第3話 恨んでませんわよ!
そんな父母との話し合いを終えた後。
鍛錬の時間になったので、アーシャは庭に降りようと屋敷の廊下を歩いていた。
すると正面から、5つ歳が離れた妹が歩いてくるのが見える。
「ご機嫌麗しゅうですわ、ミリィ!」
アーシャは、新たな目的が出来たことで気分に張りが出ていた。
上機嫌に挨拶すると、目を伏せて歩いていたミリィは、固い顔で目を上げる。
「……おはようございます、お姉様」
―――相変わらず、暗いですわねぇ。
ミリィは、昔はアーシャよりも快活な子だったけれど、成長するにつれてどんどん書斎に引きこもるような、大人しい性格になっていた。
彼女の容姿は色が濃い金髪で、顔立ちはよく似ていると言われる。
けれど、並ぶとまだ13歳のミリィの方がアーシャよりも少し背が高く、逆に線が細い。
深窓の令嬢という言葉がよく似合う、美しい自慢の妹だ。
最近反抗期なのか、何故かアーシャを避けているミリィを、いつもならそのまま放っておいてあげるのだけれど……今日は気分が良いので、会話を続けたくなってしまった。
「ミリィは今日、何をなさいますの? 読書ですの?」
「……お姉様に関係ないでしょう」
「相変わらずつれないですわねぇ。小さな頃はもっと可愛らしく懐いてくれましたのに!」
アーシャが頬に手を当てると、ミリィは唇を震わせる。
「お姉様は、別にミリィなんかと話したくないでしょう!?」
そんな風に突然怒鳴られて、アーシャは面食らった。
―――話したくない?
避けているのは、ミリィの方だと思っていたのだけれど。
「話したくない? 何でですの?」
「とぼけるの!?」
「別に、とぼけているつもりはありませんけれど」
本当に心当たりがない。
アーシャは小首を傾げながらそう伝えるが、何故かミリィはますます怒り出した。
「はっきり言ってほしいなら、言うわよ! ミリィを恨んでるから、その顔を隠さないでウロウロしてるんでしょ!?」
「……???」
―――恨んでる、ですの?
思いがけない方向から伝えられた文句に、頭が疑問符で埋め尽くされる。
言葉が出てこない間に、ミリィは目の端に涙まで浮かべながら、さらに声を張り上げた。
「当てつけなんでしょう!? これ見よがしに、その、その傷痕を晒して、ミリィのせいだって責めてるんでしょう!?」
―――喉は大丈夫かしら?
あんなに大きな声を出しては痛めてしまうかもしれない、と全然別のことを心配しながら、話の続きに耳を傾ける。
「そう思ってるなら、そう言えば良いのに、お姉さまは、いつもいつもヘラヘラ笑ってッ! 腹が立つのよッ!」
―――あら、まぁ。そんな風に思っていましたの?
思いがけない妹の内心の吐露に、アーシャは不意に笑いが込み上げて来た。
「ふふ……うふふふ……!」
「な、何、笑ってるのよ!!」
「ごめんなさい、おかしくて……うふふ、ミリィ」
扇で口元を押さえながら、不気味なものを見るようにこちらを見つめる妹の目を、真っ直ぐに見返す。
「―――気にしているのに言えなかったのは、わたくしではなく、貴女の方でしょう?」
「……ッ!」
そっと妹に向かって歩を進めたアーシャは、目を逸らそうとする妹の高い位置にある頬に手を添えてジッと覗き込む。
ミリィは、自分の感情を持て余している。
耐え切れずに、アーシャにぶち撒けてしまうくらいに。
彼女がどんどん大人しく、自分を避けるようになった理由がそんなところにあったなんて、アーシャは全く思っていなかった。
―――誤解は、解いておかないといけませんわね。
あの時のことが、ミリィの心の傷になってしまっているのならば、尚更だ。
アーシャは、妹が気持ちを吐き出してくれたことにむしろ感謝しながら、笑みと共に問いかける。
「ねぇミリィ、よくご覧になって。わたくしの残されたこの左目は、貴女への恨みに濁っていまして?」
顔を覗き込むと、怯んだように身を引くミリィの手を掴み、顔を寄せる。
惑うように揺れる眼差しを捉えて、ジッと見据えた。
「貴女から見て、わたくしの顔は見苦しくて?」
「そんっ……そんなこと……っ!!」
「ミリィは、わたくしが傷を負ったことを、ずっと気に病んでしまっていたのですわね。気づかずに申し訳なかったですわ」
顔に火傷を負った時のことを思い出しながら、アーシャは言葉を重ねる。
「あれは決して、貴女のせいではなくてよ、ミリィ。だって、あの魔獣を呼び寄せてしまったのは、わたくしなのですもの」
「え……?」
知らないわけでは、ないはずなのだけれど。
アーシャが庇うように立ち、傷を負った場面だけが、彼女の記憶には強く焼き付いてしまったのかもしれない。
あの時、ミリィはまだ6歳だったのだ。
「少し、昔話をしましょうか。あの頃、魔術を習い始めたばかりだったわたくしは、魔導書に興味がありましたの」
記された様々な知識の中に『森の生き物を引き寄せて酔わせる香』というものがあり。
それが屋敷にある植物で作れることに気づいたアーシャは、こっそりと作ったのだ。
今思えば、浅はかとしか言いようがない行いだ。
アーシャは、父の狩りに連れて行ってもらった時に、軟膏にも似たそれを使ってみたのだ。
何も考えずに、ただ、無邪気に。
「わたくしは、可愛らしい動物が来るかも、と、貴女を誘いましたの。そして木立の影から、二人で息を潜めて、香を塗った木立を眺めていましたのよ」
本当に集まるのかと、二人でワクワクしながら。
父母や護衛は見える位置にはいたけれど、少し離れていて。
だが、魔導書に記されていた香は、子どもが戯れに作ってもいいようなものではなかった。
異変は、森の向こうから。
微かな地鳴りはすぐに巨大な振動に変わり、肉食草食を問わない動物達が押し寄せて、魔獣までもが、姿を見せた。
あっという間の出来事だった。
そうして、手で香を木立に塗ったからか、強く香の匂いを漂わせていたのだろうアーシャ達にも、獣が狙いを定めた。
アーシャは咄嗟に、まだ、扱いを覚え始めたばかりの魔銃で応戦したが……その音と獣の悲鳴、そして血の匂いが、魔獣を刺激した。
「突如群れ集った動物達に阻まれて、お父様達も、護衛も、すぐに近くには来れなかった。そんな中で、せめて貴女だけでも守らなければと、わたくしは魔獣と対峙したのですわ」
あの時に聞いた、母の絹を裂くような叫び。
そして獣を切り捨ててこちらに向かいながら『逃げろ』と怒鳴り続けた父の声は、未だによく覚えている。
アーシャは、従わなかった。
そして、運よく銃で瞳を射抜いて、魔獣の突進を押し留めた。
代わりに激昂させてしまい、口から吐かれた炎を避け切れず、顔に火傷を負ったのだ。
命中した銃弾の角度が良かったのか、魔獣はその後、すぐに絶命した。
「ねぇ、ミリィ?」
呆然としている妹に、アーシャはニッコリと呼びかける。
「この傷痕を負ったのは、わたくし自身の失態。そして貴女を傷ひとつで守れたことは、わたくしの誇りですのよ!」
自分の失敗で、危うくミリィの命を失うところだった。
必要ないと言われながらも、興味を持った武の鍛錬を積んでいたおかげで、守れた。
その結果がこの傷痕だという、ただそれだけの話でしかない。
だから本当にミリィのせいではないのに。
目を見開く彼女は、納得出来ていなさそうに唇を震わせて、首を横に振る。
「それでも、ミリィがいなければ、お姉様だけなら、逃げれたでしょう!? 顔に傷を負うこともなかったはずだわ!」
「わたくしが貴女を誘わなければ、よ。ミリィ。それは、勘違いしてはいけないところですわ! わたくしが気にしていないのに、貴女が気に病むことなんて一つもないのです!」
あの時、運よくミリィを守り切れていなかったら。
死なせてしまっていたら。
想像しただけで胸が張り裂けそうなその悲しみに比べれば……顔のケガが、どの程度のものだというのだろう。
「当てつけなど、とんでもないですわよ! それにわたくし、この傷のおかげで陛下のご興味を引くことが出来たのですもの!」
「お、姉様……」
「それでも、わたくしの顔を目にするたびに貴女が気に病んでしまうのなら、もう心配ありませんわ! わたくし、もう半月も経てばここを去りますのよ!」
「………………え?」
アーシャの言葉を受けて、ミリィが口元に手を添える。
「そ、それは、ついに、陛下と婚姻を……!? でも、半月は早すぎるんじゃ……?」
ついさっきまで怒っていたはずなのに、ミリィの関心はそちらの方が強いようだった。
そうであれば、彼女にとってはもしかしたら良かったのかもしれないけれど。
「わたくし昨日の夜会で、陛下に革命軍を結成すると宣言して参りましたの!」
「………………は?」
「その為に、南部に赴きますわ!」
「………………はぁ!?」
「はぁ!? だなんて、乙女の言葉遣いとして、はしたないですわよ!」
何故か固まってしまったミリィに、アーシャはニッコリと注意する。
すると我に返った彼女は、混乱を極めたような表情と口調でまくし立てた。
「そ、そんなことより、今お姉様が口にしたことの方が重要でしょう!? 革命軍!? 姉様は陛下のお妃になるんじゃないの!? なんで革命軍!?」
「婚礼の手土産にする為ですわ! 長くなりますから、出立前に一回、お茶でも飲みながらゆっくり話して差し上げますわね〜!」
「あ、ちょ……お姉様っ!」
「今から、わたくしは鍛錬ですの! 貴女も、たまには体を動かした方が良いですわよ〜!」
手を伸ばして引き留めようとしたミリィをサラッとかわしたアーシャは、ひらひらと手を振って、その場を後にした。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます