第64話

 週が明けた5月1日の月曜日、雨が降っていた。


 園川は朝の9時前に会社についてから、玲奈の出社を待っていた。しかし10時になってもやってこなかった。電話にも出なかった。


 会社には愛野のほか、内勤の社員がおり、いずれも玲奈のことを気遣うような話をしていた。松宮は外出していた。


 そんな中、園川の席まで愛野がやってきた。


「しのっち、けえへんなあ。ソノくん、なんか聞いとる?」

「いえ。ただ……。薄明の森での集会のことが、気がかりで」

「せやな。見たで、あの、信者の人の動画。また、洗脳がはじまってるみたいやな」

「そうなんです。いったい、だれが、なぜ……」

「ほんまや。黒部側のだれかやろか」

「わかりません。ただ、あの動画の最後に出てくる、5月4日の午前1時という日時。これが気になるんです」

「せやなー」

「……それに実は、昨日の夜に電話したんです。そうしたら、玲奈先輩、幽霊みたいな感じで、どなたですか? って。僕のことをわからない様子で……。また、あのときの、サニーデイパークのときみたいで」

「なんやねん! 早う言わな。あかんなそれ」


 すると愛野は自身の顎に手を当てて考えこんだ。そして決心したように、


「いくで、しのっちのアパートへ」




 園川は愛野とともにタクシーに乗った。倉神社長の許可を得て正式に休みを取るべきかもしれないが、それどころではなかった。


 以前玲奈が失踪したときも、同じように愛野と玲奈の家に向かった。そのことを奇妙な感慨とともに思い出した。


 そうこうするうちに目的地についたため、園川はタクシーから降りて、雨の中を歩き出した。愛野もすぐ後ろをついてくる。


 外から部屋を見ると、カーテンはしまっていた。


 アパートの部屋の前に着いてから、なんどもインターフォンを押したり、ノックをしたのだが、まったく反応がない。


 そこで愛野は郵便受けから中をのぞくと、


「あー。でかけとるな。スニーカーがあらへん。雨傘もや」


 そんな風に話しているとき、ふいに園川のスマートフォンにメッセージがきた。どうやら須崎からだった。


「あ、須崎さんからです」

「おっちゃん? なんて?」

「ええ、ちょっと待ってください」


 そうして、園川はメッセージを確認した。


 『諸々のことで話をさせてください。一刻を争うかもしれません。きょうにでも、お話しできませんでしょうか』



 園川は愛野と相談し、須崎と合流することにした。場所は、渋谷駅の近くのカフェにした。


 園川と愛野が店に入ると、すでに須崎は奥のテーブル席にいた。


 園川たちは須崎の手前に並んで座った。それぞれメニューを注文してから、須崎は身を乗り出してきた。


「玲奈様は、やはりいらっしゃらなかっのですね?」


 園川は答えた。


「ええ。すでにいませんでした」

「なんと。……なんということでしょう。やはり、クリスタルによる洗脳が、またはじまったのでしょうか。あの動画! 例の、信者が録画した動画は見られましたかな?」

「はい。薄明の森で、信者の方が、草原に行くというやつですね」

「そうです。それです」

「そして、最後に、あの日時。5月4日の1時……。そこで、3回目の洗脳があるのでしょうか」

「ううむ。おそらくそういうことでしょうな」

「その、5月4日というのは、どういう意味なんでしょうか。きょうは、1日ですから、間もないわけですが……」

「ん、5月4日。いや、あれはしかし。……そうですね、わかりませんな。ただ、これまでのやり方ですと、2回目の洗脳時には、預金をおろさせて入金させるなど、行動自体を暗示で制御できるような深度になり、3回目には不自然死という形で命をうばう状況に至ることがありました。必ずしも死に至らせる、というものではないですが、それだけ、言いなりになってしまうということです」

「やはり、4日には……」

「そうですな。最悪のことも、考えねば。あの日、薄明の森にいた多くの信者も含めて、玲奈様ご本人も」

「いったいどうして。マスタークリスタルを、破壊したというのに」

「ええ。おそらくは、生成されたクリスタルで、まだ利用できるものがあったとか、そういうことでしょうな」

「だとしたら、薄明の森に、またクリスタルが設置されたということですか?」

「そうですな、きっと。例の動画をよく観ると、神殿の方から光が見えましたので」

「だとしたら、クリスタルをまた破壊すれば……」

「どうでしょうな。またほかにもクリスタルがあるかもしれません。それに、妨害してくるものが現れた際には、場合によっては、4日をまたずに悲劇が起きるやもしれません」


 園川はテーブルを叩きつけた。テーブルの上の砂糖の瓶やスプーンが跳ねた。


「なんとか、ならないんでしょうかッ!?」

「私もなんとかしたい! でも、思いつかないのです!」


 須崎はそう言って、悔しそうに眉をゆがませ、拳を握った。


「私とて、玲奈様や、仲間たちをなんとしても救いたい! そのためなら、この命など、まったく惜しくないのです。それなのに。それなのに、なにもできない。おお……」


 そこで園川は、


「そうだ。まずは警察にも。岸中さんなどにも伝えましょう。あとは、玲奈先輩が行きそうなところとかを、探しましょう」


 すると愛野は言った。


「それもええねんけど、しのっち以外の人は? しのっちだけ救ってもしゃあないで。それに、いったん助けても、また同じことが起こるで」


 園川は再びテーブルを叩き、愛野に向かって大声を出した。


「わかってますよ! でも、どうするっていうんですか? どうすりゃいいんですか?」


 愛野は肩をびくりと震わせ、園川の行動が信じられない、といった表情をした。


 そのとき、近くで稲光がほとばしった。豪雨とともに、落雷の轟音が響き渡った。


 園川は財布を取り出して千円札をテーブルに置いた。


 それから「すみませんでした」と言って店を出た。


 園川は豪雨の中を、駅に向かって歩き出した。




 地下鉄の車両の中で、園川は半ば呆然としつつも、少しでも糸口を見つけようと、情報を集めていた。


 そんな中でこんどは、別の動画が見つかった。


 その動画は、薄明の森に潜入した者がアップしたようだ。配信者はエントリーゾーンから入り、森の中を進み、広場に出て、やがて神殿の奥に入っていく。


 園川の記憶にあるとおり、薄暗い神殿の内部は石造りの堅牢そうな構造になっている。


 白い絨毯が置くまで続き、最奥のはるか先に、ほのかな青い光が見える。


 そこで園川は言葉を失った。


 青い光の根元に、ちらりと、青いクリスタルのシルエットが見えた。


 薄明の森のプライムクリスタルはもう、破壊したはずなのに、やはり、蘇っているのか。


 そのとき動画の中で、だれかの声がした。


「おまえ、なにもんだ」


 映像はぐるりと振り返り、声をかけてきた相手を映した。


 薄暗い中で、数人のシルエットが見えた。5名以上はいるようだった。


 そこで、シルエットの中の1人が近づいてきて、大斧を振り上げた。彼は頭にドクロの入れ墨のある大柄の男だった。


 次の瞬間、配信者の視界に赤い文字が出た。


 『損傷率87%。行動不能ため強制離脱します』


 園川はひっかかるところがあり、再度、最後のシーンを再生した。


 そこで園川はうめき声を漏らした。


 配信者を攻撃した集団の奥に、特に黒い姿をした者がいた。顔にはなにかの仮面をかぶっているようだった。おそらくそれは、影の姿だった。


 そして、影以外の姿にもどこかで見覚えがあった。例えばさきほどの大斧の男についても、どこかで見た気がする。彼らはヘヴンズシャドウのメンバーではないかと思われた。


 だとすると、輪神教会のなにものかが、影を通じてヘヴンズシャドウと結託したか。


 あるいは、影たちが輪神教会やクリスタルを乗っ取ったのか。


 それにしても、なぜ、なんのために?



 園川は混迷と疲労の中、耳障りな地下鉄の音を聞いていた。

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