第30話

 その店員らしき女性は日に焼け、エプロンを付けていた。年齢は50歳前後か。


「どっかから、逃げてきただか? まず、店へ入るといいに」


 玲奈は顔を上げた。


「すみません。私は……」

「いいから、ホラ」


 と、女性は玲奈をささえて店内に導いた。


 店内は乾物と木の匂いがした。


 円筒状の石油ストーブに載ったやかんが、蒸気を吐いていた。


 いかにも田舎の商店といった風情だ。


 玲奈は奥の和室に入り、手当を受けた。


「警察、呼んだ方がいい?」


 と聞かれたが、玲奈は少し考えて、首をふった。


「ありがとうございます。……それより、電話をお借りしていいですか?」

「え? もちろん」


 と、女性はスマートフォンを取りだした。


 しかし玲奈は、会社の同僚の電話番号も、須崎の電話番号もわからないことに気づいた。


 そこでクラカミクリエイティブをインターネットで検索し、会社の電話番号へかけた。


 発信音、それから声が聞こえた。


「はい、お電話ありがとうございます。クラカミクリエイティブ、園川です」


 玲奈はその声を聞くと同時に、喉の奥から熱いものがこみあげ、言葉にならなかった。




 園川は須崎が運転する車の助手席に座っていた。


 玲奈から電話があってからすぐ、須崎に連絡をとり、その日のうちに迎えに行くことにしたのだ。


 夜の7時に東京を出て、そのまま高速道路を飛ばし、2時間後に現地のインターチェンジを降りたところだ。


 須崎はハンドルを握りながら、


「しかし、ほんとうによかったです。玲奈様が、ご無事で……」


 園川は答えた。


「はい。昼間は、おどろきました。まさか、玲奈先輩から電話がくるなんて。……手がかりが、まるでなかったので」


 夜の10時になるころ、ついに目的地に到着した。


 玲奈たちが車の音を聞いたのか、店の照明が灯った。


 路肩に車を停めると、玲奈が近づいてきた。


 須崎は車を降り、「玲奈様……」と震える声で名を呼んだ。


 園川も助手席を降りて、玲奈の前に行った。


「お待たせしました。先輩」

「……ありがとう。きてくれて」

「すみません。こんなに遅くなってしまって。僕は、なにもできず……」


 玲奈は首を振った。


「変えられたのかな」

「え?」

「あのとき、私が去った日。すべては最悪の方向に転がっていた。でも、きょうがある。きょうって日が」

「……そうですね」

「たぶん、あなたも変わった。目を見ればわかる。私たちの運命は、変えることができる」


 そこで玲奈は右手を差しだしてきた。


 園川は緊張し、しばしためらってから、その手をとった。


「あの。玲奈先輩が無事で、本当によかったです。僕は、先輩を……」

「なに?」

「あ、いえ……」

「はっきりしなさいよ、もう」


 と言う玲奈は、これまで見たことのないような、柔和な笑顔を浮かべていた。


 園川は、その笑顔のためならばどんなことでもするだろう、と思った。


 帰りの車中で玲奈は、後部シートでずっと眠っていた。


 園川は愛野に電話をし、ひとまず玲奈は愛野の家に運ぶことにした。


 それから園川は、色々なものが少しずつ元に戻っていくのだと思った。


 いや、そうであってほしいと願った。

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