第65話

 園川は家に帰ってくると、濡れそぼった体のまま、暗い部屋のベッドに腰かけた。


 膝や体が震えていた。寒いのか、なにかに怯えているのか判然としなかった。


 園川は自分の腿を殴りつけた。


 こうなったのは自分のせいだ。マスタークリスタルを破壊して、いい気になっていたからだ。


 それに、元はといえばかつて、戸澤研悟の救出を妨害したこともつながってくるだろう。


 あのときはプライムクリスタルによる洗脳がすでにはじまっていた。それを止めるどころか、被害にあっていた戸澤夫妻を殺すようなことになった。


 輪の神という存在がいるのだとしたら、いったい彼は、自分になにをさせようというのだろう。


 いったい自分のような、非情な、浅薄な人間になにができるというのだろう。



 そんな風に考えていると、あの薄明の森の中のかつての光景がよみがえる。


 霧の中を逃げてゆく、戸澤香澄の姿。


 足をもつらせて転ぶ彼女。


 そこにとどめをさす、自分の手。


 光る電磁ナイフと、その振動。


 振り返る彼女の瞳。さきほどの愛野の目に似ている。


 過去はもうどうやっても取り戻せない。取り消せない。



 窓の外では雨が振り続けており、ときおり雷鳴が響いてくる。それらの音は、園川を非難し、追いつめてくるかのようだった。


 次の園川の脳裏に戸澤未由の顔が現れた。以前カフェにやってきた未由は、いまだにブルーエッジ、すなわち園川を憎んでいた。当然のことだ。


 そのとき園川は、なにか心に引っかかるものを感じた。


 そうだ。未由は戸澤研悟から、なにかを引き継いだということだった。


 黒部の方針に反対し、黒部の策略によって洗脳を受けた戸澤研悟が、最期になにか、大切なものを未由に託した。そういうことだった。


 園川はスマートフォンを取り、岸中に電話をかけた。岸中は4コール目に出た。


「岸中です」

「もしもし、園川です」

「いやー。なかなか大変なことになってるね。例の、薄明の森の事件」

「ええ。それで、お聞きしたいんですが。戸澤未由ちゃんのことで」

「ん、ああ。いいよ」

「ありがとうございます。未由ちゃんは、戸澤研悟さんから、なにかを引き継いで、それを渡す条件に、親の仇である、ブルーエッジの正体を教えてほしいと。そう言ってますね」

「うん、そのとおりだ」

「ところで、父親の研悟さんから引き継いだなにかっていうのは、なんなのでしょうか?」

「え? ああ。それなんだけど。研悟さんは、黒部の方針にずっと反対していて、最後に消されることになったと思うんだ。でも、さらに決定的に、黒部にとって消えてほしい理由があったんじゃないかと、思ってる」

「消えてほしい理由?」

「ああ。教団関係者の証言を集めていくと、研悟さんは、どうやら、黒部の開発した、神のAIを破壊することを考えていたみたいなんだ」

「神のAIを、破壊……」

「うん。研悟さんは黒部のAIのプログラムを解析していたらしい。それは、黒部の方針に反対する側の信者に聞いたんだ」

「そんなことを……」

「ああ。だから、もしあのタイミングで、研悟さんが抱えていた、愛娘に預けてまで守りたかったものがあるんだとすると、僕は、それなんじゃないかと思う。でも、僕もなんども未由ちゃんを説得しているんだ。輪神教会の人たちを救えるかもしれないから、引き継いだものを、データなり、なにかのプログラムなり、見せてほしいって」

「ダメなんですか?」

「うん。そんなことより、ブルーエッジを探せ、って。輪神教会の人たちだって、敵だと思ってる、って」


 園川は目をつむり、しばらく考えていた。


「どうしたの? 園川くん」

「いえ、すみません。あの」

「え?」

「僕は、ブルーエッジの正体を、見つけました。いや、よく知っている。僕は、未由ちゃんに、それを伝えます」

「なんだって? どうしてそれをすぐに言わないんだよ!」

「すみません。ほんとうに……」

「その正体ってのは、だれだ? きみが独自に調べて、探したのかい?」

「それは、直接説明します」

「そうかい。わかったよ。じゃ、どうする?」

「あしたはたぶん、中学校は休みですよね」

「ああ、5月2日……連休かな。きみさえよければ、声をかけてみるよ。たしか、4日には、例のタイムリミットらしいからね」

「わかりました。ありがとうございます」


 そうして園川は電話を切った。そのあとも園川は、自分に問いかけた。


 ほんとうに、これでよかったのだろうか。いや、あまりに遅すぎたのではないか。


 未由に対して、なにをどう償えばよいのだろうか。自分はいま、利己的な理由で、こんな行動に出ているのではないだろうか。戸澤香澄や戸澤研悟は、あの世からどんなふうに自分を見ているのだろうか。


 そんなことを煩悶と考えた。しかし、未由と話をするほか、道はないように思われた。




 第6章 それぞれの答え おわり

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