第61話
黒部を確保するために現地に踏み込んでから5日が経過した、4月24日の昼間、玲奈は薄明の森の広場にいた。また、玲奈は白い法衣を着ていた。
周囲は木々に囲まれ、背後には神殿がそびえる石畳の広場には、多くのアバターが集っていた。彼らはいずれも玲奈からの呼びかけで集まった輪神教会の信者たちだ。
いわゆる『黒部派』は参加していないだろうが、それでも主要な信者たちが100名以上はきているようだ。いずれの者も、真剣な面持ちで玲奈の言葉を待っている様子だ。
とはいえ、須崎の姿はなかった。ちょうど現地から東京へと帰途についているのだという。
玲奈は集まった信者を見渡して、
「みなさん。長らくご心配をおかけしました」
そう言って深々と頭を下げると、信者たちは口々に声を発した。
「玲奈様! お待ちしていました!」
「戻ってくれてありがとうございます!」
玲奈は信者たちの声を聞き、安堵とともに再び顔を上げた。
* *
神殿の奥の暗闇の奥で、じっと身を潜めている存在がいる。
そこは以前、プライムクリスタルが設置されていた台座付近だ。
暗闇に同化するかのように佇立する黒衣の姿。――それは影だった。
影はときを見計らうかのように、ただひたすら神殿の外の広場の方角に視線を投げかけていた。また、影は抱え込むようにして、なにかを両手に抱いていた。その両手の中からは、不吉な青い光が漏れていた。
* *
玲奈は続けて信者たちに言った。
「黒部には逃げられてしまいましたが、必ずや近く、警察が確保することでしょう。もはや諸悪の根源となっていたマスタークリスタルは破壊されました。まことに悔やまれるのは、わたしの父であり、教団代表たる篠原誠也が亡くなったことです。しかし。わたしは父の意志を継ぐつもりで、みなさんに声をかけ、ここに立っております。どうか、みなさん。これからも輪神教会を、ささえてくださいませんか?」
すると、広場に歓声と拍手が巻き起こった。まるで黒部が起こしてきた恥ずべき所業をそそごうとするような、信者たちの想いと決意が感じられるようだった。
玲奈は目を閉じて、励ましの声、賛同の声、豪雨のような拍手を浴びた。
――異変が起きたのはそのときだ。
ふと玲奈は、自分が背にしている神殿の方向に低くうなるような音を聞いた。振り返ってそちらを見ると、なにもない空中が油膜のようにゆがんでいるように見えた。
そのとき赤いスパークが走ったかと思うと、空間のひずみが一気に膨張した。
気がつくと玲奈はアパートの自宅のリクライニングチェアに座っていた。頭にはHMDを装着したままだ。
状況が理解できず、なにが起きたのかを思い出そうとするが、まるで記憶の中に真っ黒で巨大な城壁が立ちはだかっているように、思い出すことができない。
突如襲ってきた頭痛にうめき声を漏らしながら立ち上がり、キッチンに向かう。そこで冷蔵庫の中のミネラルウォーターをグラスに半分ほど注ぎ、一息に飲み込む。
玲奈は暗いキッチンの壁に向かって考えこむ。
HMDが故障したのか。ヘヴン・クラウドで障害でも起きたのか。あるいはインターネット接続の問題だろうか。
とにかく、黒部はもう終わりだ。なにも起ころうはずがないのだ。
そんな風に自分に言い聞かせているとき、手からグラスが床に落ちた。
耳障りな音をたててグラスは砕け散る。――それは破壊されたクリスタルを思わせた。そうだ。もうマスタークリスタルは存在しない。そのはずなのだ。
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