第6話
その森には背の高い樹木が立ち並び、濃い霧が朝日を遮っていた。
薄暗い霧の奥から神か魔物が現れてもおかしくないような、神話めいた雰囲気に包まれている。
そこは『薄明の森』と呼ばれるヘヴンだった。
園川はそんな森の中を駆けていた。
柔らかな土を蹴り、湿った空気をかきわけ、女の背中を追っていく。
そこで女は小さな悲鳴を上げ、態勢を崩して膝をつく。
園川は右手の電磁ナイフを振り上げ、女の背中に突き刺す。
女は顔を上げ、振り返り、悲しそうな表情をする――。
園川はそこで目を開けた。
枕元のスマートフォンを掴み時間を見ると、朝の6時前だった。まだ森の空気の余韻が残っている。それに、右手にあの電磁ナイフ特有の振動が残っている気がする。
たまらず園川は立ち上がり、キッチンにいって水道水をコップに注ぐと、ひと息に飲んだ。
その日はもう寝ることはかなわず、ベッドに横たわり、明るくなるのを待った。
夜の底は過去に属している。
眠れずにあがいていると、過去の記憶が脳裏に現れる。
義賊を気取ってヘヴン・クラウドを荒らし周った日々。いつしかつるむようになった者たち。彼らと作った賞金稼ぎの集団『ヘヴンズシャドウ』。管理局からの警告。霧の森のあの女。――女の死体の濁った両目。なぜ、あんなことになってしまったのか。
園川は暗闇の中で幻影たちが去るのを願った。
やがて朝になって出社すると、園川は担当となっている案件の開発をはじめた。しかし、どうにも集中できなかった。
取り組んでいたのは、ヘヴン・クラウドのオブジェクト制御用のプログラムだった。入社して2週間後に、はじめて割り振られたものだ。
玲奈や松宮に相談しながら難航しているうちに、とうとう夜の21時すぎになった。
社内には、園川以外には玲奈しかいない。
「なにか、あったの?」
と、向かいの席の玲奈がディスプレイの脇から顔をのぞかせる。
「ぜんぜん集中できてないでしょ」
「は、はい」
と、園川はキーボードから手を離し、頭をかく。
「変われると思うよ」
「……え? なんですか、それ」
「きみって、過去の自分から、なんとか変わろうとしてるっていうか。そんな感じがするから」
「いや、僕は……」
「きみはたぶん、ヘヴン・クラウドで、結構やばい、なにかだった」
園川は目を閉じてうつむいた。
「でも、変わろうとしてる」
「過去は、なくなりませんよ。それに、先輩こそ、ふつうじゃないですよ。あの最初の日の、教団の人たちに斬り込む姿……」
「それは、ごめん。まだくわしくは、言えないの。きっと迷惑がかかるから。でも、きみには前を向いてほしい……」
「そんなに、かんたんなものじゃないです」
「たしかに。でも運命って、変えられると思う。償って、進めば」
「わかりません、僕には」
「少なくとも……」
「え?」
「少なくとも、わたしが鍛え直していくから、悩むヒマなんてないからね」
「はあ……」
「早く仕上げて、プルリクして。コード確認するから」
しばらくオフィスには、キーボードを叩く乾いた音が響き続けた。
やがて、「ありがと、きてくれて」と、玲奈の声がした。
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