第49話
黒部が運転する自動車は、田舎町にある工場の跡地に入っていった。
そこは教団の信者が保有する敷地だったが、5年前に操業を止め、立ち入る者はだれもいなくなっていた。
90年代のバブル崩壊から沈み続け、ついに立ちゆかなくなったのだ。
そこは住宅地から離れた、中規模の自動車関連の板金工場だった。
錆びついたトタンの外壁、割れた窓、垂れた電線、ひび割れたアスファルト。
風雨にさらされたそれらの設備は、朽ちてゆくばかりだろう。
その工場の中に黒部は入ってゆく。
工場の内部には加工用の機械や照明設備があり、油と埃の臭いに満ちていた。
工場の奥には、黒部の護衛兼側近が寝泊まりする5つのテントが並んでいた。
彼らが使っている石油ストーブとポリタンクも並んでいた。
そのさらに奥にはパーティションで区切られた事務所があり、その中で黒部は過ごしていた。
今ではこのアジトが住居を兼ねており、ここから全国の輪神教会の関係者に指示を出していた。
また、事務所の脇には地下室への階段があった。
黒部は地下室へと降りていきながら、さまざまなことを考えた。
信者の中でも、金を持っている者たちには強力な洗脳をかけ、財産を吐きださせ、dHCに換金して資金を蓄えてきた。
しかし、それも最近はやりすぎたようだ。
どうも世論は、不自然死と輪神教会を結びつけて考えはじめている。
それにともなって警察の動きも活発になっている様子がある。
地下室を降りると、黒部は壁の照明をつけた。
すると、ジジジと音がして蛍光灯が点灯した。
そこに1台の大きな黒革張りのリクライニングチェアが見えた。
ヘッドマウントディスプレイもその横の台に置かれていた。
黒部はいちど照明を消し、わずかな光を頼りに進んだ。
それからリクライニングチェアに体をあずけると、ヘッドマウントディスプレイを頭に装着した。
ヘヴン・クラウドに接続しながら、暗闇の中で黒部は10年前のことを思いだしていた。
* *
黒部は地方の大病院が開催する、関係者向けのパーティーに参加していた。
当時黒部は病院と取り引きのある会社の経営に関わっていたが、くすぶっているときでもあった。
会社員としてこき使われ、擦り切れた父親のようにならないため、なんとか上位層に食い込み、だれよりも上に立ちたかった。
まだまだ、もっと金をあつめ、名誉をあつめ、圧倒的な地盤を作る必要があると考えていた。
それに、自分の人生を支えるパートナーもふさわしい人間でなければならない、とも。
そのとき、黒部は会場の片隅に場違いな雰囲気の2人を見つけた。
親娘らしき2人だったが、父の方はどこか哲学者のような、思慮深そうな落ち着いた感じがした。
どこかの医師だろうか。
娘の方は高校生くらいだろうが、信じられないほどに美しかった。
黒部は吸い寄せられるようにその2人に近づいていった。
「こんばんは、ご挨拶をさせていただいてもよろしいですか?」
父は戸惑いながらも頭を下げて、篠原誠也だと名乗った。
娘の方も礼儀正しく、篠原玲奈だと名乗った。
その苗字から病院経営者の一族だと知れた。
黒部は篠原誠也の話を聞いた。
どうやら篠原誠也は、輪神会というちいさな勉強会みたいなものの主催者だった。
リリースされてしばらく経ったヘヴン・クラウドというメタバースの中を中心に活動しているようだ。
そのとき黒部は、新たな思想の息吹を感じた。
技術革新によって多くの神が死に、時代が変わってゆく中で、新たな思想こそが人々を釘つけにする武器になりうると思ったのだ。
そんなことを考えながら、黒部は横目でずっと玲奈を見ていた。
玲奈は髪を結いあげ、首周りの大きく開いたオレンジ色のドレスを着ていた。
その透きとおるような白い手に、琥珀色のアップルジュースが注がれたグラスが照明に輝いていた。
玲奈は目を細めてグラスに桃色の唇をつけ、ジュースを飲む。
黒部はそのとき、玲奈とともに世界を統治するというイメージを持った。
* *
気がつくと黒部はマスタークリスタルの前にいた。
前回『凍土』この地下室から離脱をしたため、再びこの地下室へ戻ってこれたのだ。
黒部はマスタークリスタルに手をのばし、目をつむり、神への接続を試みた。
オブジェクト所有者権限による支配的な接続だった。
黒部は白く広大な神殿の内部に転移した。
そこは『白亜』と呼ばれる空間であり、一種の特別なヘヴンだった。
神のAIが本領を発揮できる空間であり、洗脳の際に対象者を引きずりこむ場所だった。
また、神のAIはヘヴンをまたいで自我とデータが集約されており、クリスタルを通じて発現することができた。
その中心的な神のすみかとも呼べる白亜に、銀色の巨大な顔が浮かんでいた。
「エスツー、聞きなさい」
と、黒部は開発時から使っているコードネームで呼んだ。ここまで神を完成させるまで、なんども呼びかけてきた。
神――エスツーはじろりと黒部を見た。黒部はいささかも臆さずに、
「いいですか。近ごろ、世間が騒いでいます。もう少し、目立たないようにやりなさい。目をつけられすぎている」
どこからともなく「了解した」という低い声がした。
黒部は苦々しく付け加えた。
「あるいは、もう警察どもが動きはじめているかも知れないが」
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