聖母の従者

 書庫の椅子に座って休むうちに、気分を落ちつけることができた。

 日が高くなってきたようで、カーテン越しに薄日が差しこんでいる。

 グレンダに言われた時間まで余裕があるので、本の整理や掃除をしておこう。

 

 わたしは立ち上がって、作業を始めた。

 書棚から出ているのは全て自分が読んだ本でも、そのままなのは気が引ける。

 まずは順番に本を収めていく。

 換気をしないと埃だらけになってしまうので、合間には窓を開けて空気を通した。 


「うん、こんなところかな」

 

 そこまで広い空間ではなくても、一人で管理するとなると手間がかかる。

 気がつくと作業に区切りがつく頃には時間が経過していた。

 窓の外を見るとちらほらとどこかに歩いていく人影が見えた。

 その方向からして弔う会へ向かうところだと思った。


「……そろそろ、行かないと」


 わたしは足早に書庫を出た。

 今朝、入る時は動揺して確認しそびれたけれど、魔法の鍵を施しておく。

 入り口の扉に魔力を流しておいて、人の出入りがあったかが分かる仕組み。

 これは手紙を書いた人が残したと思われる本に載っていた、宝箱の防犯魔法を応用したものなのだ。


「うん、これでよしっと」


 わたしは小さくつぶやいた後、書庫の前の道を歩き出した。


 少し進んだところで、年下の子たちが何人か並んで歩いていた。

 ドリスが亡くなったばかりなのに普段と変わらない様子だった。

 彼女たちだけでなく、この世界では死を気にかけないような風潮がある。

 真実に至ったわたしからすれば、それは背筋の冷たくなるようなことだ。

 自然な振る舞いになるように努めつつ、心中を悟られないように先を急いだ。


 前方に緩やかな坂があり、その先には教会が建っていて右手には墓地が見える。

 教会は十人ぐらい入れる広さで屋根の先端は尖った三角柱のようだ。

 ここや学校には時計台があり、時間を把握できるようになっている。

 わたしは墓地から目を背けながら、教会の入り口に向かった。


 大きな扉を開いて中に入ると、円形の空間の中心に棺が置かれていた。

 弔う会の目的を考えれば、そこにはドリスが収められていると思った。

 彼女もこの世界の犠牲者と思うと、いたたまれない気持ちになる。

 現状をどうにかしたいけれど、わたしにできることは限られていた。


「――皆さん、静粛に。これから弔う会を始めます」


 一人の女が部屋の奥から現れると、落ちついた声で宣言した。

 わたしたちが身につけている素朴な風合いの服とは異なり、修道服のような格好をしている。

 何度かその姿を目にしたことがあるけれど、見た目の雰囲気から二十歳以上であることは確実で、この女は聖母の従者という立場だと聞かされていた。

 生命力を吸われる対象から免れているみたいで、二十歳を超えても生きている。


「今回はグレンダ。貴女が代表で言葉を送ってください」


「はい、従者様」


 女以外は棺を取り囲むように立っていて、その中からグレンダが一歩踏み出した。 


「彼女が二十年という月日を平穏にすごせたのは、聖母様が守ってくださったからです。これからも私たちをお守りください」


「グレンダ、ありがとう。皆さん、わたくしたちが何の憂いもなく生きていけるのは聖母様のおかげだということを忘れないように」


「「「はいっ」」」


 教会の中で十数人の少女の声が響いた。

 もちろん、わたしも声を合わせた。


 そこで弔う会は解散となった。

 入れ替わるように年老いた農夫が二人ほど現れて、棺をどこかへ運んでいった。

 これから、ドリスの亡きがらを墓地に埋葬するのだろう。

 わたしは外に出て行く人の流れに紛れて、教会を後にした。


 これからやっておきたいことがあるけれど、人通りが多いので、少し時間を置いてからにしたい。

 わたしは書庫に戻って外の様子を見ながら、人の流れが落ちついたタイミングで出かけた。


 到着したのは町の中を流れる水路の側だった。

 わたしは残された本を読むことで、色んな種類の魔法を習得していた。

 その中の一つに魔法で物体を保護するものがある。

 これを使いこなして、壁の外に流れている水路に手紙を流すのだ。

 すでに手紙は用意してある。


「……誰も見てないよね」


 この辺りは人気が少ないとはいえ、注意を怠るわけにはいかない。

 人目がないことを十分に確認してから手紙を流した。

 魔法の保護が発動して濡れて破れることなく、漂う水草のように流れていく。

 行く先を目で追うと、壁の下を通過していった。

 魔力の流れを追うことで外側まで流れていくことは確認できている。

 一定の距離を隔てると探知は難しくて、そこから先のことは分からなかった。


 狩猟者の出入りがあるのは深夜なので、これが見つかる可能性は低い。

 一方で、力になってくれそうな人のところに届くかは未知数だった。

 水路がどこかの川につながることもなく、短い距離で終わっていたら。

 あるいは誰かが気づいたとしても、その人が非協力的だったら。

 考えれば考えただけ、ダメな理由は浮かんでくる。

 

「それでも、わたしにできることをしないと」


 自分一人だったら、心が折れていたかもしれない。

 皮肉にもあの手紙の主は、幼いわたしをさらったかもしれない狩猟者。

 それでも、真実を知って魔法を覚えたことで、この胸の中には希望が残っている。  

 今は誰かが見つけることを願うばかりだ。

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