにて。』とだけ、書かれていた。

「まぁ!」

「どうなさいましたか、アーシャ様」

 近づいてきた婆やが、シワだらけの顔を柔和に笑ませて問うのに、うふふ、と頬を緩ませる。

「陛下からのお手紙ですわ! 内容は、秘密ですわ!」

「おや、おや。宜しいことにございますねぇ」

 婆やがアーシャの言葉にうなずく間に、侍女らが滑らかな手際でパラソルを立てて椅子を用意し、別の一人がうやうやしくタオルを差し出してくれる。

「相変わらず、素晴らしい仕事ぶりですわ!」

 アーシャは侍女らにいつも通りに声を掛け、汗を拭って椅子に腰を下ろした。

 そしてティーカップを手に取り、柑橘類かんきつるいを絞った、爽やかな風味の紅茶を嗜む。

「今日も、大変美味ですわ!」

「それは、ようございました。こうしてアーシャお嬢様のお世話をする時間も、もういくらもございませんからねぇ」

 ふやふやとうなずく婆やに、ふと、アーシャは問いかける。


「……婆やは、何も言いませんのね?」


 父母も妹も、反対したり驚いたりしていたのに、彼女だけはいつもと変わらない。

「アーシャお嬢様もお転婆でございますけれど、最初にお仕えした大奥様も、それはそれは破天荒な方でございましたからねぇ」

「お祖母様が?」

 婆やは、そんな疑問にのんびりと頷いた。

「ええ、ええ。婆やめは、大奥様が、『紅蓮の私兵』を自ら率いて、建国の戦場を跳ね回るのに付き合ったこともございますのでねぇ」

 そうして、顔のシワをくしゃりとさせて笑い、どこか懐かしむような遠い目をする。

「それを思えば、アーシャお嬢様が辺境への赴くくらいのこと、お散歩に出られるのと変わりのうございますよ」

「……それは、心強い言葉をいただきましたわ!」

 祖母は、物心つく頃には亡くなっていたけれど。

 祖父や父が、祖母の若い頃の話に口を濁されていたのは、そうした事情があったらしい。

「アーシャお嬢様は、前向きなところも、後ろを気にしないところも、大奥様によく似ておられますからねぇ。婆やといたしましては、さもありなん、と思っておりますよ」

「それは褒められているのかしら?」

「さて、どうでしょうねぇ」

 婆やが内心を読ませない笑顔で言うので、アーシャはニッコリと笑みを返した。


 ―――まぁ、どちらでも構いはしませんけれど!


 どう思われていても、やることそのものに変わりはないのだから。

 そのまま、時折たわいもない話をしながら優雅にお茶を飲み終えたアーシャは、静かに椅子から腰を上げる。

「昼過ぎに、少し買い物に出ますわ! 婆や、旅に必要なものに詳しいのなら、付き合っていただけまして?」

「ええ、ええ。仰せのままに」

 のんびりと頭を下げる婆やに頷きかけてから、アーシャは着替えのために屋敷に引っ込んだ。

 

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