第42話 邇邇藝命

ここは皇居の奥座敷。

高天原たかまがはらの間。

一般には存在すら知られていないその座敷で、ひとりの少女がテレビアニメに観入っていた。


「何故じゃ……。何故死んでしもうたのじゃ……。残されたルビィとアックアはどうなる……」


少女はボロボロと大粒の涙をこぼしながら、テレビに向かってしゃくり上げる。


「ううぅ、ひっく。妾がそばについておれば、決してアイをこの様な形で死なせなんだものを……。おのれストーカーめ。あな口惜しや、口惜しや……」


少女はめちゃくちゃ感情移入しながら『推しる子』を観ている。

そうしていると――


すぅっと、音もなく座敷の襖が開かれた。

高級そうな背広をビシッと着込んだ壮年男性が、部下を数名引き連れて現れる。


この者、威厳に溢れた風体をしていた。

それもそのはず、この人物は宮内庁トップである現長官で、名を『三田村みたむら泰彦やすひこ』という。

連れられてきた者たちも、すべて宮内庁の幹部職員である。


そんな彼らが、入室して早々、少女に向かって両膝をつき深々と頭を下げた。

畳に額を擦り付け、彫像のように固まったまま身動みじろぎひとつしない。

けれども少女はテレビに齧り付いたままだ。

振り返りもせずに問いただす。


「……なんじゃ? いま良いところなのに大勢で邪魔をしに来よってからに……。妾は大いに機嫌を損ねたぞ。事と次第によってはそなたらをみな罷免するが、さぁ申開きをしてみよ」


長官が怯む。

宮内庁長官の任命権者は内閣であり、その内閣の長たる内閣総理大臣を任命する者は天皇である。


だが少女にとってそんなことは関係ない。

なぜなら日本国の権力はすべて、最終的にこの少女ひとりの手に集約されるものなのだから。


発言を許された宮内庁長官は、冷や汗を掻きながら申開きををする。

当然、頭は下げたまま。


「お、畏れながら申し上げます。邇邇藝命ににぎのみこと様におかれましては、本日もご健勝のこと誠幸甚こうじんの至りにございま」

「早う用件を言え――」


邇邇藝と呼ばれた少女は、背を向けたまま手にした扇子でトントンと首筋を叩く。


「――其方の首が、まだ胴体とつながっておるうちにのぅ」


三田村長官は漏れそうになった悲鳴を噛み殺し、小刻みに身体を震わせながら続ける。


「せ、僭越ながら申し上げます。こちらをご覧くださいませ」


持参した液晶タブレットで、とある動画を再生して差し出した。



ここでようやく邇邇藝ににぎが三田村を見た。


だが振り向いたのは顔だけだ。

億劫そうに首を捻って画面を眺める。

そこに映し出されたものは、S県T市を現在進行形で襲っているゾンビパニックの映像である。


映像の中でヴェルレマリーやフィンブルリンドがゾンビを蹴散らしている。

更には時折り、画面のすみを銃火器で武装したエルフたちが駆け抜けていく。

通りがけに群がってくるゾンビに向けて手榴弾を投げまくったり、ロケットランチャーをぶっ放したりと、やりたい放題だ。


「――ぶほぁっ⁉︎」


邇邇藝は、齧っていたお煎餅を吹き出した。


「な、なんじゃ、これは⁉︎」

「T市で起きている災害の映像に御座います。これは邇邇藝命様へお知らせすべき事案かと思いますれば、こうして畏れ多くも御身のおわす高天原の間へと参った次第に御座います」


邇邇藝は今度こそ全身で振り向いた。

四つん這いになって慌てて畳を這ってきたかと思うと、ガシッとタブレットを手に取る。


「ド、ドラゴンじゃ……。それに蠢めく屍リビングデッドに、エ、エルフまで……!」


それは彼女にとって懐かしい存在。

かつて我が身を襲った忌まわしき天孫降臨の日から幾星霜――

どれだけ焦がれても、決して見ることのあたわなかった望郷の風景。


「お、おおお……。まさに、まさに……!」


タブレットを掴む邇邇藝の指が震えた。

その瞬間、画面が切り替わり、今度は風太郎が映し出された。

その背後には彼を守護するアリスマギアの姿。


「――ッ⁉︎」


邇邇藝が限界まで目を見開いた。

思わず立ち上がっていた彼女は、大声で叫ぶ。


「総理の黄瀬田きせだを呼べ! 今すぐここに向かう! 検討しているいとまはないぞ! 可及的速やかに失礼のないよう準備させよ! そしてただちにこちらのいと高く尊き御方おんかたをお迎えしに参るのじゃ!」

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