第69話

 玲奈はホテルの部屋の時計を見た。すると午後6時になっていた。


 カーテンを閉ざしているから時間の感覚が曖昧だが、思ったよりも遅くなっていた。しかし、空腹はさほど感じていなかった。


 また、無性に、なにかに急かされて、どこかに呼ばれる感じがしていた。薄明の森の映像と、クリスタルの光が心の中に浮かんでくる。そして、そこの中に飛び込んでしまいたいと思う。


 そのときが、たまらなく待ち遠しい。


 テーブルの上には、ポータブル用の、ヘヴン・クラウドに対応したHMDが置かれていた。




   *   *




 夜の8時すぎ。園川は会社のオフィスで松宮と愛野に話をしていた。祝日であるため3人しか出社していない。


 いや、園川が急遽声をかけて招集しただけであり、これが出社と呼べるのかもわからない。大企業では労務や職務規程に違反する大問題だろう。


 そんなことは気にもかけず、園川は茶封筒から取り出したマイクロメモリーを、愛野と松宮に見せた。松宮は言った。


「その中に、輪神教会の人たちを救える、なにかがある、と。そう言うんだな」

「はい、そうです」

「で、それってなに?」

「たぶん、プログラムか、なにかだと思います」

「わかった。やってみようぜ」


 そう言って松宮はマイクロメモリーを取り、身を翻して自身のPCに向かった。


 しばらくPCを操作していた松宮は、


「たしかになんかあるけどよー。えぐいな、これ」

「どういうことですか?」

「C言語で書かれた、ワームっぽい、よくわからん、ウイルスのソースコードみてえなやつだわ。まあ、コンパイルしてみるわ。全部ソースコード読んでるヒマはねえから」


 そう言いながら松宮はキーボードをものすごい勢いで叩きはじめた。その騒々しい音は工事現場のようだ。ときおり松宮は「パスが合わねえ」「コンパイル通らねえ」だの喚き散らしていた。


 しばらくして愛野は言った。


「今夜、乗り込むんやな」 


 園川はうなずいた。


「はい。松宮さんの作業が終わったら、行きます」

「しのっち、助けんとあかんな。それに、教団の人たちも」

「そうですね」

「さて、どないする? 薄明の森の中は、敵がぎょうさんおるやろ。作戦立てな思て」

「なにか、愛野さんにしては、慎重ですね」

「わたしのこと、なんやと思ってんねん。そら考えるわ」

「そうですね、すみません」

「ええねん。で、とにかく、あの動画にもあったけど、またまたクリスタルを壊さなあかんやろな。なんべんやらすねん」


 そのとき、松宮が振り返ってきて、


「それがよー。クリスタルを壊すのと、ちょっとちがうんだわ」

「ん、なんやて?」

「ああ。このプログラムは、クリスタルに流し込むと、連鎖的に特定のAIの情報伝達網をサーチして、消去をしにいくみたいなんだ」

「ん?」

「あー。つまり、こいつをもうちょい加工できたら、それを薄明の森の、クリスタルに接触させて流し込む。それで、神を破壊できるかもだ」

「かも、なんやな」

「ああ。テストもできねーからよ。そこの、コアロジックは信じるしかねーよ。俺ができるのは、コアロジックの外側を整えて、この、イナゴを実行できるようにするところまでだぜ」

「イナゴ?」

「ああ。このプログラムは、ローカスト、って名前らしい。日本でいう、イナゴってことだ」

「奇妙やなー。イナゴかいな。それで、それ、いつまでかかるんや?」

「わからん。あと、1時間目標ってとこだな」


 愛野はいらついた様子で会社の時計を見上げた。すでに9時をまわっていた。


「1時まで、あと、4時間もあらへんやないか……」

「わりい」


 そこで園川は言った。


「愛野さん。先に森に入りましょう。そして、松宮さんの作業ができたら、あとから合流してはどうでしょうか?」




   *   *




 玲奈がホテルの部屋で時計を見ると、夜の10時に近くなっていた。そこで玲奈は吸い寄せられるようにテーブルに近づき、HMDを手にとった。


 そして椅子を引き、腰かける。


 その心は、安堵と充実感に満たされていた。やっと、あらゆる重荷を忘れて、自由になれる。お父様と会える。輪の神の元にいける。


 そんなふうに思いながら、HMDを頭にかぶった。

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