第74話

 玲奈は瞑想の暗闇の中で、青くあたたかな光に包まれるのを感じた。


 気がつくと玲奈は、真っ白な大理石の壁と床に覆われた神殿にいた。空を見ると、燦然さんぜんと輝く星空が見えた。夜空がはっきりと見えるのに、周囲はとても明るかった。


 また、その中央にひとりの美しい青年が立っていた。


「待っていましたよ。またお会いできるのを」


 玲奈は少し警戒しながらも、青年に近づいていった。青年は言った。


「さあ、一緒にいきましょうか」


 青年は手を差し伸べてきた。


 気がつくと玲奈の周囲の壁は消えており、あたり一面に宇宙空間のような光景が広がっていた。


 遠方に太陽が輝き、星雲や星座がひしめき、光の奔流のような銀河がたなびいている。それらの光が心を突き抜けてくるようだ。


 玲奈の前方には、真っ白な光の道がのび、彼方へと続いていた。そしてその道の先に、父親と母親の姿が見えた。輪神教会の信者たちや、会社の仲間たちや、かつての同級生や知人たちも。


 青年は言った。


「いま、すべての悩みを捨て、宇宙に還るのです。あなたはこれまで、重荷をせおいながら、十分に責任をまっとうしてきました。さあ」


 玲奈は静かにうなずいて、右手を持ち上げようとした。




   *   *




 園川の眼前には青く輝くクリスタルがそびえ、その根元に岸中が立っていた。岸中の正面には未由がいた。


 園川は懐に手を入れ、イナゴに触れた。こうなれば、隙を作ってなんとかクリスタルにイナゴを接触させるしかないだろう。


 しかしそれをさえぎるように、岸中は園川の進路を塞ぐように位置取るのだった。


 そこで未由は言った。


「岸中さん。もう、やめてください……。あんなに、やさしかったのに」

「ふん。相応の目的があったから、そうしていたにすぎない」

「だったら、全部嘘だったっていうんですか? だって、パパのことはほんとうに残念だったね。一緒にブルーエッジのこととか、調べようねって。困ったらなんでも言うんだよって。そういうのも、全部嘘だったんですか?」

「ああ。そうだよ。全部」


 すると、未由はしばらく黙ってから、


「紗季さんは、言ってました。弟さんが、とても自慢なんだって」


 岸中はその言葉を聞いて、信じられないように目を広げた。


「な、なんだって?」

「深田紗季さんは、わたしのお姉ちゃんでした。いえ、正確には、輪神教会の集まりで、いつもよく遊んでくれた、お姉ちゃんみたいな存在」

「きみは、姉さんのことを……」

「紗季お姉ちゃんは、いつも、言ってましたよ。弟さんは警察官になって、ほんとうにがんばっているって」


 岸中は放心したように口を開き、うつむいていた。やがて目をむいて火がついたように言った。


「だからなんだ? なにが言いたいんだ? 復讐はやめろってか!?」

「わかりません。でも、いまの岸中さんを見たら、悲しむと思うんです」

「だまれ! きみが、姉さんを語るな!」

「紗季さんは、言っていました。輪神教会の人たちが、好きだって」


 すると、岸中はあざ笑うように、


「そうだとして。きみだって、パパのことで恨んでいるんだろう? 教団の人たちや、そこのブルーエッジを。代表の娘、篠原玲奈を。園川くんは、玲奈先輩を好きなようだからね。いい復讐になると思うぜ。このまま、あの世に送ってやればいい」


 こんどは未由がだまった。しばらく下を見ていたが、やがて決意したように顔を上げた。


「岸中さん……。わたしは、園川さんをずっと見ていました。それで、ちょっとずつ、知ることができたんです。園川さんが、変わろうとしていることを。わたしの苦しみを、まっすぐ見てくれることを」

「なにをバカな。親の仇を」

「いえ。わたしは、だれかを憎んでいたかったんです。そうでないと、生きていられなかったから。でも。……そのせいで、苦しかった。わたしも、変わりたかったんです」

「僕は、変わるつもりはないね」

「紗季お姉ちゃんなら、岸中さんに、前を向くように、言うと思います。復讐なんてことは、忘れて」

「なにを。……きみには関係ない」

「岸中さん! あなたは、紗季お姉ちゃんのことを、なにもわかっていない!」


 すると岸中は未由に近づいて、その顔を左手で打った。未由は床に倒れた。


「きみになにがわかるんだ。……なにがわかるっていうんだよ! ガキのくせに! ガキのくせに……。ちくしょう……」


 岸中は未由を見下ろしながらそう言った。その表情には、どこか迷いが感じられた。


 園川はすかさず懐からイナゴを取り出し、クリスタルを見た。園川の足元には光をうしなった電磁ナイフが転がっていた。


「そうはさせないッ!」


 と、岸中は走ってきた。


 園川は電磁ナイフを拾い上げ、雄叫びを上げて岸中にぶつかっていった。





 黒い電磁ナイフは深々と岸中の腹に突き刺さっていた。そのままの状態で岸中は、うめき声を上げてよろめき、ふらふらと下がっていって、クリスタルに背中を押しつけた。そのまま力なく座り込むと、岸中は苦しそうに言った。


「あ、あ……。やられちまったな。きみは、強い。昔から。悔しいくらいに」


 園川は思わず声をかけた。


「岸中さん……」


 岸中は宙空を見上げ、だれにともなくつぶやいた。


「間違って、いたのかな……。姉さん……」


 そうして岸中は目をつむると、徐々に黒くなって、消えていった。





 未由は言った。


「そ、園川さん! 早く!」


 園川はうなずいて、右手にイナゴを持ち、それをクリスタルに向かって突き出した。


 イナゴ――その黒く小さな球体はクリスタルに吸い込まれた。イナゴが触れた箇所の周囲に黒い波紋が広がり、そこから無数の黒い粘質な水玉が飛び出してきた。


 何百もの黒い水玉たちはそれこそイナゴかなにかの虫のようにクリスタルの表面を飛び回り、広がり、クリスタルの内部に入り込み、また飛び出してくるということを繰り返した。


 しまいにクリスタルは真っ黒になった。


 すると次に、クリスタルの上部から無数の黒い水玉が柱のように飛び出てきた。


 その黒く激しい奔流は神殿の天井を突き破り、天へと駆け上がると、四方の空へと散っていった。さながら、目の前で生まれた無限のイナゴが、ヘヴン・クラウドに散らばるあらゆるクリスタルと、神を僭称せんしょうするAIを喰らいつくしに飛び立ったかのようだった。



 やがてクリスタルから放たれていた青い光が消え、クリスタルの上部の空間がひずんだように見えた。そのひずみの中から、銀色の大きな顔が現れた。


 その顔は大口を開け、目を見開き、断末魔の絶叫を上げた。その声は野太く、悪魔じみていた。その声は神殿を震わせ、どこまでも轟くようだった。


 さながらに薄明の森というヘヴン自体が、その薄暗く呪われた宿命を嘆くような、耳にする者が心底震え上がるようなおぞましいものだった。


 園川はそれらの声を佇立して聞いていた。


 その声がおぞましく、より呪わしいほど、その分これまでの災厄が取り払われていくような気がしたからだ。


 クリスタルはもう青い光を放つことをやめ、ただそこには、石造りの神殿の灰色の内部を写す、鏡のような塊が屹立するのみであった。


 園川は言った。


「未由ちゃん。帰ろうか」


 未由は園川の目を見て、やさしく笑ってうなずいた。






 神殿の回廊を戻り広場に辿りつくと、正気に戻ったらしい信者たちが困惑している状況が広がっていた。


 園川は彼らに向かって、


「おそらく、みなさんそれぞれが洗脳を受け、それぞれの天国を見せられていたのだと思います。しかし、ここはヘヴン・クラウドです。現実の世界が待っています。戻りましょう」


 その聴衆の中には無論、玲奈の姿もあった。玲奈は当初、呆然としてその声を聞いていたのだが、次第に目に精気が戻ってくるようだった。


 玲奈はよろよろと立ち上がり、園川へと近づいてきた。それでもまだどこか朦朧もうろうとしており、完全な明晰さを取り戻すのは、少々時間がかかりそうではあったが。


「園川くん、わたし。遠くに行ってしまいそうになって……」

「そうですか。どうやら、間に合ったようですね」

「ありがとう。たぶん、園川くんが、助けてくれたのね……」

「ええ」


 そのとき、愛野と松宮の姿も見えた。その後ろには、生き残ったヘヴンズシャドウのメンバーたちの姿も見えた。




   *   *



 岸中については、後日警察の捜査員が居場所を突き止め身柄をおさえようとしたらしい。そこで潜伏していたホテルに踏みこんだものの、岸中は逃走しようとして階段から転落し、強く頭を打った。その後救急車で搬送され、長く意識が戻らなかったのだという。



 玲奈については、滞在していたホテルで正気を取り戻し、園川や愛野などに連絡を取り、無事に自身の住まいに戻ってきた。

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