第18話

 薄明の森へいってから2日後、園川はあるSNSの投稿にたどりついた。


 日頃からヘヴン・クラウド関連のキーワードで情報を集める中、必然として目に入ったのだ。


 日曜日の11時ごろ、朝飯と昼飯を兼ねて、自宅から外へ出かけようと思っていたときのことだ。




 ――――――――――


 輪神教会について


 私は今、深い失望の中でこれを書いています。


 そうです。失望しています。


 主人に。自分に。


 輪神教会と、それを野放しにするこの国に。


 主人は輪神教会に洗脳され、金をうばわれ、自殺に追い込まれました。


 亡くなるしばらく前から、様子がどんどんおかしくなりました。


「間もなく、輪の神の境地にたどりつくんだ」


 みたいなことを言って。


 信仰自体は、それはそれで、悪いことではないのです。


 おぼれている人が、信教によるべを求めることは。


 ある意味で人は、悪徳と信仰の両面を持つよう、運命づけられていると思えるからです。


 ところが主人の場合、それが極端だったのです。


 主人は仕事から早く帰ってくるようになり、その分、ヘヴン・クラウドに入り浸りました。


 ヘッドマウントディスプレイをかぶり、薄暗い自室で昼夜を問わず、10歳になる娘にも目をくれずに没頭していました。


 やがて主人は家族と話をしなくなりました。


 私は困り果て、大学の同期や知人などに相談しました。


 知人のうち何人かはすでにヘヴン・クラウドに精通していましたし、ゲームやVRにも慣れていたこともあり、頼りになったものです。


 そこで彼らのアドバイスをもとに、ヘヴン・クラウドの世界で、主人がなにをしているのかを調べることにしました。


 やがてわかったのですが、主人はあるヘヴンに通い、輪神教会から洗脳を受けていたのです。


 儀式を行うそのヘヴンは、霧の深い森のようなところでした。


 また、主人の洗脳はどうやら、複数回の儀式で完成するものでありまして、私が知ったときには、すでに2回目を終えていました。個人差があるものの、通常は3回目の儀式で完成し、それ以降は完全に操り人形のようになるのだと、仲間が教えてくれました。


 私は主人を取り戻すため、主人にとって3回目の儀式の日に、仲間とともに森に向かいました。


 しかし、だめだったのです。


 主人は取り戻せず、私はヘヴン・クラウドの世界から追放されました。


 濃紺の服を着た、殺し屋のようなアバターにやられました。黒い忍者のような仲間と組んでいたようです。


 そのアバターは、おそらく輪神教会が雇った者でしょう。




 それから主人は部屋に閉じこもり、ずっと出てきませんでした。


 翌日の夕方ごろ、さすがにドアをやぶって入ると、主人はヘッドマウントディスプレイをつけたまま、気を失っていました。


 大量の睡眠薬を飲んでいたらしく、ビンが落ちていました。


 主人はヘヴン・クラウドに入り、その中で、安寧を手に入れたのでしょう。


 救急車を呼びましたが、主人は亡くなりました。


 両家の親類に連絡し、雑事をやり、通夜の手配をすませました。


 また、預金を確認すると、1千万円近くあったものが、ほとんどなくなっていました。おそらく、ヘヴン・クラウドを介して教団の手にわたったのでしょう。



 そこで今、これを書いています。


 私はもう、すべてのことをあきらめています。


 私にはもう、どうすることもできない。


 だから、これを読んだ方へ伝えたいのです。


 教団をこれ以上のさばらせてはいけない。


 つぶさなくてはいけない。


 もう二度とこんなことが起きないように。


 戸澤香澄


 ――――――――――




 園川はこの投稿を見て、愕然としてソファーに崩れた。


 薄明の森で出会った、あのローブ姿の女性が脳裏に浮かんだ。


 あの女性が書いたのではないか。


 だとしても、夫が亡くなったというのは、本当のことなのだろうか。




 そんな疑念が渦巻く中、さらに4日後、母子心中のニュースが世間をさわがせた。


 母が娘とともに自宅で薬物を飲んで、自殺をはかったのだという。


 母親は死亡し、娘は重体ということだった。


 また、親族の意向により実名が報道された。


 それらの報道には、投稿と同じ『戸澤香澄』の名前があった。また、メディアによっては例の投稿の引用やリンクが掲載された。


 園川はその事実に狂いそうになった。




 一方で、輪神教会からも声明がでた。


 一連のできごとは悲劇的な事故であり、誤解や個別の事情が引き起こした例外的なものだ。


 事故と教団の関連について慎重に調査する。


 そういったものだった。


 以来、園川はヘヴンズシャドウを抜けた。



 戸澤夫妻は親族の手によってある寺に埋葬されたようだった。


 園川は命日やお盆になると墓参りをした。


 どれほど手を合わせても、心が軽くなることはなかった。

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